BTCV, 環境保全

GREEN TEA TIME

原点に戻った! ”正真正銘”砂混みれのマグカップ


BTCVトレーニングコース参加報告(3) 1999年5月〜6月

「有刺鉄線」と聞いたとき、まず思い浮かぶのはどんな絵だろうか。なにかただならぬ、キナ臭い感じ。曇天の下、荒廃した都市の一角にある打ち捨てられた空き地。人を鋭く拒絶するトゲトゲの針金の向こうにぼんやり見えるコンクリートの建物はよもや刑務所か、という全体的にグレーがかった不毛な情景が思い浮かぶに違いない。

そんなダークなイメージのある有刺鉄線をまさか自分が張ることになるとは思わなかった!(左写真の真ん中が筆者)しかもイギリスで!いや、そこらへんに何か本家本元イギリスの環境保全(conservation)の真髄が隠れていたとしたら...。

環境保全といえば、「環境 → ネイチャー → 木や草花でグリーンいっぱいのシチュエーションで爽やかに汗を流そう!」という清涼感がある。しかし実際のところはBTCVでよく使われるスローガン「Get your hands dirty!」だ。ここでのdirtyは文字どおりdirt(=研究社リーダーズ英和辞典によると「不潔物、汚物、泥、ほこり、ごみ、あか;排泄物、などから転じて土、土壌)である。これはなかなか奥深い。なぜなら、これらの日本語のひとつひとつが、イギリスの環境保全活動に当てはまるからである。たとえば:

(1)不潔物:このコーナーのタイトル「砂まみれのマグカップ」にいみじくも象徴される、プラスチックの小汚いマグカップ。オフィスに帰ったあとの洗いかたもすごい!その名を世界に轟かす「洗剤水で洗ったあとすすがない」イギリス流食器の洗い方だ。

それを遥かに凌駕するのが、お昼前の手洗い用の洗面器及びせっけん・タオルの3点セット。野外での作業ではハイジーン(衛生)に気を使うのは基本。しかしながら、プラスチックのピンクの洗面器は、長年の使用により泥の色素がへばりついてグレーがかったマーブル模様のようになっている。それに水を7分目ほど入れ、前の人の手の泥にまみれたせっけんを両手にのたくりつけて手を洗う。ここでは、「最初に手を洗った者が勝ち!」という(日本人向けの)鉄則も忘れてはならない。なぜなら、次々に人が手を洗ううちに、洗面器の水は界面付近にせっけん垢が不気味に浮遊する灰色とも黄土色ともつかないドロリとした液体に変容していくからである。ここでも「すすぎ」はなし。

そんな液体で手を洗ってから、拭くタオルがこれまた汚い!いったい最後に洗濯したのはいつなのか想像もつかない、黒っぽい汚れが凄みをきかせる、ヘムラインのほつれたすこし濃い目のピンクのタオル。ちなみに当方はマグカップは仕方なく使うが、洗面器で手を洗ったことは一度もない。イギリスではどうやら「すすがない」のがキーポイントのようである。

(2)汚物(および排泄物):「動物愛護精神に満ち、とりわけ犬を大切にする」イギリス人。自分の飼い犬をこよなく愛し、今日もいつもの自然公園のお決まりのルートをお散歩だ。そのあと遊歩道に残される糞、糞、また糞。道端ならまだしも、ど真ん中にもあるからたまらない。人気のあるお散歩ルートには、さながら地雷原のようであり、誤って踏んでしまった先人の靴の跡に哀しさつのる。

イギリス人の犬好きは遊牧民族の名残であると、当方は直感している。ということは、犬、とくれば羊、そして牛だ。羊の糞は鹿の糞のごとく小粒でコロコロしているが、牛の糞は動物自体が大きいために地面に落下するや位地エネルギーの分だけ広がりかなりの占有面積を誇ることになる(おしなべて平たい円形で直径約30cm)。当方は表面だけが乾いただけの牛糞をうっかり踏んで足をすべらせてしまった苦い経験がある。当然ながら臭い。え?環境保全に羊や牛は関係ないだろうって?いやいや、そこがイギリスの「深い」ところ。今回の有刺鉄線張り作業は、放牧牛たちの憩うロンドン郊外の牧場なのだ。(写真はそのAveley Marshes全景。場所的にはロンドン東のはずれ。残念ながら牛も人間も小さすぎて見えない。)

(3)泥:BTCVトレーニングコースが始まる前に、当方を含む参加者全員は誓約書を書かせられた。内容は「私は破傷風の予防接種を済ませました。あるいは、コース開始までに必ず破傷風の予防接種を受けます」というもの。というわけで、当方も予防接種済である(だいたい10年間有効)。陽光すくないイギリスの風土での泥にまみれた作業は、破傷風に感染する危険が高い。

野外に棲むドブネズミの屎尿を介して伝染する病気(leptspirosis)も、時には死に至る恐しい病気だ。地面にはキツネに食べられたあと朽ちゆくシジュウカラガン(Canada Goose)の片羽根や、羊の頭蓋骨なんかもある。そんなサイトでの作業は手袋着用が鉄則だが、素手で作業をする人もかなりいる。そして午前中の作業が終わり、お昼前にはあのピンク色の洗面器が登場するのだ。

(4)ほこり:イングランド国内の森林面積は約7%という、ほとんど畑と牧場と牧草地なイギリス。出来たての岩が地震があるごとにせり上がってくる日本とは対照的に地層もとてつもなく古いため、悠久の時を経て風雨に刻まれた陸地はとてもなだらか。だから1週間もイギリス各地を旅行した日本人は「最初は感激したけどどこへ行っても同じ景色だからもう飽きちゃった」とつぶやくことになる(ちなみに私も既に飽きている)。

森林がありそうでないなだらかな丘陵にひとたび西風がドウドドウと吹き始めると、実際風をさえぎるものがほとんどない。そんな非情な風に雨でも加われば、野にいる人間は無力な存在に変わる。それに雷でも加わろうものなら(6月ごろ)、茨城県のまっ平らな田園地帯で雷雨のなか自転車にのって下校する中学生よりも雷さまに狙われてしまう(当方、ロンドン北部で初夏に雷雨に見まわれ真剣に命の危険を感じた経験がある)。

というわけで、防風ファクターが乏しいぶん、風が吹けばほこりが舞い上がり、そんな中での環境保全の作業はほこりと大のお友達にならなければならない。

(5)ごみ:ロンドンといえば地下鉄。そして地下鉄といえば車内のゴミである。車内の床に散乱するタブロイド新聞、座席の隙間に押し込められたチョコバーやポテトチップスの包み紙、ワッパーの残り香が誘惑的なバーガーキングの包み紙もある。そして、茶色くなったバナナやいまだ柑橘系の香りほのかなみかん(マンダリン)などの皮や定番のリンゴの芯が色を添える。

野外に出れば、上記のほかに空缶、500mlの炭酸飲料のペットボトル、そして場所によっては注射針や避妊具、そして燃やされた古自動車までバラエティが広がる。もともと犬の糞を始末しないのだから、リンゴの芯などは「It will soon degrade.(腐ってなくなる)」とポンポン捨てる。そんな外部からの有機物によってその土地のpHが変化して生態系に深刻な影響を及ぼすことを知る人は少ない。(写真は作業場所Aveley Marshesのすぐ横にあるテムズ川。手前に散乱するのはゴミ。)

まあ考えてみればじゅうたんじきの屋内に土足で住んでいる民族だ。風土的に衛生に気をつけなくてもさしたる支障がなかったという側面もある。だが一般の衛生レベルは、日本人にとっては驚くことが多い。

(6)あか:といろいろ書いてきたが、イギリス人は日本人ほど清潔ではないようだが、調査によると清潔についてはフランス人よりもマシだという結果がでた、という記事が、The Guardelian紙の一面に載ったことがある。タイトルは「C'est Official(正式発表)」とフランス語で注意を引いたあと(イヤミだなぁ)、「フランス人は汚い」と続いたもんだ。これを仮にFar Eastに当てはめてみると、「正式発表。(たとえば)韓国人は汚い」と毎日新聞の一面に載ったと同じことになる。イギリスメディアの勢いがうかがい知れよう。(ここで韓国人としたのは、フランスは、よく言われる中国よりも韓国にequivalent(にシチュエーション的に相当する)なんじゃないかという、当方のカンによる。もちろんイギリスのequivalentは、共通する島国根性と自己満足と閉鎖性によって当然日本である。)

とかなり横道にそれてしまったが、有刺鉄線であった。しかしその前に、最初に掲載した写真の説明をしなければならない(左にもういちど掲載)。いちばん左の女性(名前:ニッキー)が着用している黒っぽい上着にご注目。これが、前々回に予告させていただいたドンキー・ジャケットである。写真でははっきりわからないが、「肩部分に合皮の当て布がついているシングル合わせのピーコート」という形容がいちばん近い。ピーコートといえば、往年のフランス映画「シベールの日曜日」の男主人公の哀愁ただようピーコート姿(白黒映画だったので哀愁レベルも更にUP)や、今は懐かしき80年代のキャンパス・ライフはピーコートとデッキシューズなくしては語れない、といったファッション的イメージがある。

しかしながら、ドンキー・ジャケットはピーコートより圧倒的に雄弁であるという点に、両者の決定的な違いがある。雄弁に物語るのは着る人の特定の職業イコール特定の社会的階層である。トレーニングコースのチームメイトのフランチェスカさんが、支給されたドンキー・ジャケット(トレーニングコース参加者は体の保護のためドンキー・ジャケットとキャップ・トウ・シューズ(爪先の部分に金属片が入っている)を支給される)が、その特徴的な肩部分の合皮の当て布がないデザインのものだったのでホッと胸をなで下ろしたこと、またニッキーが巨大なリュックにわざわざドンキー・ジャケットを仕舞い込んで国鉄に乗ってやってくること(つまり着てこない)は、そのへんに大きく起因する。ちなみにドンキー・ジャケットは、冬場の工事現場や鉄道の線路周辺でよく見かけられられ、ロンドン地区では環境保全関係者がこれに加わる。

イギリス社会では、趣味や着るもの、観るスポーツ、休暇で行く国、そして英語の発音によって、自分の属する階層が絶望的に決定的に露になる。そしてこの頃ちょっぴり気になりだしたのは、イギリスでは「環境保全(conservation)」や「庭園史(garden history)」などの言葉も、同じ意味でかなり雄弁なのではないか、ということである。そういう意味で、イギリス社会の外にいる「外人」の私は、なんでも興味のあることをなんのためらいもなく追求できるのだから、ある意味ではイギリス人よりも自由があるのかもしれないと思う。

最後に駆け足で有刺鉄線張りの作業を簡単にご説明しよう。まず、約100m間隔でメインポストを立てる(左上写真)。それから、3m弱おきに中間ポストを直線になるように立てる(中上写真)。モンキー・ストレーナーとよばれる道具を使って有刺鉄線を上・中・下と3段に等間隔で張り、メインポストにしっかり固定する。そのあと、各中間ポストで遊びを持たせて(しっかり固定させないで)有刺鉄線をとめる(右上写真)。実際に杭打ちや穴掘りなど、大変体力のいる作業を含む労働である。

なぜ有刺鉄線でなければならないかというと、我々が作業した牧場はかつてはイギリス陸軍の演習場だったが、現在はネイチャー・リザーブ(自然保護区域)になっており、当然牛が草を食べるために森林の発展が抑制され草地を好む野鳥が多く住んでいるからである。そして大きな牛の群れを囲うためには有刺鉄線ということになる。伝統的な農業形態と野生動物との互助関係という点から日本流に当てはめるなら、トノサマガエルやトンボやどじょっこふなっこを守るため、たんぼをネイチャー・リザーブにするようなものである。

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