"社畜"化される人間 佐高信著「新・会社考」他

 
 新学期が始まった。新4年生たちは就職活動のシーズンを迎える。
 大学の書籍部には、就職関係の本が山積みである。その大部分はノウハウ物 。会社資料を早く確実に手に入れる方法から、会社訪問のやり方、面接の受け方 まで至れり尽くせり。これは一種の受験参考書だ。終身雇用の根強い日本の大企 業社会にあって、就職活動は大学入試と並ぶ、一回限りの選抜試験なのである。
 会社案内や業界紹介の本も数多いが、そこには決定的な情報が欠落している 。それは、「会社」というものがそもそもどのような世界なのか、についての情 報である。
 この欠落を埋める意味でも、佐高信著「新・会社考」(朝日新聞社・130 0円)は、学生や若いサラリーマンたちに一読を勧める価値がある。本書の主要 部分は、朝日新聞に連載されたもの。月日を経て鮮烈さが薄れたのは否めないが 、こうしてまとまった形で読むと、日本の「会社」というものの構造や問題点が より明確になってくる。
 人間には本来、会社のほかに家庭や地域などの世界があるはずだ。ところが 日本の会社は、会社以外の世界を徹底的に排除しようとする。食事は社員食堂、 住むのは社宅、交際費を与えて勤務時間外まで会社の世界に囲い込む。こうして 会社人間、著者いうところの「社畜」ができ上がる。
 著者は豊富な事例をもとに、人間を「社畜」化する会社の実態を明らかにし ていく。会社によっては、不純異性交遊は禁止だとか、前髪が眉毛より長くなっ たらピンで留めろなどと規則で定めているところがあるという。思わず笑ってし まった。「いい学校」から「いい会社」へ。確かに両者は連続しているのだ。
 佐高氏が序文を寄せているのが、横田濱夫・影山優理著「日本の会社へ痛快 ケンカ状」(オーエス出版社・1200円)。造反銀行マンと帰国子女が、歯に 衣着せず日本の会社について語りあうという企画で、日米の比較文化論としても 読むことができる。

(1993.4月配信)

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