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□□□彼と彼女の事情□□□
その日は−−週末で。土曜日だった。
舞は盛大に怒っていた。
最近怒りっぽいというか、イライラしているというか、週に何度かはそんな日がある舞であるが、ついにキレた。
部屋に遊びにきた速水に、いつもの癖で瀬戸口がじゃれついた。まあ、良く見る光景だ。
「やめてよ瀬戸口くん」
「バンビちゃんは、かわいいよな〜」
相手が嫌がると喜んで調子にのる癖が、この男にはある。
瀬戸口は背中から速水に抱き着いて、嫌がるのを面白がって、彼の男にしては柔らかい胸に触った。
「ぎゃあっ! やめてって、揉まないでよ! 大きくなったらどうしてくれるのっ」
「大きくなんの? Bカップとか?」
「冗談じゃないよ! もーやめて!」
「そうだよな。姫さんよりでかくなったりして」
と、ははははと、瀬戸口が言った、その背後でブチッという音が響いた。
「………隆之、そなた、厚志の身体が好きだな……」
背後にゴゴゴと地鳴りを背負って、舞が言った。
振り向いた瀬戸口は、驚いた顔をして答える。
「どうしたの、お姫さん?」
どうしたもこうしたもあるものではないのだが、瀬戸口にはわからないらしい。
「厚志の身体が好きかと言っている…」
「好きだけど……」
素で答えるカダヤに舞は足下にあったクッションを蹴り上げた。
彼女は夏になってから、家ではよく浴衣姿になっている。瀬戸口に着せられているらしい。
なのだが、クッションを蹴り上げたときに裾が乱れて、思わず男二人が、ちらっと見えた生足太腿に視線を止めてしまったのにも気づかない様子だ。
(あ、あとちょっとでパンツ見えたかも!)←唯一無二の親友
(和服に洋服の下着はほんとーは邪道なんだけどな)←カダヤ
男二人がその一瞬にけしからん事を考えたのも、当然気づいていない。
ぽーん、と、クッションが瀬戸口の頭に当る。
「………ひめ、さん…?」
彼女は踵を返すと、どだだだだとドアを開けて走って外へ出て行った。
一斤染(いっこんぞめ…薄いピンク色)に赤い桜の花弁が染められた可愛らしい浴衣の背中と、素足につっかけた下駄の音が遠くなる。彼女の瞳に合わせた海老茶の帯もぶんぶんと揺れていた。
呆然としていたが、ようやくはっと我に返ると瀬戸口は遅すぎる制止の声をあげる。
「あ、ちょっと、……舞!? なんだよ、どうしたんだいきなり…」
「恋人の前で、中年親父がOLにするみたいなセクハラやるからでしょ」
背後で速水が呆れたように、言った。
「姫さん、怒ってた」
「だね。……でも、今まで、僕と瀬戸口くんがじゃれてても、気にしてなさそうだったのに…。どうしたんだろう。最近舞、苛ついてるよね?」
「うーん」
瀬戸口は腕を組んで頷いた。
「なんだかわりと、この頃よく不機嫌なんだよな…。気難しくって大変だよ、お姫さまのお世話は」
普段から基本的に無愛想だし、目つきが厳しいので不機嫌そうな顔に見える彼女であるのだが。
「何かしたんじゃないの?」
「何が?」
きょとん、と、瀬戸口は見返した。
速水は多目的結晶で舞の居場所を確認する。
「……あ、僕達のマンションへ向かってる。夏樹に愚痴りに行ったかな」
「追っかけた方がいいかな」
「やめといたら? 愚痴らせてあげなよ」
「……………………」
瀬戸口は上目で自分より小さな速水を見る。
「俺が悪いわけ?」
「かどうかは知らないけど、不機嫌の原因が、瀬戸口くんにあるのは確かみたいだよね」
「ええっ……。何が原因なんだろう…」
瀬戸口は本当にわからない、という顔で眉を下げた。
マンションに辿り着いた舞の様子を見た狩谷は、察しよく彼女を招き入れると、緑茶を入れて出した。
「これ、本物の茶葉だから美味しいよ。ゆっくり飲んで。さ」
言われて、彼女はちょうどよい温度に入れられたお茶をゆっくりと、飲み込んだ。
「落ち着いた?」
「と、突然すまぬ……。夏樹。他に行くところが思いつかなかった…」
「別に僕は構わないよ。瀬戸口と喧嘩でもしたのかい?」
彼は読みかけだったのか、分厚い医療関係の本をソファーの脇に片付けて、眼鏡の奥から微笑んだ。狩谷は舞に好意的だ。いつ頃からそうなのか実は舞にはわからないのだが、因縁の戦いが終わって−−こうして改めて友人付き合いを初めてからとみにそれを感じるようになった。
狩谷に尋ねると、
「僕は小隊時代から芝村さんのことは好きだよ」
と伶俐な顔に笑みを浮かべて答えるのだった。
舞の方は、何より親友である速水が選んだ人間であるし、また彼の本来の性質−−情に流されない公平なものの見方や対応は、ずっと好ましく思っていたのだが。
「……そういえば、」
舞はふと気づいて言った。
「厚志は、そなたにいつもべったりなのに、最近は週末はよくうちにひとりで遊びに来るな」
それを聞かされて、狩谷の眼鏡の奥の瞳がふっと伏せられた。
「あー……うん、そうだね」
曖昧な返事に、舞は眉を寄せる。
「そなたらは、仲が良いのに…、休みの日に一緒にいないのか?」
「ああまあ、仲が良いから……かな」
どこか困ったような色を含んだ狩谷の答えだ。
「芝村さんは、今日はどうして瀬戸口と喧嘩を?」
さりげなく振られて、舞は思い出したようにきっと眉を上げた。
「今まで我慢できてたことが今日はどうしても我慢できなかったのだ」
「何をそんなに我慢していたんだい?」
狩谷は驚いたようだった。芝村舞と忍耐の言葉こそ不似合いなものはない。我慢などということは彼女のもっとも不得手とするものではないか?
「隆之のやつが、厚志とじゃれていた」
「ああ……」
狩谷は苦笑する。
まあそれは……。
瀬戸口隆之という男は、恵まれた容姿と、軟派に見せておいてその実好青年といった振りが、出来過ぎの男に見えなくもないのが、その内面ときたら相当の癖者で、しかも天然系。人なつっこいのも甘えん坊なのもタッチ・コミュニケーション好きも結構だが、それを舞にだけ発揮していればいいものをそうではないからややこしい。しかも本人には全くやましいところがないらしいのだ。
自分がその場にいたら、はたいてでも瀬戸口を止めるのだが(舞のために)。本人に悪気がないのに、因果を含ませてやめさせるのは難しいことではある。
「仲が良いからね、あの二人は」
「………………隆之は、私に触るより、厚志に触る方が好きなのだろうか……」
小さな声で呟いた言葉に、狩谷は目を丸くする。
「は?」
「夏樹、そなたと厚志はその…………仲が、良いのであろう…?」
「え? まあ……」
「そ、その。なんだ。あー……」
舞はそわそわと、湯飲みを持ったりおいたりした。
「芝村さん?」
「そ、そのだな。その夜の………」
言わんとすることをなんとなく察して、狩谷はさっと頬を染めた。
「な、何をいきなり」
「毎日なのか?」
小さな声で、彼女は言った。
「え………あ……まあ」
これまた小さな声で狩谷も答える。
「毎日、毎日かっ」
上目で見る、舞。
「う………、ああ、ま……あ」
顔を逸らして答える狩谷。
「な、仲が良いって、芝村さんと瀬戸口だって、いつも一緒にいて仲がいいじゃないか」
「私たちは先週からなにもないぞ」
「え?」
「た、隆之は………」
舞はかっと頬を染めて、俯き。
だが悲しそうに眉を下げて、言った。
「私に、週に1度くらいしか触らない…」
「え!? いつもあんなにいちゃいちゃとくっついているのに!?」
思わず正直なことを言ってしまった狩谷ではあるが、舞はう……という顔をした。
「隆之は、私の身体が触り心地も抱き心地も悪いから、触るのが嫌なのだそうに決まってる」
「え………」
狩谷は驚いて目を瞬いた。
「一週間に1度ペース!? そうだったんだ…。瀬戸口くんて、えっちすんの好きじゃないの?」
「別に好きだよ。普通に」
「じゃあなんで? 僕なんか毎日夏樹に触ってるよ? 夏樹が週末は頼むから休ませてくれって言うくらい」
「え………(汗)」
可愛らしい顔をして、するりと物凄いことを言う速水である。
「バ、バンビちゃんて、見かけによらず絶倫なんだ……」
「ええ〜〜そんな、ゼツリンてほどじゃないけどおvv でも夏樹可愛いんだよー。途中で『もう辛いから許してくれ』っとか泣き顔になってて、ああ可哀想って思うんだけど、そんな顔みたりするとまた元気になったりして、困るんだよねえ」
言ってることと外見のギャップが凄過ぎて、瀬戸口はコメントが吐けなかった。
「瀬戸口くん、舞と一緒にいてそんな気分にならないの?」
「バンビちゃんはそう言うけどさ」
彼は舞に投げ付けられたクッションを弄びながら、応えた。
「初めて会った時、14才だったんだぜ? それで付き合い始めたのが15才だろ? そんなお姫さんを、一人前の女扱いしたら可哀想だと思わないか? 向こうは男女のことなんか全然不馴れだし、こっちが求めても拒む術も持ってないんだぞ。それがわかってるのに、一方的にやらせてくれなんて、それじゃケダモノだろうが」
「じゃああれだ、瀬戸口くん的には今育成期間なの?」
「そ。少しずつ馴れていけば、姫さんだってそのへんの機微もわかって、楽しめるようになるだろうからってさ」
「ふうん……」
速水はフローリングにごろんと寝転がって、何か考え込むようだった。
「どうかした?」
覗き込む瀬戸口に、うーん、と速水は答える。
「ちょっと、ある可能性を思いついてさ」
「ある可能性?」
「舞って、僕に合わせて調整されてるんだよね…。田神さんに」
「だって話だな」
クッションを、寝転がった速水に渡して、瀬戸口はお茶を入れるために立ち上がった。
「バンビちゃん。緑茶でいいか?」
「うん。何、瀬戸口くんて珈琲派なんでしょ?」
「姫さんが紅茶派だろ? だから今は間を取って緑茶なわけ」
「ふーん」
クッションを頭の下にして、フローリングにあおむけになると、速水は簾越しに外を眺めた。窓は開け放たれているが、夏になってからこの部屋はカーテンから簾に変わっている。
瀬戸口が嫌うので、この部屋にエアコンはない。
そのせいなのか、舞は夏になっていつも家では浴衣を着せられている。彼女が、エアコンがないことについて文句を言っているところは聞いたことがない−−基本的にそういう不満を言う方では確かにないのだけれど−−でも、過ごし難いと思っているわけではなさそうなのは、そういう生活が結構楽しいからかもしれない。
なのに、このところの舞の不機嫌。
「ねえ………舞が、ずっと不機嫌なのってさ…」
「うん。なに」
緑茶を盆に載せて運んで来た瀬戸口は、行儀悪くごろごろしている速水を見おろした。
「欲求不満なんじゃない?」
「はあ?」
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