2000年 4月 10日 〜 2000年 4月 16日の日記

10日
 今日も10時過ぎまで仕事して帰る。帰宅すると11時越えてるがとりあえず録画を見る。
 プリンセスメモリーなかなか面白いが、この手のゲームはきちんとレベルアップしながらや
ってく性分なのでなかなか話が進まない・・。
 まあレベルアップも難しいわけではないので単純にやる時間がないだけか・・。
 (早く人間になりたい〜)
11日
 10時過ぎ〜10時過ぎ〜、きょうもせっせと残業だ〜。
 かえろとしたら新人がやってきて、さらに帰りが遅くなる〜。(民謡風に)
 グルグルと最遊記をみる。グルグルはやっぱりほのぼのしてていいなぁ、最遊記はなんか女
の子受けをねらってるような作画・オープニングなのでいまいちって気がする。
 プリンセスメモリーは、記憶を失った少女フィーリア(仮名)がメインヒロインなのだが、その他に
家庭的な妹のようなポーニィと姉御肌のサリアンというのがいて2人とも実は攻略可能らしい・・。
 フィーリアはいまいち子供っぽいのでポーニィに走ってしまうかもしれない・・。
(まあとらは2の美緒よりは知佳の方がいいといった程度の差ではあるが・・)
12日
 仕事ばっかで書くことないのでどめさん形式の日記もたまに書いていこうと思う。
 とりあえず、まずはおいらの人生と大きく関わりのあるゲームについてだ。
関わりがありすぎて書き出すと終わらない気もするが・・・・。

[ゲームと人生 その1]
 一番最初にやったとかいうとゲームウォッチという気がするが、このあたりの話はそんな
面白い話題もないので、最初のPCゲームからはじめよう。
 最初に買ったゲームはPC−6001mk2の惑星メフィウスだ。
 PC−6001mk2は、喋る機能がついていた当時は画期的なパソコンだった。
 当時中学1年だった僕は貯金を崩して惑星メフィウスがやりたくてパソコンを購入してい
る。

 惑星メフィウスは、T&Eソフトが作ったアドベンチャーでコマンド入力式だった。
 コマンド入力式なんて今は影も形も残ってないが、open doorみたいに手で単語を入力す
方式なのである。(メフィウスは日本語入力だった気がする)
 さて惑星メフィウスは、スターアーサー伝説3部作の1つ目で無論残りの2つも購入して
いる。
(2作目は暗黒星雲、3作目は名前忘れた)
 実は暗黒星雲以降は難易度が高く、ちょっとずるをしてクリアしていた。
 この頃はソフトはテープでテープレコーダーなるものでローディングをしていたのだが、
偶然レ
コーダーの音量が小さい時に暗黒星雲のプログラムが見えた時があった。
 それを見て分かったのだが暗黒星雲の基本部分はBASICでできていてローディング
時に
listコマンドを動かないように書き換えていたのだ。
 書き換えの手法を知った僕は、中のプログラムが見放題なのでそこから少し解答を取得
てクリアしたのであった。
 また、コマンド入力ゲームというとハドソンのデゼニランドとサラダの国のトマト姫を
外すわけ
にはいかない。
 どちらもこの頃のPCゲーマーなら知ってるだろうというメジャーゲームである。
 しかもこの2つにはそれぞれ普通気付かないよというコマンドがあった。
 それは磨くと待つである。この2つに苦労したユーザはきっと山のようにいるはずで
ある。

 今日はここまで。次回はテープという媒体にまつわる話をしようと思う。

13日
会社で仕事漬けなのでついつい逃避で会社でこの日記をかいている。
まあちょっとした息抜きというやつだ。(忙しくなければこんなこと会社で
しないでさっさと帰るんだけど・・)
中日が久々にいい勝ちかたをした。最近負け続けなので逆転サヨナラ勝ちは
むっちゃ嬉しい。

[ゲームと人生 その2]
 PC−6001の時代はカセットテープが記録媒体として通用していた。
 ものがテープなだけにローディング時間は結構長かった。
 自分がやった中ではドアドアがテープ1本まるまる使っていて40、50分かかっ
たのが一番長かった。
 さて少し話がかわるが、前回スターアーサー伝説をT&Eソフトがだしてるという
話をした
 が、当時T&Eソフトはもっと有名なソフトを出している。
 それはハイドライドである。
 パズル的要素のあるアクションRPG(?)で、一躍T&Eソフトを有名にした
ゲームである。
 さて、このゲームも無論テープでセーブデータを保存するわけだが、テープなので
好きな場所に保存できるがきちんとデータ位置を把握してないとまともロードできなかった。
 当時大須(名古屋の電気街)にレンタルソフト屋さんがあった。
 無論、今考えれば思いっきり違法なお店である。ちなみにとっくの前に潰れていて
今は残っていない。
で、この頃は子供だったので著作権などと言葉は無論知らなかった。
というわけで友達と一緒にソフトを借りて友達のWデッキを使ってダビングしてい
た。(あ、たとえ知ってたとしてもやることにはかわんないか・・今もそうだし)
 そうテープなのでダビングは難しくなかったのである。
 まあ雑音は禁物なので介在する線が短いWデッキはダビングには最適だったとい
えよう。
 それでもダビングできないものもあったが・・・。
 特にアセンブラばりばりで作られていると思われるものの方が音的にダビング失敗
の可能性があったように思われる。
 今日はここまで。次回は当時の思い出深いゲームについて話そうと思う。
14日
 今日はちょっとだけ早めに帰る。
 とりあえずデッキ作りにいそしんで寝る。
15日
 今日はマジックの日。
 しかしMAXでも4人しか集まらずドラフトはなし。
 なんで早めに切りあげて、残っていたおいらとひやむーと松林さんで食いに行く。
 奇しくも昔のPCゲームに精通している3人が揃ったと言うことでPC−6001mk2から今の
ゲームまで幅広い範囲のゲームについての話題で盛り上がった。
[ゲームと人生 その3]
 さて、PC−6001当時のゲームの話をするつもりだったが、思いで深さから言
ったらPC−8801の時代の方がいいので話をPC−8801時代へとすすめようと
思う。
 高校生になり88を買ったのはいいが、値段の都合から1ドライブだった。
 今は3.5インチ、1ドライブ標準であるが88の時代の後半では2ドライブは標準
だった。
 おいらが買った当時は1ドライブの方が標準に近かったが・・・。
 というわけで昔のゲームは、1ドライブでも出来るできないかの表記があったのだ。
 とはいえ1ドライブ可と言っても中にはひどいのがあってローディングのたびに
何度も入れ替えの必要の有るゲームもあった。
 特に入れ替えがひどかったのがウィングマンと言うゲームである。
 ちなみにウィングマンとは桂正和の漫画でアニメにもなった。
 閑話休題。桂正和はこの頃が一番おもしろかったなぁ。恋愛系の話を始めてから全然つ
まらくなっちゃったもんな。今のI'sなんかちょーつまんないし。
 88のゲームと言って一番印象深いのはYs、ザナドゥとソーサリアンである。
(日本ファルコムの手先と呼んでくれ(^^))
 その他にもエメラルドドラゴンや大戦略、電脳学園、ウィザードリィ、ジーザス、
バトルスキンパニック、破邪の封印などなど思いで深いゲームは多い。
 あと実は88のワープロソフトも持っていた。
 P1というやつで無論かなり高かった・・。
 ゲームの傾向から言えばやはりRPGをメインに買っていた。
 まあRPG全盛期であったし・・。
 ちなみにこの頃はファミコンは持ってなかったのでドラクエとかはやってなかった。
 まあスーファミは大学生のときに買ったので色々やったが・・。
 この辺りの話は次回の次回ぐらいに話そうかなとおもってるんで。
 今日はここまで。次回はPC98の時代の話に移る前にTRPGについてて話そうと思う。
16日
 PrincessMemoryを結局フィーリアでクリアした。
 なんでPERSIOMを始めた。うーん、アリスらしい作品だ。
 JustNetでMyドメインサービスに興味を持ったので、一度プロバイダについて検討してみる
ことにした。
 まあMyドメイン自体はHPの容量が25MBになるが値段が倍になるので好きなドメインは
魅力的だが断念。
 が、JustNetは10MBしか容量がないので(現在6MB使用)、いずれは(概算3ヶ月)移行
する必要があるのでHP容量や値段を元に他のプロバイダ検討してとりあえずASAHIネットあ
たりがよさげであった。(HP容量50MB)
 まあどうするかはまだ決めてないが、来月辺り気が向けば移行するかもしれない。
 CoA2はやっと新しい対戦が始まった。初手なんか土地が多い・・。
 1ターン目、極楽鳥だすが使うまもなく焼かれる。
 ドローは土地ばかりでクリーチャーが少ない。一応ヴィアシーノの戦士を出すが、相手は
常備軍+Hero's Resolveで攻撃&防御してる。
 ならばこちらは空飛ぶ絨毯を出して空から殴りに行く。
 一応象と熊を引くが、向こうもありがたい老修道士にFit of Rageかけて殴ってくるなどで
激しい殴り合いになっている。
 でも土地はもういらーん。(8ターン目にして土地7枚。しかも手札が寂しいので1枚隠し持ってる)
 
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