1.静寂、そこに集う者たち
静かだ…争いの絶えないこの国で、今そのオアシスは静寂に包まれている。
旅の中継地点に利用されるそのオアシスは人が住まなくなって久しい。
いつ争いがおこり、凄惨な虐殺行為が始まるのか分からない場所に住むものなどいない。
かつては繁栄を極めたこのオアシスも、一人二人と住人たちは姿を消していった。
今は時折商隊が小休止を取る以外訪れる者も無いただの廃墟と化していた。
青い空には雲すらなく、動くものといえば時々風に揺らめくオアシスの木々の葉くらいだった。
その木々の陰が、揺らめく水面不思議な模様を作る。
生を営む者の全くいないその静かな景色に溶け込むように何者かが倒れていた。
片手をオアシスの水に浸し、ただピクリとも動かない。眠っているのか、死んでいるのか…どちらにせよほとんど人の往来のないここで、動けない者など、風景と同じだった。
「…うっ…」
微かな声を発するが、静寂はそんな微かな声など無かったかのようにただひたすらにあたりを包んでいた。
体中が熱かった。太陽のせいばかりではないだろう。
乾いた傷の上に、また新たな傷を作り理由も見失ったままどれくらい闘っていたのか…
累々の屍、敵か味方か分からないものの呻き声。そして、背後から感じる殺意。
一体あの戦場で、何人の人間が命を落としていったのか。
夜になってもその闇の中に敵がいるかと思うと眠ることさえ出来なかった。
―――そして―――
油断をしていたわけではなかったが、その敵の手に遂には落ちたのだった。敵も味方も混乱し、どちらを向いているのかも分からないような状況だったのが幸いしたのか?剣ならば死んでいただろう。何か棒のようなもので頭を殴られた。
そしてどの位倒れていたのか、気が付いた時には争いは終わっていた。頭を持ち上げると、まだグラグラとして視界が定まらない。それでも何とか起き上がり、あたりを見回した。動いていた人間は自分ひとりだった。
多分死んでいると思われ、見捨てられたのだろう。
「おれ…生きてたのか…」
一言だけ言葉がこぼれたが、果たして生きていたことが幸福だったのか、不幸だったのかの判断は出来なかった。
人が住まなくなり争いが行われる土地。仲間の兵士の姿も無い。
このままここにいても助けは来ないだろう。ただ死を待つのみである。
それならば折角生きていても結局、ほんのひと時寿命を伸ばしただけに過ぎないことになる。
自分だけが自分を助けることが出来るのだ…そう思い、ゆっくりと立ち上がるとのろのろと歩き出したのだった。
目指す場所も歩く道すらも無く、砂と太陽だけが嘲笑うかのように疲れ、傷ついた体を容赦なく責めた。もうどの位歩いたのだろう…
太陽の熱に晒され、益々傷口は熱く疼く。声すらも渇ききった喉からは発することができない。
『もう駄目かもしれない。』
運良く戦場から生き延びることは出来たが、やはりそれは悪戯に死の瞬間を引きのなしただけだったのか?
その時だった。遠くにぼんやりと緑の木々が見えたような気がした。幻かもしれない。疲れた身体が望んだだけのただの夢かもしれない。それでも、どうせ死が逃れられないものならば、少しでも幸せな夢を見て死にたかった。最期の力を振り絞り、遠くの緑を、ただそれだけを目指した。
辿り着いたそこは人の住まない廃墟ではあったが、オアシスは澄んだ水をたたえ、ただ静かにそこにあった。水際に膝をついた。渇ききった喉を潤すと急に安心した。冷たい水に片手を浸すと、そこから熱くなった体温を吸い取ってくれるようだった。
誰もいないオアシス。しかし喉を潤し、冷たい水に手を浸していると安心から疲れと睡魔が襲ってきた。だからといって、ここにいたってあの戦場と状況は何ら変わってはいない。こんな廃墟に助けなど来るはずはないだろう。いずれは死が迎えにくる。
『だけどあそこで死ぬよりはマシだ。』
少しは幸せな夢を見ながら死ねるかもしれない。
「…うっ…」
少し頭の傷が痛んだ。だが痛みよりも、疲れた身体は休息を欲しがっていた。
その疲れに身体を任せると、いつのまにか深い眠りに落ちていった。
陽は西に傾く。積荷をほとんど売りさばいた商隊は上機嫌で今夜の宿泊地へと向かう。
「今回は悪かったな。おかげでこっちは大助かりだったよ。」
満面の笑みで若い男が先を行く髪の長い男へ話し掛けた。
「いやぁー左のものに出来るのかと心配してたけど、おまえはそこらへんの右のやつよりずっとすげぇよな。」
話し掛けられた男は一瞥をくれると無言で先に進む。
話し掛けた男は『やっぱりな』という顔をすると勝手に話を進めた。
「おまえさぁ、そんなだからいつも一人で仕事をする羽目になるんだぜ。俺たちはそりゃ昔はどうだったか知らないが、おまえの実力はみんな認めてるんだ。ちょっとは俺たちにも愛想良くしろよな。」
そこまで言うと話し掛けられた男はやっと口を開いた。
「うるさいぞ。俺は自分の判断で一人でやってる。使えないやつらとつるんでも、足手まといになるだけだ。今回も昔のよしみで手伝ってやっただけだし、それなりの金は頂く。しゃべってる暇があったら早く先へ進め。日が暮れるぞ。」
確かに日が暮れると危険だったので、男たちはその後無言で目的地まで進んだのだった。
商隊は幸いにも日が暮れる前に目的地に辿り着くことが出来た。そこはあの廃墟のオアシス。
住む者もいないので、気兼ねすることなく利用できる場所である。
ただし、争いが始まり、巻き込まれたとしても自己責任だ。
しかし誰も住まなくなったとはいえそこは豊かな水をたたえたオアシス。何も無い砂漠で野営をするよりは安全である。だから商人たちはこのオアシスを利用するのだった。
一向は早速積荷を下ろすと、今夜の宿泊のための準備を始めた。
つづく
20030110