かりん党私書箱

サウンド・オブ・ミュージック(博多座) 

ファンの気持ち(私見) H16.5.16    いつも青空

昨日、博多座にとびました。

12時開演の昼の部は当日券で。人気の作品だけあって、殆どチケットは残っていなかったので2階席。作品全体を見渡すことが出来、作品のテイストを味わうには良い席でした。
客席には子どもも多く、観終わって「なるほど、確かに大人から子どもまで楽しめる最高峰の名作だ。」と思いました。
大地さんを始め多くの先輩女優さんが演じられて来たこの作品を、杜さんが演じたいと憧れ続けた意味を実感を持って納得しました。

幕開き近く、修道女達がマリアに困惑し案じて歌う「マリア」、歌への導入の見事な事!
そういう場面が、子どもたちとマリアが歌う「ドレミの歌」雷を吹き飛ばすように、ベットの上で皆で歌う「ひとりぼっちの羊飼い」、修道院長が幕切れに歌う「すべての山に登れ」、そしてクライマックスの、ナチの手が伸びて来たトラップ大佐の居間からザルツブルグ音楽祭会場へと転回される「ドレミの歌」等、沢山ありました。どれも名曲揃いで、台詞と歌のバランスが良く、マリアやトラップ大佐と子どもたちのバランスが良い。そして子どもたちの天使のコーラス、修道院の皆さんの素晴らしいコーラス、澄み切った豊穣な音楽が満ちあふれていました。ほんと素晴らしい作品です。

作品の中のエルザはマリアの対極に置かれている女性だけど、作品の主題には深く関わらない傍観者。マックスと共に、当時の人々にふりかかった時代の空気を感じさせたり、洗練されたお金持ちの女性であることで真剣に恋も出来ない人物像をマリアと対比する為の傍観者。恋敵ですら無い。歌も他の歌と異なる、どちらかというとドライなテ−ストの曲調で、主題と関わっていない歌。

杜さんは当時のキャリアウーマンでセレブな女性を表現し、表情も生き生きと美しい。歌もはつらつとして心地よい。 作品の中の役割を十二分に果たしていました。杜さんはどんな作品の中でも、作品に調和して存在しベストを尽してくれる、それをまた改めて感じさせてくれました。

でもね、私は熱いファンなのです。杜さんの魅力に魅了されてもっともっと堪能させてといつも思っているファンの一人なのです。杜さんは歌で演技で美しい身体表現で、人生を生きる事の複雑さや喜びを感動を運びながら心に届けてくれる稀有な表現者であることを知っているファンなのです。
極論ながら行きずりの傍観者的役どころではなく、作品の本筋に影響を与える、そういう役どころで杜さんの喜怒哀楽に感動したいのです。

舞台を観る時、どちらかというとまず役者を見る見方と、まず作品を見る見方がありますね。私の場合は、傾向としてまず作品をみるようです。そして、作品が例え自分にとって凡作でも、その中で生き生きと役を生きている杜さんを見られたら元気を貰えます。

今回の「サウンドオブミュージック」は名作です。その中で杜さんはしっかり役割を果たしていました。評判が良いことからも分かります。
でも、待望していた名作出演なのに、杜さんの力を知っているファンにとっては、余りにもったいなさ過ぎる使われ方だと感じました。

“演劇関係者の皆様、所属事務所の皆様に言いたい。この逸材を埋もれさせているの
はもったいないですよ。”
作品の中で最大限の魅力で生きられる、芯にしっかり存在して作品を体現できる表現者が杜けあきさんです。 

杜さんファンは沢山居るから、感じた事は十人十色だろうけど、私はそんな風に感じました。
私個人、一ファンの気持ちです。


博多座行きは日帰りでした。2回目にして最後の観劇・5時の部は、一階席で観ました。大地さん今井さんと子どもたちを中心に織り成す名作そのものを楽しみながら、杜さんエルザの感情を伝える美しい表情、心をのせて届けてくれる歌をしっかり味わってきました。 

私書箱のトップへ