すべてが凍てつく、2006年1月、厳寒の延吉市

               CONTENTS               *
           「北朝鮮の人権改善に向けて」特集号              
国連総会本会議で北朝鮮人権決議採択 渡 高志           
国連人権特別報告官への報告フォーマット  
北朝鮮人権特別報告官の人権6項目提言       
羅金龍氏の裁判傍聴のお願い 北朝鮮難民救援基金
ソウル北朝鮮人権国際会議報告 加藤 博
米国で北朝鮮人権の意見交換会議に招待 加藤 博
売られる女性と捨てられる子どもたち  堀田 一
脱北者の手記 もう北朝鮮には戻らない 金ヨンスク
民団の脱北者交流会報告 金 元植、加藤 博
日本定住、七転び八起き 野口孝行
「しおかぜ」よ届け  特定失踪者問題調査会代表 荒木和博    
北朝鮮向け短波放送事情 野口孝行

 

       第60回国連総会本会議          *
        北朝鮮人権決議採択される        
 
  北朝鮮人権問題は’03年以降毎年、国連人権委員会で議論され、決議案が上程され、採択さ
れてきました。
  ついに昨年11月、第60回国連総会第3委員会(人権・社会)に拷問、公開処刑、政治犯収容所
嬰児殺害、外国人拉致、外国から送還された脱北者への拷問や死刑、強制結婚のための女性
の人身売買、表現の自由や平和的集会の制限など北朝鮮の各種の人権侵害事例を直視し、制
度改善を求める内容の北朝鮮人権決議案が上程されました。
(注:決議案の詳細はNEWS45参照)
  そして、11月17日、史上初めて票決に回され、191の国連加盟国の168カ国が参加するなか
賛成84、反対22、棄権62で採択されたのです。
  反対22カ国は中国、北朝鮮、インドネシア、ラオス、マレーシア、ミャンマー、ベトナム、イラン、
タジキスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタン、ロシア、ベラルーシ、キューバ、ベネズエラ、エジ
プト、ガンビア、ギニア、リビア、スーダン、スワジランド、ジンバブエ。
  しかし、アジア諸国に眼を転じると賛成したのは日本、パプアニューギニア、ブータンのみで、カン
ボジアは欠席、韓国、インド、タイ、シンガポール、フィリピン、パキスタン、バングラデシュ、スリランカ
ネパール、ブルネイは棄権という惨憺たる結果でした。
  引き続き12月16日、国連総会本会議でも初めて採択され、賛成が4カ国増え、反対が1カ国、
棄権が2カ国減りました。
  この決議には法的拘束力はないものの、北朝鮮政府に国際社会の意思を強く突きつけたこと
になるでしょう。
  一方、人権委員会決議に3年間、棄権と欠席を繰り返してきた韓国に眼を転じると、今回は野党
ハンナラ党が「国連総会の北朝鮮人権決議案表決に賛成投票すること」を求める決議案を提出しま
した。しかし、与党「開かれたウリ党」は「北朝鮮の核問題をめぐる6カ国協議を控えた状況で、決議
案を採択するのは、国益上、望ましくない」と反対し、上程できませんでした。
  ノ・ムヒョン政権の公式的立場は「北朝鮮の人権状況改善のための努力も、対北朝鮮政策の全
般的な枠組みの中でその他の主要な優先順位と調和を持たせながら推進する。そのために北
朝鮮人権決議案に棄権する」とのことでした。
  しかし、11月国連総会に対北朝鮮人権決議案が上程された直後、韓国で実施された世論調査
では、韓国政府が「南北の和解協力増進を考慮して棄権しなければならない」という回答はわずか
22.2%しかなく、北朝鮮の人権問題に関しては現政権の意思が国内世論とも乖離していることがはっ
きりしています。
  それにも関わらず、1988年から26度も北朝鮮を訪問したという朴庚q(パク・キョンソ)韓国人権
大使は、本年1月19日に出席した北朝鮮人権セミナーで、「韓半島の平和権が、他の人権よりもまず
実現されなければならない」、「国連でさえ、人権問題が政治的に悪用されている」と強弁し、事実上、
北朝鮮の人権問題を不問に付しています。しかし、平和権と北朝鮮の人権問題は対置すべきもので
はなく、同根の問題であり、優先順位があるという発想自体が極めてお粗末なものです。
  また、日本に目を転じると、決議案に拉致という人権問題が含まれているにもかかわらず、日本以
外に決議案に賛成したアジア諸国が2国しかないという事実。これは、アジアにおいて小泉政権の主
張がいかに内向きであり、日本政府の外交が説得力を失っているのかを物語っていると思いました。


        フォーマット
           
北朝鮮の人権侵害の具体的事例を          
        国連人権特別報告官に報告するために     
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  国連人権特別報告官が人権侵害の具体的事例を収集しています。以下は読者の皆さんやNGO関
係者が報告官に協力し、北朝鮮の人権侵害の具体的事例を報告するときの必要事項を示したもので
す。事例を直接、下記の連絡場所にメールで送る場合は以下の様式に準じてください。
また、文書の作成に助けが必要な場合は、当基金にご連絡ください。必要なお手伝いをいたします。
報告官は今回とくに、女性と子どもの人権侵害に焦点をあてています。
                                                     (事務局)
  ● 朝鮮民主主義人民共和国での人権侵害を受けた人のための質問書の模範例 

  朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)人権侵害事件に関しては、文章で下記の国連人権委員会の
北朝鮮人権特別報告官に送付されなければなりません。

 

宛先:Special Rapporteur on the situation of human rights in the DPRK
      C/O Office of the High Commissioner for Human Rights
      United Nation Office at Geneva
      CH-1211 Geneva 10, Switzerland

メールアドレス: anejad@ohchr.org

  できるだけ、個々の事件の詳細を特別報告官に報告するようお願い致します。完璧な詳細を満た
していない北朝鮮の人権侵害の事例であっても、報告するようにお願い致します。報告に関して北朝
鮮当局と会談することに値するかどうかは特別報告官がケースバイケースで判断します。
最低限以下の情報を提供してください。
1.被害者氏名
2.性別
3.年齢
4.人権侵害の発生日(年月)
5.人権侵害の発生場所(州、都市など分かる範囲で)
6.人権の違反者
7.人権侵害の詳細
8.訴えた機関(国連、その他)
9.報告者・団体の名前と住所(名前・住所は秘匿扱いとされます)

余白が足りない場合は別紙を添付して下さい。また、医療記録や警察調書などのような補完的情報書類も添付して下さい。


特別報告官が権限の及ぶところである事件のみに対して処置できます。
第三国での人権侵害や、第三国から北朝鮮に送還されるような危機に瀕する難民の場合は、
国連難民高等弁務官事務所や拷問の特別報告官などにお知らせ下さい。
urgent-action@ohchr.org

   北朝鮮人権特別報告官による人権6項目提言
                 韓国訪問でのプレス声明              

  国連人権委員会の北朝鮮人権特別報告官であるヴィティット・ムンターボーン教授が、2005年
11月3日から10日にかけて、大韓民国(韓国)を訪問した。訪問の目的は、朝鮮民主主義人民共
和国(北朝鮮)の人権状態が韓国に与える影響を評価することであった。
ムンターボーン教授は、韓国政府が今回の訪問を円滑にするよう配慮してくれたこと、そして韓国全
国人権委員会が北朝鮮人権の国際大会に招いてくれたことに対し、感謝の意を表する。
訪問中に会った政府機関や非政府間機関、政府間機関の方々にも感謝の意を表する。
 韓国では、国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)の役員の同行により、会うことを望んでいた全
ての人と会談ができた。
  一方、北朝鮮は国連特別報告官が北朝鮮への入国を何回も求めたが、現在に至るまで拒否
し続けている。
不安定な政治的・歴史的背景に基づく朝鮮半島の特徴をふまえ、韓国と北朝鮮の微妙な関係を
特別報告官は理解している。運命共同体としての韓国と北朝鮮には、その人権、平和、民主主義、
人間の安全保障, 非核化, 持続可能な開発などとの相互関係という最も重要な難問がある。
近年に至っていろいろな南北朝鮮の対話が行われたり、経済などの面での協力的な活動が行われ、
これらが互いの自信や和解を増進し、友好関係に寄与している。
  実際、いくつかの主要な考察するべき人権問題がある。朝鮮戦争(1950〜53年)の影響は現在
でも残っており、現在でも何百万という数の離散した家族が再会するための努力を必要としている。
南北朝鮮の赤十字社が家族再会活動で中心的な役割を果たしており、特別報告官の韓国訪問時
にもこのような再会活動が行われていたことは喜ばしいことである。今後もさらにこの活動を進める
べきであろう。また、行方不明となった人々の問題がある。現在にわたって、何人もの一般市民と
戦争捕虜が行方不明になっている。  戦後も、北朝鮮による様々な韓国人拉致疑惑があり、
これらの効果的な解明と平和的な解決が必要とされる。
  北朝鮮の食糧確保権利に影響を与えている現在の韓国による援助に関しては、 韓国の無条件的な
援助方針は歓迎すべきであり、国際的な人道支援とも大筋で一致している。
  また、不安定な側面はあるものの、韓国が、多数の脱北者の定住を支援してきたことは賞賛に
値するだろう。特別報告官は、管理の充分行き届いたハナウォン再定住センターで、多くの脱北者
と会い、直接それぞれの人生経験を聞くことができた。多くの脱北者の過酷な経験を考えると、
ハナウォンを卒業して競争社会に出るにあたり、地域密着型の心理学的・職業的な支援などが必要である。
  また、世界各国においても難民と人権保護の重要性を明確に示した上で、さらに難民発生の
根本的原因にも取り組むことが必要である。
  特別報告官は、北朝鮮に対してとるべき人権国策について、韓国内では様々な意見があることを
認識しており、これが複数の意見を招く韓国の民主性を反映していることを認める。
  特別報告官は、国連からの任務の多面性を重視するものであるが、この任務の主要目的は
北朝鮮の人権状態を監視し、これを国連に報告することにある。
  特別報告官は、今回の訪問から得られた教訓に基づき、関係者すべてに対して建設的且つ理に
かなった下記の人権6項目を政策・実践に反映することを提言する。
                              2005年11月10日 ソウルにて
                                  (文責:基金翻訳グループ)

国連特別報告官による人権6項目提言

1、南北朝鮮間の対話、和解、協力の精神での関係修復を歓迎し、韓国と北朝鮮に家族の
再会機会をなるべく多く行うように奨励し、そして長年の行方不明者の問題を効果的に解明し
解決するように北朝鮮に強く求める。

2、北朝鮮での食糧などが不足しているため、韓国と国際社会が食糧援助を含めた人道的な支援を
持続することに賛成し、また、援助が北朝鮮国内の援助対象者に届くことを確実にし、支援物資入手
と配分の透明性を促進するように北朝鮮政府に求め、さらに、継続維持できる農業技術、良い統治、
広範な国民の政策決定過程への参画や、国の開発ニーズに対応し公平な資源配分を通じて
食糧確保を高めることに重点を置く。

3、韓国政府に対し、脱北者受入れの人道的方針を継続すること、また、精神的・職業的な要求に
応じて、より長期的な健康管理やその他のケアを行うことによって社会復帰を円滑にすることを
奨励する。

4、北朝鮮国内の市民・政治・経済・社会・文化の各分野における人権に対する様々な矛盾と違反を
止め、北朝鮮も批准している人権の盟約や、国連に提出された特別報告官の報告書にある勧告を
含めた国連の種々の人権機構によって北朝鮮に発せられた国連の勧告を効果的に履行することを
北朝鮮政府に要請する。

5、特別報告官およびその他の国連人権機構を受入れて人権状況の調査、改善の提案とフォロー
アップ活動を可能にするよう北朝鮮政府に要請する。

6、北朝鮮人権を改善するため、国際社会との共同活動をすることを北朝鮮政府に対して積極的に
促す。たとえば、人権に関連する経済プログラム(工業地帯での労働者の権利など)、法治プログラム
(法執行機関の能力強化、市民の自由の尊重、刑務所制度の改善等のための訓練や教育など)、
法律教育プログラム(国際的な人権基準や、国際法と国内法・政策・施行との関係を普及させるプロ
グラム)などの実施を促す。

       羅金龍氏の裁判傍聴のお願い       

次回公判:2月15日(水) 10:30  東京地裁 606号法廷
原告代理人弁護士:中平健吉、中平望

  ’89年に起きた天安門事件に関係したため、不法残留の身分となった羅金龍さんの在留資格を
求める裁判が進行しています。羅さんは不法残留の身分を清算するために難民認定及び特別在留許
可を求めて係争中。
  被告法務大臣は、前々回は「羅金龍氏が不法就労を手引きする悪質な人物である」との主張を
はじめた。しかし、入管局長は国権の最高機関である国会で、羅金龍氏が10年以上の長期にわたって
不法滞在になっていることについて、「日本社会に適応している実績」を評価し、「特別在留許可の道を
開くことが考慮される」と答弁している。
  前回は、被告法務大臣が国会答弁と正反対の主張「長期の不法滞在はプラス要因ではなく、
マイナス要因」としたため、原告側はこれを厳しく批判した準備書面を提出。
  今回は、これに対し被告法務大臣は反論の準備書面を提出する。この後は証人尋問に入る。
法務省入管局のなりふり構わぬ主張を厳しく監視するために、1人でも多くの傍聴をお願いします。

           北の人権改善にむけて
      大きな国際的連帯の前進と転機
       10カ国50人権団体や日米の北朝鮮人権大使が連携 

  2005年12月8日、韓国ソウルの新羅ホテルで北朝鮮人権国際会議が3日間の予定で開かれた。
大会はちょうど11月の国連総会で史上初めて、北朝鮮の人権に関する決議案が採択された直後という
タイミングもあって、会場は熱い雰囲気であった。さらに北朝鮮人権問題を解決する世界的な流れを
作ろうという勢いが感じられる有意義な国際会議であった。
  参加者は、US、ベルギー、イギリス、フランス、チェコ、ポーランド、韓国、日本など10カ国から100人
あまりの人権活動家、人道支援家が集まったのは画期的なことである。このことが、北朝鮮の人権問題
に対する、また同会議に対する期待感が高いことを示していた。
  北朝鮮と隣り合わせでありながら、北朝鮮の人権に対して無関心、「人権無風地帯」のように思われた
韓国で行われたことの意義は大きい、と口にするNGOの活動家は多い。とくに韓国政府は「北を刺激
しない」立場で、この国際大会に対して無視し続けるという対照的な態度を世界に印象づけてしまっている。
そのために、韓国が国際的な孤立感を味わい、人権に対して冷淡な後進国家と受け止められることを
憂慮する声がでた。
  主催者であるフリーダムハウスは、1978年から毎年192カ国の民主主義及び政治的自由水準を
比較評価した「世界自由状況報告書」を出している。1980年からは各国の「言論の自由評価報告書」を
発表している。
  それによれば、フリーダムハウスは’05年度の人権水準で韓国が58位、北朝鮮はミャンマー、
ソマリアなど9カ国と同じ最低レベルと評価した。 

耀徳の収監者121名の名簿を発表
  ’03年に耀徳政治犯収容所に収監されていた金・スチョル氏は’99年から’03年まで耀徳政治犯収容所
西リンチョン区域に収監されていた121人の名簿を公開し注目を浴びた。氏は、121人中85人は’03年まで
生きていたが、26人は拷問の後遺症あるいは栄養失調で死亡し、7人は処刑されたと推定される、と語った。
韓国政府の態度に失望
  「自由北朝鮮放送」代表の金・ソンミン代表は、「韓国政府は人権よりも平和政策を優先するあまり、
金正日独裁体制を容認し、北朝鮮人権問題には目をつぶっている」と主張した。
  イギリスのCSW(国際キリスト連帯)の国際人権法弁護士のエリザベス・バーサさんは
「11月国連で採択された北朝鮮人権決議案にたいして韓国政府が自らの役割を果たしていないことに
失望した」と韓国政府の消極的な態度を真っ向から批判した。
UNHCRと脱北者の接触を許すべき
  レフコウィッツ・US北朝鮮人権特別大使は、北朝鮮人権法が成立したあとは北朝鮮人権を改善する
目的でこの資金が使用されるとのべつつ、中国の態度に言及し、「中国は脱北者の難民の地位を認め、
UNHCRが脱北者に接することを許すべき」と主張した。また、日本の斎賀富美子北朝鮮人権大使
(ノルウェー大使)は、USと密接に連携を取り問題解決にあたりたいと立場を表明した。
迫害を受ける人を送還すべきでない
  USのシンクタンクのハドソン研究所の主席研究員は「祖国に帰って迫害を受ける人はどんなことが
あっても送還されてはならない。脱北者を北朝鮮に送り返す中国は国際協約違反である」、「中国政府に
脱北者送還を問題提起しないアメリカ政府は批判されるべき」と、中米両国を非難した。
  ピエール・リグロ、フランス北朝鮮人権委員会会長は、北朝鮮内部問題は、北朝鮮国内の人々による
改革にかかっているが、国際社会が北朝鮮の門戸開放に力を注ぐべきだと強調した。
  日本の坂中英徳、脱北者支援機構代表は、日本の北朝鮮人権問題について、在日が日本に帰還する
ための援助、定着に力を尽くす。そのために在日が中心となって日本人が協力し、ともに解決に当たると語った。
拉北者家族は沈黙を強いられてる
  北朝鮮人権問題の中でもう一つの拉致問題、国軍捕虜問題にも触れられた。
’69年12月乗っていた大韓航空がハイジャックされた黄ウオン氏の息子の黄ウオンチョル
拉北者家族協議会事務局長は、父に送る手紙を読んで、韓国に残っている拉北者家族は、
統一の邪魔者として沈黙を強要されていると訴えた。

  この日に採択されたソウル宣言は、
1)脱北住民に対する過酷な報復の中止
2)政治犯収容所の解体
3)拉北者、国軍捕虜、日本人拉致被害者生死確認と本国送還
4)北住民に対する人権迫害の中止
5)北の幼児、子どもの栄養失調改善、教育権の侵害の改善
6)北の人権に対する韓国政府の積極的な関与
7)北の人権に対する国際社会の関心を高める訴え
8)北の人権のためのネットワーク構成
など8項目を決議した。
  今大会は、政治犯収容者の人権問題はもちろん、北朝鮮で行われている非人間的な暴力、拷問、
公開処刑、不法拘禁、韓国人、日本人の拉致、法治、裁判の不在、思想および政治的自由の迫害など
広範囲な人権侵害問題を網羅した点に特徴があり、そのために100名を超える多数の人道支援家、
人権活動家が集まったと言える。この大会が成功裏に終えたことから、北朝鮮人権問題の国際的潮流を
作る上で大きな転機になったように思う。
  次回大会はベルギーのブリュッセルで3月28日―30日の予定で開かれるが、今大会で採択された課題を
解決する戦略と目標、課題を提示することを求められるものと思われる。

         アメリカのキリスト教団体が当基金を招待
          
北の人権救済の意見交換会議に参加して    

  アメリカ合衆国(US)のオクラホマ州のタルサ市から車で西へ平均時速120キロで飛ばして1時間40分、
人口3万人のバーテスビルに本部のあるVOM(Voice of Martyr=殉教者の声)からの招待で 1月10日
から13日まで会議に参加しました。
会議の目的は、北朝鮮国内の人権状況の深刻さ、とくにキリスト教徒の迫害が深刻であることから、
この状況を変えるのにどんな手段が有効なのかを意見交換する会議でした。
  北朝鮮のキリスト教徒の 迫害を正確に知るためにどのような方法が適切か、宗教の自由、信仰の
自由は基本的人権であり、人権を尊重するためにどのような活動が可能かそれぞれの団体と協議した。
VOMが’05年9月から、北朝鮮を新しいプログラムとしてスタートさせたので各人、各団体から意見を
聞き、それに基き2006年の基本活動を組み立てることが主要な目的です。
  参加団体は韓国のキリスト教の牧師、宣教師とジャーナリスト、そして非キリスト教徒のNGO団体
からは日本の北朝鮮難民救援基金とUSのフリーダムハウス。USのクリスチャンで食糧支援や
地下鉄道に関係する人道支援家2名が参加して3日間討議、意見交換しました。また会議の途中で
上映されたDVD「ソウル・トレイン」は感動的で、会議全体に好ましい影響を与えたようです。
  討議のテーマは、北朝鮮国内の地下教会の実情、弾圧、救済の方法、地下鉄道の整備、
国際問題化する必要性とその方法。強制収容所、労働強化所、国家社会保衛部刑務所、
社会安全部刑務所、労働鍛錬隊などの実態と証言の記録などかなり詳しく話しあわれました。
とくに2日目は、これまでの活動実績を踏まえ、個別的に課題を討議する方法が取られました。
討議の過程で、北朝鮮の人権侵害の実態を知り、それを救済しようとすれば中国政府の野蛮な
人権抑圧とも闘わなければならないと各代表から発言がありました。
北朝鮮の人道人権問題の改善のためにVOMは100万USドルの拠出を決めており、活動の財政的支援
をする意思表示を会議参加者にしました。
  VOMは人道、人権活動で犠牲をこうむったキリスト教徒を救済する活動を世界的な規模で積極的に
おこなっています。レターキャンペーンでは当局宛て、獄中の囚人、被害者の家族宛にレターや
ポストカードのキャンペーンを組織的にする仕組みができ、このシステムを利用すると最低でも三千件の
レター、ポストカードが届けることができるということでした。会員数も300万人といいます。
  当基金は、熱心なクリスチャンで2003年1月山東省煙台でのボートピープル事件で囚われた
崔永勲さんの早期釈放を求めるポストカードキャンペーンの依頼をしてきました。また、崔永勲さんの
家族が一家の働き手を失い経済的に大変苦しく、獄中の夫に面会に行く費用もないので、この家族を
救ってほしいと依頼しました。
  VOMから当基金に対する期待は、北朝鮮の集結所、監守所、刑務所などあらゆる 場所で
起きている人権侵害の実態を映像で記録したものを 提供してもらいたいとのことでした。
中国国内も同様です。
  また、北朝鮮の地下教会の活動やその弾圧の実態を記録した映像もほしい、提供してもらいたい
という提案でした。
  私たちとしては能力の問題もあり、それは約束できないが、そのような機会があれば喜んで協力する
という話をしました。

        2005年冬の北朝鮮事情
    売られる脱北女性と捨てられる子どもたち   

  中朝国境を流れる豆満江はすでに完全結氷し、中国側から対岸の咸鏡北道南陽市を見ると、
北朝鮮側には監視棟と監視棟の間に100mごとに監視所が置かれているのが分かる。脱北はかなり
厳しくなっているようだ。しかし、2005年は国境の橋を越えて、毎日120人の北朝鮮人が、親戚訪問、
旅行などの通行証を持って中国の延辺地域に入っている。そして、多くの人が食に困っている。
2005年冬現在では毎日、多いときには10人の北朝鮮人が教会に物乞いに来る。教会は保護をした事実
が中国公安当局に知られると「閉鎖命令」を受けるので保護することができない、と悩みが深い。
1月3日には子ども二人を連れた脱北者が、命がけで私たちのシェルターに駆け込み、助けを求めてきた。
  また、中朝国境近くには新しい探知機が設置され、携帯電話の取り締まりも厳しくなったという。

● 食料事情
  1996年〜97年に聞いたと同様の、人肉を食べた話も今年伝わってきた。あるケースでは
水饅頭(マンドゥ)の中身に人肉を使用。別のケースでは自分の子どもを他人の子どもと取り替えて
食べたと。配給は7年ぶりに2005年10月10日にあったという。しかし、配られたのは丸のままの
トウモロコシとジャガイモであった。トウモロコシは3本ぐらいで、ジャガイモの量は不明だが、
少量と推測された。市場で食料を買えない北朝鮮人は、毎日トウモロコシ数粒で飢えをしのいでいる。

● 売られる女性と遺棄された子ども達
脱北女性のほとんどは、ブローカーを通じた人身売買で中国入りをするという。

<結氷した豆満江と対岸中央の監視所>

ブローカーが中国公安を買収し、
国境から都市部への通行の安全を保障する仕組みが
出来上がっているようだ。

そして、売られた女性のほとんどが子どもを産む。
そうした子どもの人数は不明だが、
捨てられる子どもも多い。
ここに、私が訪ねた二つのケースを簡単に紹介したい。

@ 5歳の女児チャン・ウォンヒの母親は、14歳のときに人身売買で中国農村部の家に売られた。
値段は1,500元(日本円で約2万円)であった。ウォンヒの父親は2005年に交通事故で死に、
母親は現在、同じブローカーによって、別の家に転売された。
脱北してきたウォンヒの母方の祖父が、2005年11月に何とか転売された行方を突き止め訪ねたが、
すでに娘はさらに転売され、迎えに出たのはまったく顔も知らない
新しい孫だった。
A 5歳の女児キム・ヨンスンの母親は6年前に、当時1歳の姉を連れて3,000元で売られてきた。
母親は妹ヨンスンを中国人に売るために産んだという。しかし、2004年母親は強制送還されたが、
父親が中国人であるために送還されず、また幸いにも売られずにすんだ。父親は賭博と酒びたりで
家には戻らず、戻ると姉妹に暴力を振るう。

 脱北者の手記 
 中国へ行けば生きる道がある、もう北朝鮮には戻らない

  1月21日、中国・朝鮮の国境近くの北朝鮮難民救援活動の協力者から、切羽詰った連絡が
はいりました。
「憔悴した母親と子どもが助けを求めてきました。このまま受け入れなければ、この親子は死にます。
基金はこの親子をたすけますか。私には助けることができません」と。当基金は直ちに親子を
助けるように協力者に伝え、シェルターから人を派遣して、彼らを保護しました。以下は保護した
母親から聞いた話を、手記の形にまとめたものです。              (文責:救援担当グループ)

北朝鮮を脱出するまで
  今回中国に来たのは2度目です。(注:今回の脱北は短期間に2往復していて、正確には3度目に
なるが、ヨンスクさんは2往復を1回と認識している)
  最初は2005年1月。食べるものがなくなり、頼る人もなく生きる道を求めてやってきました。
  私が1歳の時、母が病気でなくなり、3歳の時に父が再婚したため、心優しい咸鏡北道穏成郡の
中級学校の校長先生の養子となりました。
  中級学校を卒業してから、医学の専門学校で勉強し88年に卒業、それから’96年に病気で勤務を
止めるまで看護師として働きました。
’93年に結婚し、’95年に長男を出産しました。不幸なことに’95年に食糧配給が中止され、
食べるものがなくなり、栄養失調になって体を動かすのも困難となりました。というのも私の養父が
’92年度になくなり、生活を依存する人がいなくなってしまったからです。
  2番目に長女が生まれたのですが、出産後動けなくなり、他人の世話を受けながら生活しました。
不幸なことは重なるもので、夫が私の義妹(弟の妻)と浮気をして、子どもまで生まれてしまったのです。
栄養失調で動けないながら、夫と激しいやり取りのあと、結局2000年に離婚しました。
  実家に帰り養母と暮らすことになりました。養母は衰えた私の体力を回復させるために、
何処からか胎児2体を持ってきて、私に食べさせました。このおかげで私は体力を回復し歩けるように
なったのです。
  養母も’05年度9月にこの世を去り、これで完全に頼れる人がいなくなってしまいました。
  養父母が亡くなってからは、私は物乞いをして生きてきました。息子はコッチェビ(浮浪児)になり
生活していましたが、もともと食糧がない中で育ったので、他のコッチェビより体が小さく、
腕力の世界では、殴られていつも傷だらけでした。
  もう生きられないと思って絶望していましたが、村人が「中国へ行けば生きる道がある」と話すのを
聞いて、中国への脱北を計ったのですが、なかなか実行することはできませんでした。

生きるため、初めて北朝鮮を脱出
  北朝鮮で生きるのもこれまでと、2005年1月、どうせ死ぬなら中国へ行く途中で死んでもかまわない、
運がよければ中国で食べられると死を覚悟して、病気の娘を背負い、息子の手を握って中国・朝鮮の
国境を渡りました。
  中国のとある農村に着きました。「キリスト教会に行けば助かる」と聞いていたので、すぐ教会に
駆けつけました。しかし、教会では「保護できない、中国政府が禁じている、それに脱北者の取り締まりも
厳しい」と言われ途方にくれました。それでも、教会では私に同情してくれて人民幣600元と衣類を
くれました。もし中国の公安に捕まったら大変だと言われ、もらったお金と衣類を持って北朝鮮に
戻りました。これで1年間はかろうじて生活することができました。

2度目の脱出と娘を求めての帰還
  全てを使い果たすと、再び死ぬしかない立場になりました。娘は栄養失調で歩くこともできない
状態になっていました。そこで、息子だけを連れて2006年1月3日に再脱北しました。
  このときは北朝鮮の国境警備隊員に、「今度戻るときに中国でもらった品ものとお金200元を
渡します」と約束して、中国側に渡してもらったのです。
  北朝鮮からの脱北者を支援する人からお金、衣類、薬をもらいました。支援者先生は息子を保護し、
学校にも行かせてくれると言いました。私は穏成郡に残してきた娘が気がかりで、中国に入って5日目
には私の体力も回復したので、もらった薬だけを持って娘を連れに再び北朝鮮に戻りました。
  北朝鮮領内に戻るときは、約束したとおり200元を国境警備隊員に渡し、無事通過しました。
どのような道をたどれば安全に通行できるのか警備隊員が教えてくれたのです。
  息子は支援者先生の助けを借りて安全な場所に保護されると聞いていたので、私は安心でした。
これで娘を引き取れれば私の気持ちは安堵したものになったでしょう。
  離婚した元の夫に預けてきた娘を連れに行きました。元夫は私の言い分を聞いて腹を立て、
私を激しく非難しました。「自分はもう面倒を見られないといって預けたばかりではないのか。
何で今又急にやってきて娘を連れ出そうとするのか。どこかに売り飛ばそうでも思っているのか」と。
  私は娘に会うこともできず家から追い出されてしまいました。
  ひそかに中国へ
  仕方なく持っていった薬は全部渡して、一番寒い日を選んで、暗闇を利用し1月22日の夜中に
中国に渡ってきました。今度は道が分かっていたので、国境警備隊員にお金を渡さず、密かに中国に
渡りました。
  今回の北朝鮮からの逃亡は、前回と同じではありません。穏成郡の村で苦労していた自分と
同じ立場の友人と一緒に脱北してきたのです。
  支援者先生には、私の友人は助けてあげられないと断られました。もう匿うところがないというのです。
しかし、友人は子どもだけでも助けて欲しいと熱心に頼んだので、子どもが中国に来れば保護し、
学校にも行かせると支援者先生が言ったので、彼女は納得したようでした。
  私にも彼女にも、子どもたちの安全、保護、学校に行くことは保障してくれましたが、実際に
まだ私たちは
保護されていないので心配していました。しかし、これで子どもの心配がなくなったので、私は自分が
安全に暮らせるならば、どんな運命も受け入れるつもりでした。私は北朝鮮に帰るつもりはなかったので、
支援者先生に私の運命をまかせました。

中国朝鮮族の男性と「結婚」
  支援者先生たちは、家もなく、一元の金も無い私が生きていくためには、中国の朝鮮族の男と結婚
させるのが一番よいと結論を出したのです。
  先生達は、延吉市の郊外に住む男性と私を結婚させると決め、私も喜んで同意しました。これで私は
安心して暮らせる道をみつけたことになるからです。
  1月22日、結婚式をしてもらいました。新しい夫は私の息子をかわいがってくれるかどうか
心配な面もありますが、彼が一緒に暮らしてもよいというのでありがたいと思っています。
これまで私とはなんの縁もない支援者先生たちが、形だけであったとしても祝福してくれたのは想像も
できないことでした。
  1年先のことは分かりませんが、私の幸運を祈ってください。彼女は最後にこの言葉を残して
硬い表情で微笑みました。

      関東と関西で民団が脱北者交流会      

■オモニを思い出しつつ
                    金 元植
  ’05年12月11日、大阪駅近くの桜橋ボウルで交流会がありました。民団中央から2名、大阪本部から
は3名来られていました。守る会からは2名と基金からは私が参加しました。日本に帰ってこられた方の
参加者は6家族15名でした。
  例によりボウリング大会の始まりです。ゲームでは若さには負けました。
賞品は加湿器・リュクサックかばんなど脱北者優先に配られる。なんと崔家族4人全員に賞品が当たる。
他の家族にも
何がしかの賞品を獲得されたみたいです。やはり人というのは賞品を受け取る時の表情は笑みが自然と
零れるのですね。参加賞は韓国料理の参鶏湯2パックを戴きました。楽しい談笑食事会でした。
  食事会での話では韓国の「ハナ院」のような日本社会に適応できる助けになる日本語教室、銀行取引
のやり方などを、品川にあるベトナム難民を引き受けた施設などを利用して行なったらどうかと日本側から
だされました。
  ただ、現時点では具体的にどうこうと言う具体案より、とにかく一度戻られた方々と会って方向性の
糸口を探したいようです。言い換えれば彼らのおかれた現状の事実確認のうえ、どのように彼らを
受け入れるか、日本政府としても納税者の国民に
説得できる行動を取っておく必要もあり、これはしごく正しい事とも言えます。
  私が「民主主義の国、日本に来たのだから、本人の意思さえあれば日本語など自分の努力で
克服できる。本人たちを甘やかしては本人の為にならない。」東西南北、日本語も全くわからないまま、
大阪駅に白のチマ・チョゴリ姿で降り立ち、私を育ててくれたオモニを思い出しつつ意見を言うと、
ある人が「日本政府としても世界に難民を保護している証明として、こういう形をとらねばならないのです。」と。
  一個人の立場と日本政府の立場の違いを、この歳になって知らされました。 

■子供のようにはしゃいで楽しんで
            加藤 博
  昨年暮れ、東京や近県に住む北朝鮮から必死の思いで日本に到達した人たちの交流会が
脱北者支援民団センターの主催で行われた。
当基金からは、加藤事務局長を含め2人、守る会から高柳さんが参加した。
集まったのは錦糸町の駅前のボーリング場。1レーンに5-6人がチームになり、4レーンほどを占拠して
点数を競った。幹事は、各チームが若い人と年配者とがうまく混合して平均するように配慮していたようだが、
実際は思惑通りには行かない。
はじめてボールに触る人もいて、どのようにボールを選ぶのか、投げるのか。自分の母親に投げ方を
一生懸命教えていた
娘さんもいた。選んで投げるボールが溝に落ちてがっかりした声やストライクがでれば飛び上がり、
歓声が上がり興奮気味。
ボールをはじめて触ったのが50歳を過ぎている人が大方であって、勘所がなかなかつかめない。
それに比べると若い人たちは、勘をつかむのも早く、おしなべて高得点を出していた。
ゲームが終わってからは、ボーリング場の建物の地下にあるカラオケルームで表彰式。高得点は、
参加者の最年少の真君13歳、中学生。日本に戻ってきた時の小学3年生は、今では身長が父親を
追い抜いた。ゲームの感想を聞いたら、遠慮気味に「まあまあ」といいながら自信を覗かせていた。
参加賞で全員に参鶏湯が2パック、そのほか高得点順に電気コタツ、ハロゲンヒーター、
お米の秋田こまちなどから自由に選んでいた。食事をしたり歌ったりで楽しいひと時をすごした。
今回も民団の役員さんの支援、奮闘に感謝。

        日本定住、七転び八起き       

  Sさんは、一昨年の暮れに1年以上にわたる中国での看守所生活から解放され、母親の生まれ故郷
である日本へたどり着いた。Sさんの年齢は、私とほぼ同じ30代前半。元在日の帰国者である母親と
中国東北部の黒龍江省で隠れながら暮らしていたが、ある日突然公安に踏み込まれ、北朝鮮への
強制送還ルートの最終地点である図們の看守所に収容された。
日本でこの知らせを聞いた私たちは、北朝鮮へ送還されてしまった可能性が高いと推測するしかなかった。
しかしうれしい事に、私たちの推測は見事にはずれた。親子は長期の拘留を経て、日本へと「送還」
されたのだった。
  彼らの苦労をねぎらい、また日本へ到達できたことを祝福するために、年が明けたばかりの昨年
1月に、私は彼らが一時的に身を寄せていたアパートへ向かった。
正月真っ只中だったことも重なり、挨拶を済ませると、Sさんはさっそく戸棚からコップと日本酒を
取り出し、たどたどしい日本語で「乾杯をしましょう」と言ったのを今でもよく覚えている。なぜよく覚えて
いるのかというと、「日本語もほとんどできないのに、30歳を過ぎてこれから日本で定住していくのは
大変だろうなあ」と思ったからだ。
  その時のSさんは、私の言うことがほとんど分からない状態で、18歳まで日本で暮らしていた母親が
通訳をしなければならない状態だった。
その後、数ヶ月すると、Sさんは支援者の紹介で、ある会社に就職したということを人づてに聞いた。
「おめでとう」と声をかけたかったので、Sさんに電話をかけた。そして、どのような仕事を任されて
いるのかと尋ねた。するとSさんは、覚えたばかりの日本語で熱心に説明してくれるのだが、
彼の日本語の説明では一体何の仕事をしているのかよく理解することができなかった。
私は、「とにかくがんばってください」と言って、電話を切るしかなかった。
お互いの歳が近かったせいなのか、ただ単にお酒が好きという共通点があったせいなのか、
私たちはそれ以後も3、4ヶ月に一度は顔を合わせ、酒を飲みながら話をした。
  就職してから2度目に会った時、私はようやく、彼がある警備会社の社長の下で書類の整理や
簡単な雑用をしていることを知った。また、正社員として雇われており、午後には日本語の学校にも
通わせてもらっているということも分かった。
この就職難のご時節に、正社員で入社できたという幸運にも驚かされたが、いつの間にか分かりやすい
日本語で自分の仕事について説明できるようになっているSさんの変化にも驚いていた。会うたびに
着実に日本の生活に慣れていっているSさんを見るのは、なかなか気分のいいものだった。
  彼に最後に会ったのは昨年の暮れ。私の家での忘年会に彼はやってきた。
日本語がさらに上達したSさんは、日本人の同僚の話をいくつかしてくれた。
「日本人の中には失礼な人もいますね。この前会社で、私の歳を聞いてきた女性がいたので、
32歳と答えたのですよ。その後に私が彼女の歳を聞くと、教えてくれないのですよ。
まったく失礼ですねえ」
  真剣なSさんの表情を見て、私たちは思わず大笑いしてしまった。そして、日本では女性に歳を聞く
のは失礼なことになるのだという話をした。それでも納得が行かないのか、「それは不公平ですね」と
繰り返すSさん。
それを見てまたみんなが笑った。
  日本へ来てからまだ1年ちょっと。これからもさらに日本に生活に慣れ親しんでいく中で、時には
つまづいて涙することもあるだろうが、その時は一緒に苦しみを癒し、楽しい酒を飲み続けたいものだ。

       北朝鮮へ、「しおかぜ」よ届け      

  特定失踪者問題調査会では去る10月30日夜から日本人拉致被害者を対象とする北朝鮮向け
短波放送「しおかぜ」をスタートした。
  「しおかぜ」は当初1日30分放送だったが、12月8日からは夜11時から12時までと早朝4時から
4時半まで、合計1日1時間半、周波数5.89メガヘルツ(5890キロヘルツ)で放送されている。
  現在のところ放送内容は次の通りである。
1、調査会にある特定失踪者(拉致の可能性の排除できない失踪者)リストのうちの公開者・
政府認定拉致被害者リスト・救う会認定拉致被害者リスト、合計約270人のリストの氏名、生年月日、
失踪時期、失踪場所、失踪時の年齢、現在の年齢の読み上げ
2、特定失踪者・政府認定拉致被害者のご家族の書いたメッセージの代読
3、特定失踪者・政府認定拉致被害者のご家族が直接吹き込んだメッセージの放送
放送言語は当初日本語のみだったが、放送を始めてみて短波放送が極めて遠方でも聴取できることが
分かった。
受信報告は日本国内各地はもとより、中国、欧州、豪州などからも寄せられている(短波ラジオがあれば
屋外なら日本の大部分の地域で聴取可能)。したがって脱北した拉致被害者も聞けるし、北朝鮮内部は
もちろん、まったく関係ない地域の人でも聴取が可能である。
  また、最近の情報で北朝鮮内部に外国の放送を聞く住民が大幅に増えていることが明らかになり、
様々な形で情報発信を行うこととした。まず、元旦の特別放送では、初めて朝鮮語・英語の放送を入れた。
2月からは朝鮮語・英語に中国語も加え
氏名読み上げも行う。また、番組制作体制の制約があり、急にはできないが、ニュース的なものも
順次入れ、拉致被害者救出の日本国内の動きを北朝鮮に知らせていく予定である。少しでも多くの人に
キャッチしてもらうことをめざしていく。
  さらに昨年末に開催した調査会理事会で、この「しおかぜ」プロジェクトを拡大強化することを決めた。
その内容は、単に
情報発信だけではなく、情報収集機能も含めたプロジェクトにすることを骨子としている。勿論、
この延長線上に、可能であれば独自にでも拉致被害者の救出を行いたいという思いがある。
  現在、放送には「可能であれば情報を日本に送ってもらいたい」との文言を入れているが、当然ながら
北朝鮮当局も放送を聞いているため具体的な北朝鮮からの情報発信の方法は伝えられない。
そこで、アジア放送研究会の山下透理事長のアドバイスにより、記憶するのがそう難しくない
私書箱を設置した。

東京中央郵便局私書箱1022号
    あて先は「しおかぜ」

  この番号を放送で周知させ、第三国経由で情報を受け取れる体制にしている。
  また情報収集のため、北朝鮮難民救援基金をはじめとする北朝鮮関係の内外NGO、日本国内の
各情報機関、報道機関等との連携を強め、拉致被害者の居住地、状況の特定を行う。もちろん、
これはお願いするだけではなく、特にNGOの場合はそれぞれの活動にも「しおかぜ」を通じて協力できる
ようにしていきたい。
 放送時間は当面、現行の一時間半放送を継続するが、資金的目処が立てばさらに延長する。
政権崩壊時における避難場所、救出の方法などの周知にも使うなど、様々な事態に対応していきたいと
思っている。
 なお、当然のことながら、相応の費用が必要となる。放送あたり英国の配信会社に支払う費用が
現在の1日1時間半で年間1000万円弱。これに、放送時間延長にともなう設備の充実も必要となるが、
情報収集費用を加えると最低限2000万円程度は必要である。これらの金額を調査会の通常経費以外に
確保する必要があり、広くカンパの呼び掛けを行い、各位のご協力を切にお願いする次第です。

         郵便振替口座:00160-9-583587
         加入者名:特定失踪者問題調査会
より広範に資金を集めるため携帯ストラップ、リストバンド、タオルなどのキャラクターグッズも販売中。
          詳細はHP: http://www.chosa-kai.jp/ 

        北朝鮮向け短波放送事情        

  拉致被害者・曽我ひとみさんの夫であるジェンキンス氏は、著書『告白』の中で、元々シリア人留学生
の物だったラジオを、ルーマニア人拉致被害者から譲り受け、「ボイス・オブ・アメリカ」などの放送を
密かに聴いていたと語っている。
さらに、2002年の日朝首脳会談で、北朝鮮が曽我ひとみさんを拉致したと認めたことについても、
NHKのラジオ放送によって情報を入手し、断片的ながらも状況を把握することができていたことも
明らかにしている。
  そこで、ラジオ放送に着目し、現在どのような北朝鮮向け放送が存在するのか、インターネットで
少し調べてみた。
  調べてみると、比較的よく知られている「ボイス・オブ・アメリカ」や「ラジオ・フリー・アジア」、
元朝鮮労働党書記・黄ジャンヨプ氏らを中心とした脱北者グループが作る「自由北韓放送」のほかにも、
昨年の12月中旬から放送が開始された「開かれた北韓放送」という短波ラジオ放送があるのが分かった。
  産経新聞の記事によると、この「開かれた北韓放送」は、初の韓国民間人による放送で、
「放送内容は文化、スポーツ、コメディー、メッセージなど何でも受け付け、北朝鮮の人々に
『自由』の意味を知ってもらうのが狙い」だということだ。
同局を立ち上げた河泰慶氏(37)によると、韓国の脱北者約300人のうち、14人が短波放送を聴いて
いたと証言しているという。
すでにテレビや新聞、雑誌などで報道されているように、北朝鮮へはぞくぞくと中国製品が流入して
いっている。
それらは食料から始まって、衣料や生活雑貨、携帯電話など、ありとあらゆる物といって過言ではない。
そういった状況を考えると、中国製の短波ラジオが北朝鮮に運び込まれ、北朝鮮の住民の手に密かに
渡っていたとしても、何ら不思議はない。

日本発の北朝鮮向け短波放送も開始
  今号14ページにて特定失踪者問題調査会の荒木和博氏自らご紹介していただいたように、日本では
拉致被害者や拉致の可能性がある失踪者、そして何らかの事情で日本に帰れなくなってしまった人に
向けて、短波放送「しおかぜ」が開始されている。
このことを知った私は、ぜひ一度放送を聴いてみたいと思った。
  日本製の短波ラジオはすでに持っていたのだが、北朝鮮で入手できるのはおそらく安物の中国製に
違いない。同じような条件の中国製ラジオでの受信状態を確認したいと思った私は、名前もきいたこと
もない中国メーカーの短波ラジオを3000円で購入。電波を受信しやすいように、放送時間の
午後11時前に家の外に出た。そして11時。ピアノによる「ふるさと」の旋律と共に、荒木氏が語りかける
声が聞こえてきたのだった。
「こちらはしおかぜです。東京から北朝鮮におられる拉致被害者の皆さん、さまざまな事情で北朝鮮に
渡って戻れなくなった皆さんへ、放送を通じて呼びかけを行っています」
  この同じ時間、そう遠くない隣国で、この放送を聴いている人がいるかもしれないと思うと、何ともいえない
思いが胸をつく。そして、できるだけ多くの人たちが、この放送を受信し、放送を聴くことによって、希望を
取り戻し、無事日本に戻ってこられる日までどうにか頑張って生き抜いてほしいと心から願うばかりだった。
  拉致被害者問題も北朝鮮難民問題も、金正日体制が今のまま続く限りは解決しない。
ラジオ放送が、あの体制の激変を促す効果を生むことを祈りたい。