昭和59年5月27日  良 21頭
1着 シンボリルドルフ   2:29.3 岡部幸雄

単130
複120 1,140 710

連4-8 2,100

2着 スズマッハ   1 3/4  大崎昭一   
3着 フジノフウウン     頭 増沢末夫  

 前年の58年にシンザン以来の3冠馬ミスターシービーが誕生したのもつかの間、8戦無敗の3冠馬が翌年誕生した。
ミスターシービーの脚質とは違って、好位から競馬ができてファンを安心させる馬であった。
岡部が皐月賞でビゼンニシキとシンボリルドルフと、どちらに騎乗するかが感心の的であったが、なんの迷いもなくシンボリルドルフを選んだことで、シンボリルドルフの人気はさらに高まった。
その皐月賞であっさり1冠を取った後のダービーであった。
当然単枠指定で青い帽子ただ1頭。
今までのレースと同様、好位につけて、直線を向いてからは危なげない勝ち方であった。
このダービーに限り、28頭出走がほとんであった大レースだったが、21頭と少ない頭数であった。
8枠は多頭数だから嫌われてきたが、このレースも21頭立てにもかかわらず、嫌われた8枠であった。
しかし、私はスズマッハという馬が好きで、当然シンボリルドルフから8枠への馬券は持っていた。
ゴール直前フジノフウウンにかわされそうになりながら、なんとか粘ったスズマッハを力を入れて見ていたことを今でも思い出す。なんと21頭中20番人気であった。

その後菊花賞も取り、無敗の3冠馬となった。
5歳には天皇賞 春、天皇賞 秋、ジャパンカップ、有馬記念もとり、名実共に日本競馬史上に残る名馬となった。しかし今19歳のシンボリルドルフは、それほど有名な子孫を残していない。
少し寂しい気がする。