片腎 KUMIKO の ビスターレ(ゆっくり)ライフ

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2019年       
No1 10月5日(土) フェイスブック

フェイスブックに3年前から参加しているが、最近はほとんど見ていない。何故かというと私の友達はいつのまにか3500人位いて、顔と名前が一致する人はわずか。そういう人たちの人生や日常が、毎日ドバっと入ってくると疲れるのだ。SNS疲れというか。

また、誰かに「いいね」をすると皆にしなくては悪いと思って「いいね」は、なるべくしないようにし、本当にいいと思った投稿にはコメントをしていた。「いいね」を期待されているのにしないのも、それもストレスになる。自分が投稿することもあるが、素通りされているような感じもする。自分の素通りしているので同じだが。友人で20人ほどの仲間だけでしている人がいるが、こういう場合はSNSは効果があると思う。フェイスブックはやめにして、HPのブログを書くようにする。この私のHPを訪れてくれる人は数は少ないし、名前も顔も見えないが、そういう人こそありがたいし、大切にしたいと思っている。

     No2 1010日(木) アイルランドツアーで発覚

今日から入院する。実は、8月末のアイルランドツアーの間、右下腹がシクシクしていた。盲腸かなと思い帰国後、病院に行った。CT、レントゲン、エコーをしたら腎臓が腫れているという。早速、その場で腎臓専門病院を紹介され、再度、造影剤を入れてCTを撮ったがモヤモヤがはっきりしない。それで、3日間入院して、尿管鏡を入れて検査し、相変わらずモヤモヤの正体が分からないが入院手術となった。

   721日に50周年記念コンサートをして、その4日後の25日に定期検査をしたが、腎機能も含めすべて正常だった。だからビックリビックリ!ずっとシクシクしているだけだから元気で、腎臓が腫れていると言われなければ飛び回っていた。不思議?先生に聞いた。「おなか開けてみて、そのはっきりしないモヤモヤが凄いものでその場で死ぬということはないんですか?お金の隠し場所などを夫に知らせておかないといけないので!」と。「それはないでしょう!」と先生。そうだよね、先生は、死ぬとは言わないよね。

昨夜、寝ながら、医療ミスだってあるから手術中に死んだ場合、どうしよう?前田さんにコンサートに来てもらった人たちに知らせてもらうかな?その文章考える必要あるかな?でも、値上がりしたはがき63円で2000枚も出したら126000円。もったいないな?そうだ、新聞の死亡広告はタダかもしれない!それがいいやと解決策を見つけたら安心して、そして、馬鹿らしくなった。 75年間、何の病気もなかった奇跡のこの肉体!50周年コンサートも成功したし、もういつ死んでも悔いはない!しかし、どうもそう簡単には死なないような気がしてきた。

No3 1021日(月) 50周年コンサート後の超多忙な日々

  今日退院してきた。病名は腎盂癌で右の腎臓を摘出。手術時間は5時間。腎臓の手術は難しいらしく、私の場合は更に難しかったようです。医療ミスもあるし、死んだらと思って前田さんの退職金も夫に渡してきた。人間の体には卵巣、精巣、肺、腎臓が二つづつある。スペアタイヤのように卵巣をとっても妊娠もできるし、腎臓をとっても普通に生活できる。しかし、10センチ切ったから今は全治1月の傷かな。最近の病院は、翌々日から、まず看護師が介護して廊下を歩かせ、次は点滴をしながら、次はお腹の傷を抑えながらと歩いた。

前回も書いたけれど、コンサート後の725日に市の検診で腎機能は正常だったのでビックリ。それでその後の行動を考えてみた。7月26日はネパール青年たちが6名+桜井さん、石井さん計8名が我が家に泊まり、翌27日にネパールの青年たちと「はとバス」で靖国神社やスカイツリーに行き、28日に深夜便で帰る彼らを羽田空港まで見送り。その後、ご夫婦で大ファンの方が癌で亡くなり、遠方までお悔やみに。825日に川崎でステージコンサートがあり、前日リハサール。拘束時間がいつも以上に長かった。その三日後からアイルランドツアー。

それまでの日本は、ネパールの青年たちが「日本には太陽がないの?」と言うくらい曇り空で、忘れもしないスカイツリーに行った前日から「日本にも太陽があった!」というくらい猛暑。暑くて暑くてゴロゴロ寝ていても眠れなかった。その時、ひどく疲れを感じ、背中も腰も痛かったけれど、日本中が「生きるのも大変!」という暑さだったので「背筋鍛えなきゃ!」とは思っても、まさか病気で病院に行こうとは思わなかった!アイルランドツアー終了までの
1カ月で急激に癌を発生させたのだ。

12日間病院にいて、本も7冊読み、これからは副交感神経を高め、優雅なスローライフを送ろうと決めた!病気になってヨカッタ!と思える人生を!次回からは、HPをリニュウアルして、「片腎久美子の療養日記」を書くつもり。また、「OnlyOne Staff 前田こう子のBlog&Photo」や「我ら歌う楽校 リレーブログ」も予定しています。傷は治っても本来の体力回復には数カ月かかりますが、あまり元気にならないことを肝に命じながら元気です!

No4 10月25日(金) 台風19号と同じ日に大手術

台風21号がまたやってくる。台風19号で被害に遭われた方、更に大変ですね。あの日、私も同じような目に遭っていた。忘れもしない関東に上陸した12日の午後6時、私は5時間におよぶ大手術をして病室に運ばれた。全身麻酔なので、「ハーイ麻酔しますヨ」の声。その後一切記憶なく気付いた時は病室に。点滴や酸素マスクや何やらいっぱい身体につけて身動きもできなかった。苦しーい!普通、大手術をする時は、親族が居なくてはいけないのだが、この台風で夫は来なかった。歩いて35分の距離だから歩いて行くと言いはったが、飛来物で怪我でもしたら大変と断固断った。でも、さすがに12日の台風の夜、身動きできず病室にたった一人でいるのは怖かった。だから関東、東北に大被害をもたらした10月12日を私は忘れない。


病院内を一人で歩けるようになった頃、長男が見舞いに来た。夫と一緒に担当医に会って病状をメモしていた。息子は、我が家四人のうち一人だけの一般人である。その他は、世間チョーエツ学者夫と米国弁護士の優秀娘と水商売の私である。息子のことは「人柄はいいだけど、競争心がなく、マイペースで、ナント志が低いのだろう。将来どうなるの?」と心中思っていたが、結婚して子どもができて本領発揮している!夜遅くまで働いているが、会社での出世には目が向かないのか、子育てが趣味と思うほどいい父親をしている。

その息子に「私が死んでもお葬式しなくていいからね」「だったら遺書にちゃんと書いておいてよ。ひどい息子かと思われないようにね!」「これから遊んで暮らすからね」「お母さん、ファンからいっぱいカンパとか貰っているからそれで遊ぶと思われるよ」「私のファンでそんなこと思う人いないよ」「人はいろいろだから言葉は選んだほうがいいよ」と、一般人らしい助言をしてくれた。長男としての責任感にあふれている。一般人もいいなあぁ。

そしたら、やおらアイフォンを取り出した。息子は先日、中学校の吹奏楽でピッコロ担当の娘の金沢大会について行った。金賞を得たそうだ。「○○のこの最初のピッコロがうまくいったんだよ」と、病院まで来て、得意げにさわりを聞かせて帰って行った!一緒にいた夫に「大きくなって娘に振り向て貰えなくなったらどうするんだろう?」夫は「あれぼどお父さんに大切にされていたら、とても裏切れないでしょ!」「そうだよねー」と笑いあった病室の一コマでした。


No5 10月28日(月)  水戸黄門の印籠

手術後、退院して二週間余り経ったが、傷がまだ痛い。でも寝返りも打てるようになったし、室内も歩けるし、やっとくしゃみもできるようになったし、二階へも行けるようになった。傷は「日薬」というように日が経つにつれてよくなっている。

私の病気はこのHPでしか公開していないが、お見舞いのお手紙やメールを頂く。ある先輩から「久美子さん、ベットの上で泣いていない?」と手紙を頂いたが、トンデモナイ!「今まで何の病気もなくこの年まで演奏活動をしてこられて何んという幸せな人生かと感謝しています
」と、ご返事したら、「落ち込むどころか張り切っているよ、久美子さん!バンザイ!」とご返事。

息子や娘も夫に「お母さん大丈夫??気落ちしていない?」と聞いてきた。心配してくれる気持ちは有り難いが、私は「アイツら、こんなに長く私と付き合っているのにマダ私の本性分かっていないなぁ」と思った。人間は、いつかは死ぬし、永遠の命なんてないから。担当医にも50周年コンサートのパンフレットを渡し、「これだけのことをしてきたから、いつ死んでも悔いはないので、抗がん剤治療はせず、ニンジン、野菜ジュース、玄米菜食の食事療法で治します。」と宣言して退院してきた。「友寄さん(私の本名)強いですねぇ」と感心された。

実際、私は50周年コンサートも終わったし、そろそろ終活の準備をと内心思っていた。しかし、すでに1年先までのコンサートの予定が入っていた。コンサートの依頼は嬉しいことなので、終活より期待に応えるべきと思っていた。それが突如、この「手術」というアクシデント!。私たちの仕事は、体調が悪いというだけでは、仕事を断れない。だから「手術」は、水戸のご老公の印籠のように主催して下さった方々に了解して頂けた。 とはいえ、ネパール・ベトナムツアーの参加予定の皆さま、コンサートを企画主催して下さった春日部、横須賀、群馬、長野、福岡、川崎、茅ヶ崎、海老名、藤沢の皆様、本当に、本当にご迷惑をおかけしました。、

No6 11月4日(月)   家事分担

数日前から国立駅前のスーパーまでリハビリを兼ねて買い物に行っている。荷物持ちとしてほとんどパソコンの前に座り込んでいる夫も散歩がてら一緒に誘って。

病院から退院して考えたことは、まず、今まで上げ膳据え膳の夫に家事の分担をしてもらうこと。食後の洗い物はすでにしていたので他に、①毎日のゴミを出し。②一週間に一度掃除機をかけること。➂食料品の買い出し。④家の周りの掃除。結婚して51年目にして家事を分担をした。自分の使うトイレはすでに自分で掃除してもらっている。飛躍するが、「原発はトイレのないマンションみたいなもの」と言われるが、原発を推進している「原子力村」はほとんど男性でしょ。そういう人たちはトイレの掃除なんて一度もしたことがない人種だと思う。

いづれにしても、私が思うように体を動かせないこの時期に決めておかないと、結局、イライラして自分でやってしまう。退院翌日、漆喰の壁に時計を取り付けることを夫に頼んだら踏み台を持ってきて開始。漆喰壁だからか1時間経っても悪戦苦闘している。ついに、痛いお腹を支えて踏み台に乗り、私が取り付けた。これがいけないのだ!と深く反省。

それにしても、退院直後の動けない時、たった一人だったら大変だ。更に進む高齢化社会。病院は完全看護であっても、一人暮らしの場合、退院後のケアはどうなるのだろう。「世間チョーエツ学者夫」の存在をこんなにも有り難いと思ったことはなかった。男性の家事の習熟は、本人のためでもある。果たして続くかどうか?

No7 11月9日(土) 優しい一般人

病気が9月9日に発覚してから2ヵ月。その間、検査入院、手術を経て、やっと医学的な生体検査の結果が出た。その結果を聞くために病院へ。夫と息子も同行。会社を休んでまで来なくてもいいと、何度言っても息子がついてきてくれた。こんなに優しい子だったかしら?「子育てが趣味か?」と言うほどの娘たちへの愛情たっぷりは、子どもだけでなく、親にも優しんだ!と我ながらビックリ。たぶん、息子の46年の人生で一番弱い母親の姿に本領が発揮されているのだろう。そうだろうなぁ、私は、母親としていつも夫や子どもの世話をする側で、誰にも助けてもらわず生きてきたからなぁ。母親というのはそういうもんだけどね。今、はじめて心配される側になり、人の優しさが分かるんだなぁ、それにしてもナンテいい息子だろうと感心できたのも病気のおかげだ!

若い癒し系の担当医師から、転移の可能性があるからと、抗がん剤治療をすすめられた。入院中、私は星野仁彦先生、済陽高穂先生のゲルソン療法をもとにした食事療法の本を6冊ほど読んでいて、抗がん剤治療はしない!とエラソウに先生に宣言していた。だから一瞬迷った。「決定は考えてからでもいいですよ」と言われたが、食事療法はすぐには効果がでないし、抗がん剤治療と併せて食事療法をすることで、副作用を軽減させられるそうなので、受けて立とうと思った。

この病院は、ダビンチというロボット手術の機器を日本で二番目に導入した腎臓内科の専門病院。ベット数25ほどの小規模病院で、先生も看護師さんも優しくてアットホームで気に入っている。バスで行ける近さも超便利。以前、もし、生体検査の結果によっては、もっと大きな病院で治療してもらうかも、と言われていたが、私はこの病院が気に入っているのでここを動きませんから!とも言っていた。今回の治療はこの病院でできるので嬉しい。

息子は、もう帰っていいというのに、最後の最後までいて、「抗がん剤というと髪が抜けるから毛糸の帽子を用意しておいたほうがいいよ」と言いながら車で自宅まで送ってくれた。「そんなこと分かっているよ!帽子なんかいっぱい持っているのに!」。やっぱり普通のことを普通に心配する我が家の優しい一般人である。


No8  11月16日
(土) 抗がん剤治療開始

昨日、3日4日入院し、抗がん剤治療を受けて帰宅した。私の治療法は、GC療法といわれる最初に行われる標準療法であるという。1日目の点滴でゲムスタビン投与を30分。翌日、シスプラチン投与を2時間。それを挟んで吐き気止め、利尿剤、整理食塩液を点滴。4日間手錠のように点滴につながれて、やっと解放された。

それでも、手術の時とは大違い。お腹の傷は治ってきて体は自由に動けるし、同じ病院、病室で、「また戻ってきました!」と看護師さんに明るく挨拶。それでもそれでも、抗がん剤投与は初めてで緊張する。副作用が出て、それに耐えられず中止する人もいるらしい。99パーンセントの医師が、自分が癌になっても抗がん剤治療は受けないというトンデモナイ本も読んだ。

いよいよ薬の説明。「トイレが終わったら飛び散らないようにふたを閉めて2回流してください」「副作用としては、投入後から数週間の間に、個人差はありますが、食欲不振、吐き気、発熱、呼吸困難、骨髄抑制(白血球、血小板の減少)感染症、間質性肺炎等々があります」。抗がん剤は、癌細胞も叩くけれど、正常細胞も叩くから、こういう副作用がでるのだ。

いよいよ開始。看護師さんは防護服を着ているよ!それほどの劇薬を体に入れるのだ。怖いなぁ!緊張する!看護師さんはそれを察してしばらく傍で話してくれた。「気力、体力があるから受けられるのよ!」。私も「糖尿病や肝臓棒病や高血圧など、食事療法を宣伝しているのに、どうして癌は、副作用がある抗がん剤しかすすめないの?」「食事療法はエビデンス(結果)がないからね」

投与の途中で問題発生!私は、若い頃から血管が細くて「救急車で運ばれたら大変だよ」と言われていた。最近では手の甲から注射をしていたが、どうも細くて点滴が流れにくくなり腫れてきたので注射の場所を変更。1日目が終わり、先生が「明日の薬が本番だけれど、このままでは点滴がだんだん難しくなってくるので、他の病院で胸の血管から点滴できるCVポートを付けたらどうでしょう?」「えっ病院変わるのですか?また穴開けるなんてヤダぁ!」「器具を取り付けるだけで治療はここでします。本人も楽ですよ」」

こんな事態になって、この際、これを口実に抗がん剤治療を中止しようかと思った。が、せっかく、やる気になったんだから、もし、中止したらきっと後で悔やむだろうと思った。パラリンピックの選手たちが、不自由な体に打ち勝ち活躍している。彼らは何度手術を受けてきただろう。私の胸の小さな穴なんか問題じゃない!「じゃその器具取り付けます」。それで器具なしで2日目の本番の投与は無事終わった。少しでも針がずれたら大変なことになっていたので、2時間は腕は絶対安静。終わったらバンザイと晴れ晴れ。先生も「無事にずれずによかったですね」

さて、昨日、帰宅して、今、副作用が出ないか待っている!血圧が上がっているがまだ何の兆候もない!早くこいこい副作用とは言わないが、ここ数日でどうなるかなぁ?

No9 11月21日(木)   手抜きの子育ての結果

抗がん剤投与から8日経ち、副作用がどんなふうに出るか観察している。5日目は一日中だるさが出て頭痛もした。6日目に歯ぐきが腫れて夜の歯磨きの時、血が出た。これらは想定内で、それ以外あまりひどい副作用は出ていない。食事療法をしているので軽減されているのだろうか?今週2週目あたりから白血球や血小板が減り、感染症になりやすい時期に入るので気を付けよう!

私の友人と電話。「横井さんのブログを読んですごく今まで忙しかったのに、優しい息子さんによく育ててきたわね。自分の子育てを振り返って反省したわ」と言われた。「お宅の息子さんはアーティストでしょ。うちの長男は一般人だから普通なのよ」。でも、電話を終わって考えた。愛情たっぷりという優しさは長男の持って生まれたものだけど、こまめによく働くのは、他の家族3人が役に立たないからだ。

人間って一人で生きていれば、自分ができることを一人でしなければいけないが、4人いれば、いつの間にか役割が決まっていく。年齢順に行けば、一家を支えるのは親であるが、我が家は、前回も書いたように夫は「世俗チョウエツ学者夫」と「米国弁護士優秀娘」と水商売の私である。小学生のころから息子は妹のお迎えに行き、スイミングスクールに連れていき、電球を取り替え、一家の要をになってきた。それがこんな「一般人」になっているのである。

「優しい立派な息子」は、子育ての成果ではなく、親の出来が悪い分だけ能力?を伸ばした息子の成果!つまり、子育ての手抜きの結果です!

No10 11月26日(火)   家族の時間

抗がん剤の副作用を心配していたが、投与後5日目6日目に頭痛・貧血・歯ぐきの出血・しびれなどが少々出た位。食欲はあったし、たぶん世の風評よりずっと軽いと思う。昨日は、投与後12日後、病院ではじめての血液検査。やや貧血が残っているが白血球も元に戻り、回復している。副作用があまり出ていないということは、食事療法のせいか?でも、それは、癌にも薬が効いているのだろうか?副作用はあまり出なかったが、それでも、薬剤が正常細胞を攻撃し、骨髄抑制(白血球、赤血球、血小板の減少)をしていることは体がビシビシ感じていた。この状態は私にとっては外に現れた副作用より大問題で、このことについては改めて書きたい。

昨日は、娘がワシントンから出張で帰国していたので、夫と共に病院について来てくれた。お医者さんも娘さんは初めてだからと娘にも経過を説明してくれた。娘もバリバリのキャリアウーマンらしくテキパキと質問していた。この前夜、息子も我が家に来て一家四人で翌日のお医者さん対策会議。娘は、今回子ども連れでないので、ゆっくり4人で話ができた。私がせめて抗がん剤治療はあと1回にしたいけどどう思う?という意見に喧々諤々。

対策会議も終わり、我が家の居間に飾ってある幼い頃からの写真を眺めながら、息子が「お前はチビの頃チョーデブだったなぁ」「あの写真のお父さんは今の俺より若いでしょ」と、30年40年前頃の話で盛り上がる。「お兄ちゃん、悪いことして、夜、家の外に一人で出されたこと覚えている?」「便所に逃げて隠れていたらお母さんに外から釘打たれ閉じ込められたことは覚えているよ」「スイミングスクールに行ったことにして、外に水泳パンツ干して、黙ってろよって言ったでしょ」「あの頃、あんな遠いスイミングスクールに自転車で二人でよく通ったなぁ」「お手伝いのお姉ちゃんが保育園に迎えに行くのを忘れてお兄ちゃんが迎えに来てくれたよね」「そうそうあのお姉ちゃんボーとしていたね」「お母さんが外国に行く時は、よく名古屋のおばあちゃんの家に預けられたね」「本当に俺たち過酷な境遇によく耐えていたなぁ」

私は結婚・出産後も年中忙しく、この50年、こういう家族の時間を持ったことがない。病気になったおかげで家族が一つにまとまることができた。病気に感謝!と言いたいほど幸せな家族の時間だった。息子は、妹に「明日、先生との話を聞いたらすぐ知らせてよ。血液検査の結果もね」と言って、夜遅く帰って行った。

No11 11月30日(土) スロージューサー

10月に入院していた時、病院のベットから最初に通販で注文したのは?万円のスロージューサーだった。玄米菜食無塩(減塩)の食事療法なので毎日ニンジン野菜ジュースを飲むためです。普通のジューサーは高速でカットするので酵素が壊れるらしい。スロージューサーは石臼でつぶすようにしてジュースができる。バリバリとニンジンが砕けていく音が気持ちがいい。液体とカスに分かれるので、カスが大量に出て食物繊維が取れないのは残念だけれどすごくおいしい!ニンジンは、無農薬ニンジンを定期的に大量に取り寄せている。

野菜は伊勢市慶蔵院の前島住職が送ってくれる(しばらくはお見舞いということで無料で)。前島住職は黒ニンニクづくりを経て、今や無農薬野菜作りにハマっていて「神宝農産」という法人まで作ってしまった。(ネパールのOKバジさんに学んだことを地域で生かすと張り切っている)。
ニンジンジュースにも野菜ジュースにも欠かせないのがリンゴ。リンゴを入れるととてもマイルドになる。送ってくれる方がいてありがたい。レモンは味がしまるので、香川の無農薬レモンを取り寄せて、毎日2個jは取っている。

食事療法というのは、いろんな方法があるけれど、私は、四つ足の動物(肉)は食べない。白身の魚や鶏肉はOK。卵は秩父のYさんが平飼の卵を送ってくれる。ヨーグルトもヨーグルトメーカーを買って豆乳から作っている。油はオメガ3の油を取りたいのでマヨネーズも手作りにしたい。とはいえ、まだまだ新参者なので料理に右往左往している。それでもその毎日の食事作りが楽しみでもある。
スロージューサーが我が家に届いた時は、前田さんとワクワクして荷解きをして、組み立てて初めてニンジンジュースを作った。今や、前田さんが事務所に来ている時は、ジュースつくりは前田さんが担当。ランチは私が担当。お昼は、以前はよく缶ビールを飲んでいたが、今はニンジンジュースで乾杯してランチをしている。すごく健康的な横井事務所です。

No12 12月5日(木) 中村哲さん銃撃される!

昨日のお昼頃、中村哲さんが銃撃され命は取り留めたというニュースを聞き安心していた。しかし、夕方のニュースで死亡と聞いてショックだった。何んということ!アフガニスタンはもとより日本も世界もかけがえのない人を亡くしてしまった!テレビでいろんな方が哀悼の言葉を述べられていたが、途中で安倍総理が出てきて「ショックだ云々」とコメントをしていて腹が立った。中村哲さんは自衛隊の海外派遣に対し、国会で参考人として「アフガニスタンでは、軍隊を出さない日本や日本人にはとても友好的です。だから日本人の私は安全です」と証言し、自衛隊の海外派遣に反対意見を述べられた。戦争法をごり押ししてきた安倍首相に「ショック」なんて言葉を使ってもらいたくない!アメリカの同盟国として自衛隊を海外派遣し、間接的に中村さんの命を縮めたのはあなただから!

2001年9月11日同時多発テロが起こり、その報復としてアメリカは、タリバン掃討を名目に10月7日からアフガン攻撃を開始した。
私は、テレビで黒柳徹子さんのアフガンレポーを見て、足を吹き飛ばされた子どもたち、草を食べている子どもたちの姿に愕然とした。アフガンの子どもたちを救おう!と2001年12月17日CD『おなじじ空おなじ子ども』を緊急発売した。
(おなじ空おなじ子ども、世界中の愛をあつめて、花が好き3曲収録)。
このCDは、多くのメディアに取り上げられられ、1ヵ月で2000枚も広がり、とりあえず売り上げの100万円をペシャワール会に贈ることにした。中村哲さんが、東京に出てこられた日、2002年2月3日、渋谷のホテルでお会いして100万円をお渡しした。
常日頃、私は、スゴイい人ほど飾らずフツーの人だと思っているが、お会いした中村さんはその通りの方だった。

その後もCDは売れ続け、合計4000枚余、金額にして売り上げの200万円余をペシャワール会に贈った。
今から17年も前のことだ。当時、たくさんの方たちが10枚、20枚とCDを広げて下さったが、その中の奥山ユリ子さんは、自宅の掲示板にポスターを作り宣伝し、100枚以上もCDを広げて下さった。昨日、彼女からも中村さんの死亡に怒りのメールが届いているので「皆さんからのメッセージ」で紹介します。中村哲さんも当時CDを広めて下さった方々も私の歴史の大きな一ページです!さて、残った私たちは何をするべきか!

No13 12月12日(木) モグラ叩き

髪が抜けてきた。副作用については世に言われるほどではないので、かえって髪が抜けてきて薬が効いていることを確信。それにしても人間の髪の毛の量ってスゴイね。頭に手を当てるとバサッと手につくのに、禿げるほどにならない。髪の毛は半年すれば生えてくるので私はゼンゼン気にならない。それに娘がワシントンで4つも帽子やターバンを買ってきてくれた。

癌体験3ヵ月の新参者が思うのは、癌は、暴走する生活習慣病でモグラのようなものだからいつも「モグラ叩き」を忘れないことだ。たとえ顔を出したモグラを抗がん剤によって叩くことができても、モグラは首を引っ込めてまた顔を出す。長年かけてできた生活習慣病(モグラ)だから「生活の質」を長期にわたって変えない限り、モグラの撲滅はできないと私は思う。

それにしても、糖尿病などと同じ生活習慣病なのに、「暴走する」ために「死」と直結するせいか、癌と聞くと誰もが恐れおののく。当事者になってみると、周りの人が腫れものにさわるように感じていてとても不思議。突然別世界の人間になってしまったような。癌治療の世界は急速に進歩?しているのに、「癌=死」意識は変わっていない。

私の後援会「久美子と輝き隊」の会長をされていた藤沢貞子さんが、脳溢血で倒れられて10年余になる。90歳を超え、たとえ外見は人を認識できなくなっても「藤沢さんらしさ」は随所に現れ、お見舞いに行くたびに「人間ってその人の本質は一生変わらないのだ
」と感心した。私もそうだが人は外見に惑わされやすい金持ちでも貧乏人でも、五体満足でも不自由でも、病気でも健康でも、大人でも子どもでも、外見が違うだけ。人間の尊厳においてその差はないし、たとえ認知症になったり、時とともに背中が曲がったりして外見は変わっても、その人が築き上げてきた「その人らしさ(誇り)」は一生ものだ。どんな人に対しても、それを忘れないでいたい!
No14 12月18日(水) Crazy Hair Day

ワシントンの娘から「今日は学校に面白い髪形をしていく日(crezy hair day)でした」と言って、小学一年生の長男の写真を送ってきてくれた。頭の上に人形を載せているようだ。

やはりアメリカは、トランプ大統領が引っかきまわしているけれど、自由の国だなぁ。髪の色が茶色でも、生まれつきであると証明書を出さなければならない日本とは大違い。タイツの色まで規制している「ブラック校則」も問題になっている。

私が娘に「学校でそんな企画をするなんてアメリカはスゴイね」と言うと「だっていろんな人種がいるからこれは特別なことではないのよ」。そうだよね。いろんな人種の集まりだから、髪形以前に肌の色も着る服もすでにいろいろだからね。日本でも今回のラクビーでいろんな国から選手が集まって「ワンチーム」という言葉が動き出している。「ブラック校則」に対しても高校生が立ち上がっている。島国日本も少しづつ変わっていくよね。


No15 12月23日(月) ハラマキ

百貨店でしか使用できない商品券があり、久しぶりに立川の伊勢丹に行った。何を買おうかと考えて、療養生活の身としては、やはりこれでしょ、と、腹巻を買うことに。今までハラマキなんて!と見下していたけれど、今や私のオナカは、ポッコリお腹どころか手術で凸凹オナカだ!美容より健康だ!と、スーパーで買うより数倍のカイロを入れるポケット付きのブランド腹巻を奮発!

さて、それでも、商品券が余っていて、凸凹お腹の腹巻姿には、パンツよりもワンピースがいいかなぁと、ブラブラ歩いているとカラフルなニットのワンピースが目についた。

このブランドは、オバマ夫人も愛用している世界ブランドだそうで、創業85年になる紡績工場で自ら羊を飼育し、山形県の土地でこだわりの糸づくりをし、最新のテクノロジーと古い紡績機を掛け合わせた特別な糸を自社工場で紡ぎだしているのだそうだ。私はこういう謳い文句に弱いのよね。何より製品が素敵だ!

私は、ヨージ・ヤマモトの「Y's」の服が大好きで長年着ていた。35周年記念コンサートの時は、?十万も「Y's」に衣装代を使った。50周年コンサートの時も「Y's」に衣装を見に行ったが、あまりに高いので衣装は、自分でリフォームした。そんなケチをしたのに!!!また、最近は断捨離志向で服を買わない方針なのに!!!カラフルで肌触りのいいニットに魅入られ、突然、残っていた商品券をはるかに上回る服を買ってしまった!

言い訳は?凸凹お腹さんへの感謝?ご褒美?クリスマスプレゼント?それとも欲しいという「欲」があることは、生きる「欲」もあるということかな?

今日から2回目の抗がん剤治療で4日間入院です。


No16 12月28日(日) CVポート

二日前に退院してきた。今回の入院は楽だった!何故か?今回は2週間前に鎖骨の皮下に中心静脈カテーテルを埋め込む「CVポート」の手術をしたからだ。CVポートは故
小林麻央さんも埋め込む手術をされていたようだ。

私は前回の入院の時、腕の血管が細くて長く点滴をするのが大変だった。劇薬の投入時には、たとえ2時間といえども、腕を全体安静にしているのは大変だった。ポートを付けることを医師に薦められたが、最初はまた手術かぁと抵抗した。

ポート手術の時は、1泊入院し、5センチも切って痛くって、「もう二度と手術はしたくない!」と思ったけれど、点滴の針はポートのシリコン部分に刺すため、チクリともしない。埋め込まれているため、点滴中は自由に両腕を動かせる
顔も洗えるし、本も読めるし、、、。回診の時先生がいらして「どうですか?」と聞かれ、抵抗した手前もあり「快適です!やってよかったです!」と答える。


前回のようにたぶん今回も副作用は世に言われているほどひどくならないでしょう。何よりも前回の経験があり、何日目にどんな症状が出るということがだいたい分かるのがいい。学習力・経験というのはやはり生きるための武器ですね!

No17 1月1日(水) ヨガ的ロングブレス体操

我が家の一般人から「お母さん今日TVでロングブレス体操の番組があるよ」と、連絡があった。以前、美木良介氏のロングブレス体操の紹介をワイドショウで見た翌日、新聞に大きく広告が載っていたのでDVD付の本をすぐ買った。息子から「お母さんはすぐ宣伝にのせられるね」と呆れられた!

癌になってそれまで通っていた体操j教室を休むことも多くなった。今までヨガをはじめ体力をつけることが日常になっていて「体力は生きる力。筋肉は裏切らない!」と信じているので、「さて、どうしよう」と思った。病気はあっても病人になってはいけない!そんな矢先、ロングブレス体操を知った。最初は、「石原慎太郎氏を引っ張り出してずいぶん商売上手な人だなぁ」と思ったが、自宅でDVDを見ながらできるので昨年12月から開始した。

動作は超簡単すぎだが療養中の身としては良しとして始めたが、これが意外と優れていることに気が付いた!、今まで息を吸って吐いてということはよく言われていたが、簡単な動作にロングブレスを付けたということが優れている!
例えば①グーパーというのは誰でもできるが、ロングブレスと共に手をしっかり握り、しっかり開くという単純な動作。単純な足上げも同様。②第二の大きな筋肉群のある肩甲骨をいつも締めながら動作する。大腿四頭筋や腸腰筋などインナーマッスルが鍛えらえる。買った本には理論的なことはほどんど書いてなかったが、そのテレビ番組で医者がロングブレスによって血流が体の隅々、毛細血管まで届く。もちろん脳も活性化され、だから脳梗塞であまり歩けなかった石原慎太郎氏もだんだん歩けるようになったと言っていた。認知症の予防にもなるそうだ。

ロングブレス体操で言っている臍下丹田に息を吸う(腹式呼吸)という言うのは意外と難しい。最初は寝ながら臍下丹田(おへそから3センチ下)に重いものを載せて練習する。私は歌を歌っているので腹式呼吸はできるが、10月に開腹手術をしたあと5日間オナカで息が吸えず、ずっと胸で息をしていた。回復を実感したのはオナカで呼吸ができた時だった。腹式呼吸は生きる基本ですね。

昨年から毎朝、5時半に起き、腰湯をしたあと、15分ストレッチ、30分ロングブレス体操をしている。療養の身としてはハードに鍛えるのではなくヨガ的にゆっくりと。毎朝の儀式のように!2020年1月1日、今朝も儀式を済ませました!
No18 1月9日(木) ラジウム恩泉

お正月5日から7日まで山梨県北杜市増富ラジウム温泉に行った。自然界の微量な放射能ラジウムが身体に良いということは知っていたが、ある雑誌で増冨温泉「不老閣」知り出かけた。

国立駅から高尾駅で乗り換。ナント、高尾駅からは直通普通列車1時間45分で韮崎駅に到着。韮崎駅から増冨温泉郷までバスで1時間。途中30分は町中であるが、その後30分は遠くに山々が見えて、壮大な景色が広がる。ネパールのサチコール村に行く道中を思い出した。今、山は茶色で覆われているが、春になったら緑が美しいだろうと思った。

療養の温泉として「不老閣」は100年の歴史があり、天皇が皇太子時代は、こに泊まり100名山の一つに登ったそうだ。温泉は、30度のラジウム温泉と41度の普通湯を交互に入り、ラジウムは吸気が身体にいいらしくラジウムサウナもあり、食事は野菜中心で美味しかった。全体的に治癒客に心のこもった対応がなされリピーターが多いのも納得できた。

ラジウム温泉が身体にいいかどうかはまだ分からないが、やはり日本人は温泉ですね!温泉に入り、ゆっくり養生し、自己免疫力を高めよう!



No19 1月13日(月・祝) 二人の女性

今日は午前2時に目が覚めてしまった。いつもの5時半の起床には早いので布団の中で米沢富美子さんの本『人生は楽しんだものが勝ちだ』を読んだ。先日NHKの「あの人に会いたい」を見て、名前は知っていたが「すごい人がいるものだ」と興味を持ち本を読み始め、この本で3冊目になる。

米沢富美子は、湯川秀樹門下の日本を代表する世界的な理論物理学者。3人の娘を育てながら多くの賞を受賞され、女性で初めての日本物理学会会長をはじめ多くの肩書を持つ。ちょうど一年前、2019年1月17日80歳で心不全で死去された。

こんなすごい天才・偉人が我が国にいたもんだ!と、三冊とも一挙に読めるほど面白かった。更に、読んでいてビックリしたのは、35歳の時、子宮前がん状態で子宮を摘出し、44歳、45歳で乳がんで乳房摘出し、70歳で甲状腺がんを手術している。癌というと今の私は更に反応する。その上、7時間もの大手術の翌日、病室にパソコンを持ち込み論文を書いていたという。また、60代後半からは、『老々介護』の本に詳しいが、大阪在住の要介護5の母親の介護をしている。超天才の恵まれた女性であるが、一般の人たちが経験している子育てや介護、介護費用の心配などを明るくこなしているその姿に魅せられた。

あんな天才・偉人の足元にも及ばないが、それでも、病気だからとグズグズしていてはいけない!と励まされる。以前、元国会議員の田中美智子さんの本を三冊読んだ。田中さんは、生前私もお会いしているが、80歳で大腸がんで余命半年と宣告され、『さよなら さよなら さよなら』『まだ生きてます』を出版され、昨年2019年2月11日96歳で心不全で死去された。.明るくて面白くて楽しい生き方に励まされた。

田中美智子さんは、国会議員引退後のがん手術、米沢富美子さんは現役バリバリでの4回にわたるがん手術と、置かれた環境は違うが、この二人の女性の明るく楽しい生き方が、今の私の道しるべである。

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