偏見日記


「偏見は楽しい、無知は楽しくない」 99.1.2-99.3.29


(1999.3.29) どうもねー

 日本海での不審な漁船を追っかけていた自衛隊機は爆弾落してしまったんですね。誰もが考えるのは何故こんな時期に?ということではないでしょうか。
今までだってこんなことは何度もあったはずですから今回だけ自衛隊に支援を要請するのはかなり不自然ですね。

 だいたい沖縄はじめ日本各地にある象の檻とかいわれている巨大なアンテナは常時日本周辺の電波を監視しているはずですし、偵察衛星もある。事実最初に漁船を発見したのは米軍のP3Cでした。米軍にとってはその船がどこの船で何をしているのかとっくに承知していたんでしょう。あまりに出来すぎていて白ける感じですが、この程度でも政府にとっては法案を通すための材料になるのかもしれません。

 周辺事態法案の事もそうなのですが、どうも最近自衛隊の様子が変な感じですね。今までと違う事態が進行しているんじゃないでしょうか。うがった意見の中にはクーデターがおきてるんじゃないか。と言うのもありますが、まさか政府が脅迫されているなんて事はないでしょうね。一連の装備購入をめぐる事件で制服組が切れたというのも考えられなくもないですが一番可能性の高いのはアメリカの意志ということでしょう。長い一党支配の中で培われて来たアメリカの対日影響力は両国の政府にとって最も重要な機密でその実態は窺い知れませんが、想像以上にワシントンの影響力は日本の支配機構の中に及んでいると考えるほうが自然です。あるいは漁船は北朝鮮のものではなくアメリカのものなのかもしれませんし、もしかしたら米軍と北朝鮮の間で話が出来ていたのかもしれません。軍事というどんな事でもおこりうる中では新聞やテレビのように簡単に政府の発表を信じるのは危険です。大きな嘘ほど人は信じやすいといいます。あの戦争から学ばなければいけない事はまだまだ沢山あります。

 ユーゴの空爆も一体何のためにやっているのか全然わかりません。このままいけばコソボの難民が大量に増えただけ、という結果になりかねません。ユーゴ軍もかなり戦力は高いみたいだし、地上軍を投入するようなことになったら終りですね。ベトナムみたいなことになりかねません。

(1999.3.22) スヌーピーの兄

 河合隼雄の書いたものを読んでいると時折心臓を掴まれたような衝撃をうけることがある。先日谷川俊太郎が訳しているスヌーピーのシリーズを何冊か買いました。その中にスヌーピーの兄のスパイクがでてくるものがあったのですが、ご存じのようにスパイクは一人で砂漠に住んでおり、普段は誰とも話をしない生活を送っています。ときおりサボテンに向かって話すのが妙にもの悲しく、またどことなく滑稽でいつものライナスやルーシーが登場する話とはひと味違った感じで、不思議に惹かれるところがあるのです。

 河合隼雄はこの巻の解説の中で「心の奥底に関するような話が出来るような相手を持っていない。という意味では砂漠に暮らすスパイクも多くの人間に取り囲まれて暮らす我々も大差がない」と書いていて、子供の本の解説としては恐ろしく大胆な事をいうので読んでいてどきっとしたのですが、その微塵の疑いもないような言い方に、かえってホッとするような感じがしたのは。それが人が気づいていながら口にだして言えない「真実」なのだからなのでしょう。

 物心ついたころから他人に心を許すという経験を持たなかったので、いつも自分だけが周囲と馴染めないで心を閉ざしているのだと思いこんでいたのですが、もしかしたらそうではないのかもしれない。などとこの解説を読んだ今頃になって考えています。なんと気のつくのが遅いことか我ながらあきれていますが、まあ仕方がありません。それにしても河合隼雄という人は恐ろしい人ですね。

 少し落ちついて本が読めるようになって。昨日は本当に久しぶりに映画を見てきました。「スネークアイ」という刑事もので、それほど出来のいい映画ではなかったのですがニコラス ケイジの相手役の女優が良かったです。
本はイスラーム思想史を拾い読みしていますが、意外なことに面白いのですこれが。

(1999.3.9) 疲れましたー

忙しいという字は心が亡ぶという意味だとか言いますが、その通りですね。ここ一ヶ月寝食は忘れませんでしたが、それ以外の時間は全て仕事という状態が続きました。おかげで生活のリズムは崩れるし、世の中の出来事にも思考停止という感じで、惚けるというのはこういう感じかしらん。などと思いながら、PCの画面を見ておりました。請負仕事の宿命といえばそうなのかもしれませんが、普段からつき合いのあるところから泣き落としで頼まれて、引き受けたのがいけませんでした。いつもは出来ない仕事はどこから言われても断る事にしているのですが、このときは魔がさしたというか、つい引き受けてしまい、生まれてはじめて大阪の防衛庁まで引っ張りだされ、素人のような係官相手に早朝から深夜まで付き合うという愚行もやりました。地元の国会議員が無理やり補助を付けさせた建物ということらしいのですが、上の方では何千億というお金をどぶに捨てているのに、この係官は何千円単位の事を細かく文句を付ける男で、久しぶりに心底疲れました。

 もう二度と防衛庁などに行くことなどはないと思いますが(仕事では)、係官以外はほとんど何をしているのかわからない(えらい人)が沢山おりました。県庁なんかに行ってもよくみかけますが、こんなもんのために誰が税金を払うか、という気に自然になってきます。

 まだ頭がぼうっとしてますが、とりあえず細かい仕事も大分片が付いてきたので、また少し本を読んだり、思ったことを書いたりする予定です。昨日読んだ井筒俊彦の「マホメット」は面白かったです。もっと若いときにこんな本に出会えていれば大学を受験して、何かを研究するという道を選んだかもしれません。

 当分今度の仕事先からは仕事を受けないつもりです。あまりにも官庁にたいして言いなりになりすぎで、ちょっと一緒に仕事をする気にはなれないです。

北朝鮮のことは金大中大統領がというより、(だけが)頼りという状態ですね、今は。金氏が権力を握っている間は戦争にはならないように思います。それだけにアメリカが韓国政府に何かしないか心配ですね。

(1999.2.14) 北朝鮮の飢餓

日本は例年より少し静かになったバレンタインデーですが、北朝鮮では飢餓が深刻な状態です。JCAの浜田さんがまとめたものがあります。北朝鮮の餓死者の数は100万人とも300万人とも言われていて、数字が曖昧なことをもって支援の必要性を否定する人もいますが、仮に50万人であったとしても事態の深刻さに変わりはないはずです。是非一度下のページを見て下さい。

ピースネットニュース http://www.jca.ax.apc.org/peacenet/
「飢餓地獄の北朝鮮」 http://www.jca.ax.apc.org/~taratta/article/korea.html

ただ、そう言いながらも今さらながら自分の救いがたさを感じます。他人がどうこうというよりまず、飢えた人たちを何とかしようと必死になる気持ちが湧いてきません。それはどう言い繕っても仕方がないことなので、その上でどうするか考えるしかないことだと思っています。

中村真一郎の本に宇津保物語の面白さについて力を入れて書いていたので、今日からよみはじめました。源氏物語と全く逆の現実の宮廷政治の裏を描いたものらしいのですが、すごいですね。あの時代に日本でこんな物語が書かれたのはどうしてなんでしょうか。中国にも例がないということですし、以外に日本の文化の中に長編小説に向いたものがあるのかもしれません。

(1999.2.7) 新聞ねえ

 最近周辺事態法の関係で北朝鮮のミサイル疑惑がことさらに強調されているようですが、先日米大統領報道官が

「北朝鮮がミサイル攻撃をする可能性はほとんどないし、以前に比べればむしろその怖れは減っている」

という意味の発言をしていました。理由は簡単で両国の戦力の差が圧倒的に開いてしまったからだそうです。湾岸戦争を見ればわかりますが、米は一つの艦隊だけでも世界のおおよその国と戦えるくらいの装備をもっているんですから、よほど自暴自棄にならない限り北朝鮮から攻撃を加えて来ることはありえないでしょう。
まあそれが世界の常識的なみかたなのでしょうし、少し冷静に考えればわかりますよね。

 それにしても最近の新聞には、この程度に視点が違うともう記事になりませんね。一つの事に関して幾つかの視点で書くとか、官庁の発表に頼らないで独自の取材をするとかいう報道の基本的なことがほとんど出来てないにたいです。官報と変わらないようなないようで、いかにも独自取材のような顔をした記事を書くから質が悪い。今、政府委員制度が問題になってますけど、新聞にはそれを批判する資格はないでしょう。ひどい記者になると会社や官庁の担当者にほとんど記事を書かせている状態だと聞きましたが、権力の監視どころか提灯持ちでしょう、これでは。

周辺事態法なんていう国のあり方の根本が変わろうとしているときに、ろくな記事がのらないのは、普段きちんとした取材もしてなくて、番記者制度とか記者クラブなんかでべったりになってるから政府に余計な事を書くな、と言われると何もかけないんでしょう。インターネットとか雑誌とかがあるからまだ助かってますが、以前みたいに新聞の影響が大きい時代だったら、もう終わりでしたね。

(1999.1.29) 風邪

 風邪が流行っていて、しかも強烈です。普段から風邪薬を飲まずに直すようにはしているのですが、こんな場合はどうしたらいいのか悩みますね。何人もの人が亡くなっていて大変なことなんですが、特に子供が亡くなった場合、やりきれないと思いますね。風邪なんかでという思いが長く続いてしまって。

 もう一つ悩ましいのは、地域振興券というあの馬鹿げたモノをどうしたら良いかということなんですが。うちも二人対象になってるんですけど、受け取りに行ったらよいものか、ほっとけばいいのか。いずれ税金で回収されるんだから取りに行かないと損かなとも思ったりして、どうしましょうかねー。

(1999.1.27) 風

去年あたりから、河合隼雄の本を読むようになっているのですが、先日アメリカでの講演をもとにした本を読みました。丁度叔父を亡くしたところだったので少し過敏になっていたのかもしれませんが、本の最後に載っていた詩が心に染みました。 MLでも評判が良かったのでここにも書いておきます。
  「1000 の風」

私の墓石の前に立って
涙を流さないで下さい。
私はそこにはいません。
眠ってなんかいません。

私は1000の風になって
吹き抜けています。
私はダイアモンドのように
雪の上で輝いています。
私は陽の光になって
熟した穀物にふりそそいでいます。
秋には
やさしい雨になります。

朝の静けさのなかで
あなたが目ざめるとき
私はすばやい流れとなって
駆けあがり
鳥たちを
空でくるくる舞わせています。
夜は星になり、
私は、そっと光っています。

どうかその墓石の前で
泣かないで下さい。
私はそこにはいません。
私は死んでないのです。


                   「あとに残された人へ、1000の風」より

(1999.1.24) もうだめかな

なんだか、今年に入って仕事が忙しいのと、読みたい本がたて続けに出てきたのとで、全く日記を書けなかったのですが、この間にいよいよ日本は危ないところに来たようです。先日の米軍機の事故は北朝鮮との模擬戦闘訓練中に起こったものだと言いますし、国会でガイドライン関連法案が通るのは確実です。

 少し前の朝日新聞で内橋克人さんが政府の経済政策を批判していましたが、確かに内橋さんの言われる通り、ほとんどの人がお金やモノを浪費することに倦んでいるのに、政府の政策は赤字国債を発行してまで、金をばらまき、モノを買わせようとしてます。それの批判とは別に政府の以前に書いた事とは矛盾するようですが、経済政策がいよいよ行き詰まり、アメリカにバブルがはじけた後の不況がやってきたとき、クリントンと小渕が北朝鮮オプションに手をつけるのではないか、という心配がどうも頭から離れません。もう準備はほとんど完了しているようですし、ブラジルの問題でアメリカの景気にも影がさしてきました。

イラクの例をみていると、アメリカ国内には戦争を止める世論の力は以前に比べてかなり弱いと考えたほうがいいようですし、不況になればさらに戦争への期待は強まるでしょう。内心ほとんどあきらめてはいるのですが、それでもなんとかしなければと思います。非力な自分に何ができるのかわかりませんが、朝鮮半島を3度侵略することだけは、なんとかしたいのです。

(1999.1.2) いいよ 不況で。

 新聞やテレビなんかで不況だとか、日本の将来はどうなるとか言って暗い雰囲気ですが、本当なんですか?僕の周囲では全然そんなことないですよ。けっこうお金も使ってるし、仕事は確かに減って来てますが、だからといってバタバタ倒産するところまでは行ってないです。どちらかというと会社がこれをネタに首切りをやってる感じのほうが強いですよ。

 考えてみたらバブルのころより今のほうがはるかに世の中の雰囲気は良いですね。あのころは最悪でした。やくざが札束抱えて土地を買い漁る社会なんて最低でしょう?土地を売った金でブランド品買い漁ったり、見る目もないのに美術品集めたり。どっかの生命保険会社みたいに、偽物つかまされて今だに売るに売れなくて困ってるとこもあるしね、下品な時代でした。このごろよく日本人は夢がもてなくなった、なんていう人がますが、じゃああの異常な時代は夢を持っていたんでしょうか? それってどんな夢なんでしょう? 私なんか今のほうが希望がもてると感じています。就職先が少なくなってきて、企業にタイする幻想もやっと吹き飛んだようですし、会社人間もこれからは減るでしょう。とにかく会社に帰属いや隷属していることから離れないと、世の中どうにもなりませんから。

 というわけで、今年も景気が回復しないように祈っています。(多分回復なんかしません)。少しずつ公平に貧しくなりましょうよ。もう疲れました、働くのに、私は;;^_^)


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