ほんとうに必要な英語教育                    阿 原 成 光 1 久保山すずさん≠ニ南京1937  今夏、日本のおっ母さん≠ノ出会った。久保山愛吉さ んの未亡人すずさんである。会わせてくれたのは、現在焼 津市平和委員会理事長の飯塚利弘氏である。わが新英語教 育研究会全国大会(浜松市)のテーマ別分科会"第5福龍丸" で、一同息をのんだ。すずさんのすさまじい斗いが映画を みるように語られた。平凡な漁師の主婦が、ビキニ事件の 後、補償金問題で羨望と嫉妬の渦の中でもまれ、水爆犠牲 者未亡人として国際舞台で平和を訴え世界を動かし、大国 の干渉も関係した墓前祭の分裂さわぎにまきこまれ、しか し、平和の語り部として「平和は黙っていては訪れない」 という名言で、日本中、いや世界中の子どもたちに大きな メッセージをのこしたおっ母さん。全国大会後、焼津を訪 ねた。飯塚さんは弘徳院の墓前で、分裂騒動の一部始終を、 これまた映画の如く誘ってくれた。海岸のすずさんの墓に 案内しながら、氏は「私はすずさんの後を継いで語り部に なると誓ったのですよ」とうれしそうに言っておられた。 氏が新卒で中学校に就職した年にビキニ事件がおき、以来、 定年までとんな教育委員会からの悪意に満ちた攻撃にも敗 けずに、3・1ビキニデーを教え続けた歴史にも感動した。 そして、いま平和運動の統一をやりとげた焼津市平和委員 会の理事長として、自治体からの署名運動の集約の報告を うけているという。氏は、『死の灰を越えて−久保山すず さんの道』(かもがわ出版)をまとめた。娘さんたちは愛吉さ んへの報告のためにすずさんのお棺の中にその本を入れた という。 「愛吉、すずのバラ」が、京都の立命館大学平和ミュージ アムの門前に、「アンネのバラ」と並んであると飯塚さんに 教えられて訪ねた。すずさんに誘われるようにしてきて、 その「戦争展98」で映画「南京1937」をみた。見終わ って、しばらく動けなかった。「何も知らなかった。いや、 何もしていないのではないか」。頭の中がグルグルと回って いた。ロビーで求めた中国人民出版社発行『南京大虐殺図 証』(一九九五年)にも目をみはった。そして「終章 前の事 を忘れず後の戒とする」の「南京大虐殺を否定しようとす る日本の右翼勢力」にある一九九〇年日本衆議院議員の石 原慎太郎氏は、公然と南京大虐殺は「『中国人がでっちあげ たそうだ』と公言した」という記事に身のひきしまる想いが した。 「豊かな人間性や社会性、国際社会に生きる日本人として の自覚」とは、まず真実を知り、真実をみつめ、真実をも とに考えることから始まる。うそやごまかしからは、ほん とうの平和も幸福も何も生まれない。「大東亜戦争」が、ま さにうそやごまかしで、アジアの人々や日本人を、未曽有 の惨劇へ追いこんだことは、明々白々の事実である。ほん とうに「我が国や郷土」の近・現代史をきちんと学び、わ れらが先達の民主的文化と伝統への理解を深め、日本とア ジア、いや世界、いや人間を愛する心を、しっかりと育成 したいものである。  二一世紀はアジアの時代といわれる。そこで、日本のリ ーダーシップが求められているのに拘らず、日本外交は、 アメリカの顔色を見、中国の鼻息をうかがって、右往左往、 独自の外交戦略がない。なぜか。真実に基づいた卒直な意 見交換の上に方針を立てる姿勢も意欲もないからである。 南京大虐殺や韓国・朝鮮その他での過去の罪過を教育の中 できちんと総括しながら、共生への道をさぐることこそ二 一世紀への教育改革のなかで求められている。 2、ゆとりのなかで、基礎・基本の定着と個性生か  す外国語教育のためには……  今回のまとめの「教育課程の基準の改善のねらい」の第 三点は「ゆとりのある教育活動を展開する中で、基礎・基 本の確実な定着を図り、個性を生かす教育を充実すること」 とある。まことに結構である。では、具体的にどう改善す るのかを、ずっと終わりまで読んだが、その答えはどこに もない。最近の教育関係の審議会の答申の特徴は、「問題点 は気が付きはしたが、その答えがわからない」である。実 に正直といえば、ショージキである。なぜか、審議会のメ ンバーに、現場で子どもたちとじかに接し、苦しみ、格闘 しながら、見通しを見い出しつつある教師たちの代表がい ないことである。これは、少しニュアンスがちがうが、テ レビの番組、たとえば、NHKの「中学生日記」にもそれ を感じることがある。 「基礎・基本」は後にまわして、まず「ゆとりのある教育 活動」について述べたい。「ゆとりの中で生きる力を」は今 回の中教審答申から始まった教育改革の一大テーマである。  と、書いて、ふと考えてしまった。また、文部省はやる のか。以前「自主性を重んじ」を改訂のテーマとしたとき、 「時間内クラブ活動」が導入され、管理が強まって、子ども たちの自主性が消えていった。「ゆとり」を強調したとき、 一単位時間五〇分の強行、選択教科拡大の押しつけ、英語 週三時間などで、中学校現場ではゆとりがなくなっていっ た。今回も、選択教科の枠の拡大や、授業時間の配当枠を みると、ますますゆとりがなくなるのかなと懸念すること しきりである。  しかし、ここでは、二一世紀の子どもたちのために真実 の答えを出そう。  まず、「ゆとりある教育活動を展開する」ための第一条件 は、学習指導要領の法的規制の撤廃である。教師が、おど かされ、押しつけられながらの教育活動にゆとりは生まれ ない。日本は民主主義の国であるはずだが、教育の世界で は、明治帝国憲法下の「皇国民教育」が復活したのではな いかと錯覚するほどの暴力的管理教育が行われているとこ ろが多い。ここで暴力的といったのは、やさしさとおもい やりのある卒直で人間的な討論が保障されていないという 意味でもある。  デンマーク・スウェーデンでは、学校は民主主義を教え るところだと、法律で定め、学校運営に父母や子どもも参 加させ、それを実践している。民主主義とは、お互いに、 たった一つのかけがえのない価値ある存在であることを認 め合い、尊敬し合うところから始まる。現場の教師を信用 できずに、法律で教育内容や、教科書などを統制するよう では、どこに教師の自主性と自由が保障されるのか、どこ にゆとりある教育活動の保障があるのか。その逆を、また もや策しているのかといやみのひとつも言いたくなる。そ れは、「今後の地方教育行政の在り方について」を期待しな がら読みすすむうちに、同じことを感じてしまった。もう 二一世紀を迎えるここら辺で、官僚風だまし合い、腹のさ ぐり合いは止めにしようではないか。  第二は、教育条件である。本来、文部省は「お金は出す が、口は出さない」を建前としたはずだが、いまやまった く逆である。まずは一クラスの定員である。外国語教育で は、一クラス一五人は国際的常識で、スウェーデンだと思 ったが、二七人を越えると二クラスに分けることを法律で 決めている。なんのためか。オーラル・コミュニケーショ ン、すなわち、音声による伝達を重視する授業を成立させ るためには、一五人のクラスが必須条件であるということ である。今回の答申でも「オーラル・コミュニケーション」 とくりかえし書きなぐって、現場教師を馬鹿にし、ハッパ をかけているが、もっとしっかり考えてほしいものである。 音声を重視した授業では、一人ひとりへの口伝えであり、 一人ひとりの交流なのだ。四〇人も詰まっていては、文法 中心訳読法にならざるをえない現実がわかっているだろう か。しかし、グループやペアなどを組織して、血のにじむ 努力と涙ぐましいとりくみで、子どもたちにオーラルコミ ュニケーションを保障する努力は、今現場でもみられるが、 それは自然でないし、正常でもない。だから、そういうす ぐれた実践を一般的には「名人芸」といって、お互いに学び 合うことはあまりしない。悲しいが無理もない現実とでも いおうか。  第三は、外国語週五時間の保障と、教師の週持ち時間を 一五時間を上限とすることである。こうすると、一クラス 一五人のクラスを三クラスということになり、一人の教師 の受持ち生徒の総人数は四五人以下となる。現状はこの三 倍以上が最低だから、夢のような話だが、二一世紀が地球 時代であり、英語を中心に最低二カ国語の外国語を話せる ようにすることが、日本の民族の将来にかかわることだと すれば、当たり前なのである。今回、われわれの昔からの 要求通りに中学外国語を必修教科としたが、その代りに、 文部官僚の昔からの執念で、中学外国語「週三時間」を押 しつけてきた。そのいやらしさが、一学年の選択教科の授 業時間の枠「○〜三〇」をみるとわかる。なぜ「〇〜三五」 にしないのか。三五ならばなんとか、週一時間は保障され、 現状の週四時間は保障される。それを三〇とは、「週○・八 時間」となり、なんとしても、中学一年での「外国語週三 時間」を公立中学校に実現しようという執念ミエミエであ る。始めが肝腎なのである。学び始めの一年では、外国語 で学ばねばならぬことが実に多い。戦後すぐは、英語は週 五時間であった。その後、週四時間になっていったが、学 習指導要領の中味を検討すると、学習内容は、「形容詞、副 詞の比較」が減ったぐらいで、単語数なども大して減って いない。第一、外国語の学習、とくに音声を重視した学習 では、あまり間をおかないくりかえしの練習が大切であり、 できれば毎日、せいぜい一日おき、三日に一回など書語道 断である。週三時間とは、実質二時間となり、三日に一回 であり、週四時間で、せいぜい一日おきとなる。どうして も文部官僚は、外国語を明治憲法下の皇国民教育の伝統で 「差別・選別の教科」にしておきたいらしい。だから、一方 では、中高一貫教育のエリート高校では、週五時間以上の 外国語を、一部私立のエリート校同様に、保障しようとし ている。これは、まさに、一九八一年「中学英語週三時間 体制」を始めるころに、自民党文教部会平泉渉氏が言った 「外国語がきちんと話せるのは国民の五パーセントでよい」 にぴったりと一致する。  日本史上初めて、英語の教師たちが立ち上がり、父母と いっしょに「中学英語三時間に反対する会」をつくり、国 会請願の大運動を展開し、一〇年かかって一九九一年から 「週四時間」をかちとり、今にいたっている。それをまた、 逆行しようというのだ。毎日というのなら五〇分を二分し て、二五分として、二五分ずつ毎回したらどうかという案 があるが、それはごまかしでしかない。学習内容は、ほと んど減っていないのだから、同じことなのだ。  中学校段階が、外国語学習に最適の発達段階である。小 学校ではすぐおぼえるが、すぐ忘れる。一九七四年、日本 の民間の教育研究の代表的な知恵を集めて、日教組教育課 程検討委員会はカリキュラム試案を出した。そこでは、日 本語は、小学校一〜三年週七時間、四〜五年五時間、中学 校一〜三年三時間とし、外国語は、中学校一〜三年で週五 時間としている。「選択必修」とし、必修だが、外国語の種 類は選択できるという。  すべての日本人に、きちんと話せる外国語を保障するた めには、何をすればいいのか、やることは、はっきりして いるのだ。 3、コミュニケーションだけが外国語教育?  答申の「4、各教科・科目等の内容」の「J外国語 ア 改 善の基本方針(ア)これからの国際社会に生きる日本人と して、世界の人々と協調し、国際交流などを積極的に行っ ていけるような資質・能力の基礎を養う観点から、外国語 による実践的コミュニケーション能力の育成にかかわる指 導を一層充実する。その際、外国語の学習を通して、積極 的にコミュニケーションを図ろうとする態度と、視野を広 げ異文化を理解し尊重する態度の育成を図る」として「(ウ) 国際化の進展に対応し、外国語を使って日常的な会話や簡 単な情報の交換ができるような基礎的・実践的なコミュニ ケーション能力を身に付けることがどの生徒にも必要にな ってきているとの認識に立って、中学校及び高等学校の外 国語科を必修とすることとする。その際、中学校において は、英語が国際的に広くコミュニケーションの手段として 使われている実態などを踏まえ、英語を履修させることを 原則とする。」  なんとも「管理的官僚的」文である。本来公務員は、主 権者である国民への奉仕者である。文部省の教育課程審議 会も、主権者に委ねられての答申であるから、「することと する」の如き、命令的決定を述べるのは如何なものである か。「試案」ならこんな文にはなるまいと思案してしまう。 外国語教育とはコミュニケーションだけが目的であろう か。ここで二つの目的論を紹介したい。  ひとつめは、日本の民主的英語教育研究運動の金字塔で ある教組教研の「外国語教育の四目的」(一九六七年)である。 (1)外国語学習を通して、世界平和、民族独立、民主主 義、社会進歩のために、諸国人民との連帯を深める。 (2)労働を基礎として書語と思考との密接な結びつきを 理解する。 (3)外国語の構造上の特徴と日本語のそれとの違いを知 ることによって、日本語への理解を深める。 (4)その外国語を使う能力の基礎を養う。  この目的論は、外国語教育を単なる技能教科から、人間 形成に役立つ金面的な教科へと脱皮させた。この目的論か ら、子どもを主体とした教材論や自己表現論が、実践的に 展開されてきている。  もうひとつは、ユネスコの公教育会議が一九六五年に出 した「中等学校の外国語教育に関する各国文部省への勧告 59号」にある目的論である。  [8]現代外国語教育の目的は、教育的であると同時に、実  用的である。外国語教育のもたらす知的訓練は、その外  国語の実際的使用を犠牲にしてなされるべきでない。一  方、その実用的運用がその外国語の言語的特徴を十分に  学習することを妨げてもならない。  [9]外国語教育はそれ自身が目的でなく、その文化的、人  間的側面で、学習者の知性と人格を鍛え、よりよい国際  理解と、市民間の平和的で友好的な協力関係の確立に貢  献することに役立つべきである。  私たちはこの文書を一九七八年の暮れに深山正光氏(当時 国民教育研究所所員)の詩文「再びすべての子どもに外国語 教育を」(『新英語教育』一九七九年一月号)で知った。どうも 日本の官僚は国際的文書を国民にきちんと公開しない。戦 前の帝国意法時代の「知らしむべからず、依らしむべし」 の感覚が色こく残っている。  この二つの文書からもわかる通り、言語は伝達の手段で あると同時に、思考、認識の手段でもある。外国謡を学ぶ ことは、子どもたちの知性と人格を育むことなのだ。ここ で、ユネスコの文書の「その文化的、人間的側面で」とい う一句は注目に値する。それは、「まとめ」にも「学習指導 要領」にも、その観念が著しく欠如しているからである。  さらにいうならば、「実践的コミュニケーション」が、「日 常的な会話や簡単な情報の交換」にとどまることなく、人 権、民主主義、平和・非暴力、環境、民族間題などについ ての「市民間の平和的で友好的な協力関係の確立」に役立 つような教育の展開がのぞまれているのであろう。 4、人間らしく「生きる力」をはぐくむ基礎・基本 (到達目標)試案  今子どもたちが心から願っていることは人間的学力を人 間的評価ではくぐみ、人間らしく生きる力をつけることだ と信じる。  どうも、「まとめ」も学習指導要領も、「機械的学力」が中心 になっている、外国語教育で「機械的学力」とは何かを考え ると、「文学、発音、語彙、文法などの暗記。暗誦(input) と直訳、通訳(output)」となる。これはコンピューターが すべてできることだ。これはまさに受験学力である。しか し人間だけしかできない「人間的学力」とは「五感を総動 員して、考えて理解し、仲間と共に学び合う(input)こと と、想像と創造の表現(output)」である。実は、機械的学 力も文化的、人間的学習ですべての子どもに保障すること は大切で、要するに、この二つの結合と総合した学力こそ のぞまれているわけだ。 「機械的評価」とは「数字化して比較すること」で、まさ に偏差値であるが、これは、競争させ、順位づけして、選 別するためにある。これは評価における管理主義である。 しかるに、「人問的評価」とは「たったひとつのかけがえの ない生命・価値をみとめ合うこと」であり、これは価値の 発見であり、生きる感動になり、共生をめざすものである。 これこそ評価における保障主義である。本来、「評価する」 とは「くらべる」のでなく、「みとめる」ことである。まさ に今子どもたちの苦しみを少しでも救うために「評価革命」 こそ緊急の課題でる。「ナイフ」も「キレる」もつまりは、 評価問題だと信じる。  さてここで「外国語の到達目標」の三つの側面について 考えたい。  1、言語 Language(文字、発音、語彙、文法、文型……)  2、文化 Culture(民族、歴史、社会、人権、民主主            義、平和・非暴力、環境……)  3、表現 Expression(文字、音声、身体、絵画、音楽…             …)  文部省学習指導要領では、「言語」だけが中心で、「文化」 「表現」がほとんどない。だから「人間的学力」が保障され ないことになる。  私は一九七四年以来、ずっと到達度評価の研究と実践を 積み上げてきた。あるときは、職場ぐるみでとりくんだり もした(『東京における到達度評価の研究と実践−子どもを励ます 教育評価を求めて』地歴社刊、一九七九年参照)。本誌には一九 七五年三月号に「外国語(英語)の到達目標について−差別 選別でなく、はげます評価へ」を書いた。昨年三月定年退 職してから、「教育改革をともに考える会」の「基礎・基本 部会」に属しながら、まとめたのが、以下の試案である。 これは、私の三七年間の教育実践のまとめである。これだ けはしっかり学んでほしいとしぼり出したものである  外国語(英語)中学校の到達目標(試案) A、言語 Language   1、〈文字〉(アルファベット・カード・ゲーム)    a、アルファベットの由来を理解しながら、ブロッ     ク体(筆記体)の大文字、小文字が書ける。    b、アルファベットが、人頭が初めて発明した表音     文字であることを理解して、英語らしく読める。    c、文字の組み合わせと発音の原則的な関係を理解     する(例 th, ph, ir, ear など)   2、〈発音〉(アルファベット・カード、ゲーム)    a、英語の特徴的な発音を習得する。(例 [r][l] 、     [*注1] [*注2]、[v]、[f]、[*注3])    b、アクセントを意識して単語を英語らしく発音で     きる。    c、文を抑揚、強弱、区切りをつけて読める。   3、〈語と句〉    a、三年間で、大体一〇〇〇語の発音、つづり、意     味を習得する。    b、辞書をひいて、語のいろいろな意味を理解する     力をつける。   4、〈文法〉(センテンス・ビルディング・カード・ゲーム)    a、主語・述語動詞の語順と補語、目的語の関係を     理解する。    b、名詞の文の中での役割を理解し、単数・複数の     ちがいがわかる。    c、動詞の文の中での役割を理解し、BE動詞とDO     動詞、助動詞のつかい方や、それぞれの疑問文・     否定文のつくり方を習得する。    d、現在・過去・未来(時型と進行形、受動態、現     在完了の意味と形を理解する。    e、動詞の変身(不定詞、動名詞、現在分詞、過去分詞)     を理解する。    f、形容詞と副詞を理解し、比較の用法を習得する。    g、前置詞と接続詞を理解し、句と節の用法を習得     する。    h、代名詞と疑問詞を理解し、その用法を習得する。    i、関係代名詞と関係副詞を理解し、その用法を習     得する。    j、仮定法を理解し、その基本的な用法を習得する。 〈アルファベット・カード・ゲーム〉とは子どもが自分で 音と文字との関係を学びとっていくすぐれもので、「これで 英語がわかるようになった」と大好評であった。母音と子 音の有声音と無声音の三種類に色分けしたカードを四段に 並べた後で、bat,catのように音をきいて単語づくり をする。そこで未習のratやfatというと大体つくれる。 〈センテンス・ビルディングカードゲーム〉は主語、述語 動詞、補語、目的語、修飾語の色分けと、名詞、動詞など の品詞の色分けを一致させて、一〇〇語の単語で上記の文 法の到達目標すべてを学習できるゲームである。不定詞、 動名詞も色の変化ですぐにわかるという革命的文法学習ゲ ームと思っている。 B、文化 Culture  次の教材論に合う教材を厳選して、子どもたちと学び合 う。 (1)子どもの知性と人格を人間的、文化的に鍛える、発  達段階に見合った教材 (2)人間らしい自己表現をうながし、はぐくむ教材 (3)生活現実をみつめ、考え、生きる力をはぐくむ教材 (4)生きるよろこびや感動する心をはぐくむ教材 (5)科学的な目で自然と社会の真実を見抜く力をはぐくむ教材 (6)人権、民主主義、平和、非暴力を重んじ、民族や環  境の問題を考え、世界の人々と共生し協働する力をは  ぐくむ教材 〈教材例〉We Can Stand(水俣病)A Child's Wish For Peace (核廃絶)We Are The World(連帯、共生)The Director's Speech by Chaplin(平和、民主主義、人間尊重)I Have A Dream Speech M.L.King Jr.(差別撤廃、民主主義)Imagine(平和、 共生)etc. C、表現 Expression  「IをIとして、つまりIを本当にに自分のこととして体 的に使って、自己を語る機会をつくり、実生活との結合を はかり、言語材科をたしかに定着させるための総合と発展 の場の中で、統一をもった文をつくる」というわが師匠林 野滋樹氏のことばから日本の英語教育での自己表現は始ま った。(『新しい英語教育の研究】三友社、一九六八年)  人間のことばは表現である。表現のないことばは人間の ことばではない。自己表現の指導は学習の第一段階から「自 己の生活と真実を表現する」ことをめざして行われる。  形式は、あいさつ、自己紹介、問答、一文表現、スピー チ、詩、Haiku、海外文通、歌、絵、日記などなど多様です ばらしい実践が積みあげられてきている。この表現を保障 してこそ、人間らしく生きる力がはぐくまれ、また、信頼 関係のある人間的学力を保障してこそ、子どもたちの自己 表現は花ひらく。  ひどいいじめられっ子が、三年間、仲間たちとともに学 ぶなかで、卒業文集に書いた詩を紹介したい。 Junior High School Learn, answer, read Useful, imprtant We are enjoying life, Junior high school. 「基礎・基本」(到達目標)を考える上で子どもたち自身が自 らの学び方についての自己評価と相互評価の評価基準が必 要のように思う。次の例はいかがであろうか、 〈発声三原則〉(声を出すことは人間らしい英語学習の大通であ り、早道) 1、Loudly(大きな声で人となる) 2,Kindly(やさしい声で人間となる) 3、Clearly(はっきり声はお互いを生かす) 〈英語らしく発音三原則〉(異文化体験) 1、息をたくさん出す。 2、口を大きく動かす。 3、強弱を大げさに言う。 〈英語に強くなる三原則〉 1、毎日声をだして読み、単語と文を書く。 2、辞書をひいて、単語や文をおぼえる。 3、英語で、自己表現する。 〈家庭学習三原則〉(パーフェクト編) 1、教材をノートに写し、単語を辞書で調べる。 2、学習した英語を暗誦し、何回も書き暗写する。 3、学んだ英語を使って自己表現する。 《人間らしい英語学習三原則》 1、声を出して読み、音声による人間的コミュニケーシ  ョンをする。 2、愛と平和、人権と民主主義などの英語を読み、理解  する。、 3、英語を使って地球市民間の共生、協調の活動をする、 5、「荒れ」を克服できる人間的文化  私の教師生活最後に担当した二年生は、ひどく荒れてい た。小学校では六年で「学年崩壊」でそのすさまじさは区 内でも有名になった。私は二年間、週二時間ずつ英語を教 えた。しんどかったが、おわりにいいおみやげをくれた。 離任式ではワンパクグループのリーダが感謝のことばを壇 土で述べてくれた。チャップリンとキング牧師の手づくり のお人形もプレゼントしてくれた。人形を作ったひとりの 手紙である。 「私は二年間アーミン先生(私のニックネーム)の授業をうけ てきて、いつも先生の授業が楽しみでした。なぜかという と授業のとき、あまり教科書ばかりでなく、ビデオやLD をみたり、CDをきいたりして、私たちに英語を教えてく れたからです。「We Are The World」「Imagine」「Stand By Me」「Children Of The World」「Yesterday Once More」な どで自然に英語の発音の練習もできたし、いろいろな単語 にも慣れました。それ以上に、世界での差別の問題や戦争 の事、平和を願う人々のたくさんいる事を知り、アーミン 先生の授業では文法や発音だけの英語ではなくて「自分た ちが何のために英語を勉強していくのか」「私たちは二一世 紀をどうやって生きていくべきか」という事を学べたと思 います。だから先生にはすごく感謝したいと思います。先 生が今年でやめてしまいとても残念です。最後の授業のプ リントにあった「人問は地球を救う新しい秩序を創造する ことはできるだろうか。私は信じたい、人間を」を読んで、 よくわからないけれど、すごくこの言葉が心に残って「も っとしっかりして今をもっと大切にして生きていかなくて はいけないんだな」と気付きました。これからもっと大変 な時代になってくるというのに今ちゃんとできていないな んてダメだと思いました。アーミン先生本当にありがとう ございました。先生の授業で学んだことはずっと忘れませ ん。」  子どもたちは未来である。子どもたちは二一世紀である。 未来への信頼のメッセージをこそ、子どもたちにしっかり と伝えることがいまこそ求められているのだと信じる。 (あはら しげみつ=新英語教育研究会) 注  これは著者・阿原成光氏のご了解を得た上で、雑誌「教育」1998年11月号の「ほんとうに必要な英語教育」をテキストファイル化したものです。  その際に間違いのないように注意はしましたが、ないとは言えません。また、誤植などを本人が訂正なさった部分に関しては訂正後の文字を採用しました。  テキストファイルで使える文字の制限により、発音記号は表記できませんでした。[*注1] [*注2]はthの2種類の音、[*注3]はmanの強く発音される場合の母音です。その他にも、テキストファイルという制限により、十分に表記できなかった部分があります。