"社会党の顔"の軌跡 塩田潮「江田三郎・早すぎた改革者」他


 社会党がついに、連立政権から離脱した(四月二六日現在)。最大与党でありながら発言力は小さく、これまで長く有権者に訴え続けてきた原則を次々に放棄し、離党者を出してやせ細りながら、それでも政権にしがみついていくその姿は痛々しくさえあった。
 思えばもう三〇年以上も前から、社会党を政権の取れる党にしようと苦闘していた政治家が江田三郎であった。江田が生きていたら、あるいは社会党の委員長になっていたら、社会党は早い時期に政権獲得に向けた党改革を成し遂げただろうし、しかも政権内で無原則な譲歩を繰り返すこともなかったのではないか。
 塩田潮著「江田三郎・早すぎた改革者」(文藝春秋・一九〇〇円)は、その波乱の生涯を描いた好著。農民運動の活動家として頭角を現した戦前期から、社会党の顔として親しまれた書記長時代、次第に党内で追い詰められ離党、そして社会市民連合を結成した矢先の死まで。熱く臨場感あふれる筆致で描き出す。
 人々の目に触れる活動だけではない。青年時代には作家の平林たい子の「恋人」と噂され、戦時下の中国では極秘に中国共産党軍の協力を得て、運河を完成させる。華々しい政治活動の裏で、多くの学者や財界人たちとの協力関係を築いていく。社会党の政治家には他に例をみないスケールの大きさである。
 日本の政治のリーダーとなりうる貴重な人材を、社会党は見殺しにし、最後には党外に放り出した。社会党が「万年野党」を続け、政権に参加した今も低落と衰退から脱することのできない原因の一つはここにある、と著者はいう。
 田中直毅著「日本政治の構想」(日本経済新聞社・一七〇〇円)も、江田を放り出したころから社会党はリーダーを選び出すことができなくなり、再生の可能性を失っていった、と指摘する。反復・重複の多い大部な本だが、いわゆる「五五年体制」の問題点とその崩壊過程を扱った最初の部分は、特に優れた分析になっている。

(1994.5月配信)

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