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    第8章 新会社の設立に赤信号点滅

    6.債権者集会は延期

     こうした新会社の先行きが不透明であることが大口債権者の新会社への債権継承額を決める問題を複雑にしていた。このことは二月二十四日に開催された第六回債権者集会ではっきりする。同集会は札幌地裁で開かれたが、わずか五分程度で終了、次回開催日を四月二十八日に延期することだけを決めただけだった。この延期という決定にこそすべてが言い尽くされていた。

     集会では、届け出債権のうち管財人による調査未了となっていた計十八件、七百七十三億四千万円の更生担保権の評価を確定する予定だったのだが、担保価値の評価をめぐって、管財人側は将来新会社が債権者から買い取ることになる坑内設備などの担保物件の資産価値を出来る限り低く、ほぼただ同然にしたい意向だったのに対して、債権者は少しでも高くしようとして対立していた。

     むしろ、担保権者側としては、新会社の設立の見通しを見極めてから評価を決めても遅くないと判断、延期に傾いたのだった。新会社が余りにも高額な負債を継承して、経営が持ちこたえなくなれば、結局、取れる債権も失いかねないというジレンマが一方にあったのも事実だった。

     一方、管財人側も 「焦って、債権額の確定を急げば、一ヵ月以内に担保権者から異議や訴訟を起こされて、問題が山積している中、支障をきたす」(橋口管財人代理)という配慮も働いていた。

     ちなみに、前回の債権者集会のとき、主に立て坑、斜坑などの機械設備の担保価値は合計でわずか二十五億円だったというから、七百七十三億円(このうち、同鉱自身が借りたのは五百七十三億円、同鉱が北炭社のために担保提供した分が百九十六億円など)の担保権の届け出債権額に比べていかに小さいものかが分かる。
     土地や建物は、今回の担保評価の対象となっていた鉱業財団七号物件には含まれておらず、将来、夕張市に買い取ってもらうという考えだった。

     大口の更生担保債権者はNEDOが約四百億円、三井銀行約二百億円、厚生年金事業団二十一億一千万円である。また、すでに確定していた債権は、届け出債権額四千五百六十八件、千百五十一億九千万円に対して、租税や労務債などの一般更生債権だけの四千五百三十七件、三百七十四億九千七百万円だった。

     大沢管財人は新会社の検討状況については、 「今も新会社については試行錯誤の段階ですが、石炭協会で検討は進んでいますよ」というものの、検討内容については、口が重かった。

     「新会社の検討内容については、協会に聞かないことにしているので、よく分かりません」というだけだ。
     私の想像では、表向きは石炭協会の同鉱検討委員会の顔を立て、無関与の立場を見せているが、本意はへたに聞くと巻き込まれて抜き差しならぬことになるとの判断があったと見ていた。結局、この債権者集会は新会社問題が明確にならないために四月二十八日も延期となり、八月末まで延期された。

    7.暗い新会社の見通し

     石炭協会の同鉱検討委員会(有吉新吾委員長)での検討内容については、明確なものは何一つ表には出てきていなかったが、三月十ー十一日の二日間、市民団体グループの「新鉱再建と生活諸要求を実現する実行委員会」(森谷猛代表委員)と共産党の小笠原貞子議員による中央要請活動のなかでわずかだが見えてきた。この交渉結果は同月十二日、共産党などの代表が札幌の北海道経済記者クラブを訪れ記者会見を行った。

     それによると、日本石炭協会の佐伯副会長は懇談のなかで、 「四月末に検討の結論を出すが、再開発を必ずしも前提としているのではない。イエス又はノーもありうる」と釘を差したいう。

     「仮に技術的に再開発が可能となった場合、新会社の経営主体や開発資金をどうするかについては四月末に結論が出たとしても、また先の検討課題となる」として、新会社の設立までにはかなり時間がかかることを明らかにした。

     森谷氏は 「新会社の見通しは薄い。仮に設立されても期待はずれの再開になる感じだ」と失望感をあらわにした。
     再開規模についても、平安八尺層の開発は行わず、可採炭量千二百万トンの新北部区域に限定した小規模な開発を想定していることが分かった。炭労ではこの新北部の炭量を三千二百万トンと主張していたのと比べても、その半分以下という規模になる。この炭量はこそ、ヤマの採掘期間(寿命)を決める大きな要因で、その期間が短くなれば採算は悪いという試算結果出でるからだ。
     通産省の弓削田石炭部長との懇談では、同鉱の開発資金について質問をしている。

     弓削田部長はこの中で 「坑道補助金など制度資金の活用を考えている。同鉱の再開発の主体となる新会社は単なる経営の肩代わりなので、新規の新炭鉱開発資金の充当の適用対象にはならない」と述べた。石炭協会では、当初の開発資金は三百億円程度と見積っていたので、対象額の通常五〇%、よくて七〇%までしか支給されない補助金では資金調達に無理が出てくることも明らかになった。

     佐伯副会長もこの点、 「仮に新鉱開発資金が適用されても、このお金は将来、返済しなければならないものなので、(もらいっぱなしの)補助金を最大限に使わせてもらう考えだ。残りは、銀行からの借り入れが必要になる」といっているように、果たして、補助金が三〇ー五〇%の給付率としても、同鉱の債権の回収がおぼつかない状況下では、さらに九十ー百五十億円もの膨大な資金を融資する銀行が現れるかは疑問だった。

     共産党ではこれは炭量が千二百万トンと少なく採算性に問題があること、また、資金確保の困難さを前面に押し出し、協会や国が同鉱の再開発を断念する可能性が出てきたと警告した。

     目標出炭量千二百万トンでは、十五ー十六年で炭量は枯渇する。それでも千二百万トン以下の炭量を検討対象にしているということは、協会側は同鉱再建を断念する理由として利用する可能性が高いという判断だった。 弓削田部長も 「新会社の実現を約束していない。再開発については期待している」と微妙な言い回しに終始したほどだ。

    8.炭量は1200万トン

     新会社の検討結果の公表日として四月六日を挙げていた石炭協会だが、間近に迫った三月二十五日、炭労の橋本副委員長に電話をしてみた。

     橋本氏は 「検討結果の大綱すら公表できる段階に至っていないようで、こちらとしては一週間程度遅れると見ている」という。
     「協会では、炭量は千二百万トンで結論が出たみたいようなことをいっている。これでは(掘進炭も含めた)年間七十五万トンの出炭で十三ー十四年で終わってしまう。十年程度の採炭期間で採算が取れるというのは普通ありえないこと。普通は三十年はかかるものだ。この炭量が争点になる」とみていた。

     この千二百万トンについて、検討委員会の委員でもある住友石炭鉱業の酒井常務は 「夕張のボーリングデータを洗い直しており、当初の大沢案通りではなく、全くの白紙で検討を進めており、北部区域十尺層のいい石炭を能率的に掘れるかで(炭量の)検討を進めている」と説明している。

     また、効率面からみた適正出炭量が千二百万トン前後に限られているうえに、夕張の場合、採算を取るために設備規模を小さくすることが出来ないことも同鉱の存立を危うくするネックとなっているというのだ。

     もう一人の検討委員会委員の三井石炭鉱業の大塚常務は 「非常に浅いところで、ガスの盤圧がないようなところであれば小規模の設備投資ですむが、夕張のように海面下一〇〇〇メートルの炭鉱ではやはり大きな坑内設備が要る。これでは元が取れなくなってしまう。炭労が三千二百万トンというようには行かず、千二百万トン以上の炭量は見込めない。夕張は考えれば考えるほど難しいヤマだ」という。

     果たして、協会の言い分がすべて正しいかどうかは分からない。同鉱の大山専務は協会の考え方には全く反対であった。夕張のヤマを誰よりも熟知している本人だからこそは確信していた。

     「北炭では、三千万トンの採炭はできると考えている。開発検討中の北部区域はさらに北の方角(三菱石炭・南大夕張炭鉱)に延びる。今は閉山区域に入っている平安八尺層も、鉱区調整の考え方が緩和されてきており、再び採掘することには問題ないんです。千二百万トンは効率だけを考えた、限定された炭量に過ぎない。炭鉱は生産活動をしながら、たえず、ボーリングをしながら炭量を広げていくものです」と言い切った。

    9.石炭協会、再開発構想を公表

     四月十六日午前十時二十分、東京・日比谷の石炭協会で、炭労は協会と夕張炭鉱の再開発構想について交渉に臨んだ。この中で、協会側が初めて、検討内容の概略を労組側に説明した。

     要点は新会社の計画総出炭量は千三百五十三万七千トンで、最終段階で三切り羽の年産七十万トン体制で二十年間の操業とすること、採炭開始は開発着手から三年七ヵ月でまず一切り羽、四年三ヵ月で二切り羽、そして四年八ヵ月で最終の三切り羽体制に持っていくというものだった。

     骨格構造については現在の斜坑から水平坑道と南北大坑道を展開、新たに排気用の立て坑二本を設ける。設備投資額は当初大沢管財人が提示していた三百億円をかなり上回る見通しとした。

     人員計画については詰めきっていないとして、四月末の最終報告までに先延ばしとなった。 やはり、炭労が危惧していたように炭量は約千三百五十万トンと炭労側が見込んでいた三千万トン以上という数字には程遠かった。この内訳は新北部区域で千二百七十六万二千トン、残炭七十七万五千七百トン。

     一方、当初の管財人案ではそれぞれ千二百万トン、百万トンで、新北部については大沢案より約八十万トン増量しただけに過ぎなかった。完成までの期間は大沢案の五年七ヵ月よりも一年早まっている点を除けば、大同小異といった感じだ。

     炭労では 「炭量が千三百万トン程度では、三百億円を超す開発資金の回収は出来ず、採算上、ペイしない。これを理由に、再開発は不可能という最終結論が報告される可能性が強まった」として、協会側に不信感を一層強める結果になってしまった。

     同鉱は七五年の同鉱開発時に国から三百億円の新鉱開発資金を受けており、通産省では一度、同資金を受けたものが再度受けることは出来ないとしており、その場合、通常の制度資金に頼らざるを得ないが、五〇%の補助金としても残りの百五十億円は金融機関などからの借り入れなどに頼らざるをえず、現状としてはかなり望み薄であることは明白だった。

     検討委員会のメンバーの一人は 「同鉱の経済性を考えると、再開発は非常に難しい。あとは政治判断の領域に入らざるを得ない」といったものだ。

     当時の釧路太平洋炭砿の社長も 「同鉱の再開発は三百億円ではきかず、投資効率を越えている。再開発を社会政策としてやるか、超法規でやるかはわれわれの範疇外です」最後には匙を投げてしまった。

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