1997年11月16日、子どもを寝かし付けた後、 日本がはじめてワールドカップに出場を決めた 対イラン戦を見ていた。 後半、イランに逆転されて1ー2になった後、子どもがぐずって起きてきたが、 なんとか再び寝かしつけてまたテレビをつけると、2ー2で延長に入っていて、 岡野の決勝ゴールデンゴールを見ることができた。

4年前、いわゆる「ドーハの悲劇」のとき、生まれたばかりの子どもと 妻と一緒にテレビで浦和のアパートでイラク戦を見ていて、呆然としたのを おぼえている。 その年は、Jリーグが創設された年で、浦和レッズの試合の時には、 アパートから駒場競技場のあかりが見えて、喚声が響いてきた。

今回のワールドカップ最終予選、妻の病状と平行して、日本の調子も 落ちて行った。 10月11日、アウエーのウズベキスタン戦を病室で見たと、妻が 言っていたが、この試合も勝てなかった。 14日に亡くなったあとも、日本の苦戦は続いたが、11月に入って 呂比須の活躍で韓国戦に勝って、調子にのることができ、ワールドカップ の切符を手にすることができた。

呂比須のお母さんと同じように、うちのママも癌で亡くなった。 彼女の想いが、日本チームに力を与えたと、勝手に思っている。

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Last modified:1998.2.09