皆様から寄せられた
お祝いのメッセージ



ひがしのひとしさんからのメッセージ

♪♪唄う唄があり
  唄うことがあり
  唄うひとがいて
  唄が唄われる

余分なものはない
他になんにもいらない
その人の声と唄があれば♪♪
(ひがしのひとし作詞曲「ブラート オクジャワについて」

こんなつたない歌詞を
中島光一氏に捧げます

    ひがしのひとし 2001.5.25夜

古川豪さんからのメッセージ

中島光一さま
    40周年おめでとう
    あなたが歌いつづけていることで
    ぼくも歌いつづけてこれたと思っています。
    50周年やるためには禁煙したほうが   
いいかな。同じハイライト愛煙家として・・・
とにかくこれからも元気でいい歌を
お連れあい共々つくり、歌って下さい。
                豪





森田まさはるさん(北海道)からのメッセージ

40周年コンサートおめでとう。
私は昨年“花の札幌”で30周年を開催しました。
中島光一よりも「大きな歌」との出会いが早く
以来30年。素晴らしい創り手であり、歌い手であ
る中島光一に拍手を送ります。
ホットなコンサートを期待しています。50周年
に向けて益々の頑張りを。
         北海道にて
            森田まさはる

かわさきゆたか(大阪)さんからのメッセージ

いつも何のため、何に向かって、を問いつづけながらうたう
姿勢に常に学ばされ小生もうたってきました。
ぼくらの理想とする、全ての人々が心豊かに生きることが
出来る世界の実現に向けて、微力ながら力合わせて
うたっていこう!生きてる限り!!      2002.5.22




長坂宏さんからのメッセージ

当日は、愛知から出かけて行きます。
京都の地で、中島さんの歌をまとまって聞けることができるのを
楽しみにしています。光一さんの歌には、いつも勇気づけられたり、
涙したりと、本当に心を動かされる魂が宿っています。
言葉がこんなにも大切であることを教えてくれたのも光一さんでした。
愛知にもどってからも、本当にいろんな唄い手に出会いました。
歌の上手な人、ギターのカッコイイ人、ステージングがすばらしい人、
選曲のセンスが良い人、コーラスの決まっているグループ、旅をしながら唄う人etc。
しかし、光一さんは、限りなく、日本において、
オリジナルなフォークシンガーだと再認識しました。
光一さんをマネたようなフォークシンガーは出会ったことはありますが、
光一さんのよう(方法論や創作方法において)な人は、知りません。
また、光一さんは運動という垣根をこえて数多くのフォークシンガーたちと
唄いかわせる貴重な存在であると思います。6/9(土)、楽しみです。

追伸:今年の末or来年の初めに、私の地元でも
光一さんの40周年を企画したいと考えています。

脇秀樹君からのメッセージ

当日はスタッフとして、手伝わせてもらいます。
                      脇秀樹















雲ヶ畑の安井益男さんからのメッセージ

40周年コンサートおめでとうございます。
雲ヶ畑でのコンサートで、中島さんの暖かな人柄に触れ、ファンになりました。
又、今年の3月には中島さんが副苑長をしておられる「あおい共同作業苑」と
雲ヶ畑小中学校PTAとの交流会においても苑長先生をはじめ
苑の皆さんに暖かくお迎えていただき、本当に素晴らしい人に出会えたなと
喜ばせて頂いております。
中島さんは私の先輩でもあり、昭和45年当時、数々のフォーク歌手が同好から生まれました。
そんな中で私も刺激を受け、ギターを始めましたが、
ギターを手にしなくなってもう25年以上経ちました。
今回中島さんに出会えたことで、又、一から始めようと思いギターを買いました。
当然、指が思うように動くはずありません。
中島さんのように「焦らず、じみちに」をモットーに少しずつ練習しようと思います。
コンサートは家族揃って聞きに行きたいと思います。
ご成功をお祈りします。


山本忠生さんからのメッセージ

少し遅れるかもしれないけど、実行委員会に出ます。
6月9日は先約ありですが・・・














大阪の中川隆史さんからのメッセージ

光一さん、40周年おめでとうございます。
歌い続ける事、表現出来る事、こんな不安な時代だからこそ、大事にせなあかんし、
まだまだリーダーシップを取って行かなければなりませんネ。
創ること、唄うこと、そして、表現する力を持つことを若い世代に
未来に伝えていかないと、この国の文化と人間の感性がロボット化します。
・・・しかし、嬉しい事に40代〜50代の唄い手が元気な事です。
もうひとつ大きなWAVEをつくって行きましょう。


     大阪・まちかどコンサート
・KOTOBUKIYA LIVE(吹田の地ライブハウス)
           Folk Singer
               なかがわ たかし







三宅八幡の田中正昭さんからのメッセージ

中島光一さまの40周年コンサートが開催されるということで、
ほんとうにお祝い申し上げます。
友人としてうれしく存じます。
今後もより一層のご活躍を期待いたします。



井上吉郎さんからのメッセージ

40年とはスゴイですね。
40年の音楽活動の全容にふれられるようなコンサートになるといいですね。
この人は、仕事と音楽活動にややこしい矛盾がないのが又すてきです。
6月9日を楽しみにしています。



長野県の佐々木あきらさんからのメッセージ

もう40年たつのですね。
世の中にはたくさんの歌が生まれ、その時々、さまざまな心を励まし、
思い出となるもの。消えてゆくもの。よみがえるもの。歌い継がれるもの。
どれをとっても私に聞こえた歌はみな大切な宝物です。
 中島光一さんに会い、いろいろと話をしたり、歌を聴いたり、
聞いてもらったりしたことが、いまの私の音楽活動、創作活動の大きな基礎のひとつに
なっています。
 夢中で、歌作りの技術やかたちをむさぼることもありますが。
やはり、うたはその人であり、その生活だな、と思うとき、
ちょっと安らぎを覚え、いつも「なかじま こういち」を思い出します。
 このたび金沢さんから、彼の40周年コンサートの呼びかけ人依頼をいただき、
はっきりさわやかなうれしさにつつまれています。
 長野県の中の仲間たちとも最近交流できていませんが、
これを機会に新しい交流ができるようになったらと思います。
 このコンサートが20世紀の思い出だけでなく21世紀の世界の新しい歌活動の
端々しい幕開けコンサートになるようなそんな「大きなうた」の心で頑張りましょう。
私も町の新しい歌の仲間を中島光一の世界へできるだけたくさん案内して参りたいと思います。
 金沢サン、江上サン健康での活躍、祈念いたします。






















From: 玉井真信

突然のメール 失礼をいたします。     玉井です。
ごぶさたしております。
中島さんの『40周年』 いいですね。 準備される方々はたいへんでしょうけど、
少し、うらやましいです。

京都に住んでいたときは、「古時計」をやっていたのですが、
亀岡に来てからは声がかからず、それでも、丹波地方に住んでいる
フォークシンガー&ソングライターと知り合い、バンドを続けています。
ささやかに。 でも、オリジナル曲の生産はすごいですよ。

もし、このメールが無事に届けば、ときどきこちらからのお知らせを
送りたいと思います。

長野の春日さんとは時々メールのやりとりをしていまして、
東京へ出張があるときは事前に連絡して、東京駅近辺で会ったり
(飲みに行ったり)しております。
2月に行った時は、埼玉の「小泉さん」、長野の「本郷さん」にも会えました。
本郷さんは先日京都に出張して来られたので、おいしいお酒を飲みました。

毎日は亀岡と京都の往復で終わっていますが、
たまに、豊田勇造のライブに「拾得」へ行ったり、
先月は、「ボブ・ディラン」も行きました。

いつまでも、唄を忘れまいと思っています。

手紙や電話はおっくうですが、メールは自分のペースでできるので、
いいですね。

それでは、コンサート楽しみにしています。


玉井真信さんからのメッセージ
中島さん「40周年」おめでとうございます!
私が初めて「フォーク集団ポロ」に出会ったときには、
もう中島さんはおられませんでしたが、多くの唄があり、
唄う楽しさを教えていただきました。
おかげで今も、丹波の地で唄っております。
いつまでも唄い続け、新しい唄を生み出し続けてください。
コンサート当日が楽しみです。
      2001年4月    亀岡より:たまいまさのぶ



ポチさんへ

 先日は、楽しい交流会に参加させて頂き、ありがとうございました。
PSが使えない事情があったので、お礼のメールが送れず失礼しました。
みなさんお元気ですか?6月のコンサートに向けての準備は、
着々と進んでいるのでしょうか?
 ところで、今、私が関わっている埼玉の福祉保育労働組合は、
[作業所で働く職員の全国交流集会]が5月12.13日に埼玉で開催されるため、
現地実行委員会として準備に取り組んでいます。
そこで、是非、中島光一さんや職場の方等、障害者福祉関係の方に一人でも多く
参加してもらいたくて、ポチさんを通じてお願いしたいのです。
もし、中島さんにメールが送れるようでしたら、アドレスを教えてもらえると
助かります。たぶん、中島さんの方には、呼びかけのチラシが届いていると思います。
「忙しいし、埼玉まで行ってられない」と、却下されてるかもしれませんので、
是非、あの外川さんのおかしな奥さんが、埼玉に来てくれと言っていたと
伝えて下さい。厚かましいお願いですが是非ともよろしくお願いします。
 では、みなさまによろしく!コンサート準備がんばって下さい。

外川功子より


水梨法枝さんからのメッセージ

40周年うたう会のご案内ありがとうございます。
中島さんも、金沢さんも、ずっとひとつのことを
続けていらっしゃるんだなあ。すごいなあと、・・・!!
私はこの両日(実行委員会の日程)共、所属している会の計画があるので行けません。
私は浮気もんです。

――――――――――――――――――――

歌いつづけて40年 本当にありがとう。
中島光一さんの歌は素朴に心に届きます。
かっこつけないでそのままの君でいいんだよというメッセージ
がぬくもりになって伝わるからでしょうか?
優しい心が好きです。
中島さんの優しさが 歌を通して伝染します。
もっともっと広がって、歌を聞いたみんなが優しい心になって
明日がもっといい日になりますように。
      
                      日野千恵子

中島光一さんとの出会いは、2年前。雲ヶ畑のやすらぎコンサートの場でした。
もちろん、中島光一さんの歌との出合いは20年もっとにもなるでしょうか?
「こぶしの歌」「大きな歌」「故郷へ帰ろう」などが大好きで、
私の青春時代がこれらの歌と共にありました。
「青春」なんて言葉とは、ほど遠くなってご本人と出合い、
40年のあゆみを伺い、昔の様に心が熱くなりました。

 情熱家で、暖かで、いつも自分の言葉でメッセージを送り続ける。
本当に雄大な人間(ひと)です。
そして、『自分は、働き続け、運動し続け、生活し続けているから、
歌が造れるし歌える。誰でも歌は造れるし歌える。自分の歌を唄ってください。』
なんか夢が、与えられたようで・・・自分にもなにかできるかな?
って気持ちにさせてくれる。そんな中島光一さんのコンサートの事務局を
ご一緒させていただき光栄に思っています。
今日のコンサートで沢山のお土産を持って帰れますように。

                                   是恒千鶴子

金城 和代
金城  明
  
  ご盛会をお祈りします。
  懐かしいあの時代が、再現されるのですね。
  元気が出ること、間違いなしです・・・・
  いつまでも、あのころの、心を忘れないで、
  歌い続けてください。大津から、応援してます。







滝沢松代さんからのメッセージ

40周年コンサートおめでとうございます。
約30年前、初めて京都に来て、知り合いもなく、心細く保健婦学生としての
生活を始めた時、「あほうどり」に参加させてもらいました。
その時、中島さんの「大きな歌」を教わりましたが、思いっ切り声を出せ、
皆んなで歌える歌に感動し、元気づけられました。
 実行委員会には参加できませんが、当日は夫(京一、大学で中島さんの1年後輩)と
参加させていただきます。


信州伊那 杉本等さんからのメッセージ

コンサートの準備は順調ですか?
行きたいと思っていたのですが、ちょっと無理みたいです。
実行委員の皆さんガンバッテクダサイ。
では。



江上統一郎さんからのメッセージ

光一さんとは、17年前に出会いました。
妻の由香里と出会ったころで、丹後の方の“うたつくり”の
合宿で初めて出会いました。
光一さんの生き方に共感し、私自身の人生にも大きな影響を与えて下さいました。
そのころから、私のうたつくりも変わってきたように思います。
今後も光一さんの弟子の一人としてよろしくお願いします。

やすらぎコンサートを楽しむ会 江上統一郎


今回のコンサートとやすらぎコンサートを楽しむ会を結びつけてくれた方を紹介します。
雲ヶ畑の森林組合長の安井文雄さん
木の香りと自然のふところに抱かれて建てられた林業センターで
いつも笑顔で向かえてくれる久保清美さんです。この実行委員会に
森林組合より、今回、やさしいハーブの苗をいただきました。



中島さんと初めてお会いしたのは、やすらぎで、
3年前、野田淳子さんのコンサートに取り組み、ご主人として紹介された時です。
「大きなうた」は知っていたけど、「ままこ」は、若い頃、主人がよく唄っていましたので、
中島さんが作られた唄だと知り、2人で感激しています。
すてきなコンサートになりますように。               林雅子















光一さんとの出逢いは、私が二十代の頃、病気療養中、
宮津で子供の合唱団をつくっている頃、そして二度目は上世屋で笠木さん、
黒坂さん、光一さんと、それからまもなく夫を連れて三度目の出逢い。
何故かとても鮮明にその時々がよみがえってきます。
まっすぐに向きあっている瞳、静かだけれど大切なものを訴えかける声。
出逢えてよかったと二十年近く思いつづけています。
体に気をつけて、光一さんにしかできないうたをつくりつづけて下さい。
 江上由香里







中島さんがポロというサークルを作る少し前に、私は、彼のうたに出会いました。
彼のうたう「18歳」にとてもショックを受けました。
「大きなうた」が、まだできてなくて、「小さなうた」をよく聞いていました。
中島さんが初代議長になった「京都フォークソング連絡会議」の第一回フォークスクールの
生徒として、いきなり、山科の出演に連れて行かれびっくりしたことを覚えています。
柴山金時君や、刑部順さん、河田敏春さんにいろんなことを学びました。
 その後、うたの里といううた運動にかかわって、中島さんをはじめ多くの
歌い手に出会い、私の今の存在があるように思います。
今回、雲ヶ畑での深夜レッスンと中島さんのジョイントコンサート(やすらぎ主催)を
きっかけに、中島さんから「40周年コンサートをいっしょにやらないか」と声がかかりました。
日程が延びてしまい、当初の予定の時期からは遅れましたが、
何とかコンサートの開催にこぎつけて、とてもうれしく思います。
コンサートに参加されたみなさんが、明日からの力が沸いてくるような、
そんなコンサートになればと願っています。
                        深夜レッスン 金沢裕一(ポチ)