前田こう子 Photo&Blog
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前田こう子です。写真と共ににブログを書くことになりました。よろしくお願いします!

            サチコールから見えるヒマラヤの山々
1写真班として 1025

横井事務所に入ってなんと17年目に突入。17年前の1026日の誕生日に「きょう誕生日の人は?」と初めてのコンサートで名前を呼ばれて舞台の前に腰掛けたのが、17年前でした。

さて、これまで横井さんの活動を写真に撮って使っていただきました。近くにずーといるのはあなたが一番多いのだからと、励まされ、おどかされて撮ってきました。最初はできの悪さをカメラの性能のせいにしていましたが、今では言い訳になりません。

最近のI PHONNはとても性能が良いので、お客さんが素敵な一枚をFBなどに先にアップしてくると、とても悔しいです。コンサートなどでは、歌う曲が前もって分かっているとそれなりにイメージして待ち構えているのですが、動きや部屋の暗さにカメラは弱いので、一番難しいです。

ツアーなどでは、急なアクシデントや楽しいことなど、一瞬に対処してこその醍醐味です。そこが腕のみせどころ。どう切り取るかが写真の最高のやりがいです。それでも横井さんがすべての写真から選び出して、上手くアレンジしてくださるので、素材として一枚でもあればいいがといった情けなさです。


 「撮って!撮って!」と、人なつっこい子どもたち
2.ネパール語を学ぶぞ

ネパールのサチコール村に何回か行くようになり、子どもたちと顔見知りになりました。村を歩いていると幼ない子でも「ナ・マ・ス・テ」と手を合わせて挨拶してくれます。これが便利な言葉でつい連発してこれですべて間に合わせていました。しかし、これ以上の会話が進みません。名前を聞いても発音を聞き取れません。

というわけでやっと横井さんはじめ常連のメンバーが重い腰をあげました。先生は山歩きの経験者でありDVD「いのちきらめく村」ネパール語版の吹き替えに登場した石井陽子さんにお願いすることができ、毎週、富士国際旅行社さんの好意で学習会を開いていただきました。3か月間よくがんばりましたね。こんなに勉強して頭を使ったのは久しぶり。

言語の並び方は日本語に近い。発音は簡単。単語をとにかく並べればよい。とはいえ動詞、形容詞、丁寧語。一人称三人称。現在形、過去形。と語尾が変化するのです。必死の3か月間でした。果たしてこれが現地で通じるのか!!?

さてサチコール村にトレッキングで向かう時、山道を3時間も歩くのですが、その時、子どもたちが「ビスターレ、ビスターレ(ゆっくりゆっくり)」と声をかけて励ましてくれる。特に最後の一時間はとてもつらい石段が続きます。自分たちも私たちの重い荷物を担いでくれているのに、そう言って一緒に歩いてくれました。横井さんの新しいブログのタイトルの「ビスターレ」これこそ、唯一私たちの耳になじんでいたネパール語なのです。

胸にて手をあてて国歌を歌う女の子たち

3、ビスターレ、ビスターレ??
ネパールのサチコール村に行くには、長時間の厳しいトレッキングに挑戦することになります。そのために数年前から高尾山の裏側から、尾根つたいへ歩いて、足を鍛えてきました。
サチコール村への最後の工程では3時間も自力で歩かないと辿り着けません。歩き始めてからしばらくは遠くの山向かいの中腹に見えるサチコール村。下り、上り、また、下り上りと休憩をとりながらひたすら繰り返す。そんな単調な歩きのとき、子どもたちが「ビスターレ、ビスターレ(ゆっくりゆっくり)」と声をかけて励ましてくれる。特に終盤の一時間は岩段がひたすら続き登山経験者でもキツイはず。私たちは最小限の荷物しか背負っていませんが、彼らは託されたみんなの重い荷物をポーターとして担いでる。「ビスターレ、ビスターレ」そう言って声をかけ励まして一緒に歩いてくれる。しかもゴムぞうりの子も。その足取りは早い早い。

 横井さんの新しいブログのタイトルの「ビスターレ(ゆっくり)

この励ましの言葉こそ、ナマステ以外で、唯一私たちが耳になじんでいた言葉なのです

4) 日本人のアホ踊り


2019年3月14日、ネパールのタンセンという都市でネパールでは神様と呼ばれているOKバジさんの「ネパール支援25周年式典」にツアーのみんなで参加しました。最初は、横井さんがネパール国歌をネパール語と日本語で歌い、次は高松市から参加の大村勉さんが津軽三味線のソロを。最後に、ネパールツアー参加者全員で、サチコール村で猛練習した「阿波踊り」を踊りました。「踊る阿呆にみる阿呆 おなじ阿呆なら踊らにゃ ソンソン」と前の3人がリードをし、飯塚明さん(秩父市)が美声を披露しました。後ろでは 津軽三味線が響き、ナント横井さんがマイクを向けています。さて、現地の人たちに日本人の心意気が伝わったかな?

5)サチコール村は大家族 11月29日

     


サチコール村でも、トタン屋根が多くなり、藁ぶきの屋根が珍しくなってきています。



村の高台に建つ 右がサンギートホール。左は立派なトイレ

5サチコール村は大家族 1129 

サチコール村では64軒の家族がまるで一つの大家族のように暮らしている。岩の斜面の両側にぎっしり、寄り添うように住んでいる。この右側の斜面の一番上にサンギートホールが建っています。

横井さんが声かけをしてたくさんの方々が支援してくださり、64軒の村人たちがボランティアで自らの手で創った宿泊施設兼音楽ホール(サンギートホール)。横井さんの呼びかけであっというまに建った。これについては横井さんが書いた『村人総出でつくった音楽ホール』にくわしく書かれていますので、どうぞお読み下さい。

村では中央の一番高い所に可愛らしく三角屋根がそびえているといった感じ。いつもサンギートホールには子どもたちが集まってきます。遠くから来た私たちが珍しいのでしょう。ネパール語で「〇〇ジ」とは○○さんという意味だが、「クミコジー,クミコジー」とホール入口の戸を叩く。返事をしないでいると、まわりの窓に顔をすり寄せて中をのぞきこむ。これがかなりしつっこくて昼寝もできない。「ナマステ」と花束を造っては手渡す。私たちが喜ぶのをとっくに知っていての行動だ。憎めない。これはDVD「命きらめく村」にでてきますね。

2015
年4月25日、ネパール地震の時は村での被害はなかったが、みんながホールに集まって余震の時を過ごしてくれたらしい。村の人がホールを使ってくれてとても嬉しいです。

(6)村人にとっての楽しみ「豚肉まつり」

サチコール村に行くと毎回、「豚肉まつり」を計画します。村では肉がとても貴重でなかなか食べる機会がありません、豚を解体するところから(これもなかなか体験できないことですが)始まります。村では次世代の若者たちに解体の技をつぎつぎに伝えています。その写真や動画もあるのですが、とても生々しくてのせられません。貴重な体験でツアーのみなさん、最初は、怖くてしり込みしているのですが、見始めると最後まで目が釘付けになってしまいます。写真は村の家庭に平等に配っているところです。葉っぱのお皿も素敵です。それと欠かせないのが、手作りの焼酎ロキシー。お湯割にすると飲みやすくみんなで盛り上がります。その御つまみがこのお肉というわけです。


子どもたちの身体能力はスゴイです。

偶然、木にのぼって太鼓(マーダル)をたたいて
いる子どもが数人いたので、写真を撮り始めると
僕も、僕もと集まってくれました。

(7)南米チリへ行く

ナント!2007年に南米チリに行きました。横井さんとのツアーは辺ぴな観光地とは思えないところが多くて、、、。

みんなが、エイとこぶしを挙げているここは、南米を代表する歌手ビクトル・ハラが虐殺されたチリスタジアムです。みんなで「ベンセレーモス!」と怒りの歌を歌っています。ビクトル・ハラが座っていたベンチも記念になっていました。もちろん「ベンセレーモス」の歌は、横井さんの訳詩で、日本に広めた歌で、青春時代のなつかしい歌になっている人も多いですね。

真ん中の男性は、今は亡き福岡の角銅弁護士です。角銅弁護士は、ツアーに参加するために水泳で体を鍛えて、ベトナムはじめ、横井さんの世界ツアーには常に参加されていました。



8) 2007年、南米チリへ行く

パブロ・ネルーダの家へも行きました。



横井さんファンなら笠木透さんの作詞で
「おいで一緒に」はおなじみの曲ですね。
私の国には山がある おいで一緒に わたしたちと
私の国には川がある おいで一緒に わたしたちと

と唄うと故郷の山や川を想い出します。どこにいってもこの歌がマッチしてしまいます。沖縄でも横井さんもコンサートで良く歌っています。横井さんの歌だと思っている人もいるくらいです。 

この原詩を書いたのがパブロ・ネルーダ。ノーベル平和賞も受賞しています。横井さんのツアーで南米のチリを南下してそのお宅を訪ねました。海辺に面したまるで船の中にいるような素敵な別荘風でした。いったいどんな暮らしだったのでしょう。




9
 2007年チリへ行く



前回、ビクトル・ハラが虐殺されたチリスタジアムの中の写真を掲載しましたが、入り口にはビクトル・ハラの写真が掲げられていました。



ビオレータ・パラのお墓の前。ビオレータは、チリの新しい歌運動を作った偉大な歌手で、横井さんも尊敬している歌手です。「人生よありがとう」は、忘れられないとても素晴らしい歌です。近くにあるビクトル・ハラのお墓はもっと粗末な小さいものでした。

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