戦後の日本:
 うちの母は敗戦後の旧満州から命からがら日本へ帰って来た時代の人間

です。「当時の満州では交番に罪人の生首が晒してあったよ」とかいう割
とヘビーな(当時は日常だろうが)環境で育ったとの事。母の父親(つま
り僕の祖父)はシベリア抑留の強制労働で行方不明,母親(僕の祖母)は
母共々,石を投げられ,唾を吐きかけられながらやっとの事で日本への船
に乗り,子供達を親戚に預けると,その後緊張の糸が切れるように他界し
たそうです。そのせいで,本来,叔父叔母の関係にあたる人を,僕は祖父
母と呼んで育ちました。
 一方で,僕の父方の祖父は帝国海軍の軍人。駆逐艦の艦長をしていたそ

うで,当時の象嵌入りサーベルや勲二等瑞宝章とか見せてもらった覚えが
あります。昔から暑い,寒い,痛い,不平を全く言わない立派な人で,僕
もかわいがられました。残念ながら1998年に亡くなりました。

 たった50数年前の事なので,これを読んでいる方にも同様な親が居る事

も多いと思います。僕の場合,もう少し戦争が長引いていたら,父は学徒
動員で徴発され,僕はこの世にいなかったでしょうし,逆に戦争が無けれ
ば現実には存在していた筈の人間も多かったと思います。これは日本だけ
では無く,アジア諸国でも多くの「居る筈の人」が居たんだと思います。
今の時代,確かに平和なんですが,それに甘んじて「関係無いこと」と思
うのもどうか?,日本の戦争に関する教育って全然「臭いものにフタ」と
いう感じで不十分なので無いか?,という疑問は常に持っています。


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