ハノイで一休み

      2001.1.11〜1.16


 一日目 関空へ

夕食の支度を済ませて少し早めに家を出た。仕事の電話などに捕まって、電車 に間に合わなくなっては大変なので、あわてて金沢駅行きのバスに乗る。駅に ついても、なかなか前回のような開放感が沸いてこない。今度の旅行はいろい ろ事情があって、前回のようにすっきりとは出発できなかった。いろいろある んですよね、歳くってると。ほんとにめんどうくさいです。旅行の準備よりそ ちらのほうがわずらわしかったりします。と書いても何のことだかわからない とですね、聞き流してください(^_^;) JRの窓口で「関空切符というのがお得ですよ」と自信たっぷりに言われてし まったので、ついその切符を買ってしまった。後で手帳を見たらやはり最初の 予定通り新大阪から快速で行くほうが安かった。 おまけにその切符は「はるか」を利用するので、予定より二時間も早く関空に 着いてしまった。関西空港は二度目だけど夜中は寂しいところですね、だーれ もいない。時間があるからゆっくりお茶でも飲んでとか思ったけど、みんな閉 まってるし、それに比べるとバンコックの空港ってやたらにぎやかでした。仕 方がないのでガイドブックを読んだりベトナム語のおさらいをしているうちに 何とか時間は過ぎていきました。出発ロビーに入ってしまうと滑走路に停まっ ている飛行機が見えたり、乗客の表情とかを観察できたりするので退屈はしな いんですが、ほとんどが二人以上で旅行してるみたいで、ちょっと寂しい。深 夜便なんて眠れないだろうなあと思っていたけど、けっこうすっきり目が覚め た。明け方フライトアテンダントが小さいサンドイッチをくれた。機内食って この程度でいいんだけどね、あんな狭い座席に何時間もじっと座っていたら何 喰ったって美味しくないですよ。

暑いよ バンコック

で、真冬の日本から気温30度のバンコックへ到着。むっとする空気の中で4 時間、ハノイ行きの飛行機をただ待ってました。そのうち売店の横で座ってい ると、カンボジア出身で今はアメリカに住んでいるというおじさんに話しかけ られました。娘さんに会いに帰るということで、ずいぶんと嬉しそうでした。 きっといろんな物語があるんだろうなあという雰囲気の人でしたが、疲れてい たので長い話をする気にもなれず、当たり障りのない話をして出発ロビーへ。  定刻から1時間遅れてハノイ到着。

ハノイ空港は寂しい

ハノイ・ノイバイ空港は小松空港よりもっと小さい。昔見たバリ島の空港と変 わらないような気がする。パスポートコントロールを待っている間トイレに 行ったんだけど、国際空港とはとても思えないトイレだった。一応水洗とい うだけで昔の小学校のトイレを汚くした感じです。 隣に新しい建物を建ててるけど、ぜんぜん仕事が進んでいるようには見えない。 工事用の車がほとんどいない。空港のトイレが汚いからといって、別に遅れて いるとか劣っているとは思わないです。だけどホーチミン廟やら議会に手間と お金をかけるんだったら、首都の玄関はもう少しきれいにしたほうがいいと思 いますけど。空港使用料と同じ宿泊費のゲストハウスだって、もっとちゃん としてるんですから。

ミニバスはどこ?

入国審査もすんなり済んで、ミニバスのチケット売場を探す。だけどタクシー のチケット売場はあるけれど、ミニバスの表示がどこにもない。何度かそのへ んをいったりきたりしても何も見あたらない。客引きらしい男が何人も声をか けてくるのが煩わしいので、とにかくタクシーのチケットをうっている女性に ミニバスのチケット売場はどこか聞いてみると、「1ドル60セント」と言っ てチケットを渡してくれた。彼女の前のカウンターの腰には何度みても、タク シーの値段しか書いてない。安いミニバスにはできるだけ乗せたくないのかも しれないけど、もう少し親切でもいいと思うけど。黄色いトヨタのハイエースが そのミニバスらしい。英語で話しかけてくるのを無視して、10分ほどベトナ ム語の知ってるフレーズを並べて会話を試みた。すぐ通じるフレーズもあるし。 何度言っても通じない言葉があったりだけど、まあ何とか使えるみたいだ。そ のうち東欧から来たらしい若いお兄さんたち3人が乗ってきてとりあえず出発。

ちょっと怖かった!

空港から市内への道路はどういう種別になっているのか、いまだによくわから ない。車はみんな高速道路なみのスピードで飛ばしてるんだけど、自転車も歩 行者も、牛もバイクももちろん歩行者だって横断する、本当になんでも通って いる。いったいこれはなんなのだろう。このバスの運転手は料金所でお金を払っ ていたが、途中の横の道から入ってくる車はそんなものを払っている様子がな い。どんな仕組みになっているのか気になって仕方がなかった。もっともそん なことより事故の心配をするほうが先だったかもしれない。助手席にのってい るととにかく怖い。車は日本製らしいけど、相当使い込んであるし、警笛は5 秒おきになるし、ときおりベンツが200km/hくらいで追い越していくと、 つられてスピードが急に上がったりする。その上運転手のオジサンはバイ マ ダム?とかホテル1ドルOK?とか意味不明な(でもないけど)ことを口走り ながら、ときおり顔をこっちに向ける。(怖いから向こう向いてくれ)それ以 上何か言われないように、市内に入るまでずっと黙っていた。 後ろの座席では、助手のおにいさんがしきりと東欧三人組にホテルを斡旋して いる。英語がうまくなるはずだよね、外国人相手の仕事では当然英語のレベル がそのまま収入のレベルになるんだから。次の日参加したツアーのガイドなん かは20歳前半くらいだったけど英仏語が完璧で、つぎは日本語を憶えようか なとか言っていた。日本の学生とは、目的意識が全然違う。しかし逆に言えば それは、外国人を相手にしなければお金が儲けられないということになるわけ で、国内産業が危弱なことの証拠でもある。誇張された言い方だけど、日本と 韓国が経済的に優位にたてたのも、語学が不得手で優秀な人間が国内企業に留 まったからだという説もあります。真偽はともかく、たしかに語学にかける時 間や能力を専門のほうに向けたほうがいいに決まってますよね、人間のリソー スは一定なんだし。

 まず街中へ

何はともあれホテルがきまるとほっとするよね。とりあえずここにいる間は安 心できるから。RPGのセーブポイントみたいなものです。朝食付き15ドル は高いのか安いのかよくわからないけど、まあ汚くはなかったのでここに決め た。後で聞いたらホテルの中に日本人は私一人だった。落ち着くまもなく、す ぐにホテルの前から地図を頼りに歩きはじめる。前回の経験で、とにかく歩き 回って地図を頭の中に入れるのが自分には一番合ってるような気がする。乗り 物で廻っても駄目なんですよねぼくの場合。

 ツアーを申し込む

とにかく明日のツアーを申し込むためにシンカフェオフィスを探すことにする。 運良く懐かしい看板のオフィスはすぐに見つかった。受付の女性と少し話をし て、パヒューム・バコダという山の上のお寺にいくツアーを申し込んだ。昼食 込みで、11ドル。確かに安いけれど、どこかのページにここのツアーが安い のは例えばボートに乗るときのライフジャケットを省略したりしているからだ、 みたいな事を書いてあったので少し不安ではある。向かいに両替オフィスがあっ たのでとりあえず10ドル両替。

ホアンキエム湖を探す。

ハノイではホアンキエム湖を見つけなくては何処へも行けない(らしい)。何 度も迷って30分ほどうろうろしていたけど、やっと交差点の向こうにそれら しい風景が見えてきた。空港に降りたときもそう感じたのだけれど、ハノイは 気候も人もホーチミンに比べておだやかだ。バイクと自転車の群に気をつけな がら、ホーチミンではめったに見かけなかった横断歩道を、かけあしで湖面の ほうに向けて走った。ホアンキエム湖は「ちょうどよい」大きさだった、せせ こましくなく、かといってむこうがみえないほど大きくもない。ジョギングや 散歩をするのにぴったりだ。もっとも3日間一人もジョギングをしている人は 見かけなかったけれど。 ともかく、あまり人も多くなく、穏やかな気候とあいまって、そこにたってい るだけで気分がなごんでくるようなところなのだ。湖畔をゆっくり歩きながら まず辞典を買うために書店を探す。途中「ニャンザン」の建物らしいものがあっ たが、ちがうかもしれない。本屋はすぐに見つかった。国営書店というわりに は小さいけれど、けっこう面白そうな本が並んでいた。日本の漫画を翻訳した ものも沢山並んでいる。60,000VDのものを二冊買う。ついでにエアー ポートバスが出発するというベトナム航空を探したけれど、これは見つからな かった。また迷子になりそうだったのでとりあえずホアンキエム湖へ引き返す ことにする。

王山祠

ベトナム特有の笠をかぶった女性が笊にのせてパンを売っている。小さいとき 食べたロールパンに似ていたので、つられて一つ買った。それを囓りながらの んびり湖の周囲を歩いてみた。まだ空港に着いてから二時間ほどしか経ってい ない。心配していたのが嘘のような順調な成り行きに、少し自己満足を憶えな がら、湖にせり出した大亀伝説で有名な王山祠へ入った。ベトナムの観光スポッ トと言われる場所は政府関係のものを除けばたいがい建物の規模が小さい。ア ンコールワットほどではなくても、京都や奈良のお寺みたいなものを期待して いくと、その落差にがっかりする事になる。大きさだけでなく、権威付けとい うか、その気にさせる工夫が全くない。観光資源という考え方が(少なくとも 今の政府関係者には)ほとんどないような気がする。そのわりには、ホーチミ ン廟なんかやたらりっぱだったりするし、お役人が見に行くような劇場は飛び 抜けて大きかったりするので、ドイモイでだいぶ変わったとはいえ、基本にあ るものはなかなか変わらない、ということなのかもしれない。 途中何人か絵はがき売りの少年が側にやってきたけれども、ホーチミンのよう にしつこくない。どことなく品がある様子で、断るとあっさりと向こうに行っ てしまった。 ホアンキエムの名前のもとになっているという亀の剥製はさすがに大きかった でも見るものはそれだけ。シンプルでいいけどね。

絵はがき売りの少年

王山祠を出てしばらく歩くと、また絵はがき売りの少年が寄ってきた。めずら しく(というよりずっと付いてきたのはこの子だけだった)しつこくまとわり ついて離れない。無視することにして水上人形劇(タンロン)を切符を買うこ とにした。ここは当日にしか券を売らないということで、手書きのノートを見 ながら座席の空きを確認してくれた。売り切れになることが多いと聞いていた ので、無事に夕方6時からの券を買うことができてほっとする。切符を買えた のはいいが帰り道がわからない、おまけにその少年がまとわりつくので落ち着 いて地図を確認できない。あきらめてその少年にホテルまで案内してもらい、 ついでにホーのうまい店を教えてもらった。ホーを食べている間に年齢を聞い たら17歳と答えたので、思わず聞き返した。小学生くらいの体格でそれにひ どく痩せていたからだ。家族が沢山いるので田舎から出てきて一人でハノイに 住んでいるという話を聞いて、ついほろっとしてしまった。ガイド料のかわり に絵はがきを買い、ついでに少しチップを渡した。 彼の話を聞いたからというのではなく、農作物の価格が低く抑えられているた め、農村での生活が最近とくに厳しくなっているという記事は何回か目にした ことがある。今は世界経済の枠組みに巻き込まれたとたん、力の弱い国(軍事 及び経済的な意味で)は徹底的に搾り取られることになっている。賭場で素人 が徹底的にむしり取られるように、ありとあらゆるもの、人も金も資源も先進 国に巻き上げられてしまう。中国はそのことをよく知っているし、力もあるの で今のところその地位を保っていられる。ソ連はあっけなく解体処理されてし まった。ベトナムのドイモイがどんなふうになっていくのかわからないが、農 村を押さえつけて工業化にその力をふりむけようというやり方は、そんなに続 くのだろうか。ベトナム共産党の力は強いとはいえ、海外に出ているベトナム 人も多い。近い将来、農村の不満が爆発することもあり得るように感じた。

水上人形劇と一弦琴

ホテルに帰ってもう一度ゆっくり地図を見るとこのホテルがハノイ36通りと 言われる場所の真ん中だということがわかった。今回は時間がなかったから店 をのぞいてみることはできなかったけど、今度はゆっくり見て回ることにした い・・・・、当分来れそうもないですけど、他に行きたい国もあるし。 ともかく一息ついてホテルを出ました。やっとあの「タンローン」が見られま す。並んで入ると係の女性が席を教えてくれたんですが、 場所を間違えて、 叱られてしまいました(^_^;)それでもフランス人のカップルの隣でゆっくりコ ミカルな人形劇を楽しみました。 専属の楽師が奏でる旋律は、中国風でもあ るし、日本でいつか聴いたような懐かしい感じもする。 劇中の演奏はまあ伴奏という感じで聞き流していたんですが、最初に聴いた一 弦琴の音色には引き込まれてしまいました。たった一本の弦がなぜあれほどせ つない音をだせるのかわかりませんが、魂がどこかに迷い出てしまいそうな演 奏でした。別に弾いている女性が格段にきれいだったからではないとは思いま す(^_^;) それにしてもフランス人多いですね。フランス語をこんなに頻繁に 聞いたのは初めてだったので、なんとなく映画の中にいるような気分になりま す。「愛人」というわけじゃないですけど。ホーチミン市のときはそんなに感 じなかったのですがハノイではフランス植民地時代の影というか名残みたいな ものを濃く感じますね。

定食屋の主人

 夕食は地球の歩き方に出ていた定食屋へ、ここでもう一度道に迷っている とさっきの絵はがき売りの少年に会ったので、二人で地図を眺めているうちに、 日本語を話す女性が声をかけて道を教えてくれた。店は例によってきれいでは なかったが料理はけっこう旨かった。主人が帰り際に日本人か、と訛のある英 語でぽそっと口を開いたのが妙に心に沁みた。ベトナム戦争当時すでに成人だっ たくらいの年かっこうなので、何かいいたいことがあるのかもしれなかったで すね。

無事初日が終わる

ホアンキエム湖の周囲には夜でもけっこう人がいる。若い人たちはバイクを歩 道に止めて何か飲みながら楽しそうに戯れている。このへんは多分何処の国も かわらない。バイクの後ろに彼女を乗せて楽しそうに走りまわる姿は微笑まし い。もっとも日本の車と同じで、バイクの種類によって女性が喜んだり乗るの をいやがったりするそうなので、若い男性がたいへんなのも変わりがないみた いだ。ホテルのテレビは台湾の放送だけがきれいに写る。ベトナム放送はニュー スが多いし、電波の状態も良くなかった。一度どこの国のかわからないが映画 の吹き替えをやっていたけど、台詞を全部同じ人間が喋っていてもとの言葉も 微かにきこえてきた。放送としてはともかく、語学の勉強には向いている気が する。

二日目 パヒューム・バコダ(香寺)  自然の胎内に作られた巨大な仏壇

次の日は朝から少し雨が降っていた。ツアーは山歩きなので心配したが、少し づつ小降りになってきたので安心して食堂に用意された朝食を食べることがで きた。バイキングスタイルで、果物と珈琲が好きなだけ味わえるのは嬉しい。 朝食はどうしても普段食べているものが食べたいと思うのは、何故でしょうか。 それ以外は全く平気なんですけど。不思議なものです。 7時にツアーオフィスに行ったけれど、迎えのマイクロバスが来たのは7時4 0分、乗り込むとフランス人のグループとベトナム人のカップルが一組、あた りまえだけど日本人は一人。挨拶がフランス語ではじまったので、ちょっと嫌 な予感がしたんだけど、やっぱりツアーの説明はフランス語でした。げっドイ ツ語ならまだ・・・・嘘です。フランス語の後、少しベトナム語の説明があっ て、最後に英語のが少し・・・・基本的に最後までこのパターンでした。バス に乗っている間は解説してもらうような場所でもなかったし。わからないなが らフランス語をなんとなく聞きながら、バスの外を眺めているだけで飽きるこ ともありませんでしたし、たまに後ろのグループから飴が廻ってくるので、 「メルシー、ブクー」とか言ってるのもけっこう楽しかったです。 ハイウエイ?を自転車で走る仕事着の女性や、軍服姿でホンダカブを運転するお じさんを見ているだけで、いろんな想像か膨らんでいくので、かえってよけい な説明が耳に入らなくて良かったような気もします。負け惜しみじゃなく(^_^;) 一時間半ほど走ると船着き場のようなところに着いた。川幅2−30メートル くらい。川のこちら側に、上陸用舟艇をミニチュアにしたような鉄板を溶接し て作った船が大量に並んでいる。ボートを待っていると子供たちが集まって来 たので少しベトナム語で話してみた。今度の旅行ではこのときが一番話が通じ たような気がする。 3ー4人で一つのボートに乗り込む。アジア人同士とい うか、その他三人という感じでチミンからのの二人と一緒な船になった。二人 は結婚していないそうなので、まだまだ男女の関係にはきびしいらしいベトナ ムでは、けっこうすすんだ二人だったのかもしれない。女性のほうが英語が上 手なので、二人のじゃまにならないように気を遣いながら話をした。漕ぎ手は 中年の女性でよく喋る人だった。ゆっくりとした流れとはいえ、鉄のボートに 大人4人が乗っているものを往復4時間以上漕ぐというのは重労働だと思う。 途中すれ違った船の漕ぎ手も全て女性だった。本当にベトナムの女性はよく働 く。 おまけにというか、それゆえになのか美しい。若いときに来なくてよかっ たのかもしれない・・・・・(^_^;) ゆったりとした流れの中を船は遠くの山のほうへ向かって進んでいく。聞こえ るのは櫓の音と鳥の声、周囲は水田が拡がっている。墨絵の中に自分が溶け込 んだように錯覚してしまう。ベトナム語は声調があって難しいのだが、この風 景の中で聞く三人の会話は心地よい音楽のようだった。 至福の時間が過ぎて、船はどこかの岸辺についた。 しばらく山を登っていく とお寺の山門が見えた。やー、ここか、と思って一息つくと何とそこが出発点 だった。それから約二時間、険しい山道をひたすら歩く。途中でフランス人の 女の人が動けなくなったくらいきつい。 普段走っているのが役にたったのか、 たいして疲れもせずに山頂近く、目的の場所に着いた。途中で何カ所も小屋の ようなものを作っていたので聞いてみたら、旧正月にはここへ沢山の人がお参 りに来るのだそうだ。  最後の階段を上りきると、眼下に長い石の階段、その向こうに巨大な鍾乳洞へ の入り口がそびえ立っていた。50メートル以上はある。 確かに苦労して来るだけのことはあった。中には幾体もの仏像が安置されてい て、紙銭のようなものや、長い線香が捧げられている。サイゴンから来たふた りも丁寧に祈りを捧げていた。 ベトナムの人の祈り方は、日本のように手を合わせるだけではなく、どちらか というと、チベットの人たちがやる五体投地をたったままやる感じに近い。ジー ンズ姿の若い女性も真剣にお祈りをするので、なんとなく違和感があるが、そ れは自分が心から祈ったことがないからなのだろう。それにしてもこんな山の 中までよくこれだけの仏像を運び込んだものだ。触ると願いが適うという石に しっかり触った後、外に出る。帰りの階段で振り返ると、何故ここに寺院を造っ たのかわかった。鍾乳洞はそれ自体が女性の胎内なのだ。おそらく母親のお腹 の中にいるような安らぎをここで感じるのだろうと思う。 帰りは、また同じ道を下って、麓のお寺の前にある食堂でやっと昼食。同行の フランス人も上手に箸を使う。たいしたものだ。それほど美味しい料理だとは おもわなかったけれど、美味しそうに平らげていた。 同じ船に乗ってダイ川を下っていく。途中何度も上ってくる船とすれ違った。 野菜を積んでいたり、自転車を積んでいたり家族らしい人たちが乗っていたり、 仕事帰りらしい人が乗っていたり、あるいは水牛や鶏が乗っていたりする。こ んな風にゆったりと船に乗ることは二度とないかもしれないなどと、と思いな がら、だからといってそれが惜しいというのでもない、風景に溶け込んで、自 分の存在が無にかえっていくようなそんな気分だった。 雨の田園風景を楽しみながら、無事ハノイにたどりついたのはいいが、降ろさ れたのは朝集合したオフィスとは違う場所だった。ツアーオフィスの女性に場 所を聞いてうろうろしているうちに、なんとかホテルにたどりついた。 一休みして、夕食は ブンチャー(春雨のような面)で有名な店を探しに出か けた。残念ながら甘すぎて口には合わなかったです。隣のおやじが何か気に入 らないような顔でこちらを見ていたせいかもしれない。 流行ってはいるが感 じのよくない店だった。帰りにまた道に迷った。どうもまだ方向をつかみきれ ないみたいで、仕方なく一度さっきの店までもどって、丁寧に地図を見ながら 戻ってきました。あせった! 

三日目 ホアルー収容所

今日は市内の観光スポットを廻る予定だ。すっかり馴染んだホアンキエム湖を 左に見ながら、まずベトナム航空オフィスを探す。今度はすぐに見つかった。 ちゃんとエアーポートバスが何台も停まっている。何とか明日の空港までの足 が確保できたみたいでほっとする。 しばらく行くとハノイタワーが見えてきた。横に古びた建物が見えるこれがホ アルー収容所らしい。当初ここへは入る予定はなかったんですが、見つかった からとにかく入ってみることに。 やる気のない受付で入場料を払い中へ。 最初の部屋には全体の見取り図や、足枷などが置かれている。理由はわからな いが壁はすべて黒く塗られている。 次に置いて人形をおいて当時の様子を再現している棟に入った。薄暗い部屋に、 何人も足枷をされて寝るような作りになっている。幼い子どもが一緒に収容さ れている家族用の部屋もあった。 その棟を抜けると急に外の光が射し込んで、天井の高い広い部屋に出た・・・・ --------------------- 「ああ、これを見るためだったのか」頭の奥の方からそんな声が聞こえてきた。 部屋の中央に、大工さんがカンナをかけるときに使う台ようなものが置かれて いた。横には大きな篭が置かれている。そばへ寄って上を向いたときやっとそ れが何か解った。 「ギロチン」だった。部屋の中には誰もいない。追い越し てきたドイツ語の教師と学生たちはもっと手前の部屋にとどまったままなのか、 声も聞こえない。 おそるおそる、台のまわりを廻る。以前そこに取り付けられていたはずの刃物 は、とり替えられて板きれになっていたいた。それでも急にそれが分厚い金属 のものにすり替わって頭の上から落ちてくるような気がして、手で触れる気に はなれなかった。 この台の上で頭上から落ちてくる刃物の音を聞いた人間のことを想像した。も しかしたら幼い子供もいたのかもしれない。処刑は他の囚人たちの目の前で行 われたということだから、あるいは親の前で子供を殺すこともあったのかもし れない。 自分がその処刑の場に立ち会っているような気がした。乾いた黴のような匂い がして部屋が暗くなったような感じがした。 はじめて自分がずっと想像していたベトナムに会えたような気がした。目の前 にいるハノイの人たちがどうというのではない。ただ目の前のベトナムは30 年前自分が描いていたイメージとはかなり違っていた、自分が歳をとったせい ばかりではなく、何か言葉にならない違和感があった。 確かに前回の旅行も今度も本当に楽しかった、皆親切で、何を見ても面白い、 けれどどこかに「ぶれ」があった。夢を見ているような、どこか現実離れがし た感覚、自分が違う場所にいるような、そんな気分がずっとしていた。ここに 来てはじめて現実のベトナムに触れたような気がする。長い間会えなかった人 に久しぶりであったような、そんな気持で残りの場所を見て廻った。 権力を握ったベトナム共産党がどのように変わっていったとしても、少なくと もサイゴンが陥落する瞬間までは、彼らはこの収容所で死んでいった人たちの 正当な後継者だった。そしてどれほどの力になったのかわからないにしても、 自分がそれを支持したことは決して間違いではなかった。そのことを確認した くてベトナムに来たのかもしれない。 長い間心にわだかまっていたことが溶けていったような気がした。もちろん今 のベトナム政府にはいろんな思いはあるけれど、少なくともベトナムの人に対 する信頼はあの当時に戻ったように思えた。

ホーチミン廟

収容所を出た後、幅の広い煉瓦敷きの歩道をかなりの距離を歩いた。やがて左 手に小さいころから見慣れた銅像が見えてくる。おそらく世界中でレーニンの 銅像を街角で見られるのはもうベトナムだけでしょうね。地図の上ではそこか らすぐのはずのホーチミンの廟が、なかなか見つからない。かなり歩いた後向 こうの方に団体客と観光バスが集まっているのが見える。近づくと側に手荷物 預かり所があった。向こうのほうから人が沢山歩いてくるので、とにかくそっ ちのほうに歩いていくことに。 ガランとした広場の手前に兵士が立っていて、どこへ行きたいのかと分かりに くい英語で訪ねられる。線の前で5.6人集まるのを待って、ホーチミン廟の 正面へ引率されていった。やれやれ、途中絶対に立ち止まるなとか話をしては いけないなどと細かい注意を聞いた後、外側の重々しさのわりにはそれほど豪 華でもない内部へ入っていった。ひんやりした室内の中央、ガラスケースに納 められて遺体は置かれていた。 いったい何のためにこんな事をしなければいけないのだろう。生前の穏やかに 微笑んでいたホー伯父さんの面影はどこにもはない。質の悪い冗談のようにも 思えた。ホーチミンがどこかそのへんで苦笑いをしているような気がした。 それでも、側にあった彼の家は、生前の状態がそのまま保たれた簡素なままで、 ほっとするような家だった。日曜日ということもあって、家族連れや高校生が 沢山訪れていろうのを見ていると、少し救われた思いがする。 そこを出た後、近くにある「一柱寺」へ入った。ここでも記念撮影をする修学 旅行の生徒が沢山いたが、別になんということもない小さなお寺なので、さっ さと外に出た。

市場は楽しい

巨大なバーディン広場を横切って議事堂の前を通り、来た道を戻る。途中で、 珈琲豆を売るこぎれいな店を見つけた。きれいな店なので入ろうかと思ったの にガイドブックに載っている店に惹かれて、つい買わないで通り過ぎてしまっ た。でもこれは失敗でした。 見ようと思っていた場所はほとんど見たので、有名なバチャンの陶器を買うた めにハンザ市場へ。入ったとたん旅行者のぼく向かって魚を買え買えというに はびっくり。そんなもん買わせてどうしようちゅうねん。 奥まったところに陶器やさんが二件並んでいた。ちょっと手にとって見ていた ら店主らしい女性に完全にとり憑かれてしまった。最初は強引さにたじろいだ けれども、人が良さそうに感じたので、覚悟を決めてゆっくり選ぶことにした。 あれこれ持ってきてもらって茶碗を3組みと皿を幾つか買った。 安いなあと 思ったけど、おみやげに小皿を付けてくれたので、多分幾らかは儲かったんだ ろう。 でもやたら重い。ホテルまでまだけっこうあるが仕方がない。 とにかく次はベトナム珈琲を、と思ってホアンキエム湖の横にあるはずの店を 探したがどこにもない!! 近所のカフェに入って聞いたら引っ越してしまっ たそうだ。こんな事ならさっきの店で買っておくんだった。 仕方なく今度は 「ミュージックショップ」という楽器屋さんを捜した。これは昨日のブン ポー の店の近くなのですぐにわかった。店番をしていたのは小学生くらいの女の子 が二人だった。けらけらとよく笑いながら、次々に品物を薦めてくるので、つ い釣られて蛙の形をしたものと竹琴を買ってしまった。 ここでもベトナム語 がちゃんと通じた。子供には不思議に通じたのは何でなんだろう。おばあちゃ んには全然だめだったのに。 もっとも少し後にハノイに行ったホーチミン出身のベトナム語の先生も通じな いことがよくあった。と言っていたから、わたしが悪いのではない・・・。

歴史博物館へも行けた

重い荷物を一旦ホテルに置いて、まだ少し時間があったので、歴史博物館を探 すことにした。途中で台湾の女性らしい二人組がバイクタクシーの運転手と電 卓を片手に値段の交渉をしているところに出会った。中国語は勢いがあるせい かすんなりまとまったようだ。日本語はそのへん不利だよね。 あ、というこ とはあの運転手は中国語かわかるのか。すごいよなー、やっぱり。 歴史博物館は思ったより面白かった、特にチャンパの遺跡には惹かれるものが ある。今度は絶対フエとダナンを中心に廻ることにしよう。

最後の夜

夜はおみやげ物を探ハンガイ通りを歩いておみやげを探した。あまりに店が多 いので、どこへ入ればいいのかわからなかったけど、運良く少数民族の織物を 売っている店が見つかったので何枚か買いました。けっこう気に入ってディス プレイの上に乗せて使ってます。 夕食は一昨日の定食屋へ。主人はいなくて中年の女性が不機嫌そうにお金を勘 定していた。日本人がめずらしいのか、常連客らしい派手な顔立ちの女性がと きどきこちらをちらっと見ながら、勘定をしている女性と話をしていた。とき どき「おはよう」とかいう単語が聞こえるので、居心地が悪かった。 とにかくこれで、短いハノイ旅行もおしまい。明日は朝一番に空港へ向かうだ け。けっこう充実した旅でした。

帰りみち。

次の日は朝から本格的な雨だった。今度の旅行は運が良かった。何とか雨に遭 わずに済んだし、ホテルのフロントも本当に若くて親切な人ばかりでした。か わいくて英語がとても上手な女性のかたにはベトナム語を教えてもらったりし て、本当にお世話になりました。今度行くときまで居てくれるといいんだけど。 空港には早く着きすぎて時間を持て余したが、税関を通過した後、日本人の二 人連れと話ができたので、なんとか退屈しないで済んだ。二人とも二ヶ月とか 半年とか旅行しているようで、なんとも羨ましい、というより違う世界の話の ような感じで聞いていました。 バンコックで10時間ほど時間があったので、市内に入って少しだけ見て回る ことが出来た。何度も詐欺師に声をかけられた話や、ワットの印象も書きたい けれど、別の話になるので割愛。 バカな日本人団体客のおかげで離陸が1時間半ほど遅れたけれど、なんとか無 事関西空港に着くことができた。朝早くでひまそうな税関職員に荷物の検査を されて、Jr関西空港駅で指定席をとろうとしたら雪で北陸方面は見通しがたっ ていないと言われる。何故か何とかなるだろうと心配にならなかったのは、ど こか麻痺していたのかもしれない。まだ幸運は続いていたのかその日一本しか 動かなかった便に乗ることができた。  帰ると確かに雪はすごかった、その週末には全市一斉除雪というのがあった。

費用

ベトナム旅行は、ビザだけでなく何となく余分なお金がかかるような気がしま す。バンコックより手前にあるのに、2割ほど航空運賃は高いし、ホテルも設 備の割には高い。何となくまだ、外国人料金みたいなものがあるような気がし ます。でもまあJRとかの料金に比べればたいしたことじゃないのかもしれな い。結局100ドルでバンコックの分も全部まかなえました。ハノイでは80 ドルほどしか使わなかった計算になるんだけど合ってるのか? 航空券     53、000円   ビザ     9、000円 JRが高いよね、17、400円  空港使用料が  2、650円 つくづく日本は物価が高いと思う。 もうすぐビザはいらなくなるようだから、次はもう少し行きやすくなるかもし れない、中国経由という方法もあるので、上海経由というのも悪くない気がす る。
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