偏見日記


「偏見は楽しい、無知は楽しくない」 98.4.5-99.8.6


秩序の感覚(1999.8.6) 広島に原爆が落ちた日に

 友人に奨められて灰谷健二郎の「天の瞳」を読みました。作品の評価は別の機会に書く ことにして、読んでいてなるほどと思ったことがあります。作中主人公が通う中学の先生 を描いた場面のことです。校風に意義を認めず、自由に振る舞おうとする主人公たちに対 して、校長をはじめ、管理職の先生たちが彼らを説得(脅迫)するために最後の切り札のよ うに使うのが「秩序を乱す」 という言葉でした。

 作品全体をとおして一番現実感のある場面で特に印象に残ったのですが、国会で「日の 丸、君が代」法案や「盗聴法案」を通そうとしている人たちが持っているのもおそらくこ ういう感覚なのでしょうね。戦後の「無秩序」、つまり突き詰めていけば「自由」「平等 」「博愛」というものが多分彼らの肌に合わないのです。「平等」ということばほど社会 の上層部にいる人間にとって我慢のならないものはありません。閨閥に彩られた彼らの一 票が庶民と同じ価値しかないなどあってはならないことです。彼らの体質にもっとも合う のが皇室を頂点としたピラミッド状の社会であり、それに意義を唱えるものは徹底的に取 り締まるという意志表示が一連の法案ではないかと思ってます。50年かけてここまで来た 、というのは我々だけの感覚ではなく、彼らの思いでもあるでしょう。

支配者の恨み。(1999.7.15)

 このところの日の丸、君が代、盗聴法、ガイドライン、憲法調査会と続く動きを見てい るとこの国の支配者がいかに敗戦後の50年間を、鬱憤を抱え、屈辱に満ちた気持で過ごし てきたのかよくわかります。本来ならアメリカの使い走りを引き受けるようなガイドライ ン法案など、真っ先に反対すべきはずのものを、ほとんど属国並の扱いをうけながらなお 受け入れているのは、その圧力を利用しながら、(一事中断した)明治以来の天皇を中心に した国体をさらに経済的に強化しながら復活していこうというのが彼らの意図です。戦前 というより明治への回帰というのが近いのかもしれません。

 もしそうであるなら、我々もまた明治以来日本が進んできた道を、改めて問い直す必要 があるはずです。単なる戦争反対ではなく、天皇を中心とするこの国の支配者が考えるも のとは違う日本という国のあり方を示さなければ今進んでいる事態を変える事は出来ない 。そう感じます。

少なくとも明治の初期に憲法草案を創った秩父の人たちのような想像力と気概がなければ 、抵抗はおぼつかないでしょう。

食肉にダイオキシンですか。(1999.6.23) 

去年ベトナムに行ってから時々ベトナムに関する本を読んでいます。変化のはげしい日常 に心を奪われてベトナム戦争の記憶が少しずつ薄れているのは、あながち外国人の私だけ ではないようです。しかし人々の気持ちがどうであれ自然は決して戦争の記憶をなくした りはしません。枯葉剤を撒かれたジャングルは未だに復活の兆しさえ見せず、伽羅という 香木はもう二度と採れないようになった、という記事もありました。さらに深い傷跡は植 物あるいは人間の遺伝子に残されています。生まれてくる子どもの奇形、植物の変異の多 さはダイオキシンの影響がどれほど大きいものかを表しています。

 そのことを頭の隅に置きながら一連のダイオキシン騒動を見ていると、何ともやりきれ ない気持ちになります。「ベトナムにどれだけの量をばらまいたのか忘れたのか」私がベ トナム人ならそう言いたくなるでしょう。枯葉剤の後始末はもちろん調査すらろくにせず 、もちろん補償の話もない。そんな「西側の人々」が食肉にダイオキシンが検出されたと 言って大騒ぎをする。

 変じゃないですか? それほど恐ろしいものをどうしてベトナムのに撒いたのでしょう か。誰もそれを非人道的あるいは環境破壊としてアメリカに抗議をしなかったのでしょう か。冷戦ということを割り引いてもある種の人種的な差別がそこにはあります。もしかし たらその当時西欧の人にとってアジア人は人間ではなかったかもしれませんね、黄色い猿 のと面と向かって言われた人もいましたし。今はそうでないことを願っていますが。 

映画「在日」のこと(1999.6.10)

先週は気持が沈んだり高揚したり、躁鬱のような気分でした。まずやり切れなかったこと 。日の丸の掲揚をめぐって校長先生が刺される事件が起きた事。オウム真理教の人達に対 する住民の反応と合わせて背筋が寒くなる思いがしました。この国はとか言い出してもも うしょうがないので、なるべくかかわらないようにして生きて行くしかない、と改めて思 いました。自衛するしかありませんね。何かものを言ったり、行動したりしてどうにかな るようなものではないみたいです。長く住む国ではないのでしょう多分。

感動したのは映画「在日」でした。そこに描かれた一人一人の生きかたの見事さ、潔 さ、悲しさ。もしこの国が少しでも良い方向に向かう可能性があるとしたら、「在日」の 人達抜きにはあり得ないと思いました。この人達から見捨てられないければ我々はアジア の中でなんとか存在できるかもしれない。そうでなければ道義なき国家として、アメリカ の下僕に甘んじたまま、アジアの敵になる道を再び進むことになります。そのときはもう 日本人である意味は私にはありません。そこから離脱する方法を探すことになるでしょう 。日の丸、君が世から離れられるだけでも楽になっていいかもしれませんが。

たった今natoが空爆を停止しました。しかし、喜ぶ気持には少しもなりません。何も解決 していなし、先の見通しもなしです。今度の戦争で何人の人が死んだのでしょうか。イラ クでは二十万人だったと言いますが、果してそれ以下なのかどうなのか。

(1999.6.1)

世界の今月号を読んでもやもやしたものがふっ切れました。「自動起床装置」を書いた辺 見さんが、戦争マニュアルの問題も含めて日本がどんなところまで来ているか、わかりや すい言葉で語っています。

「アジアを戦場にすることに我々は耐えられるのか」アメリカは朝鮮半島で数万人規模の 死傷者が出る事をすでに覚悟しているという言葉は戦慄的です。今思えばやはり湾岸戦争 が一つの転回点だったのでしょうね。あの朝、車の中でニュースを聞いたとき何かが弾け とんだような気がしましたが、それは鈍感な私でも今の状況を無意識に予感したからなの でしょう。あのときアメリカは日本という国がどの程度のものか、見切ってしまってたの です。少し脅しをかければ卑屈に腰を屈めて何でもする国、というのが彼らの考える日本 なのでしょう。

 アジアへの同胞意識もなく、かといってアメリカに互して新しい世界秩序をつくろうと いう意欲も見識もない。便利な使い走りとして使いきってしまおう、というのが米政府の 考えでしょう。朝鮮半島の経営に必要な駐留経費はおそらくほとんど日本が負担すること になります。日本にとってそれがどんなに負担でも彼らには痛く痒くもありません。属国 の努めぐらいにしか思わないはずです。

 ユーゴの周辺国家にNATOが何かしてくれたでしょうか。負担限度の何倍もの難民を受け 入れた国々がこのさきどうなるのか、おそらくそれが日本の将来の姿です。米にとって主 要な問題は常に中国です。日本問題は単にその関数のなかの一つの変数にすぎません。こ こ数年あるいは一年かもしれませんが、全てがはっきりするでしょう。アメリカにとって 日本がなんなのか、アジアの人たちが日本をどういうふうに見ているか、戦後50年の負債 を一挙に払わなければならないような事態が来るような気がします。それが終わった後今 とはかなり違った姿にこの国はなっているのは間違いありません。

(1999.5.31)この一ヶ月

 将来昭和史のような形で平成史というものが語られるかはよくわからない。しかし、 1999年の5月が歴史の一つの節目として記録されるのは間違いないと思う。日本は憲法を 変えることなく戦争に参加する道を選んだ。おそらく近い将来自衛隊員が最初の「戦果」 をあげることになるはずです。偶然の出来事としてではなく、多分周到に用意された後方 支援が行われるはずです。先日の日本海不審船事件のように。

 殺す相手がどの国の人々なのかはわかりません。多分それはアジア人のうちの誰かでし ょう。日本の兵士が欧米人を殺すことを彼らが許容するはずがありませんし、いきなり中 東は自衛隊の能力を超えます。

 考えだすと暗い予想ばかり出てきて気が重くなりますが、一方で戦争を望む国はあきら かに少数です。厳密に言えば米英の二カ国だけです。ロシアはもちろん、中国も北朝鮮だ って戦争をのぞんではいません。もしかしたらこれは追いつめられた彼らがする最後のあ がきかもしれないのです。

 何はともあれ、法案は成立しました。これからやらなければいけないことは戦争が起こ らないようにすることと、起こった場合にどうやって抵抗していくか準備をすること、言 うなれば平和のガイドラインをつくりだしていくことです。幸い戦前に比べれば相対的な 国の力弱いものですし理性的な人も沢山権力の周辺に残っています。昭和天皇が死んだと きも結局国は人々をコントロールしきることはできませんでした。ビデオ屋さんにあふれ た人を見ればよくわかります。今のところ政府もあるいは日本軍の上層部も手探り状態で す、もう少し時間はあります。これからできるだけのことをやって見るつもりです。

(1999.4.28)世紀末です

 ユーゴ情勢ですが、イタリアなどが反対するなかで米英だけが地上軍に積極的なようで す。地上軍の投入という事になれば双方の戦死者はこれまでと比べものにならない数にな ります。以前にも書きましたが、この両国が最も好戦的な国家というのは変わりません。 地上には正義がいくつも存在しており、その正義を頑なに信じるところから戦争が始まる のだということが、若い世代の二人の首脳は理解できないようです。

 仮に地上戦で 勝利して大統領が変わったとして、そこに残るのはNATOに対する怨みと憎しみだけなのは イラクの例をとるまでもなく明らかです。NATO監視軍が永久にコソボに留まることはでき ません。いやそもそもロシアや国連の対応しだいでは駐留することができるかどうかすら 確実ではないのです。

 それでもなお戦争を続けたがるのは何故でしょうか?今日ニューヨークの株価が史上最 高値を記録しました。もしかしたらこのために戦争を続けているのでしょうか。電子計算 機のディスク上に記録される、数字のために何万人もの命が失われてもかまわないという ことなのですか。  ポルポト政権を支持していたのは、どこの国だったでしょうか。イランに革命が起きた ときイラクを焚き付けて戦争を起こさせたのは、今ユーゴを攻撃している国々ではなかっ たでしょうか。誰が彼らの言うことを真にうけるでしょうか。世界中が日本人のようにア メリカ大好きではありません。誰もがアメリカのおこぼれに預かっているわけではないの です。

 さて、このまま欧州戦争が続くとして、それは日本の周辺事態にはならないのでしょう か。万一アメリカがユーゴに参戦するように要請したとき、小渕さんはどう返事をするの でしょう。我々は最も悪い時期に小渕さんという首相を持ったのかもしれません。この誰 彼かまわず電話をかける、一度として自分の理念を語ったことのない男が戦争の淵にある 日本の最高責任者なのです。世紀末というのはこういうものなのでしょうか。蟻地獄にお ちるようなこの感じがそうなのでしょうか。

(1999.4.15)地方選挙の結果、映画

石原さん当選しましたね。この後どうするのかわかりませんが、多分何もできないでしょ う。雰囲気だけ勇ましくなっていくのは困りますね。ある作家が当選してくれてよかった 。これで小説の事に口をはさまなくなる。と書いていました。どうも石原さんは最近の文 学的な流れとか全く理解していないのに、 文学賞の審査委員になっているので、みなさん困っていたみたいです。今度は都庁のみな さんが困るんでしょうか?

映画 「シン レッド ライン」の感想をMLに書いたものです。
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ちょっと息抜き、という感じで映画の話です。今見終わったばかりの気分で書いてます。
原作はジェイムズ・ジョーンズ。彼は真珠湾攻撃やガダルカナル攻防戦を経験し、『地上 より永遠に』が戦前編、復員編が『Whistle』そしてこの「シン レッド ライン」が戦 争編ということで、ガタルカナルの戦闘に参加したアメリカ軍の、中隊一人一人の生と死 を描いています。

この映画はベルリン音楽祭でグランプリをとり。アカデミーでは7部門にノミネートされ ながら、監督テレンス マリックは授賞式に出席せず受賞も一部門もなかったという、い わくつきの映画でもあるのですが、そういう事とは全く関係なくすごい映画だなあと思い ます。

映画ですからストーリーを書くのは止めますが、とにかく、はじめて戦争映画で恐怖を感 じました。実際の戦場で感じる恐怖の何分の一、何十分の一なのかもしれませんが、それ でも戦闘シーンの間中、動悸は止まらず、息苦しいまま時間が過ぎていきました。臨場感 というより仮想現実というほうが近いです。
自分が怖がりのせいもあるのかもしれま せんが映画の間中、どんなことがあっても戦場には行きたくない、そればかり考えていま した。それくらい戦場の描き方が生々しく、甘いところが全くないのです。

戦争映画というと、どんなものでも英雄的な場面とか友情を描くシーンがあって、そこが 救いになったりするものですが、この映画ではそういうシーンですら。何ともいえず苦い 、やりきれないものに描かれています。じゃあ、重苦しいだけなのかといえばそうでもな くて、基本的に人間の愚かな営みを遙か上のほうから見るような視点で描かれているので 、単調なものにはなっていません。スピルバーグが絶賛した監督ですから周囲の自然を描 いた場面は本当に美しいですし、その対比がこの映画の一つのテーマにもなっているよう です。

普通は是非見るのをお奨めします。とか書くんですが、これは誰にでもそう言えないほう の映画ですね。行く前に雑誌とかで予備知識を仕入れて腹を据えて行かないと、けっこう こたえる映画です。 「スターウオーズ」とはそのへん違います。大好きですけど;^^)

それにしても、こんな映画を作りながらユーゴの空爆もガンガンやる。逆かもしれません ね。片一方で戦争しながら、こういう映画も作る。そのへんがアメリカという国の大きさ でもあるし、わからないところでもありますね、「スターシップ トゥルーパーズ」なん ていうひねった戦争映画もつくったりするし。

(1999.4.11)感動したこと。地方選挙の結果

先週金曜日のニュースステーションを見ていたら。96歳の大学生と言うタイトルで歌川 国芳さんの生活をかなり長い時間放送していました。93歳で高校に入学して無事卒業。 この春から法学部で勉強をはじめるという歌川さんの表情、話す言葉の一つ一つがなんと も言えず美しく、尊いものに思えました。途中から涙がぼろぼろこぼれて画面が滲んでし まったのですが、力みもなく、孫のような同級生に囲まれて食事をする歌川さんの姿は、 幾つになっても美しく生きていくことはできるのだ、と私を諭しているようにも見えます 。まだまだやることはあるのだ、と久しぶりに思えたいい夜でした。

まだ投票が終ったところで結果は出ていませんが、私が興味を持って見ているのは、 ガイドライン法の関係で、いざというとき地方議会に抵抗できる議員がどれくらい当選す るかということです。後はまあどうでもいいという事はないのですが、優先度は低いです 。風邪気味なので早く寝たいのですが、この日ばかりはどうしても夜中までテレビを見て しまいますね。東京は石原さんが当選した場合本当に横田基地の返還を言えるかどうか興 味はありますが、パフォーマンスで終るという気がします。

(1999.4.5) 地上軍の投入はあるのか?

コソボはいつ空爆が収まるのか予想できない事態になってきましたが、確実にわかってい るのは、ユーゴ側は空爆だけでは絶対に和平に応じないということと、今のままでは完全 にコソボの人達は殺されるか、追い出されるかしてしまう。つまり民族浄化が空爆のおか げで達成できてしまうということ、ミロシェビッチの権力基盤が強化されたというこの三 つです。

後はECとアメリカが失敗を認めて国連に調停をたのむか、あるいは全く別の調停機 関を創設するかですね。そうでなければベトナム化を覚悟の上で地上部隊を投入するかで すが、これは現実的に無理でしょう。多数の死者がでるのは間違いない地上戦に踏み切れ る程クリントンの基盤は強くないし、第一お金がないです。湾岸戦争のときのようにアラ ブや日本がスポンサーに付いているわけではないですし、ECは日本と違って馬鹿じゃな いからそんなものにお金をだすはずがありません。アメリカは景気がいいといっても借金 まみれなのは変わりないですから、議会が金を出すはずがありません。

ユーゴ側もそのへんはよく知っているので、徹底的に抵抗するでしょう。長引けば自 分たちに有利なのはわかってますから。本当は日本に外務省があれば、ここで双方に働き かけて事態を動かすだけの力があるんですけどねえ。残念ながら日本には外交を司る役所 がないので、いかんともしがたいですね。米語翻訳省というのはあるらしいんですが。


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