「クロッシング」東京国際映画祭参加作品、シネカノン配給で一般上映も決定

 

                    C O N T E N T S

                        7・8月合併号

    日朝国交正常化は重大で異常な状態をもたらす …………  加藤 博
  中国は物資の供給を止めた …………………………………  
  日本に行けなかった日本人妻と娘  …………………………  トヨタ・アキコ 
  手記―私はコッチェビだった …………………………………  ホン・ムンホ
  中朝国境レポート  ……………………………………………  南 相南
  映画『クロッシング』紹介  ……………………………………  宋 允復
  グローバルフェスタ JAPAN 2008 企画実行委員を募集    
    教育里親プログラム 2008年度前期の養育・奨学金を支給!     
       
  日朝国交正常化は、重大で異常な状態をもたらす!  
       政府開発援助(ODA)利権視野に!?  
                                             加藤 博  

 
 最近、政権政党内で要職の経験者たちが、日朝国交回復の声を声高に主張し始めているのが気がかりである。
北朝鮮の非核化を目指す六カ国協議は、バンコデルタの偽ドル札のマネーロンダリングをアメリカが、不問にすることから始まり、テロ支援国家指定の解除まで一挙に突き進んで来たことを受けて、進捗が期待されている。
 これにともなって、日本国内にも、北朝鮮との国交正常化問題をめぐり、一部国会議員による議連も活動を始めた。
1959年から始まった「北朝鮮は地上の楽園」キャンペーンで始まった「帰還運動」で北朝鮮に渡った日本人妻、夫の自由往来と関連して、国交回復に前のめりになった有力議員の発言が目につきだした。
 小泉訪朝後、「日本に戻った拉致被害者は戻すべきだった」論者と、日朝国交正常化論者が同心円内で発言を繰り返し、波紋を広げている。
もちろん国交回復は、好ましいことには違いない。しかしながら国交回復とはどのような中身がともなうのかという論議もないまま、発言が繰り返されるのには大きな問題があり、危惧を感じる。
 現時点での日朝国交回復を訴えるのがいかに非常識であり、問題性を含むものであるかその内容に気づいてもらうために以下のメモを作成して見た。改めて、指摘するほどの内容ではないかもしれないが、マスメディアも、世間一般も以下のことを余り理解していない、余りに楽観的でナイーブではないかと思われてしかたがない。
 国交を、具体的にはウィーン条約締結を意味すると理解し、それがどのような「権利」を北朝鮮にもたらすのか、それらを検証すれば、その異常な事態を理解していただけると思う。
 国交正常化をすると、朝鮮総連が大使館機能を持つことになる。労働党の分室で、事実上の工作機関である総連に以下のような権利を付与して良いのか、考えてみる必要がある。
第1に、よく知られていることに、外交官には「不逮捕特権」が認められている。外交官及びその使節団は、刑事・民事・行政の裁判権が免除される。
したがって総連が過去、現在継続して行なっている不法行為を理由に総連を法的に訴えることは出来なくなるのである。
 第2に、公館並びに外交官住居は、不可侵とされ、要するに治外法権となる。
 第3に、賦課金及び租税免除の特権が認められる。つまり、既存の総連施設が大使館及び領事館等の公館化に伴い、その施設を担保とした債務は帳消しとなるのである。
 第4に、輸送手段及び輸送物品の不可侵。輸送手段及び輸送物品に対する課税・調査・強制執行が免除される特権。
 第5に、国内の移動、旅行の自由の特権。
 以上のことから明らかなように、外交特権が付与されれば、これまで、総連−北朝鮮が、非合法かつ秘密裏に行ってきた拉致、核開発関連物資の不法な輸出やその他の活動の多くが、「合法化」どころか、「特権化」する。日本の捜査・検証に対し、「不可侵」を主張することができ、警察権が著しく阻害される。日本の平和、秩序、安全、人権はさらに悪化しないだろうか。
日朝国交回復は、普通の国と国の関係になる「正常化」ではない。未解決の拉致や深刻な人権侵害を置き去りにしたままの国交回復は「異常化」でしかない。
現在、経済制裁で止まっている人的交流についても、日本から迂回して北朝鮮に行くことは出来ても、北朝鮮に在住する日本人妻、元在日朝鮮人が日本の親族の病気見舞い、冠婚葬祭のために日本を訪れることには北朝鮮政府の厳しい制限がついている。
このような基本的人権侵害が無視され、見てみぬふりをしながら、一方で国交回復を主張するのは、拉致問題を初めとする北朝鮮の人権侵害問題を真剣に解決する真意を疑う。
私には、日朝国交回復論者の声高の議論は日朝国交回復後の政府開発援助(ODA)を計算に入れたグランドデザインを描いていると思えてならない。そこには、戦時賠償としての1兆円を越す経済援助が想定されている。これはすべて日本国民の税金から支払われる。
膨大な資金を必要とする北朝鮮のインフラ整備、道路、港湾建設、鉄道の整備、中国東北部と自由経済特別区の羅津先峰を高速道路で結ぶ計画によって誰が恩恵にあずかるのか。そこには、日朝利権、日中利権を巡る日本、北朝鮮、中国の三カ国の利権を左右する有力政治家が含まれている。
中国では豆満江開発の中国側責任者、日本では日中友好協会の会長が取りざたされているのは関係者の間では常識だ。
ODA大綱によれば、援助の中身は、「相手国の要請」主義という原則がある。それには紐付きでない「アンタイド・ローン」があり、90パーセントは円借款で大小のゼネコン受注合戦の余地を残している。つまり賄賂攻勢が始まる。誰に頼めば受注が成功するのか、事業関係者であれば誰でも考えることだろう。
日本、中国、北朝鮮を調整し、利権配分表をどう作るのか興味深い。 「ODA大綱」を読むと、私には「合法的」に利権が転がり込む立場にある親中国、親北朝鮮派と目される政治家の顔や利権構造が気になってしかたがない。

  中国は5月を境に物資の供給を止めた!
         オリンピック期間中の脱北を阻止するためか?

 三合鎮(写真の向かって左側が中国側)と会寧市(右側が北朝鮮側)の間にかかる橋には、5月は荷物を満載したトラックが列を成していたが、7月は一台も通らない。



2008年5月撮影


 2008年7月撮影

  日本に行けなかった日本人妻と娘  
     労働党党員になれれば日本に還れる!?  
                                    トヨタ・アキコ  

世界で一番よい国―北朝鮮
 とうとう私は、大韓民国の国民になってしまった。本当は日本国国民になりたかったのに。
 ともかく、2008年7月17日に生き返った。そして今、2番目の人生を日本に一番近い釜山を選んで生きている。
 振り返ってみると、私は中国に脱出してから14年間、各地を国籍のないまま幽霊のように生きてきた。政治難民となったけれども、どこへも行く道がなく中国をさまよった。
 私は、北海道出身の在日朝鮮人の父、李プクド(仮名)と日本人の母、トヨタ・ミチコ(仮名)の間に、日本人2世として、1971年○月に咸鏡北道に生まれた。日本名はトヨタ・アキコ(仮名36歳)です。
 私は大人になるまで、生まれた北朝鮮が世界中で一番良い国だと信じていた。大人になり、だんだん本当の姿が分かるようになった。言論、放送の聴取が全て統制されている北朝鮮では、無理からぬことだ。
 
NHKと韓国KBS放送を聞いたのが発覚
 北朝鮮の安全部住民登録課で勤務していた時、世界情勢と北朝鮮の現実について分かるようになった。住民登録課で勤務しながら、経済監察課が押収したラジオで日本のNHK放送と韓国KBS放送を聴いたのが発覚した。
同僚がKBS放送で聞いた韓国の歌手キム・ジョンファンさんの歌「愛のために」の歌詞を書き写した紙を机の上に放置したためだ。それが他の安全員に発見されて厳しい調査が始まった。彼の口から私も放送を聴取したことが明らかになってしまった。
 1994年正月、母親が食糧買出しのために出かけたその翌日の夜、郡安全部指導員によって逮捕された。
それ以来、母親とは連絡が取れなくなった。北朝鮮の外にあっても母親の消息を探し続けている。元住んでいた家に父親も弟もいない。

調査、拷問、豆満江を越える
 調査が始まるとセメントの床にひざまずかされ、椅子、角材を使って、頭、胸などを無差別に殴打、暴行され、拷問を受けた。「資本主義の風に染まった」とののしられ、外国放送を聴取したスパイ容疑だった。拷問のため、意識が朦朧としている状況でも、なんとか生きて脱出して、北朝鮮の現実を世界に知らせなければならないと思った。 必死に拷問に耐えながら、きっと豆満江を越えるのだと決意を固め、隙を見つけて脱出した。
 
労働党に入党すれば日本に還れる・・・?
 全てが政治的身分成分と連結している北朝鮮では、日本人の母親には人権がなかった。
 日本の実名を使えず、本国にも戻ることができず、親戚の安否さえも確認することができない。
 そのような所でも母は、朝鮮労働党に入党すれば日本に還れる条件があると言われ、信じ、人一倍一生懸命に働いたが、私が脱出する時まで入党は許可されなかった。

意見書を出して鉱山に追放される 
 1947年日本で生まれた母親は1960年末に、朝総連の「北朝鮮は地上楽園だ」という宣伝に騙され、父親と一緒に日本から出発して、北朝鮮に入国した。
 入国した時点で地上楽園ではないと感じた母親は、日本に戻ろうとして、政府に意見書を提出したが、拒否された。平壌で生活している間に、北朝鮮政治の真実が分かるようになって、帰国しようと何回も意見書を提出したために、○○郡の鉱山に追放された。
 追放されて行く時、母親は北朝鮮政府の当局者から「もう一度日本に戻ろうと提議したり、追放先で日本語を使えば家族全員を殺す」と脅されたそうだ。
 母親は労働党党員になって日本に還ることを夢見ていた。そのために一日12時間働かなければならなかったし、飢えと政治的圧力の中でも、入党するために、郡織物工場で靴布を織る労働者として懸命に働いたが、入党するどころか本国に還る約束も破れ、苦しい人生を生きてきた。
 朝は食前動員、昼は社会動員、午後は農村動員、夕方は人民班会議など、言語と風習が違う北朝鮮の中で、母親はどんなに辛くて、寂しい生活を過ごしていただろうか。
 母は病気になっても薬を求めることができないし、郡病院へ行っても薬がないので、救急薬で済ませてしまう。家族のためには、残り少なくなった手持ちの日本製の生活用品を売って、薬を求めてくれた。
 
北朝鮮で死なせないで
 今でも、私は母親を助けたいが、日本政府の協力がなければ無理なのはわかっている。日本政府は、私の母が日本に戻れるように努力してもらいたい。「日本に戻りたい」との願いは、私一人の願いではなく、北朝鮮にいる日本人たち全員の願いだと思う。もう60-70歳になった高齢者の日本人を北朝鮮で死なせないでほしい。故国に戻させ、そこで最後の安息を迎えるようにするべきだと思う。
○○郡に追放された時から日本にいる叔父と連絡が取れなかったし、叔父が送ってくれる生活用品も食品も届かなかった。
 配給所が配る食糧供給がなくなって、生計が困難になってくると、母親は手持ちの日本製の生活用品を食糧と交換しながら、家族を扶養してきた。しかし生活はだんだん貧しくなる一方だった。

行方不明になる日本人妻たち
 他の日本人が生計のために、北朝鮮のあちらこちらに食糧を求めに出掛けて、行方不明になった例は無数にある。しかし、私の両親の場合は、どこかの収容所、あるいは人里はなれた山奥に追放された可能性が高いと思っている。
 私は日本政府に訴えたい。どうか北朝鮮で貧しい生活をしている日本人妻に目を背けず、今からでも助ける対策と政策を示して欲しい。
 母親が日本人なので、私も日本へ行きたかった。私が小さい時、母親は泣きながら私に言ったことがある。
「北海道は冬になると雪が多く降るの。シャベルで雪を取り除いてから歩くのよ。あなたも大人になったら、きっと北海道に行って見てね」
あの時は余りに幼かったので、言葉の意味は分からなかったけれど、今では母親の気持ちが十分に分かるようになった。

政府は、人権侵害の被害を補償すべき
 北朝鮮に渡った日本人の大部分は、北朝鮮への帰国運動は、日本国土から朝鮮人を追い出すために、日本政府が演出した芝居であると考えている。
 地上楽園でもないのに、暗黒な所だと知っていながら、自国民を北朝鮮に送った日本政府は、人権侵害の被害を補償すべきだ。現在も北朝鮮のどこかで、飢えながら、人権を奪われたまま、倒れていく日本人がいるのだから、日本政府が自国民に対して目を背けてはいけない。
 日本人は、誰にも省みられず、原始人のように毎日を生きている。日本政府は一日も早く家族、親戚、父母が会えるように道を作ってほしい。

瀋陽日本総領事館の反応
 私は、中国に滞在中にインターネットを利用することで各種の情報を得ていた。北朝鮮から1万人を超す脱北者が韓国に定住していることも分かった。
 私は日本に行きたかった。2004年から2005年にわたって瀋陽の日本総領事館に5度ほど連絡をしたが、返事はいつも「待て」で何の進展も期待できなかった。逃亡しながら希望を掴むのは至難の業と理解して欲しい。

  手記   私はコッチェビだった  
     放浪し、キリスト教と出会い、北朝鮮同胞への宣教をめざす  
                                           ホン・ムンホ  

 当基金のホームページに掲げている設立趣意にあるように、「私たちは日本の一市民団体(NGO)に過ぎません。特定な政治的立場や思想、宗教に基づいて行動するものでもありません。」ただ、私たちは弱い立場に追い込まれた難民の「自らの生命を守りたい、何とか助けて欲しい」とのSOSに応えたいと思っているだけです。
ここに掲載するにあたって、当基金が筆者ホン・ムンホ氏と宗教的心情や使命感を共有するものではないことを、あらかじめ明らかにしておきます。 (編集部)


生活は貧しかったが幸せだった
 うちの家は、私が生まれた時から貧しかった。私は、生まれたときから今まで、食事をきちんとした記憶がない。
 北朝鮮では、食事をきちんとしながら、生きることが私の願いだった。
 1993年からは、家で米さえ見るのも難しいほど、貧しくなった。
 その前は、腹いっぱい食べることができなくても、一瓢(ひょうたんと同種のふくべを乾燥させ、半分に割ってボウルとして使用)ほどの米は、名節と祭日のため、いつも用意して置いた。しかし、1993年から配給がなくなって、毎日の食事は木の皮と草を食べるしかなかった。そのように4年間生きなければならなかった。
 生活は貧しかったが、家族はお互いに愛しながら、幸せだった。ところが、父は1996年5月5日に、栄養失調が原因で亡くなった。

12歳で放浪生活を始めた
 その時、私は12歳だった。母と弟は私が扶養しなければならないと思って、お金を稼ぐために、家を出た。その時からあちこちで放浪生活を始めた。
 いつも腹がへっている生活をしていたが、お金を稼いで、家族と一緒に幸せに暮らすことが私の願いだった。
ところが、私は、年も若いし、技術もないし、持っているお金もないので、お金を稼ぐことが難しかった。
仕方なく、生きるために、私は市場へ行くことになった。そこで、コッチェビらと一緒に暮らすことになった。だれかが捨てた食べ物を拾って食べたこともあるし、物乞いもしたし、泥棒もやったことがあった。
腐った食べ物を拾って食べてから、お腹をこわし、下痢をしたことは多かったし、物乞いをしながら、無視され、差別されたこともある。盗もうとして発見され、殴られたり、逃げたりしたことも多かった。
コッチェビの生活は本当に難しくて、死にたい心だった。
 私がコッチェビ生活をする時、清津駅では、毎日二、三人くらいの人が亡くなるのを見た。
その時、私は幼かったけれども、死ぬことが怖いながらも幸せなことでもあると思った。

清津駅前の「骸骨旅館」
 当時、清津の駅前に「海岸旅館」というところがあり、コッチェビらを管理する団体収容所のように使用されていた。当時そこで、大勢の孤児らが死んでしまった。だから、我らはあそこを「骸骨旅館」と呼んでいた。私は、「骸骨旅館」がコッチェビらの収容を始めた時から、最後に閉鎖するまでいたし、あそこで人間の悪い考え方と行動を習った。

管理員が盗み、強盗、売春を強要
 そこの管理員は、毎日、コッチェビの中で頭もよく、行動もすばやい子を呼んで、「盗みと強盗をして来なさい」と指示する。他のコッチェビは収容所の掃除をしたり、ご飯を作ったりし、女子のコッチェビには売春させるようにした。
 私は、盗みと強盗と、うそをつくことが悪いことだと分かっていたけれども、生きるためにやるしかなかった。
 清津駅では、今でも、大勢のコッチェビが暮らしている。
北朝鮮のコッチェビには義理がある。私が今まで生き続けられた理由は、そのような友達が多かったからだ。もち一つしかない時でも、お互いに分けて食べる。
1999年、母は私と弟を残して、一人で北朝鮮を脱出した。
2003年6月に、私も豆満江を渡って、脱出した。

母は黒龍江省延水県に売られた
 中国にいる親戚を通じて、母が人身売買で、黒龍江省ハルビン市延水県に売られて行ったことが分かった。
 私は母に会うために、黒龍江省延水県まで訪ねに行って、母と一緒に生活しようとして、向こうで中国語も勉強した。
 私は中国語を少し話せるようになったので、お金を稼ぐために、ハルビン市まで行った。
 私はハルビン市で働いたが、脱北者という理由で給料をもらえなかったので、腹が立って、ハルビン市公安局を尋ねていった。
 このことについて申告する際に、私本人が脱北者だということが見つかり、捕まって、2004年4月に北朝鮮に強制送還された。

弟も行方不明になった、再脱出
 私は新義州集結所で半年くらい監禁され、2004年12月に釈放された。釈放されてから故郷に行って見ると、生活は以前より貧しかった。弟も行方不明になっていた。
 どのようにすればいいのか判断できなかったので、もう一度中国に脱出しようと思って、2005年2月16日、キム・ジョンイルの誕生日に豆満江を渡って、もう一度脱出した。
 中国にいる親戚からお金を借りて、母がいるハルビンまで行った。
 私が北朝鮮に強制送還された後、母は、私が生きて、健康に、安全にもう一度中国に脱出することできるように祈りながら、キリスト教会に行くようになったそうだ。
 母は今、○○教会の老人保護施設の中で、働いている。

母の伝道で教会に行く
 私は、母から伝道され、教会に行くようになった。
 教会に行きながら、多くのことについて悟って、多くのものを習った。教会に行くたびに、可哀そうなコッチェビの友達が思い出され、彼らにハナニム(キリスト教の唯一神のこと)について説明してあげたい。
 2007年6月には、在ハノイ韓国大使館まで、やっと訪ねて行ったのに、大使館の入り口で、脱北者という理由で、追い出された。仕方なく、中国に戻って来た。
 
韓国大使館が脱北者を無視
 その時、私は韓国まで行くことがどんなに難しいことか分かった。また、韓国大使館が脱北者を無視していることと、我々について関心を持っていないことを感じたので、一度は韓国へ行くことを放棄した。
 しかし、今は考え方が変わって、韓国へ行こうと思っている。
 私には、韓国に行って、神学を勉強し、北朝鮮同胞を相手として、宣教しなければならないという使命を持っている。
 もう一つは、中国で無国籍者として暮らすのが難しいとわかったからだ。
 私がこの手記を発表する気になったのは、私を助けて韓国に導いてくれる人が現れてくるのを切に願っているからだ。手元に残った金はもうわずかで、2週間ほどは生きられるが、その先がない。
 どうかたすけてください。韓国に着けば借りたお金は、支給される定着資金から必ず返すと約束する。

           2008年7月、中朝国境レポート  
  オリンピック前の中国では、戸籍調査、厳戒態勢、拘束、強制送還
            が続く北朝鮮の咸鏡南道咸興では餓死者が。
 
                                               南 相南  


 2008年7月16日は中国吉林省延吉市にとっては、慶賀すべき歴史的な日だ。オリンピックの聖火がこの地を走ることになったからである。
 一方では、オリンピック聖火リレー行事を控えて、戦々恐々としている人々もいる。予定される聖火リレーを前に、大々的な戸籍調査と取り締まりが行われたからである。何年間も中国で定着して暮らしていた脱北者たちが摘発の標的になり、その犠牲者となっている。
 6月の戸籍調査と取り締まりは、特別に脱北者を狙って行われているのではないが、中央からの指示通り、治安問題に格別の注意を払っている証である。
 6月の韓国ソウルで行われた聖火リレーでは、中国政府の脱北者の強制送還を激しく批判するキリスト教団体の「阻止行動」があったためか、脱北者が一番集中している延吉市で起きる不測の事態に、政府は極度に神経質になっている。北京中央政府、吉林省関係者及び公安・衛生部門の関係幹部たちも、延吉市に調査団を頻繁に派遣している。
 これに連動して、中朝国境沿の国道では、タクシー、乗用車の運転手、乗員の身分証や車両のナンバーを几帳面に記録しており、身分証の検査も合わせて行なっており、潜伏する脱北者たちをもっと緊張させている。

通行証の発給を停止
 北朝鮮が今年の4月から自国民の中国入国のための通行証発給を中止したことから、既に通行証で中国国内に入国している北朝鮮住民たち多くが期限内に帰国せず、今でも中国国内にとどまっているようだ。そうなれば、立場は合法的な身分から一転して非合法的な身分、「脱北者」となってしまい、拘束されれば強制送還の対象となる。今度の一斉取り締まりで捕まって強制送還された人も多数いると、当基金のシェルター責任者は言う。

新しい量刑基準で処罰
 また、咸鏡北道茂山市に住んでいる当基金の現地責任者の話によると、6月に入ってから中国から強制送還されて来る脱北者の数が一気に数百人(500-600人)に増えたと言う。
茂山市の安全部当局では、強制送還されて来る脱北者に対して、処罰基準を設け、中国で1年間暮らした人には1年間の実刑を、2年間暮らした人には2年間の実刑を課すなど、中国で暮らした年数によって量刑を決める新しい基準を始めた。
 一番可哀想なのは、中国で10年など長期間滞在していた人たちである。北朝鮮の刑務所で10年間の実刑を課せられたら生きて出ることは不可能だろう。
 中国吉林省に定着して7年間暮らしている脱北女性の金氏(53歳)は、「村の村長、親戚等の助けで今までは中国公安の摘発を運良く避けたが、今回のように公安の取り締まりに不安を感じたことは初めだ」と話している。
 7年も中国で潜伏生活してきた彼女の場合は、北朝鮮へ強制送還されると人生は終わりになると思い、彼女も今はこれまで住んでいた村から一時的に遠く離れた黒龍江省に避難せざるを得ない状況に追い込まれた。

道路の両端を封鎖しいっせいに検査
 延辺地方は、北朝鮮との密輸と麻薬取引などが頻繁に行われている土地柄で、北京オリンピックを控えて、中朝国境沿線に対する警備がさらに強化された。最大の取り締まり対象は脱北者たちではないが、警備の強化過程で長年間定着して暮らしていた多くの脱北者たちが犠牲になっている。なかでもカラオケ、マッサージパーラーで働く中国語の流暢な脱北女性が一掃された。
 6月初め、龍井市では市の中心部に通じる道路の両端を封鎖し、袋のねずみ状態にして通行人を含め身分証の一斉検査をおこなった。北京オリンピックが終わるまでは、この形態の取り締まりが繰り返し続くはずなので、なんとか定着を目指す脱北者たちの夏は大変寝苦しい。

どうしても婚約者は助けたい
 6月27日、咸鏡南道咸興市から脱北してきた、労働党幹部だと自称する朴氏(36歳)は当地の様子を次のように証言した。
 今、咸興市では92年、93年頃と同じく多量の餓死者が出ている。自分は恩人である婚約者を助けるために中国に来た。婚約者の家には両親がいて母親は栄養失調で6月7日に亡くなり、残っている父親と婚約者もこのままだと餓死するのは間違いない。どうしても、婚約者は助けたい、そのために、食料を求めて脱北してきた。
 豆満江を渡って中国に脱北する際に、北朝鮮国境警備兵に2000人民元(3万円)を謝礼として渡す約束をして中国国内に入ってきたが、中国には親戚も知合いもいないことから国境の村の教会に助けを求めてきた。
 しかし、中国の国境の村も生活が貧しく、北朝鮮からの脱北難民が助けを求めてきても、白いご飯はお腹いっぱい食べさせることは出来るが、警備兵に支払う2000元を得るのは容易ではないことがわかった。年収が5000元程度の中国の農民たちにとって、2000元は大きい金額である。

中国も地上の楽園ではないのですね!
 朴氏は少なくとも2000元を手に入れないと北朝鮮へ戻れない。中国に来ても支援金をもらえなく、働こうとしても雇ってくれる場所が無いと嘆く。
 中国に行けば金も稼げるし、食料もいっぱい得られるという希望も期待もあった。少々の危険はもちろんだが、いざとなれば死も覚悟するとの決心で豆満江を渡ったが、彼の目の前の現実は、あまりにも厳しいものだった。中国公安の取り締まりは厳しく、山奥のシェルターに隠れて身の動きを取れない状況から、彼は「中国も地上の楽園ではないですね」とつぶやいた。

トウモロコシは霜害で全滅、今夏に暴動 !?
 朴氏の説明によれば、咸興市の食料事情は、市民の手元には食料がまったく無いが、市場に食料は並んでいる。しかし、一般の人たちは手も出せないほどの高値なのだ。米の値段は1kgあたり2,700ウォン、トウモロコシは1,700ウォンもする。収穫まではまだ間がある未生育の雀の卵大のジャガイモさえ掘って食べている。今年はトウモロコシの種まきを早めにしたせいで、芽が霜害になってしまい、秋の収穫も期待出来ない。このままだでは餓死者は増え、今年の夏には暴動が必ず起きるだろうと断言した。
 「北朝鮮も中国のように開放政策を取らない限りは生きていく道は無いはずなのに、金正日の時代では開放政策を実施するのは不可能だ」と絶望的だった。
 朴氏の餓死の話を咸鏡北道茂山市の協力者に確かめたところ、北朝鮮の今夏の食糧問題は非常に深刻であることが分かった。

茂山市場の営業時間夕方6時―8時に制限
 茂山市の場合は、殆んどの家庭が商売をやって生計を維持しているが、7月1日から中朝国境の税関が閉鎖されてしまい、中国からの品物は全く入らなくなった。
 その上、茂山市場での営業時間も夕方6時から8時までと、厳しく制限しているので、商売も出来ないので住民たちは、「北朝鮮には狼と狐しか残っていないと語り合われているが、今は狐も死んでいく時代になってしまった」と皆嘆いている。
(『中国は5月を境に物資の供給を止めた!』の写真を参照)

農村部で、子ども老人が餓死の犠牲
 7月8日、9日、10日には、金日成死去のため、全国哀悼日と決められていて、市場を開くことが禁止されていた。毎日の商売でその日暮らしをしながら生計を立てている市民には打撃だった。あらゆる方法を使って食料を得ることが精一杯の市民たちは、哀悼よりも商売が出来ないという悲しみが増したのだ。
 茂山市の町に住んでいる住民の場合は、何とか商売をしながら辛うじて生きているようだが、市内と離れている農村部のガンソン(降仙)、ジンファ、ズゾ等の地域では子供、老人が飢餓の犠牲になって死んでいっているという。
 茂山市の市場物価状況を見ると、米1kgあたり3,000ウォン、トウモロコシ1,600ウォン、大豆3,500ウォン、砂糖3,000ウォン、塩1,500ウォン、林檎8,000ウォン、もち米3,700ウォン、食用油7,000ウォンである。
 注目すべきことは、茂山市場では6月からトウモロコシと小麦粉は姿を消した。

富裕層を狙った北朝鮮の美女詐欺団
 中国延辺の公安関係者の話によると、6月に入って延辺では、富裕層を狙った北朝鮮人の美女詐欺による被害が多発している。被害金額は100万元(1600万円)から200万元(3200万円)の大金である。
 詐欺犯罪の特徴は、加害者は北朝鮮からやってきた美女たちで、延辺の富裕層を色仕掛けで多額のお金を騙し取るそうだ。最初は延辺の富裕層の愛人になることから始まる。愛人関係を続け、信頼関係を築くと北朝鮮国内の人脈を語り、投資話を持ちかける。投資資金を手に入れると、その後はいつの間にか姿を消すという手口を使う。 北朝鮮人の愛人たちはいずれも美人で、貿易会社や幹部人脈の情報に詳しく一般の北朝鮮人とは違う。あらたな北朝鮮の詐欺集団の外貨稼ぎの一つと見ることが出来る。
 なぜなら、北朝鮮当局は、今年の4月から自国住民たちの中国入国の通行証発行を禁止しているが、通行証を持って来ている人たちの身分を見ると、全員が党幹部であるか、その家族である。中国に行っても国外逃亡の恐れがなく、必ず戻ってくると確信を得られる人に通行証を出しているのだ。概括すると、富裕層を狙った組織的な指示によって、外貨獲得の任務を持たされて来ている、と延辺自治州公安幹部は見ている。
 通行証を持ってやってくる彼らの中国国内での活動の主たる目標は食料調達だ。
 7月延辺で出会った、咸鏡北道OO市から来た金氏(40代)と自称する女性は、滞在期限一ヶ月の間に10トンもの米を調達するのに必死だった。用途を聞くと、OO事業所の労働者たちの配給用に使うという。
 彼女は「ただでくれとは言わない。先に10トンのお米を渡してくれば、1ヵ月後には利益を乗せて現金で代金を支払う」という。
 「中国ではもうこのような商売のやり方は通用しない。あなたはどうやって必ず代金を支払うことを証明しますか?」
 「北朝鮮の党の幹部は詐欺なんかしません。信用してください。もし信用出来ないのであれば、私と一緒に北朝鮮に行きましょう。私の上司に会わせます」と言うのだ。
 この事業所の党幹部も期限内に10トンの米を調達できなければ、責任を厳しく問われるのは間違いない。任務が果たせなければ、この幹部も脱北者になる運命が待ち構えている。
 本当に米の調達に来たのか、詐欺軍団の一味の出来すぎた話なのか、半信半疑の謎は解けないままだ。

  2008年度前期の養育・奨学金を支給!
  北朝鮮難民救援基金 教育里親プログラム

 中国では9月から新学年が始まります。
 今年度は新たに小学3年生1人、2年生3人の計4人の里子が加わります。きっとこの子供たちも無邪気に、どきどきしながらも新年度を楽しみに待っていることでしょう。
 そのため、教育里親プログラムでは8月までに20人以上の教育里子に支援金を送るように準備してきました。
 近いうちに、皆様に子供たちのがんばりの近況報告をお知らせできるものと思っています。

  10月の東京国際映画祭参加作品、シネカノン配給  
      映画『クロッシング』が問いかけるもの  
                                         宋允復  

 構想から四年。今年三月の完成発表まで韓国、中国、モンゴルでの撮影も含めすべて秘密裏に作業は進められた。
 脱北者を生み出す北朝鮮の現実を主題とするが故に、対北融和政策を推進する韓国前政権、各界に根を張る親北朝鮮勢力からの妨害を懸念したからだという。
 栄養失調で結核に冒された妻、妻と息子のために薬と食糧を手に入れようと一人中国に向かった夫。中国公安の脱北者狩りから逃れるうちに韓国に入ってしまった夫は妻と子を救おうと手を尽くすが…
 ごくありふれた脱北者のストーリーだが、映像美と相俟って胸に深く染み入り揺さぶってやまない。
 日本で初の上映会は6月17日、NO FENCE主催で開催された。ここに参加者が残した声を紹介する。

・ 一人一人の命や繋がりの大切さ、家族の素晴らしさを改めて感じました。北朝鮮という国が国民一人一人のおもいや幸福を一日も早く追求して実現できる国になるように願っています。
・ 押し付けがましくなく、極力押さえた表現が本当の悲しさをひきだしている。
・ 生まれ育った土地を離れ、家族とすら離ればなれにならざるを得ない、こんな状況を生み出す要因が人為的なものであるならば、必ず人為によって取り払われるべきなのだろう。
・ 国の枠をこえ、人を描いたすぐれた作品でした。何日経っても、感動のさめることのない心にひびく作品でした。
・ 他人事とは思えませんでした。私たちの家族は生きて脱北し日本に帰ってこられるのでしょうか。(特定失踪者家族)
・ 歴史に残る偉大な作品です。現にあるこの実態、この映画を見た者は今度は自分の役割を考える番だと強く思った。

 ワシントン、ニューヨークの試写会でも英語字幕を通して観た多様な人々が涙を流し、「胸に込み上げてくる」と口々に評した。
作品の普遍的な訴求力は制作陣の自省に裏打ちされた抑制的な描写に由来する。
 「北朝鮮の現実の十分の一も描けていない。それでもこの作品を世に送り出せたことで心の重荷が少し軽くなった気がする」と日本での舞台挨拶で語った金泰均(キム・テギュン)監督。元来『火山高』等の作品で知られるエンターテインメント派だ。
 切っ掛けはおよそ十年前、北朝鮮の市場で浮浪児たちが裸足で寒さとひもじさに震える映像を観、飽食の韓国のほんの目と鼻の先の現実にショックを受けたことにある。心に引っ掛かりながらも映画興行の厳しさを知るプロとしてなかなか踏み出せずにいたが、四年前ついに決意して乗り出した。
 主演のチャ・インピョ氏も当初監督からのオファーを三度断っている。
 脱北者がテーマとなると韓国ではとたんに政治、イデオロギーの渦に巻き込まれることになる。甘い恋愛ドラマでイメージを形成してきた彼にとっては俳優生命そのものを失いかねないリスクが伴う。
 長い間、悩み祈って、そして決断した。
 韓国では6月26日の封切後、二週間余りで観客動員は百万人を越えた。その後もじわじわと観客数を伸ばしている。
 韓国の映画振興委員会は、第81回米アカデミー賞外国語映画部門に出品する韓国代表作品に『クロッシング』を選定した。
「神は豊かな国にしかいないのではありませんか。そうでないというなら、なぜ北朝鮮をあのまま放っておくのですか」作品中、妻の死を知った夫が発する台詞だ。
 太陽政策10年を経た韓国制作陣の自責の言葉であり、世界への訴え、呼びかけでもあろう。

        お知らせ                      

■グローバルフェスタ JAPAN 2008に今年も参加します!   
企画・実行委員を大募集中!!
 
 本イベントは、10月4日(土)、5日(日)に日比谷公園にて開催されます。国際協力に携わるNGO等の各団体・政府機関が一堂に会し、それぞれの活動紹介や各種イベントを通じて、国際協力に対する市民の関心を高めることをねらいとしています。国籍、性別、年齢を問いません。エクサイティングな催しにするためにぜひ企画・実行委員になってください。初回の打ち合わせは9月20日(土)13:00から当基金事務所で行います。
(事務局)

■ 北朝鮮難民救援基金のいろいろな活動に、引き続きご支援ください!
 
 基金NEWS NO57でご支援を訴えたところ、定住のために必要な電気冷蔵庫、洗濯機、TV、布団、食器、衣類などを提供いただきました。ありがとうございます。
 さいたま市の宮城さん、川越市の加藤さん、世田谷区の市川さん、神奈川県愛甲郡相川町の小島さん、西東京市の江尻さんなどたくさんの方の協力を得ました。また住居の提供を申し出ていただいた川崎市の大沼さん、定着支援の申し出をいただいた江東区の尹さん、感謝いたします。