通学路

てくてくてくてく、赤いランドセルを背負って俯きながら早足で歩く。
大きな目はアスファルトを見つめてずんずん歩く。


水曜日の午後、退屈な数学の時間。天気は最高にいい。
今にも眠ってしまいそうな自分に叱咤激励しながら授業を受ける。
もう、あきらめて眠ろうか。そう思いながら窓の外を眺めた。
見下ろした道路には、小学生であふれ返っていた。
あぁ、水曜日は、小学校午前中で終わるんだ。
懐かしい!うらやましいよ。まだ俺には、後二時間も授業が待ち受けてるんだ。
リコーダー吹きながら帰ってるやつもいる。
小学生は、気楽でいいよ。
皆、何人かで家路についている。仲良し集団なんだろうな。
トイレなんかも休み時間になったらぞろぞろあいつら皆で行ったりするんだ。
そんなことをぼんやり考えながら、家路に向かう小学生共をしばらく眺めていると
一人だけなんだか浮いてるやつを見つけた。
小学校3年生位だろうか?赤いランドセルを背負って、俯いてすごい早足で歩く。
ほかの女の子たちはうっとおしいくらい集団なのに、たった一人だけすげー早足。
なんにも話さずに下だけ見てどんどん歩いていた。
あいつは、友達いないのか?
それが、その子を見た、一番最初だった。

別に、特別気になったわけではないけど、あまりにも周りから浮いていたので
ひどく印象に残ってしまった。それから、週一回窓の下をチェックするようになった。
チェックしたからといって、何も変わることはない。いつも一人で、俯いて
大きな目は道路を見つめる。
そして、いつも早足だった。
雨の日なんて、俯いたまま傘をさしているから傘だけが
どんどん進んでいく。
赤いランドセルの女の子。なんで、いつも下を向いて早足なんだろう?
友達と、話をしているところもみたことがない。
たまたま水曜日は塾とかで、急いでるんだろうか。
それにしても、ほかの曜日はよくしらないけど下ばっかりみて前も見ない
変なやつだと思った。

ある日、毎週水曜日の景色に変化が起こった。
赤いランドセルのあの子が走っていた。たったそれだけ、それだけのことだった。
めずらしいな、いつもも結構歩くのが早いけど今日はまじで走ってる。
そう思って見ていると、どうやら泣いているみたいだった。
服の袖で、目元をこすりながら、いつもの早足ではなく走っていた。
そうして、その子はすぐに俺の視界から消えた。
そして、毎週水曜日の景色からも…

てくてくてくてく、赤いランドセルを背負って俯きながら早足で歩く。
大きな目はアスファルトを見つめてずんずん歩く。

こんな些細なことを思い出したのは、私がここに帰って来たからだろうか。
あれから、随分長い時間がたった。私は、学生から教師の道を選び、再び
母校に戻った。そんなに学校が好きだったともおもえないけれど。
ほかにも、ここには楽しかった思い出がいっぱいあったはずなのに、
彼女のことも友達のことも、ましてや先生のことも思い出す前に
あの赤いランドセルを思い出した。
声を掛けたことも、向こうがこちらを向いたことすらなかったのに。
あの早足の小学生。今は何をしているのだろう…
今ごろはあのときの私くらいになっているのか?
私の中では今でも赤いランドセルを背負っているけれど、時間は
皆に平等に流れたのだろう。私だって、年をとった。
私は、授業のために初めての教室の扉を開く。
あの時の私と同じくらいの年齢の子供たち。
自分をもう大人だと思う子供達の待つ教室。
あの時は机、今は教壇へと。
「はじめまして、まずは入学おめでとう」
自己紹介をする私の視線の先に大きな目の少女。
口をぎゅっと閉じ、まっすぐに私を見ている。
あっ。
あの時の景色が脳裏に浮かぶ。
赤いランドセルの子によく似ている。まさか、だけど…そんな偶然はきっとない。
そう思いながらも私の視線は、彼女に向かう。
お約束のように生徒たちの自己紹介が進みなかでやっぱり彼女は
にこりともせずに、ぎゅっと口を閉じている。
少しずつ、少しずつ私の記憶は確信に変わっていく。
赤いランドセルの子。きっとそうだ、その確信が私を楽しませる。
もうすぐ自己紹介は彼女の番。初めて聞く声。初めて知る名前。
いつか、あのとき何故泣いていたのかを聞いてみよう。
私は水曜日の景色を取り戻した。
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