昭和59年10月28日 良 15頭
1着 ミスターシービー 1:59.3 吉永正人

単170
複120 690 410

連7-8 1,790

2着 テュデナムキング 1/2  
的場均  
3着 ロンググレイス 1/2
田原成貴 
  

ミスターシービーが勝ったこの「天皇賞 秋」は3,2,00から2,000になった初めてのレースでした。
4歳馬にも62年から門戸が開かれ、名実共に中距離の日本一決定戦となりました。
ミスターシービーは4歳時19年ぶりに3冠馬となった馬で、5歳になってもその人気は衰えることはなく、
菊花賞を勝ってはいるものの、元来中距離馬という評価から2,000メートルになったのは願ったり叶ったりでありました。

レースはこの後ジャパンカップを逃げ切ってあっと言わせたカツラギエースが、予定通り逃げます。
ミスターシービーは4歳時もそうでしたが、指定席の後方待機です。
馬券を買っている人から見れば、なんと不安な位置取りなのでしょう。
騎手の吉永正人は苦労して苦労して騎手になった人で、ミスターシービーはそのご褒美の馬という印象です。
府中名物けやきに差し掛かっても、まだ最後方。
毎日放送の蜂屋アナウンサーは「ミスターシービー、今日は絶対苦しいと思います。」と何度も繰り返しています。直線に入ってもまだ追い出す気配なし。
もうダメかと思った残り坂を駆け上がった後の1ハロン。
蜂屋アナウンサーの絶叫です。「来た、来た、来た、ミスターシービーが来た」
大外を通ったミスターシービーは前の馬を並ぶともなく抜き去り、ゴールを1位で入選したのでした。
2着は8番人気のテュデナムキング。
馬券は取れませんでしたが、ミスターシービーの豪快さが一際目立ったいいレースでした。
この後、5歳時にジャパンカップ、有馬記念、6歳時に天皇賞 春、ジャパンカップ、有馬記念などに出場しますが、ことごとくシンボリルドルフの後塵を拝し、古馬になってからのミスターシービーは決して満足していなかったでしょう。いい子供を出して貰いたいものです。