風紋



 マウラの宿屋は土を削った洞穴のような住居になっている。
 テラコッタの暖かい色が、何故かほっとさせる。
 ベットは小さいが。
 ソルシィはディートのやや後ろをついて、ひどく緊張した面持ちで宿屋に入った。後ろからついてきたヴェントスとラスフォンド、チアキはそんな、常ならぬソルシィの様子から目が離せないのだった。
「ソルシィ、どうしたんだよ。生き別れの兄弟にでも会うのか?」
 そう、ヴェントスが言うと、彼女は強ばった顔のまま、言った。
「大きな声で、私の名前を呼ばないで!」
 声を潜めてそう告げる。
「………?」
 宿屋に入り、ある一室へと向かう。
「ディート、お願い」
 蚊の鳴くような声で、ソルシィはディートに頼んだ。
 頼まれたガルカの執事は、木の扉をノックする。
 中から、「おう」と返事が返ってきた。
 ソルシィの白いローブの肩が揺れる。
 彼女は両手を握りあわせると、祈るように俯いた。
 扉を開けて、ディートは中の主にお辞儀をするようだ。
「ごぶさたしています。ドゥエル殿」
 そう、言った。
「ディート。ソルシエラはいるんだろ。なんで毎回、まずお前のむさくるしい顔を拝まなくちゃいけないんだ? 俺は」
 中の主がそう答えた時、ぱっとソルシィは顔を上げ。
 硬質な美貌がそのときだけひどく幼く、くしゃ、と歪んだ。
「お嬢様の、こだわりでして」
「あの女はまだ俺が、あいつのことを忘れてるとかそんなこと思ってるんだな」
 ソルシィは握りあわせた手をぎゅっと掴んで。その声を聞いているようだ。
「というか、まだソルシエラを覚えてるってことは、俺は相変わらずろくでもねー男なのかもなあ。困ったもんだ」
 ディートはそれを聞くと、おかしそうに肩を揺らして笑った。
「おーい、ソルシエラ。元気な脚があるんなら自分でこっちに来いよ。俺は身体が不自由なんだからな」
 部屋の中からそんな声が、ソルシィを呼ぶ。
 彼女はぱっと、握りあわせた手を振り解き。大慌てといった風に部屋に駆け込んで、叫んだ。
「ミエルちゃん!!」
「うぎゃ」
 潰されたような声を、中の主は上げた。
 ヴェントスは興味を引かれて、部屋の中を覗き込む。
 すると。
 ソルシィ・エ・ラが、何か小さな者を抱き締めているところだった。
「苦しい。苦しい。離せばか力」
「まあひどい。私のたおやかな腕に抱き締められておいて、なんて贅沢なことを言うタルタルかしら」

 タルタル!?

 ヴェントスと、ラスフォンドそしてチアキは、一様に顔を見合わせた。
 ソルシエラが抱き上げているのは、まさに、タルタル。
 ロンフォールマロンのように頭のてっぺんが尖っている。金髪に黒い筋の入った髪。
「ソルシィ……その、その人は」
 ラスフォンドが流石に驚きを隠せず問うと、ソルシィは振り向いて笑った。
「私の大切なひとよ」
「わかったから離せ。本気で苦しい」
 じたばたと手足を動かしているのは、本当に、どこからどう見ても、タルタルだった。





 彼の名前はミエル・ドゥエル。
 と聞いて誰しもが「ふざけた名前だ」と思ったが、誰もそれを口にしなかった。
「まだ、身体の具合が悪いの? 潮風は良くないのではなくて? ウィンダスに戻ったほうが……」
 驚いたことに、あの高慢で高飛車なお嬢様であるところのソルシィが、ドゥエルの前だとまったくもって、甲斐甲斐しいのだ。
「冗談だろ。ウィンダスなんかに戻ってみろよ。スライアーだののうるさがたに、なんだかんだ仕事させられるに決まってるんだから」
「かつての部下の皆さんは、未だに来られるのですか。ドゥエル隊長?」
 笑ってそう尋ねるディートに、彼はああと頷いた。
「暇なのかねえ。こないだローエンがやってきて、ゼロスもダルファーも、なんかあると来るよ。嫁さん貰っただの、子供が出来ただの。まあいいことだけどな。竹馬の友は死んだふりしてカザムでミスラン・ハーレムなんだと。いい気なもんさ……」
「ミエルちゃんはカザムになんて行かないわよね?」
「マウラで釣りしてんのが性に合ってるよ。だいたい、カザハスがいるのわかってて誰が行くかあんなとこ」
 彼は伸びをして、首を動かした。
「じゃあ、身体はもういいのね?」
「怪我自体は治ってるよ。もうナイフは使えないけどな……。おかしな話だが。身体が不自由になったらますます魔力が高くなっちまったらしくて、最近は少々難儀なこともあるな」
「魔導師として現役なら問題ないではありませんか」
 ディートに笑われて、むすっとドゥエルは答えた。
「冗談じゃねえよ。こないだもスライアーの奴がきて、本当に具合が悪いのかってしつけえのなんのって。あいつ暇なのかね。嫁さん貰うヒマもないくらい忙しいって聞いてるのに口説く相手が違うよな」
「ミエルちゃんに助けて欲しいのじゃなくて?」
 かいがいしくお茶をつぎ、彼にすすめるソルシィはまるでドゥエルの妻のようだ。
 ヴェントスもラスフォンドも二の句が告げない。
「ねえミエルちゃん、一緒にウィンダスに行かない? 私の連れが行きたがっているし、あなただって久しぶりに潮風以外の空気を吸いたくはなくて?」
「なんだよソルシエラ。妙にすすめるな。お前らしくもない」
「ウィンダスの可愛らしい女の子のお友達と約束してしまったのよ」
 ふふ、と彼女は笑う。ゆったりとした笑みで。
「誰だよ、それは」
「シヴィルちゃん。あなたに会いたいと言っていたわよ」

「星の神子様が!?」

 チアキとラスフォンドが同時に叫ぶ。
 ドゥエルはますます渋い顔になった。
「なんでそんな約束してくるんだよ。普段は人の言うことなんざ全然聞く耳持たない女のくせに! 嫌だ。俺は聞かなかったことにする。でなきゃもうウィンダスで仕事させられるの確定だからな」
「でももう聞いてしまったでしょう? 聞いてしまったら無視はできないはずよ、あなたは」
「………………」
 ふふふ、とソルシエラは笑った。
「星の神子に呼ばれたのなら断れないでしょう。戻るのにいい口実ではなくって? あなただって、本当は戻りたいし、手伝ってあげたいんでしょうにね」
「………………」




 ソルシエラとドゥエルはそれから二人で長いこと語り合っていたようだ。





「あんなソルシィを見たのは初めてだ」
 ラスフォンドはそう言った。
「女は魔物だな」
 なんとなく、ヴェントスがそう答える。
「素敵よね……」
 チアキはそう言った。
「何が?」
「あの二人。いいなあ。ソルシィさん、幸せそうだった」

 そんなものなのか……。

 男二人はすっかりソルシィと仲良くなっているチアキを眺めて、そう思っていた。






「あの人はね。この世界でただ一人、私の事を忘れずにいてくれる人よ」
 ウィンダスへ旅立つ朝、しぶしぶ荷物をまとめるドゥエルを待つ間、ソルシィはヴェントスにそう言った。
「あなたもディートも。おそらくもう、ラスフォンドも。きっと別れたらその瞬間に私の事を忘れるでしょう。こうして顔を合わせていなくても、私の事を思い出してくれるのは、ミエルちゃんだけなの。特別な、大切な人。彼は、私がこの世界に存在していると言う証」
 ソルシィの言葉はヴェントスにはよくわからなかった。
 だが、彼女の様子は質問を許さないように見えた。彼はただ、彼女の言葉に沈む哀しみのようなものを感じ取るので精一杯だった。
「いつかあなたが強くなって………もっともっと、強くなって。ディートくらい強くなって。もうこの世界では何もやることがなくなってしまったら」
 白い髪を揺らして、ソルシィは笑った。
「そうしたらあなたに会いに行くわ」
「……どうして?」
「私の執事にならないかって、誘いにね」
「………ふうん……」
「ディートもいつかいなくなってしまうでしょうから。そしたら、ね」
「まあ、それも面白いかもな」

 ありがとう。

 彼女はそう言って笑った。



 そんな果てしない先の未来の自分を思い描くこと等不可能に近いけれど。
 いつか自分がディートのようになれたのなら、それも悪くない生き方かもしれないと、ヴェントスはそう思ったのだった。


























「風紋」
 ソルシィ・エ・ラは白い砂を指差した。
 なつかしい砂丘。あのころと何も変わりはしないと、ヴェントスは思う。
「いつもドゥエル殿の側にいないのは何故なんだ? お嬢様?」
 ヴェントスの言葉に、彼女は首を横に振る。
「待ってるのかも」
「何を?」
 あの頃、ディートの着ていた甲冑がひどく重そうに見えたけれども。
 今、自分がこうして身に付けていても、さほど重くは感じない。背中にしょった剣も。
 過ぎてしまえばあっという間だった。そして本当にもう一度会った、白い魔女。
 会うまでは一度たりとも思い出すこともなく、それこそ彼女の言うように、別れたその瞬間に彼女の事を忘れ去ってしまった自分に、再会してから改めて気づいたのだ。
 再会して記憶が蘇ったのが幸いではあった。
 それでも例えばここで一度別れてしまうと、その瞬間に彼女の事を忘れて去ってしまうのだろうと、ヴェントスは思うのだった。
「ミエルちゃんが、側にいてくれと言ってくれるのを」
「そりゃあ、伝わってないんじゃないのかな」
「いいのよ」
 風に消される風紋を眺めながら、ソルシィは淡く笑った。
「時間はあるの。私には。一度でもいい、その言葉が聞けたら。たぶんそのときに、すべての答えがわかるような気がするから。私が世界を彷徨っているのは、いつかその言葉を、ミエルちゃんの口から、彼の気持ちだけで聞く時のためだと今は思うのよ」
「ふうん………」
 遠大なる−−ラブストーリーというのだろうか。
 ヴェントスは、あの頃と俺は何も変わらないなあ、などと思う。
 結局妻をめとることもなく、己を鍛えることに耽溺してしまったが、今。こうして気紛れなお嬢様と世界を当てもなく、しかも歩いて旅するのは楽しいことでもあった。
 今ならディートの気持ちは理解できる。
「俺は楽しいから、いいけどね」
 そう答えると、ソルシィはふふ、と笑った。



「さあ……ウィンダスへ行きましょうか。ミエルちゃんは、元気かしらね」


これといって語ることはございませんが、実はこれが最初に書いたFF11系の小説だったりして……。第三話くらいまで書いて保留にしていたわけですが、このたび加筆修正して公開しました。


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