Kumiko 24/Jan/2019
福島に行ってきました。

1月21日、22日と1泊で歌う楽校の仲間7名で福島に行ってきました。「歌う楽校福島支援隊」として。

バスが安いかと思って、10時東京駅発いわき行きで13時にいわき駅に着いた。いわき市民訴訟・原発事故の完全賠償をさせる会の菅家(かんけ)さんに迎えて頂いて一路富岡町へ。いわき駅からほぼ1時間。



まず、目指したところは、友人のお義母さんのお宅。 その義母さんは、町に戻れるまでは仮設住宅(東京でのみなし仮設も含め)にいましたが、今は富岡町に戻り「復興公営住宅」に住まわれていて、前日が、84歳の誕生日と聞きました。

せっかく富岡町に行くのだから寄ってみようと伺いました。この町営住宅は、自宅を失ったり、住めない状況にある町民のための住宅で、友人は戸建ての団地がつくられた時、一緒に住もうとしたのですが、条件があわずに住めず、今お義母さんはお一人で住まわれていました。


歌う楽校福島支援隊隊長の内田さんからパンダの東京バナナを贈呈。とても84歳とは見えず、上品で美しい方でした。そして、みんなでハッピーバースディを歌いました。



新しい復興住宅なので、設備も良さそうでしたが、全ての部屋の入口に表札がなく、何故なのか不思議に思いました。また、今までの住み慣れた場所とは違って不便なこともいっぱいあるのではと思いました。それでも、私たちが訪ねたことをとっても喜んで下さって私たちもも嬉しかったです。

そのあとは、菅家さんの分かりやすい説明を車の中で聞きながら、原発立地町である双葉町、大熊町へ行きました。



国は、2020年のオリンピックまでに目に触れそうなところはきれいにしようとしていますが、それでも、廃棄物の袋がずっと積まれている箇所がいくつもありました。



帰還困難区域の看板のある場所も何度も通りました。昨年、8月に来た時は、私は、特別この区域に入ることができましたが、そこの住人が一緒でなければ、一般の人は入れません。




窓ガラス越しですが、富岡第二中学校の講堂は、「第64回卒業証書授与式」の看板がそのままで、椅子や机が倒れて、震災当時のままに保存していました。



車の窓からも廃棄物のグリーンのシートが見えました。



最後は、楢葉町の宝鏡寺の早川住職を尋ね、お話しを伺いました。早川さんは、福島第一原発が建てられる時から反対運動をしてこられた方です。私も存じ上げている大学一弁護士の「常識でおかしいことは可笑しいんだよ」の言葉に励まされて、可笑しいことは可笑しいと言い続けてきたと言われました。

ヘンな話題ですが、早川住職は肌がとてもきれいなので、尋ねると、菅家さんが、町に避難して狭いアパートにいた時は、早川さんも体調も良くなかったけれど、ここに帰ってきて元気になっていると言われていました。

歌う楽校のメンバーの上司が早川住職と高校が同級生だったという偶然があり、話しがはずみました。



いっぱいお話を伺って、湯本の温泉古滝屋へ。震災以来休業し、やっとほそぼそと開いているという古滝屋ですが、老舗の温泉旅館で温泉も立派でお部屋も格安でいい旅館に泊まれ、ノンビリ出来ました。

さて、翌朝は、旅館を7時45分に出て、電車で湯本駅からいわき駅に行き、歩いて、飯田八幡宮の社務所へ行きました。

今日裁判所で10時から行われる証人尋問前の集会です。




「歌う楽校」も、「東京から7人応援に来てくれました」と、支援者連帯挨拶で紹介されましたので「哀しみの地よ」を皆さんの前に立って歌いました。裁判で闘っている人たちを目の前に見て、胸がいっぱいだったと内田さん、吉田さんが言っていました。

私は、12月15日の決起集会ではじめてこの歌を歌いましたが、覚えていますか?歌えますか?と聞くと歌えるよーという声がかえってきて、本当にみんな大きな声で歌ってくれて嬉しかったです。



社務所からいわき地方裁判所まで10分間、広田弁護士のコールで、みんなでデモをしながら歩きました。



歌う楽校福島支援隊も元気に声をあげながら行進しました。



裁判所に着いて、傍聴席が少なく、私と吉田さんが傍聴席に入ることができました。

今日は、アレルギーの二人の子どもを持つ若いお母さん。事故直後に生まれた子ども抱いて避難した若いお父さん、午前中は二人の証人尋問でした。

この様子を伝えるのはすごく難しい。録音テープでもあればいいと思う位、文字では伝えられない。

週に4回もサーフィンをし、友達と交流していたというお父さんに「今は海に入っていますか?」という弁護士の質問に「入っていません」。「子どもに福島県産のものを食べさせていますか?」「食べさせていません」。たんたんとする短い返事の中に怒りや悔しさがにじみ出ている。この音色を私は伝えられない。

お母さんの方は話すたびに涙。私も聞いていて涙、涙でした。二人の若いお父さんお母さんの証言には子どもを放射能から守る親としての怒りが不安が溢れていました。



しjかし、東電側の弁護士の証人に対する態度にも腹が立ちました。お母さんは、最初は、消え入るような静かな声で話していましたが、東電側の弁護士の些末な質問に対し、「事故の時は、そんなこと考えられませんでした!」と反論していました。

私たち二人は、10時から12時過ぎまで二人の証人尋問をきき、あとの5人は他の参加者の方たちと社務所に戻って、弁護士の先生たちの話を聞いたそうです。その集会もとても勉強になったそうです。

裁判所を出ると、私を福島に誘って下さった小野寺弁護士と会って、みんなで写真を撮りました。




参加した湊川さんが「日本には本当に立派な人たちがたくさんいるのね」と感慨深げに言っていましたが、私もそう思います。弁護士にしても、原告にしても、みんな苦しみに負けないで、闘っているから明るくて素晴らしい人なんだと。闘う人たちと出会い、学べる機会をまた作りましょう!

次回は、3月5日に裁判があります。私は、明日からベトナムに行ってきます!歌う楽校福島支援隊の皆さまありがとうございました。


2019.1.23               
横井久美子        写真 前田孝子