「神様」


 弱々しいながらも穏やかな陽が、
多摩川の川面できらきらと輝いていた。
土手の道に頭を上流へ向けて車を止め、
僕とともさんは先ほど買い求めた弁当を開いていた。
左手には冬枯れの丘陵が続き、
川の上流遙か西の彼方に丹沢、
秩父の山並みが青くかすんでいた。

「拝まれちゃいましたね。」
僕はロースかつを頬張りながらいった。
「いやあ、ほんと、参ったね。」
ともさんは海苔弁を食べているのにも関わらず、
酢を飲んだような顔をしながら答えた。

 二人してぼそぼそと多摩川の土手の上で、
弁当を広げているのには訳があった。
 とも動物病院では、
ふつう往診は受けていない。
往診では対応できる診断と治療にどうしても制限がつく。
その上結局は二重三重に手間がかかってしまい、
飼い主さんにも余分な負担がかかることになるからだった。
とはいえ、
やむを得ぬ事情から機材を車に積み込んで、
いざ出撃ということも希ではなかった。
この日も、
寝たきりの老犬を抱えて困っている年輩のご夫婦の家へ、
往診に行って来たところだった。
ご夫婦は以前は他の動物病院へかかっていた。
しかしある時ご主人が腰を痛めてから車の運転ができなくなり、
それで通院も思うに任せなくなってしまったのだった。
かかりつけの病院は家から遠く、
やはり年輩の獣医師で往診もままならぬ。
困り果てて電話帳に載っている動物病院に、
片っ端から電話をかけたがいろよい応対がない。
最後に行き着いたのがとも動物病院というわけだった。

 カーラジオからはインベンションか、
細かくたたかれるピアノの音が流れていた。
それはまるで自分にしか感心のない機械の独り言のように聞こえた。
ともさんと僕は、
弁当を食べる自働機械のように口を動かし続けていた。

 ともさんは聴診器をはずすと、
静かに話し始めた。
「この犬はおそらく心臓に一番大きな問題があるのでしょう。
聴診器を当てるとちょうど心臓の左側で大きな雑音が聞こえます。」
「しかし前の病院では緑内障だと言われました。
リキはそれで歩けないのかと思ってました。」
ご主人の方が少ししゃがれた声で言った。
「篠田さん。
おっしゃる通りリキには緑内障の症状もあるようです。」
リキは茶色の柴犬で、
見るからに年降りた老犬だった。
何事かを深く考え続けているのか、
あるいは犬なりの思考すら歳月の彼方に置き忘れてしまったのか。
折った前足に顎を乗せ、
息を吸い、
息をはき、
置物のようにじいっとしている。
顔は半ば白くなり、
表情はおだやかそうに見えるが、
両目が異様に膨らんでつきだしている。
いわゆる牛眼という症状で、
散大した瞳孔のせいで目が緑色に見える。 
これは進行した緑内障で見られる症状だった。
おそらく視力を失ってからずいぶん時間がたっているに違いない。
「お話では何年も目薬をつけていたそうですね。」
ともさんはリキの頭をなでながら言った。
「ええ。
「緑内障の目薬を。」
篠田さんの声がかすれている。
「緑内障の治療を始めた頃は、
おそらく心臓には問題がなかったのでしょう。
結構元気だったでしょう?」
リキは気持ちよさそうに頭をなでられている。
「ええ、
おっしゃるとうり。
最初の内は元気に散歩に出かけていたし、
考えてみるとこの半年ばかりで急に衰えた気がします。
私もこのところ自分の体のことでリキまで気が回らず、
可哀想なことをしました。」
篠田さんの表情はなんだか苦しそうだった。
「大丈夫。
リキはそんなことちゃんと分かってますよ。
ほら、
さっきからリキの頭を撫でてますけど、
じいっと静かにしているでしょう。
視力を失った犬は恐怖心から、
落ち着きが無くなって触るとびくびくしたり、
すぐに攻撃的になることが多いんです。
だけどほら、
私はリキとは初めて会ったのに、
こうしておとなしく診察させている。
リキは篠田さんの気持ちが良く分かっているんですよ。」
ともさんがそう言うとリキは軽くしっぽを振った。
ともさんの代弁に感謝するような、
それは実にタイムリーな動作だった。

 電話に出るため篠田さんが席を外したので、
僕は小声でともさんに聞いてみた。
「リキが分かっているって本当ですか。」
「嘘だよ。」
ともさんはあっさり言った。
「エッ。
だってこの犬、
ともさんの解説の後、
さもそうだと言わんばかりにしっぽを振りましたよ。」
リキは時々耳をぴくぴくさせてやはりじっとしている。
「偶然だろ。
触ってもじっとしていたんでな。
口からでまかせってやつだよ。
篠田さんの気持ちが少しでも軽くなればと思ってね。
嘘も方便さ。」
ともさんはさらっと言ってのけた。
なるほどと思ったが少し釈然としない気もした。
「あっ。
リキが笑ってる。」
「んっ。」
ともさんは片方の眉をつり上げてリキを見た。
「嘘ですよ。」
僕もさらっと言ってみた。

 その後持参の心電計でリキの心電図を取り、
検査のための血液を採取した。
本当は胸部のレントゲンを撮って、
心肥大の評価も行うべきだったが、
これは端折ることにした。
ともさんが今後のことも含めて少し話をした後、
診察代を頂く段でそれは起きた。
ともさんがカルテを書き終え今日の診察料金を告げたときだった。
「往診までしていただいて、
その程度の額でよろしいのですか。」
篠田さんは心の底から驚いた様子で言った。
ともさんは明らかに虚をつかれたようだった。
内心の狼狽を一瞬で押し隠したのはさすがと言うべきか。
「はあ、当院の規定に従った料金ですが。」
ともさんはことさらゆっくりとした口調で言った。
ともさんは以前から、
診療料金が安いと言われることを恐れていた。
しかし機材をとりまとめ玄関先で辞去の挨拶をしようとしたとき、
さらに重い一撃がともさんを襲ったのだった。

「先生は、
貧乏人の神様ですね。」

篠田さんはそう言うと傍らの奥さんと一緒に深々と頭を下げたのだった。
ともさんの顔は蒼白になり心なしよろめいたようでもあった。
「検査の結果を見た上で、
後ほどこちらの先生に薬を届けさせます。
それでは今日はこれで失礼いたします。」
ともさんはいっそ冷たくも感じられる口調でそう言った。
いつもなら為になる無駄話のひとくさりもあるところだったのに。
僕は何も言わずに一礼すると、
先に歩き始めたともさんの後を追った。
「ともさん、
左右の手足が同時に出てますよ。」
僕は小声で言った。
ともさんは立ち止まると暗い声で言った。
「車の運転頼んだぜ。
俺は疲れたよ。」
「は、はい。
ラジャー、です。」

 ともさんが往診の時僕に運転させたのは、
後にも先にもこのとき限りだった。
よほど心理的ダメージが大きかったのだったと思う。
実はともさんには風変わりなコンプレックスがあった。
人に誉められたりするとひどく罪悪感を覚えるというのがそれだった。
ともさんはどうも自分が恥ずべき偽善者であると、
いつの頃からか心に堅く思いこんでしまったらしい。
このことについては、
ともさん自身でもおかしなことだと分かっていて、
人にとっての善意も悪意も相対的なもの、
と言うことは十分に承知しているようだった。
酒を飲みながらよく話題にしたし、
下手な自己分析も何度か聞かされた。
それでもお愛想や社交辞令には、
何とか耐性を獲得したものの、
素朴で底意のない他人の感謝の気持ちには弱かった。
端から見ていても心からと思える感謝の言葉を受けると、
とたんに表情が硬くなってぶっきらぼうになるのが、
ともさんの常だった。
この日は、
ともさんが普段から気にしている診療料金のことをからめてだったので、
よりいっそうの動揺があったのだが。
だが、
しかし、
おおげさに考えずとも、
少し照れるなと思ったり、
おべんちゃら臭いなと鼻白んだり、
と言うのがふつうだと思う。
診療料金が安いと言われたのなら、
(チッ、もっとふっかけるんだった。)
と思えばよいし。
神様ですなんて拝まれたって、
(おだてにゃのらないよー)
と聞き流せばすむことなのだと思う。
ましてそれが心からの賛辞で有れば、
僕だったら自己満足の甘い陶酔に浸るだろうに。
と、こんなことが起きる度いつも思っていた。

 「拝まれちゃったのはさすがに初めてですか。」
僕は弁当殻を袋に入れながら言った。
「神様ってのはけちな了見が棒立ちになる一言ですね。
ともさんここ一番でセリフ忘れた役者みたいでしたよ。
いつも帰りしなにかます玄関先でのともさんの一言は、
為になる警句を交えて軽妙洒脱。
飼い主さんも思わずニコニコで、
千両役者もかくや、
ってとこですけど。
お足を頂く段で篠田の爺さんのあの一言。
機先を征するタイミングと言い、
鼻面でぴしゃりとはじけた神様と言う文句といい、
あの爺案外食わせ者かもしれませんぜ。」
軽口をたたいてもともさんは表情を変えなかった。
(おいおい、あんまりマジにならないでくれよ。
ナイーブもたいがいにしないとビョーキだぜ。)
僕は心の中で肩をすくませた。
 もちろん篠田さんは食わせ者の爺などではなく、
優しく良識のある老紳士だった。
それは僕にもよく分かっていた。
感謝のあまりの少し大げさな一言が、
ここまでともさんを打ちのめしたことを知ったら、
篠田さんはともさん以上に傷ついたかもしれない。

 冬の弱い陽の中でも、
遠くの山並みを見つめると少しまぶしかった。
「そんなに安くないと思うがな。
ああ言う言われ様は心外だな。」
また始まったと思いながら僕は聞いていた。
「どこの病院と比較してああいうこと言うんだろう。」
ともさんの声は本格的に暗かった。
「それで俺のことを神様だなんて。」
ともさんは照れ隠しではなく、
憂愁とはこのことを言うに違いないという様子でそう言った。

 動物病院と料金の関係はまことに難しい。
このことに触れるのは最早業界ではタブーと言ってもよいだろう。
人の医療の様にお国が標準の診療料金を定めていれば問題はない。
しかし動物、
ことさら小動物については自由診療の立て前から、
診療料金に関する公的基準は存在しない。
これは飼い主さんから見れば大問題だろう。
同じ様な治療でも病院によって料金が違う。
治療に関しては結果が良ければまだしも納得がいくが、
ワクチンやフィラリアの予防薬に値段の差があるのは合点がいかぬ、
と言うのが正直なところだろう。
しかしながらこの問題に関しては、
密かに頭を痛めている獣医師も多いはずだ。
病院を維持するための各種経費を案分して、
最低期待したい収益はこのくらい、
しこうして診療料金はこの値。
と、料金決定のプロセスは皆似たようなものだろう。
だが、
高価な検査機器を各種取りそろえ、
より先端的で高度な診断と治療を目指す言うなれば英才獣医師は、
高いコストに見合った料金を請求したいだろう。
一方、
そこそこの機材にそこそこの診療で満足してしまう並才獣医師は、
低いコストに見合った料金で割安感を誘うだろう。
このほかにも、
開業時に多額の借入金がある、
二代目総領の甚六で借金に苦しんだことがない、
などの個別の条件も診療費に影響を与えるだろう。
問題はこうした動物病院個別に存在する条件が、
外部からは全く伺い知れぬことである。
一見したところ同じ様に見える怪我や下痢でも、
こうした、
病院による条件の違いで、
診療費が異なることは十分にあり得るのだ。
それを見ておかしいと感ずるのは当たり前の感覚だろうが、
獣医師の側からすればちょっと待ってほしいと言う反論が出よう。
高価な検査機器を取りそろえ研鑽を積んでいる英才獣医師なら、
きっとこう考えているだろう。
「僭越ながら、
高い費用を払って研修を受け、
設備投資も万全の小生なら、
一見単純に見える病態から、
並才の獣医師なら見落とす病根を突き止めることも可能だ。
結果として水準の高い診療体制を維持するために、
明らかに単純で簡単と思われる病気の治療費にも、
高いコストが跳ね返ることはやむを得ない。」
是非はともかくそれなりに筋道は通っており、
高いコストには高い負担も致し方がないと主張されれば、
暴利とは誰にもいえまい。
 こうした思いは設備投資を惜しまぬ勉強家の英才獣医師ならば必ず抱くだろうし、
自分の目から見れば低い水準と思える同業者が、
低コストを良いことに安い料金で診療を行い、
あまつさえ繁盛でもしてようものなら、
言うに言われぬ怒りや不満を抱え込むことになる、カナ?
まあそのようなこともあってか、
低料金は診察の質を低める(安かろう悪かろう)、
とは僕もあちこちで聞かされてきたことだった。
低料金が苦笑ものとしても、
飼い主さんにも病院にも無理のない適正料金が、
高いのか、
安いのか、
これはもう実際にお金を支払う飼い主さんの胸一つと言うことになる。
 ここで、
嫉妬やら義憤やら付和雷同やらで、
ごちゃごちゃと解決のつかぬ問題を一刀両断にすべく、
日本の多くの地域で開業獣医師を、
まるであらせいとうの花の様に束ねている●医師会という組織が、
登場することがある。
「地域の病院で診療料金に差があるから、
飼い主さんは混乱するし病院間にトラブルも起きる。
ならばここは組織が仕切る。」
と、勇躍基準料金を決めて会員に広く布告するわけである。
しかしながら強制力はないので、
基準料金が安すぎる、
または高すぎる、
と言う理由で知らぬ半兵衛を決め込む病院も出てくる。
よせばいいのにこんな時日本的横並びにこだわると、
泣く子も黙る公正取引委員会の登場とは相成る。
そう、
●医師会による診療料金の基準化は、
カルテル行為に当たり、
公正取引委員会の摘発対象になるのだった。
 料金体系に対する問題解決としては、
最低料金に弾力をもたせて、
課金の根拠を明瞭にしさえすれば、
この手の解決法が日本の風土と慣習から、
ついた餅が固まるようによくなじむと思うのだが、
どうだろう。
法は禁じているが、
あまたいる獣医師にとっては、
一番楽な解決法だろうし、
飼い主さんにも取りあえずは分かりやすいだろう。
しかしこの手の解決法は、
消費者=飼い主さんの利益になることはまず無いのが歴史的必然だろう。
過去の公正取引委員会の活躍を見れば、
結果は火を見るより明らかだ。
そこで、
飼い主オンブズマンでも作って、
地域の動物病院の診療料金の決定過程を監視すればよいと思う。
飼い主さんには製薬会社の人も、
開業していない獣医師もいよう。
きっと、
誰もが不満で腹を立てるだろうけれども、
不承不承受け入れざるを得ない妥当な線ができてくると思う。
 しかしこのとき、
地方自治体はともかくとして、
中央省庁の関与だけは、
どうせろくなことにはなりはしないのだから、
丁重にお断り申し上げて、
市民だけの組織にして行けたらと思う。
 もちろん、
市民としての国家公務員には、
専門知識を駆使していただくために、
是非とも参加を求めねばならないが。

 ともさんが篠田さんに料金のこと言われて、
過剰反応をした背景に実は、
誉められ嫌いという個人的資質の他に、
そんな動物病院と診療料金という、
暗くて深い川が横たわっていたのだった。
ともさんは開業以来、
●医師会や同業者のあつまりで、
診療料金ことでいやみを言われたり、
時には同窓の先輩経由で遠回しの忠告を受けたりと、
様々な干渉を受けてきたのだった。
僕のような駆け出しの使いっ走りから見れば、
トモ動物病院の診療料金が特別安いとは、
どうしても思えなかったが。
しかし、
トモ動物病院のこの診療費が気に入らない、
自院に都合が悪い、
そう考える病院が複数存在するのは確かなようだった。
このことがあって、
ともさんは自分の病院の診療料金が安い、
そう言う評判がたつことを普段からひどく恐れていた。
篠田さんに限らず、
診療の後お気楽な調子で、
「とも先生のところは安くて助かるわー。」
などとのたもう主婦の方々は多かった。
「へへ、毎度おおきに。」
くらい言って軽くいなせば良かろうものを、
ともさんは少し早口になっていつでも弁解するのだった。
「そんなこと無いですよ。
 うちはこまめに見てますからね。
 やはり高いですよ。」
(何のこっちゃ言ってることがさっぱりわからん。
誉められてるのに言い訳してどうするんじゃい。
額に汗が浮かんでるぞー。)
おそばで使えている僕はいつもそう思うのであった。

 「安いと言われるのがそんなに嫌なら、
ここはどんと値上げして、
ふんぞり返ってみたらどうです。
そうすりゃ同業者から嫌みを言われることもなくなるし、
あわよく増収とも成れば経理担当としても、
胃薬の消費量が減るってもんですが。」
そう忠告に及んだことも一度成らずある。
しかしともさんは軽く頭を振りながら、
考えの浅い弟子に道を説くように、
全身自制心の固まりと化して偉そうな説教を垂れるのであった。
「パイよ、
考えてもみなさい。
我々の仕事はサービス業だよ。
サービスを売っているんだよ。
クライアントの方々に安くて質の良いサービスを提供する。
これこそ洋の東西古今の別なく、
物とお金のやりとりに通底する真理だよ。
勝てて加えて、
パイよ。
お金を支払う側が有り難うございますと言って頭を下げる。
我々はそんな仕事をしているのだよ。
考え違いをしちゃいけない。
飼い主さん有っての我々なのだ。
それにな、
何をどうしようと物の値段は市場が決める。
十年先を見るのだ、
パイよ。」
見かけによらず小心なくせに、
正義と原則にうるさいともさんは、
掛かったコストに程々の利益というやり方を、
変えるつもりはないようだった。
 あれから何年たっただろうか。
ニーチェが殺し損ねて、
ただ一柱滅法元気が良かった経済学担当の神様も、
最近はすっかり往時の勢いがない。
そのせいか動物病院の診療料金が、
市場原理に従って下がり続け、
飼い主さんが大満足という話はとんと聞かない。
もっとも最近は社会学担当の神様が、
めっぽう元気がよいそうだから、
その辺りのからめてから、
動物病院と飼い主さんのお財布の関係にメスが入るかもしれない。

 冬の弱い陽がいっそう傾ぎ、
三時前だというのに辺りには、
黄昏の気配が忍び寄るかのようだった。
「帰りましょう。
リキの血液検査を早くしなければ。」
「そうだったな。
飯は後にすれば良かったな。」

 何も悪いことをしていないのに、
誰かに対して、
何かに対して、
後ろめたいような地味な気持ちが胸にたまった。
結局のところ信念ってやつを守り通すためには、
鉄の意志かデリカシーの欠落を必要とするらしかった。
芥川龍之介はレーニンを評してこういったという。
「誰よりも民衆を愛した君は、
誰よりも民衆を軽蔑した君だ。」
(朝日新聞 1997-11-07 素粒子より)
ともさんも僕も、
レーニンのようなはた迷惑な人間であり続けるには、
少々胆力に欠けているようだった。