北朝鮮難民問題Q&A(基礎編)
飢餓の真偽
Q.北朝鮮で餓死者が出るほど食糧事情が悪くなってると聞きますが、なぜそんなことになってしまったのですか?
一体いつ頃からそのようになってしまったのですか?
A.
1953年朝鮮戦争休戦時の朝鮮半島は、終戦直後の日本より数倍ひどい状態でした。ただ北朝鮮は狭い国土(北朝鮮12万平方q、日本37万平方q、韓国9.9万平方q) に第2次大戦の数倍の絨毯爆撃で焼け野原になったが、朝鮮戦争は金日成の野望という側面と共産主義陣営対自由主義陣営の第3次世界大戦、米ソ代理戦争的側面もあり (領土や主義より軍事的、戦争技術の面で)、戦後復興に対する東欧社会主義諸国の援助も すごかった。
中国(毛沢東は息子毛岸英を朝鮮で戦死させている)、モンゴール、ソ連は勿論のこと、東独、ハンガリー、陶器など技術の高いチェコの援助は大きかったと言われる。
朝鮮の奇跡、千里馬の勢いと言われた復興建設の正体はそういうものだったらしい。 ただ戦後6年しか経っていない1959年日本からの帰国者がピョンヤンに到着した時、 駅前に並ぶ近代的な高層住宅は世界中の度肝を抜いた。
韓国はずっと遅れていて、金泳三前大統領は1972年までは北朝鮮の方が食糧事情は増しだったと公言して世の中を驚かせた。韓国が本当に経済的に発展したのは、88オリンピックに向けて邁進し始める80年代のこと。
日本の戦後の食糧難は、米国から見れば戦争を起こした当事国という懲罰的な測面もあり、餓死した検察官を出すほど過酷だった。だが突如勃発した朝鮮戦争は日本に特需という神武以来の好景気をもたらした。
だから帰国事業が始まった1959年、北朝鮮の方が日本より食糧事情が良かったとは考えられない。ただ回答者自身が帰国するため1961年6月新潟の日赤センターで食べた清津から運ばれたキムチは色々味付けする物も入っていて大変美味だった。主食もコメではなくトウモロコシ、魚も鱈(明太)の干物程度。
北朝鮮は米国のスパイ船プエブロ号拿捕、ソ連領土ないでの米スパイ飛行機X−15撃墜事件,ベトナム戦争の泥沼化、韓国のベトナム戦争派兵を受け,人民生活向上 をうたった国家経済7ヵ年計画を中断し、戦争に備える体制に国家目標を変えてしま う。
したがって1960年代半ばから国民生活、つまり食糧事情は好転してないと見るべきだろう。だが金日成をはじめとする労働党幹部たちは、総連を中心とした帰国者、献金、貢物、合弁事業(金万有病院などもあるがほとんど背反で失敗)などで、贅沢の限りを尽くし 日本からの仕送りに頼り国家経済を放棄してしまったという面がある。
それでも1990年代までは、ここまでの飢餓地獄の話は聞こえてこなかった。
これは百人近い北朝鮮亡命者、在中国の難民、北朝鮮に帰る一時脱出者に会った 回答者の経験とも一致する。北朝鮮に飢餓が訪れたのは、外的要素としてはソ連の崩壊、ベルリンの壁、東欧社会主義体制の終焉、中国の韓国承認、中国、ロシアが韓国と国交を結び、石油や軍事、経済面での援助がなくなったのが致命的でしょう。
もちろん国内的にも、ど素人の金日成の現地指導による農法、段段畑を作り過ぎて全部流されてしまったとか、密集農法で逆に収穫減とか、運輸手段、保存、電力、肥料、石油の枯渇、収益の分配の不平等から来る労働意欲の喪失など、なるべくしてなる要素も多い。
ただ個人崇拝体制が技術者の冷遇、軽視を生み、虚偽報告、怠慢、法の上に位置する金日成の教示、反発すれぱ処刑など、全体主義国家特有の自滅型。
無責任に外部的、内部的必然性からなるべくしてなったとも言えるが、その状況はかなり悲惨である。
(回答者:李山河)
Q.北朝鮮で餓死者が出るほど食糧事情が悪くなってると聞きますが、平壌に観光に行った人の話では全然そんなことはないということです。
反共勢力が北朝鮮を貶めようとしたか、反対に北朝鮮側が援助を得ようとして流した悪質なデマなのではないのですか?
A.
平壌は首都で、最も多く外国人が訪れ、また外国の公館、マスコミが密集した、いわば北朝鮮の看板です。
極端に人口の流入を防ぎ、旅行の自由が著しく制約される北朝鮮の中でも、特別な必要性が証明されない限り、北朝鮮の一般住民は立ち入り禁止の区域です。
みっともないからと障害者を全員平壌から追放してしまったのはもう随分昔のことです。障害者と健常者の共生が福祉のバロメーターとされる世界の趨勢の中でこの平壌の状況は一際異常さを示しています。
そんな平壌ですらも最近は配給が滞って住民たちの不満はつのっています。
ただし海外からの観光客にはそんなところは意地でも見せないし、食べ物も、ビールなど飲み物も、果物も、お菓子もふんだんにあります。
でも飽食の日本にすんでいる貴方が北朝鮮のお菓子を口にして、どんな感想を持つか。
私は一度キャンディーや飴を土産に貰いましたが、ぱさぱさで何も甘くなくとても食べられませんでした。
プライドの高いあの国の人たちです。個人崇拝をしようが、世襲制をしようが、軍事費にGNPの60%をつぎ込もうが、国民は自給自足できている。(本当は中国やソ連,日本から仕送りに依存していたのですが)それを他に国の人にとやかく
言われることはないと、1980年頃までは主張していたのです。
飢餓が本当に反共勢力の悪質なデマで、北朝鮮の人たちが平和に暮らしているのならこんなに幸せなことはありません。
90年以降特に94年からの食糧難はきびしく、配給は完全にとだえ、労働者は職場に行かないし,子供たちは誰も学校に行かず裏山で草をむしって食べているそうです。
殺人、市場で人肉を売るのも日常茶飯事、国境の川では餓死した水死体がたっぷり水を含んで服がはちきれて、ぶかぶか浮かんで流れて来るそうです。
それが対岸の中国の川岸の葦や草に引っかかり、異臭を放つので耐え切れず、川辺に穴を掘って埋めた、それも一月に十五体も。孤児の面倒を見ている宗教者から私が直接聞いた話です。
(回答者:李山河)
Q.飢餓状態といいますが、テレビで見た画像では闇市場が出来ていてそこには物資が豊富にあるように見えました。
飢餓はマスコミが視聴率稼ぎのためオーバーに報道しているだけなんじゃないでしょうか?
A.
たしかに最近国家の食糧配給が途絶えたことで、当局も取り締まりが不可能になり、闇市場は活発なようです。まず食べ物を手に入れるために当局、官憲たち本人が利用せざるを得ないし、取り仕切っていくばくかの賄賂も欲しいし。
本当にそこに行けば、金さえあれば何でも手に入るそうです。ただしその物価高と言えば労働者の平均月収60〜70ウォンでは、コメになら200g,タバコなら一箱でお終いです。
中国の1元が北朝鮮の20ウォン、日本円で15円のレートなのは何重にも違うルートを使って確認しました。
私たちは1995年7月に北朝鮮強制収容所の体験者、姜哲煥(カン・チョルファン)、安赫(アン・ヒョク)青年を日本に招き各地で講演会を持ちました。
祖父の侵した罪(総連中央の韓徳銖を批判しただけ)で、9歳から十年間咸鏡南道耀徳の強制収容所に入れられた姜哲煥さんは19歳で出所した時、身長は153p、体重は39kgしかなかったいとう。ところがそれから10年間で身長は173p、体重は75kgに伸びたという。栄養不良が成長期の人間にどんな影響を与えるのかという証拠だと思う。
ところが最近の食糧難は北朝鮮全土を強制収容所に変えてしまった。
この四、五年間に私が会った北朝鮮脱出者たち、その中味は色々で、韓国に亡命した人たち、中国に隠れている難民、北朝鮮から出稼ぎで中国に来ている人、密出国者、国境を行き来する子どもたち、百人近くに遭ったと思う。
中国の関係者に保護された子どもたちの栄養状態は良好だ。ただ外食に行くと、いつも菜っ葉しか食べさせて貰えないので、肉しか食おうとしない。(それは日本の子どもも同じだが)
ただ国境を行き交う子どもたちの状態は悲惨だ。20歳の男子は15歳にしか、17歳の子は11歳にしか見えない。11歳にしか見えない16歳の少女は初潮も月経という概念も知らなかった。自分の同級生や先輩たちも含め。完全に成長が止まってしまっている。
もう15回も国境を越えたという11歳の少女。いくら子どもなら処刑されない、銃殺、投獄の恐れはないと言っても、遠くから銃弾で撃たれれば年齢など分からない。
拘束されれば拷問器具による殴打、脅し、体罰で体は腫れ上がり,ある男の子は強盗に襲われ顔の刀キズが生々しかった。
こんな子どもたちを目の前にして,服を着せ、下着を与え(零下30℃で野宿するのに下着も靴下もない)、風呂に入れ(5年は入ってない様子、壁が垢で真っ黒、シャンプーなど見たこともない)、食べ物を食べさせ,親が死んだり殺された様子を聞き取った。
私たちの出来る援助の限界、おのれの無力さと子供の状況にただ涙を流すのみだった。
(回答者:李山河)
Q.北朝鮮では旅行をするのにも証明書が必要であると聞いています。
それなのに人々が大量に国境地帯まで来るというのはおかしくありませんか?
A.
これは良い質問ですよ。
1961年6月、もう明日は北朝鮮という日赤センター内の免税店ですら北朝鮮の地図と時刻表は売っていませんでした。
理由は軍事機密ということ。
旅行のための証明書を手に入れるのにどれ位苦労するのかは、姜哲煥・安赫氏の共著『北朝鮮脱出』にも詳しいです。
しかしこの三四年間は食糧難で配給が途絶え、事実上旅行証明書の発行は不可能になったと聞いています。
まず不法旅行者を取り締まる官憲、警察(安全部、保衛部)や軍隊と、その家族たちへの配給も無くなってしまったので、この二三年はもう無法状態になってしまいました。
だから屋根の上や、車両の繋ぎ目にぶら下がって乗れるのです。
何時振り落とされるかも知れない、トンネルでぶつかって死ぬかも知れない屋根の上の人たちは正規の運賃を支払って、切符や旅行許可証を持って乗っているといると思いますか?
不法の無賃乗車に、旅行証明書なんて論外です。
ただ勿論皆が自由に移動の自由を確保したわけでは決してなく、滅多に列車は来ないそうです。
おまけに清津から平壌まで三日で着いたのが今は五日かかるそうです。
東海岸の清津から咸興までだけでも、その日の内に着いていたのが三日もかかるそうです。
電力が不足して電気機関車が最も具合が悪く、1960年代に一生懸命電化したのが仇に成っています。
人々が大量に国境地帯まで来るというのは合っていないでしょう。
国境地帯の警備はきびしく目立ち過ぎます。
国境地帯に来どころか、列車に乗るため内陸部の咸興などの駅前までやっとたどり着いて、野垂れ死にした死体が多いと北朝鮮から来た子どもたちに聞きました。
多くの脱出者は国境まで列車で来るのではなく、途中で列車から飛び降りて山を越え警備の眼をくぐるようです。
本当はこういうルートは、丸秘かも知れません。
(回答者:李山河)
Q.北朝鮮の人々はどのように生計をたてているのでしょうか?
A.
配給が途絶えたことで北朝鮮の人々の生計は一部上層階級を除き完全に破綻しています。
上で述べたように労働者の平均月収60〜80ウォンでは、何も買えません。
1960年当時の労働者の平均月収も60ウォン程度で、高層住宅のアパート代は月2ウォンくらい、コメ代は非常に安い、魚、肉など副食はふんだんに配給される。
光熱費、電気代もタダ同然、完全看護の医療は国家で完全無料、学費ももちろんタダ、望めば金日成総合大学どころかモスクワ大学まで留学できる。
毎月貯金ができて、年に1ヶ月は温泉で有給休暇。生活用品は何でも揃っているから帰国者は手ぶらで祖国の懐に抱かれれば良い。こんな日本のマスコミの虚偽宣伝に騙された帰国者を待ちうけていた運命は過酷だった。
ただ親族から仕送りがあるとか、総連の幹部だとか、日本からお金を送って貰える人たちは北朝鮮の原住民より裕福だという。
私が98年9月中国で遭った女性も、叔父から毎年200万円送金を受けていた。それが40年も続いていたが、叔父は高齢で亡くなってしまった。従兄弟の代になったが、従兄弟たちはもう勘弁してくれと言う。しかしその話を彼女は信じようとしない。
挙句には『日本で200万円なんてはした金でしょ。早く持ってらっしゃい』とのたもうた。
かと思えば中朝国境で私にお金をせびって来た北朝鮮の子ども、子どもに見えたが話を聞いてみると17歳で、選挙日に家に帰ってないと大変なことになる、
つまり本人のみならず家族も連帯責任で刑事罰、強制収容所送りになる。
それで「当面どれ位のお金があれば、一家四人が餓死しないで耐えられるのか?
つまり今回川を越えて不法入国して、中国で乞食までして北朝鮮に持って帰りたい目標額はいくらだ」と尋ねたところ、150元、日本円で約2500円だと言う。
上の例との落差に唖然とした。(99年2月)
この数字が今回の基金のキャンペーン『千円あれば一家四人が1ヶ月生きられる。あなたのランチ1食分を寄付してください』のきっかけになりました。
ここに96年6月に日本に住む従兄弟宛に来たお金の無心の手紙があります。
『去年の春頃からこちらの民主事情は極度に悪化し、今ではひどい状態に至りました。
国家から配給されていた食糧が去年から配給されなくなり、全部ヤミ米を買わなくてはならなくなりました。私の1ヶ月の給料がこちらの金で100ウォン(この人は首都圏に住むかなりエリート)なのに、今ではコメ1キロが110〜120ウォンに値上がりしてしまいました。国営の商店では何も買えず、‘飢え死に’なんて考えもしなかったことが身近なこととなり、日常茶飯事となりつつあります。
栄養状態がひどいので、軽い病気でもすぐに命が危うくなってしまいます。』
別の帰国者が日本の母に宛てた手紙(95年)
『私の賃金が89ウォン、弟のAとBも80〜90ウォン位です。しかし現金自体がなくて20〜50%しかくれません。一月に10〜20ウォン、多い月で25〜30ウォン。その中から保険、同盟費、社会歩哨金など引かれると、手元に残るのは10〜20ウォンです。
闇市場ではコメ1升(180g)65ウォンです。タマゴ一個5〜5.5ウォン、トウモロコシ米1升35ウォン、りんご一個7〜10ウォン、柿3〜5ウォン。
泥棒が多くなって大騒ぎです。一家心中する人もいます。
私たちはそれでもお母さんのおかげで、闇ゴメを買うお金が有りますが、こちらの人は大変です。人々は食べられず顔がブクブク腫れて黄色くなっています。
金の無い人は死ねということなのか、実際死ぬ人が多くいます。本当に大変です。』
この回答は、つら過ぎます。
もうここらへんで勘弁して下さい。
(回答者:李山河)