ベトナム旅行記
(雑感)


後書き


 同じ世代の多くの人間と同じように1960年代末期のベトナムは僕にとっては特別の意味を持った国でした。ベトナムの人々は長い戦争を通じて世界中の人間に大きな影響を与えたのですが。特にその当時まだ学校へ通っていた僕のような若い人間に与えた影響はは、他の事柄と相まって意識の最も深い部分にまで届くような強いものです。けれど不思議な事にこれまで一度もベトナムという国に行きたいと思った事はありませんでした。その理由は沢山あるのでしょうけど、1975年にベトナム戦争が終わって統一されたベトナムという国が自分たちの思いとは違ったふうになっていった事が多分一番大きな理由のような気がします。

 冷戦という厳しい時代、しかもアメリカの経済封鎖が続く中で、疲弊しきった国土を立て直していく事の困難を考えれば、ベトナムが理想的な社会を実現できるはずはないのですが、ベトナムの人々の力を理想化していた遠い国に住む人間には、硬直した社会主義国という面ばかりが目立ち始めたベトナムにどこか裏切られたようなものを感じ、次第に意識の外に押し出すようになっていったのです。

 今度の旅行も行く少し前までかなり迷いました。 自営業で子供も小さいという状況ではそれほど長い休みはとれませんし、観光という面だけとればタイのほうがはるかに見所も多いし、費用もかなり安くあがります。それでもベトナムに行くことになり、貴重な時間を過ごせたのは、今思うとなんとなく不思議なような気がします。帰ってきてからもずっとベトナムに関する本を読んでいますし、時間があればベトナム語講座にも通おうかとも思っています。多分来年またベトナムに行くと思いますが、どうしてこんなにあの国に惹かれるのかまだよくわかりません。もう歳も歳なのであまり無理はできませんが、またいろんなところを観てこようと思っています。


その他


とにかく早起きです

 ベトナムの人はとにかく早起きです。他の事はともかくこれは断言できます;^^)朝の暗いうちからというより、夜中の3時ゴロから、自転車にやバイクに荷物を積んで出かける人がいますし、5時ごろにはもう通りはバイクやシクロが沢山走ってるんですよね。 明るくなるころには、道ばたに置かれた椅子とテーブルでフォーやご飯の朝食を食べる人でいっぱいですし、市場も品物があふれているという感じでこちらもついつい朝早くから歩き廻るはめになってしまいました。会社も7時とか8時始まりのところが多いらしくて、そのうえ仕事が終わったら日本語学校や、英語学校に通うというこですから本当に勤勉な人だなあと改めて思ってしまいます。でも夜は早く寝るのかというと、これがそうでもないみたいんです。夜中もずっとカップルを乗せたスーパーカブが走り回ってますし、ディスコもけっこう流行ってたし、ゲームセンターやビリヤードも賑わってる。オジサンも歩いてる。ということで、一体みなさん何時寝てるんでしょうね?特に若い人たちは? 

ベトナムの人と食べ物

 ベトナムの食べ物と言えば、生春巻きにフォー(米うどん)バインセオ(お好み焼き)が有名で、もちろんとってもおいしかったですが、フランスパンとサンドイッチも最高です。街角の屋台でフランスパンのぱりぱりのやつに好みでハムや鶏肉それに香草をたっぷりいれてくれてニョクマムでさっと味付け、してくれます。30円ぐらいでしょうか。こればっかり食べてましたね、朝は 果物はキウイより少しやわらかい味でレモンほどの大きさのタンロンが絶品です。冷蔵庫で冷やしておいて夜食べるともう......。これも沢山食べました。20円−30円ぐらいです。 他にもアヒルもおいしかったし、ヘビとか蛙もけっこういけるそうです。屋台や市場ではほとんど英語が通じませんから、値段は紙に書いたりお金を見せてもらったりして払うんですけど。

おだやかで、親切で

 今度の旅行では、偶然かもしれませんが、怖い表情の人に会わなかったです。(空港で見た日本人以外は;^^) 本当にどの人も表情が生き生きしてました。特に子供はサッカーに熱中している子供も、観光地でコーラや絵はがきを売っている子供もいい顔してるんです。それによく勉強してますねー。きっとみんな生活は大変なんでしょうけど、決して暗くはないというか、輪郭がくっきりしてるんですよ一人一人が。

 誰かがベトナムはベトナム人がいなければつまらないって書いてましたけど本当にそう思いました。 シクロのお兄さんもひつこいのにはまいるけど、みなさん親切に道を教えてくれたし。なんか帰るときに日本のビジネスマンが集まってくるのをみてたら、自分もあんな感じなのかと思うと、情けなかったです。嫌だなーと感じてしまうのはどうしてなんでしょうかね....


道の渡り方

 二日目に、さて鞄を肩に町中を見て廻ろうと歩き出したのはよかったのですが、大通りに出たとたん。向こう側にどうやって渡ったらいいのかわからない。 バイクと車と自転車が全く途切れることがない。一応大きな交差点には信号がついてるんだけど、いいところで半分くらい、場所によってはほとんど信号を守らないんですよこれが、まあおかげで渋滞というものがサイゴンには存在してないようでした。渋滞?なにそれ?っていうかんじです。

 日本も車からバイクにしたらいいんじゃないでしょうか?信号も減らして(けっこういいと本気で思うんですけど)一人が移動するのにあんなでかいもの転がすなんて絶対不自然ですよ。それはともかく本当に30分ぐらい片側をずっと歩いていたんですが、どうしようもなくなって、ああこんなとこで事故にあったら補償もなんにも多分してもらえないんだろうなあ(相手の誠意とは関係なく)とちらっと思いながら。 中村香織さんという方のWEBページに書いてあった事(ゆっくり速度を一定に)を思い出して、足を車道に入れる、そしておそるおそる渡りはじめたのですが、以外に怖くありませんでした。
 ほとんどがバイクのせいもありますけど、ちゃんと避けていってくれるのには感心しました。バックミラーもついていないバイクでよくこんなにうまく避けてくなあと思いながら、なんとか無事向こう側へ。
 日がたつにつれてうまくなってはいきましたが、あたりまえですけどやはり地元の人にはかないませんでした。倍ぐらいのはやさでバイクの群を横切ってました。 でも当然ですけど事故もけっこう多いようで、ベトナムでは道を横断するときは本当に気をつけましょう。できれば地元の人に付いていくのが安全です!!


バイクの事

 ベトナムの街の中で思い浮かぶのはアオザイ姿とシクロそれにバイクでしょうねバイクはホンダスーパーカブ。あれを作ったというだけでホンダという会社がいかにすごい会社かということがわかるような気がします。F−1に勝ったからといって何も思いませんでしたが、あのバイクの群を見たときは感動しました。耐久性、構造の単純さ、乗り心地、安全性、故障の少なさと修理のしやすさ、言うことないんですってねカブって。それからベトナムの人は見てると修理とかが本当に上手みたいです。簡単な物は自分で直してましたし、道ばたの修理屋さんも沢山ありました。ホテルのブレーカーが壊れたときも電気屋さんを呼ばないで自分で直そうとしてましたから。ついでにバイクに乗ったベトナムの女性は美しいんですよね。細身の体でさっそうと走っていくのには、旅行中何度も見とれてしまいました。;;;^_^)

社会主義

 ご存じのように、(でもないか?)ベトナムはベトナム共産党が政権を持つ国で最近は「ドイモイ」という改革開放を唱えていますけど、どちらかというとお堅い国というイメージが強いのですが、サイゴンにいるかぎりは全くそんなことを感じませんでした。
 フランス植民地時代の影響が強いせいでしょうか、建物も欧風のものがあちこちに残っていますし、その一方では高層ビルが次々に出来ていくということで、たまに街角で見かける、大きな看板にスローガンと拳を振り上げた人々の姿が描かれているのと、国営企業に掲げられた国旗ぐらいが、ここは社会主義の国なんだなあと思いださせてくれるくらいです。後は中央郵便局の大きな肖像ぐらいでしょうか。
 ただ、ガイドさんの話では旧南ベトナムの人たちは今でも現政権に対する不満や不信感は強いらしく、いくらバスの中で外国人しか聞いていないと言ってもこんな事言っても大丈夫かいなと思うくらい北の政府(という言い方を今でもするみたいです)の批判をしてました。まあ今でも旧政府に関係していた人たちに対する就職差別は厳然としてありますし、幹部の蓄財、汚職の噂が絶えないようですから無理もないとは思いますが。このあとベトナム共産党がどんな政策をとっていくのか興味深いところではあります。

ベトナム戦争ーカンボジア侵攻

 ベトナムという国はベトナム戦争で文字通り歴史を変えた民族として、世界中の人から尊敬を受けたのですが、その後の旧南ベトナムに対する性急な社会主義政策、中越戦争カンボジア侵攻などで次第に世界の人々の共感を失っていきました。僕も75年のサイゴン陥落のTV映像を無邪気に喜んでいた一人ですが、その後のベトナム政府のありかたには裏切られたという思いがどこかにあったようです。特に78年のカンボジア侵攻は自分の中のイメージを決定的に変えてしまったほどショックな出来事でした。しかしこの点は僕の認識が少し違うようで、政府に批判的な添乗員のかたも、78年のカンボジア侵攻は正しかったと思う、と断言してました。クメール、ルージュのベトナム人に対する殺戮は本当にすごかったらしくカンボジア国内あるいは国境付近で本当に沢山のベトナム人が殺されたらしいです。 もしベトナムが侵攻しなかったらポルポト政権は今でも存在していただろうし、そうなれば一体カンボジアでどれだけの人間が殺されたかわからない。という言葉は説得力がありました。 ちなみにその添乗員の方はベトナム戦争のとき有名なハンバーガーヒルの戦闘にも直接ではありませんが参加した方で、その方の「私は戦争記念館には行ったことがない、つらくて直視できない。そして今でも戦争当時の夢でうなされる事がある」という言葉は重く心に残っています。自分はその当時、毎週のようにベトナム反戦のデモに出かけて行ったけれど、ベトナムの人々がどんな思いで闘っていたのか、戦争というのはどんなものなのか、万分の一もわかっていなかったんだなあと、今更ながら思いました。 そのベトナム戦争の傷跡もメコン川沿いの立木に残る機銃掃射や旧大統領官邸の戦車ぐらいしか、今回は目にしませんでした。 多分本当の傷跡はそれを体験した人たちの心の奥深いところにあるのだろうと今は思っています。

1998.09.10
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