当事者からの「校門圧死事件」 細井敏彦「校門の時計だけが知っている」他

 三年前、神戸高塚高校で起きた「校門圧死事件」の衝撃は、今も記憶に新しい。実際、この事件は決して過去のものではない。なぜなら、この事件を生み出した背景には何の変化もないからである。
 多くの場合、高校にはエリート進学校からいわゆる「底辺校」までの序列が作られている。底辺校での授業や生徒指導は困難を極める。生徒の学習意欲は極めて低い。決まった時間に学校へ行く、教科書は持ってくる、授業を聞くといった、基本的な習慣が身についていない生徒も多い。
 困難の中、全国各地の高校で多数の教師たちが涙ぐましい努力を続けている。そこに管理の行き過ぎや過失は、いつでも起り得る。神戸高塚高校もまた、こうした底辺校の一つであった。
 「校門の時計だけが知っている」(草思社・1600円)は、事件の当事者である細井敏彦元教諭その人の手記。これは凄絶な記録である。
 教師を目指して苦学した若き日の思い出、困難の中で生徒指導に熱意を燃やした日々、そして運命の日。自虐の炎に包まれる日々。警察の取り調べ、大新聞社の卑劣な取材、保身に走る校長や同僚たち、管理教育の権化として指弾され、打ちひしがれる毎日。その中で著者は、事件の真相と背景を明らかにすべくペンをとり始める。
 著者は、教師の権威を振りかざしていた自分を反省する一方、エリート進学校を温存する高校入試制度と、それが生み出した「教育困難」、そしてこれに対応すべく管理強化を現場に押しつけた文部省と県教委に、事件の原因があると指摘する。ここに自己弁護の匂いをかぎつける人もいるだろうが、問題の本質を突いていることは明らかである。
 森毅氏は教育についての発言の多い数学者だが、「おしゃべりな置きもの」(青土社・1500円)ではこの事件についても言及している。氏のしなやかな思考は、定年退官を経てますます冴えわたる。とくに、在日外国人問題についての指摘は秀逸である。

(1993.5月配信)

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