Kumiko Report 05/09/2017
第18回アイルランドツアーNo2
 

8月22日 デリー

世界で初のウイスキー発祥の地北アイルランドのブッシュミルを出てデリーへ。

デりーは北アイルランドでは、ベルファースト
に次ぐ街。

6世紀半ばに聖コロンバが教会をつくる
以前からデリーと呼ばれていた。


7世紀にイギリスによる植民地政策により、
ロンドン市の12の共同組合に入植地として
割り当てられた。

入植したプロテスタントは、ロンドンデリーと
呼ぶが、カトリックのアイルランド人はデリー
と呼ぶ。

三分の一がプロテスタントで三分の2が
プロテスタントの街。



街の中心のロータリーにある像→



↓ロータリーの前にあるアイルランドでもっとも古いデパート。昨年はここで昼食をたべたが、今は改装中ということだった。


1972年1月30日、デリー市で起きた血の日曜日事件。一人一票を!と公的権利を求める1万人のデモに対してイギリス軍は発砲して14名が亡くなった。

「私の愛した街」はこの事件を歌っている。私たちは2006年にオープンした市民が作っている「フリーデリー資料館」に行き話を聞いた。その後、「私の愛した街」を14名の慰霊碑の前で歌った。



↓「フリーデリー資料館」のスタッフ。私たちの歌を聞いてくれた。




その後、家々の壁に事件当時の場面が描れている場所を歩いた。



デリー市民は、こういう形で「血の日曜日事件」の様子を半世紀にもわたり訴え続けてきた。2010年6月やっと英国は、この「血の日曜日事件」にういて先に発砲したのは英国軍だったと認め、キャメロン首相が謝罪した。事件から38年後に真実が明らかにされ、彼らの長い闘いは勝利した。





↓亡くなった14名の顔が描かれている。


ここで遊んでいた少女が丘の上から英国兵に狙われ撃たれて死亡した。


丘の上(プロテスタント居住区)からボグサイト(カトリック居住地)を見る。少女の絵が手前中央に見える。


城壁を歩く。1613年から18年にプロテスタントによって作られ、城壁の全長は1.6キロもある。
途中に教会があり、ガイドの三枝子さんが吹聴したのか、牧師さんに求められ私たちは、教会の中で「ふるさと」を歌った。



城壁を歩いている時は曇り空だったが、終わると豪雨ともいえる強い雨になった。早々にデリー市内から離れたホテルにバスで向かった。


↑ホワイトホースホテル。

 私は初めてだったが、落ち着いたホテルだった。さぁ、翌日は北アイルランドから南のアイルランド共和国のアラン島へバス移動。しかし、翌日は、朝起きたらトンデモないことが待っていた。(続く)

2017年9月4日    
横井久美子      写真 前田孝子