【目次】
状況の中の非暴力直接行動 [読む]
向井 孝
原発問題の核心 [読む]
多名賀 哲也
編集後記 [読む]

状況の中の非暴力直接行動

向井 孝

1.提起として (沖縄)

 まず最初に朝日新聞(九九・六・二六)夕刊から転載のフィクション――沖縄の作家、目取真俊氏の作品を読んでほしい。(そして、あなたがどんな読後感をもったか、いっしょに考えたい)。

コザ希望

目取真俊

 六時のニュースのトップは、コザの市街地からさほど離れていない森の中で、行方不明になっていた米兵の幼児が死体で発見されたというものだった。食堂にいた数名の客と店員の目がテレビに釘づけになる。遺体には首を絞められた跡があり、県警では殺人と死体遺棄で犯人の行方を追っている。決まり文句の後に、街の声が紹介される。怖くて、子供を歩かされないですよ。沖縄も恐ろしくなったね・・・・。画面に映った五十前後の女を目にして、「あい、フミ姉さんが映ってるよ、ほら、小母さんほらテレビ、テレビ」と店の女がはしゃぎ声を上げる。厨房から汗を拭きながら太った女が出てきた時には画面は変わっていて、二人は不満の声を漏らす。取材記者が、新聞社に届いた犯行声明についてコメントしている。手元に置いた夕刊の一面を見る。声明文の写真が載っている。今オキナワに必要なのは、数千人のデモでもなければ、数万人の集会でもなく、一人のアメリカ人の幼児の死なのだ。威嚇的な鋭角と直線の赤い文字。隣のテーブルで沖縄そばをすすっているタクシーの運転手が、早く捕まえて死刑にしれよ、とつぶやく。ただでさえ儲からんのによ、これで観光客がよけいに来なくなったらどうするか。店の女が相槌を打つ。へリから撮影された森とコザ市街の映像の後に、県知事や日米の政府高官のコメントが続く。いたいけな幼児を狙った犯行への怒りと憎しみ。笑いをこらえてカレーライスをロに運ぶ。高ぶった口調の裏にある憔悴や戸惑いを隠せはしない。奴らは従順で腑抜けな沖縄人がこういう手を使うとは、考えたこともなかったのだ。反戦だの反基地だの言ったところで、せいぜいが集会を開き、お行儀のいいデモをやってお茶を濁すだけのおとなしい民族。左翼や過激派といったところで実害のないゲリラをやるのがせいぜいで、要人のテロや誘拐をやるわけでもなければ、銑で武装するわけでもない。軍用地料だの補助金だの基地がひり落とす糞のような金に群がる蛆虫のような沖縄人。平和を愛する癒しの島。反吐が出る。

 店を出て、胡屋十字路の歩道橋を渡り、空港通りを歩く。外出禁止令が出されているのだろう。通りを私服で歩く米兵の姿はない。迷彩色のジープが走り過ぎる。赤色灯を回転させたパトカーが嘉手納基地のゲート前に停まっている。鳳凰木の並木の上に浮かぶハブの牙のような白い月。最低の方法だけが有効なのだ。立ち止まってつぶやく。通りの向こうで、テレビカメラが回っている。横道に入ると、歩調が速くならないように注意しながらアパートに戻った。

 冷蔵庫からウーロン茶の缶を取って一気に飲み干す。机に座り、用意してあった封筒に新聞社の住所を書く。引き出しから取り出しから取り出した小さなビニール袋には麦藁色の毛髪が入っている。スーパーの駐車場に停まった車の、後部座席に寝ていた子どもの横顔が目に浮かぶ。まだ二十歳くらいにしか見えない白人の女は何度も声をかけるが、なかなか起きない。しまいには一人でカートを押してスーパーに入った。飲んでいたウーロン茶の缶をごみ箱に捨て、駐車場を横切る。エアコンをつけてアイドリングにしていた車に乗り込み、県道に出ると十五分ほど北上した。市営団地の北側にある森に入る。荒れた道に車が揺れ出すまで、子供は目を覚まさなかった。後ろから聞こえた泣き声に停車し、振り向くと、起き上がってドアを開けようとしている。男の子で三歳くらいかと思った。すぐに車を止め、後部座席に回ると泣き喚く小さな体を抱きすくめる。背後から首を絞め上げると、喉の奥で何かが潰れ、汚物が腕を汚す。子供の服で拭き、運転を再開して、森の奥にある養豚場の廃舎の陰に車を止めた。ハンカチでハンドルやドアノブを拭く。後都トランクに子供を移し、麦藁色の髪の毛を指に巻き付けてむしり取り、ハンカチに包んだ。トランクを閉めた時、薄曇の空から日が差した。汗まみれの全身に鳥肌が立つ。歩いて森を抜ける途中、車の鍵を埋め、国道に出てタクシーを二度乗リ換えてアパートに戻った。

 エアコンのききが悪く、車の窓を開けても汗が流れ続ける。毛髪の入った封箇を、那覇まで行って投函した。帰途、宜野湾市の海浜公園に寄る。三名の米兵が少女を強姦した事件に、八万余の人が集まりながら何一つできなかった茶番が遠い昔のことに思える。あの日会場の隅で思ったことをやっと実行できた。後悔も感慨もなかった。ある時突然、不安に怯え続けた小さな生物の体液が毒に変わるように、自分の行為はこの島にとつて自然であり、必然なのだ、と思った。広場の真ん中までくると、ペットボトルの液体を上着やズボンにかける。車から抜き取ったガソリンのにおいが目を刺激する。ポケットから取り出した百円ライターの石を擦る。

 闇の中で燃え上がり、歩き、倒れた火に、走ってきた中学生のグループが歓声を上げ、煙を噴いている黒い塊を交互に蹴った。

2.提起として (テロル)

 次は、「みすず」四六六号(二〇〇〇年一月)に掲載された富山一郎氏(思想史)のものの抄出である。

 これは、前出目取真氏のものを「提起として」読むかぎり、見逃せないものとして転載する。

富山 一郎(思想史)

 あらゆる意味で、テロルを思考しなければならない。その前で停止することなく、思いっきりの想像力と忍耐力で連中よりもすばやくそれを予感し、手に入れなければならない。そしで目取真俊は、コザを思いながら、この作業に着手した。沖縄という名前に付着しつづける危機状況を語る者は、目取真俊の「希望」(『朝日新聞』一九九九年六月ニ六日)が我々の眼の前に描き出した幼児の死体から開始しなければならなくなったのだ。言葉の力を思い起こざせてくれたこのエッセイに、私に救われた(中略)・・・・

 今は亡き関広延は、祖国復帰の一九七二年五月一五日のコザをこう描きだす。「いまどのような努力からも、その重さに等しい激しさで組織されることのない暗い怒リは、この地を蔽っているのだ」(関広延『沖縄 1972.5.15 海風社、一九八七)。この組織されることのない暗い怒りが政治化するためには、どのような議論をくぐりぬける必要があるのか、このことを間うべき時期にきている。この毒舌家の言葉を、今一度読み返したい。そして、やはりコザが焦点になることは明らかだ。一九七〇年一二月二〇日の深夜から翌未明にかけておきた暴動を思考することが今必要だ。沖縄市平和文化振興課の長年の作業が生み出した『KOZA』(那覇出版、一九九七)、『米国が見たコザ暴動』(ゆい出版、一九九九)は、歴史学や社会学の分析の資料としてではなく、その暗い怒りをどのように政治化するのかというただ一つの目的のために存在している。『KOZA』に所収の、「基地内の黒人から沖縄の人々へのアピール」はこう結ばれている。「暴動はまったく正当な動きであったし、それ以外にヤツらをやっつける方法はないのです」。「暴動はまったく正当」という地平から、思考を開始すべき時なのだろう。

−*−*−*−*−

3.絶対状況とテロ

1) まず結論からいうと、ぼく個人として、 「テロ」はよおやらん。やろうとも思わない。しかし、他者のそれは、とめてとめられないものであることを含めて、その是非、よしあしを論ずる気はない。その上で厳密にいえば、むしろ「やむおえない」「どうしようもない」ものとして原則的に肯定する。否定、反対できない。(ここでいう「肯定」は、とくに歴史として、たとえば、安重根、朴烈、和田久ら、とくに運動史のなかのテロリストと呼ばれた死者に対してのものである。)

2) ところで、ぼくにとってテロは、「絶対状況」下におかれた人の、他にどんな方法をも見いだし得ないとして、思いつめた心情が選択した、「一人一殺」的自死行為に外ならない。
 つまり、「暴動」でなく、「ゲリラ」でもなく個人の決意にもとずいた「暴力的決栽行為」である。

3) さて、この目取真氏の作品がぼくらに問題でありうるのは、全く異質の相反する立場を是非なく衝撃的につきつけるからである。  その第一は、何よりもテロの内容が、三歳の男の子に仕向けられるという、そのことから受ける不快、嫌悪感である。「最低の方法がもっとも有効」であるかどうかを別にして、作家の想像力がこのような域にまで立ち入ることをぼくは許したくない。  沖縄島民もまたフィクションとはいえ、この仮定のテロを否とするにちがいない。

4) にもかかわらず、−この作品は、テロの背景としてある「沖縄状況」に対して、ヤマトのわれわれは何をもなしえず、ほとんど傍観者でしかないことを照らし出す。それはいわゆる良識的、進歩的、知識人といわれる人々に「責任をとっていない疚しさ」「いたたまれなさ」をつきつける。  富山氏の「あらゆる意味で、テロルを考察しなければならない」という発言は、まさにそのような「疚しさ」をも含みながら、ふと気付けばぼくらのまわりをも取り囲んでいる「絶対状況」での、「手も足も出せない自分たち」にも気付くことで、改めてテロの意味を提出するのである。

5) しかし、富山氏がここでテロを取り出すとき、まずその当初に示すべきテロを必須とする「絶対状況」を、暗黙裡の共通認識として全く省略しているのに気付く。  たしかに、いま、日本は、別して沖縄は、切迫した「危局」ともいうべき政治状況下にある。  しかしその「絶対性」は、いま、一応の普遍性、一般性ではあっても、更に言えばもっぱら個々人それぞれの位相においての、心情的な思い込みの深刻さ、切迫性によってさまざまに出てくるものである。つまり一般性、普遍性よりも、もっと強い個別の心情によって「決意」されるものである。  とすれば富山氏は、「テロ」という方法をまえにして「自分はどうするか」を語るだけでよいではないのか。

6) 「連中よりもすばやくそれを予感し手に入れねばならない」というときの「連中」とは誰か。ここで主体となる「連中」は、県知事や日米高官ではない。  もっと前面に引き出されているのは、 「従順でフヌケの沖縄人」「お行儀のよいデモや集会」「実害のないゲリラ」「基地の金に群がる蛆虫」である。  いうならばこれは、自分のまわりの「すべて」を切り捨てて、「ひとり」となることで(テロを最後の選択肢とする以前に)、抜き差しならぬ自分へと、テロの絶対化へと踏み込むことである。(テロを必須とする「絶対状況」は、そのような理由で遂につくられる。)

7) もし、目取真氏のこのフィクションの結末が、三歳の男の子を扼殺しかけて、躊躇のあげく遂にやれなかった、ということだったら、この作品の衝撃力は、半分以上失われるだろう。  あるいは、レイプされた沖縄人メイドが、加害者の米軍兵士の家族を射殺したとしたら、テロではなくなるだろう。それは単なる復讐的殺人事件となって、沖縄の絶対状況はずーっとうしろの背景に遠のくことはたしかである。

8) 一般的にテロとは、反体制の側に立つ個人または少数の組織が体制の圧倒的で強大な支配に抵抗し反対し、異議申立てとしての、ハイジャック、占拠、あるいは要人等の誘拐、殺害などの暴力行使の行為(戦術)とされている。もちろんその成否にかかわらず、テロが勝敗を決するものでないことは、すでに過去の歴史が示しているところである。  (さらに、その延長拡大としてのゲリラについて短絡していえば、日本において可能性はないというべきだろう。)  なるほどテロやゲリラは、国家の暴力性を挑発し、顕在化することでその本質をさらけ出す。が、更に言えばそれがあくまで刑法で定められた犯罪の取締としてであり、代議制国会が承認した合法的な「疑似非暴力」によってである。そのことによってテロもゲリラも、その何よりも拠りどころとする国民によって、(つまり自縄自縛的に)捕らえられ処罰されるのである。  (テロは公憤の私的解消でありえても何ら問題の根本的「解決」たりえない。かりに、一時的に応えたとしても、たちまち大弾圧が多くの他者を巻き込むことになる。ましてや、無心の幼児加害とあっては、その行為の意味を納得させることが出来ないだろう。)

9) 富山氏のコメントで、最後に「コザの暴動」が出てくるが、暴動とテロルは一見相似するとしても)、全く質のちがうものだろう。ここでは「自然発生的コザ暴動はまったく正当」ということをぼくは肯定した上で、富山氏のこの短絡は結論にならないのではないかといっておきたい。(これに付帯関連して、運動論としてぼくの「野次馬論」「助っ人論」が出てくるのだが省略する。)

4.非暴力直接行動とは

10) 目取真、富山氏のものを読みながら、ぼくは三十数年前、国会前でベトナム反戦を訴えて、焼身自殺を遂げたエスペランチスト由比忠之進さんを思った。  その時、由比さんが懐中にしていた米大統領と首相あての「直書」や、焦げてぼろぼろになったYシャツや上衣は、いまどうなっているだろうか。ぼくは、その由比さんの焼け焦げたYシャツを借り受けて、姫路で追悼会をしたことがある。そして「由比さんは、他者を狙う代わりに、自分をテロルことで、世間、そして私たちに訴えようとしたのだ」としゃべったのだった

11) たとえばぼくは、見事に完成した巨大ダムの、しずまりかえった湖面とか、それをせきとめた堤壁を走り下る太い鉄管の並列をみていると、歯ぎしり地団太してどうしようもなく、消えていった反対派の人たちを思う。そしてその「大爆破」を一瞬夢見る。その上で、きっと何人かの人がぼくのような思いを去来させたにちがいないと確信する。「歴史」の百年二百年はそのためにこそあり、ぼくらはその歴史の流れの中の「今」を生きているのだと思いかえす。

12) そういうことを考えているところへ、井沢幸治さんから「ふえみん」四月五日(2586号)が送られてきた。  非暴力直接行動の具体例として、同号記事の「原潜トライデント関連施設破壊(非武器化)行動」についての評価、感想を書けという注文である。  もうすこし詳しく、記事から内容を要約、抄出すると――

原潜施設へ直接行動

『ウラ、エレン、アンジーの三人は、行動計画を立て、発言を用意し、よじ登る訓練をし、ゴムボートでゴイル湖をわたった。  三人が到着した施設はトライデント潜水艦が音響・レーダー・水中探知機に探知されずに航行する方法を調査するためのものだった。

 窓から船に入り込み、調査装置すべてを湖水に投げ捨て、研究室を空っぽにし、配線やスイッチもすべて切断した。この損失額は当初数十万ポンドと見積もられた。

 彼女らはスコットランドの刑務所に四ヶ月間留置されたのち、陪審裁判所で、十月三十一日無罪評決を得て、釈放された。』

*        *

13) この記事で、ぼくには、「用意」とか「訓練」という語句が、とくに目についた。それはかって十年程に亘って活動しつづけた「グリナムコモンの女たちのキャンプ」の歴史をうけつぐものにちがいない。そして、つぎの「解説的小文」をみて納得した。

TP二〇〇〇の活動

 『九八年にスタートしたこの活動は、今、逮捕者四〇〇人を越えている。三ヶ月ごとに非武器化キャンプを行い、非暴力についての二日間のワークショップに参加している。

 私たちは三力月ごとに宣誓者のリストを政府に送り、計画、動機、組織、などの情報を軍にも公表する。そして対話と交渉の要請を継続している。

 宣誓者は、小グループに属し、自分が行う核廃絶行動の種類を決める。座り込みをしたり封鎖したり、軍事基地のフェンスを切ったり、原子力潜水艦に泳ぎついて、装備を壊したりさまざまな非暴力直接行動を行う。

 私たちの行動は、特別勇気のある行行動でもなく、誰でもできることである。私たちは自分自身が核の犯罪に加坦するのを防ぐために予防行動をする責任と権利がある。』

*        *

14) しかし、「非暴力直接行動」とはこういうことに終始するのか。こういう行動の強調だけでは誤解を生じるのでは…。  末尾ちかくで『私たちの行動は、特別に勇気のある行動でもなく、誰でもできることである』とある。がそれは決して「誰でもできること」ではないだろう。強いて言うならば、ふつうのなんでもない者でも、特別に勇気のある者でなくても、その気になって仲間に加われる。キャンプで共同生活をし、行動計画をたて訓練を受けることで、普通の人と変わることのない、特別の者にもなりうる、ということであるだろう。

15) その意味で「訓練の日常化」や「キャンプ」は「NVDA」の重要な運動課題である。その上で、これは、年齢や体力、技術などの条件も加わって、選ばれた少数者の役割であり、多数はその役割への協力、補助、支援をすることでの、その他の部門を受け持つ。それがより間接的関係であっても、互いに支持し合うものであるかぎり、その限りにおいて「NVDA」であることには変わりない。  つまりそのような関係には、ふとした好奇心や気まぐれもくわえて、決意や覚悟だけでなく、それを「夢想」をも容易な実行力とする「やり方」が明らかにされなければならない。たとえば「ダムの爆破」でいえば、それはまず、ダイナマイトの入手、使用方法、設定時間、対警備、ダムの急所、下流への洪水対策、人的被害がどのように及ぶか、作業分担か単独か、それらについての調査、準備、訓練によって出てくるものの(決意)でなければならない。そこで改めて「暴力」の意味が問われることになる。そして非暴力直接行動(以下「NVDA」と略)がはじめて政治的、社会的方法として浮上するのである。 (TP2000でのそれは、宣誓者のリストの送付、計画、動機、組織の公開、対話、交渉の機会をつくるといった−(このように「予告されること」は、支配側の権力にとって、いやがらせ電話のような質を超えることで、「NVDA」の特質をよくあらわしている)−戦略をも含めて、強者(疑似非暴力体制または構造暴力)に対する、弱者(人民)の「NVDA」としての日常化である。  しかし、それは依然として一般にとっての「絶対状況的認識」に対しての「非日常」であることを免れない。 (昔「七人の侍」という映画があった。専門の戦闘技術家である武士団は、必要がなくなった時立ち去っていく。いわゆる「職業革命家」もこのようなものであるべきだとつくづく思った。しかし「NVDA」の場合、その専門的な少数者は、ごく自然に多数の中へ解消されてゆくにちがいない。それが非日常化でもある。)

16) そのことをもっと率直にいえば、 「NVDA」は何よりもぼくらの日常として、すでに存在する一般的生き方、暮らし方なのである。それに気づくことである。
(イ)それゆえ「NVDA」は、闘いであっても勝敗でない。勝敗にこだわるものでない。負けても負けても負けてしまわぬことにおいて「生きていること」あるいは抵抗行為である。それがわたしたちの「生きる」という意味を意味化する「NVDA」の意味である。
(口)負けてしまわぬということの意味は、ぼくらの一瞬にも似た「生涯」を以て、歴史をすべて引き受けるのではないということだ。
 つまり、歴史に決着をつけえないまま、過去からつづくいま、即ち現代史をぼくらは生きる。その無責任さの「積極性」において「NVDA」は普遍的であり、より日常化するのである。
(ハ)そこでぼくらは、僕ら(人民)の無限定でほとんど無自覚な「自由連合性」に依拠して、自分のやりたいこと、やれそうなこと、やりやすいこと、そしてたまたま、眼前にあってさけがたいことなどに対処して、「無責任」に何でもやればよい。一方、いやなことはしない、できめことはやらない−それが積極的であればあるほど「NVDA」だ。
(ニ)もちろん、やろうとしてもやれぬということが当然出てくるだろう。(現在の問題はほとんどこれだといってよい。)
 それに対しては、同じやり方、同じ方法でやって、いつも同じ負け方で負けるのではなく、やり方をその都度都度にかえること、つまり負け方を変えること、あきらめず変えたやり方で対処しつづけることしかない。寝入りばなの蚊、五月の蝿のようなものとして、ちょっぴり、やり方を次々に変える、ワイワイガヤガヤその過程の中の「NVDA」を面白さとしてたのしむのである。

17) たしかに富山氏のいうごとく、現代史は、「その前で停ることなく想像力と忍耐」をもとめている。それをいえば、どのような絶対状況下でも、「勝ち負け」にかかわらないことによって、なお権力に立ち向かう思想であり、「テロ」を超える方法と思想を提起する新しい運動の創出ともいえようか−  しかしそれは「従順、ふぬけ」「行儀よいデモ、集会、ゲリラ」等の既成の闘いを「否定的媒介」として、まず、いつも同じスタイルでしかない運動のやり方、闘い方を変えていく」ことからしかはじまらぬだろう。

(むかい こう 詩人)

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原発問題の核心

腰が引けはじめた電力会社。尻をたたく政府の目的は、日本の核武装

多名賀 哲也

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福井地裁、もんじゅ差戻し審で原告請求を  全面棄却

1.支離滅裂状態に陥った日本の原子力政策

 いま日本の原子力政策は、支離滅裂状態になっていると言っても過言ではない。1月以後の動きを見ただけでも、事態の深刻さと混乱のひどさが伺える。

 中でも象徴的なのは、2月22日を前後する動きだ。県議会冒頭、北川三重県知事は「地元住民は長年にわたって苦しみ、日常生活にも大きな影響を受けている。県にも責任の一端がある」と述べ、芦浜原発計画の白紙撤回を中部電力に要請した。臨界事故の際の村上東海村長の決断同様、住民の側に視点を据えた三重県知事の決断の重さを、谷本知事をはじめ石川県内の各首長は、真摯に受け止めてほしいものだ。

 しかし、そこで最も注目されるのは知事の撤回要請に対し、中電が即答で断念を表明したことである。これまで電力会社は原発立地が不可能となり、企業利益から考えてもはっきり転進すべき状態になっても、親方日の丸そのままにずるずると推進工作を続けるのが「常識」だった。(もちろん住民の苦しみはお構いなしで)しかし、多くの予想に反して太田社長はあっさり要請を受けた。

 3月21日からは、いよいよ電力需要の3割を占める大口電力を対象に部分自由化が始まる。中電にとっては、それに対処することが先決だった。他業種からの参入ばかりか関西電力までが、お膝元のトヨタに割り込もうとする事態も生じていたからだ。知事の要請は渡りに舟だったろう。翌日、同社の株価は急上昇した(1500→1630円)。「市場では『電力需要が伸び悩むなかで、巨額の投資を必要とする原発計画をあきらめたことは、経営にプラス』と前向きに評価」したためと、24日付の電気新聞は報じている。

 関西電力は工事中、準備中を含め七カ所の発電所すべての運転開始を先送りする方針を固めた。(出力合計は1,230万KWに及び、原発とセットの金居原揚水発電も含まれている)需要の伸びが期待できないため、新規建設の先送りで部分自由化の競争を乗り切る方針だという。最大手の東京電力は、すでに天然ガス発電へシフト済みで、横浜火力280万KWを始め東京湾岸に2千万KWの天然ガス発電計画がすすんでいる。国の非現実的なエネルギー見通しや原発20基建設計画に付き合いきれない、という動きが続出しているのである。

 ところが国の方は、国策会社の日本原電が敦賀3・4号の増設を申し入れる。もんじゅ判決を前に科技庁長官が来県、原子力委員会も敦賀現地で長期計画部会を開いて「核燃料サイクル政策推進は決定済み」と圧力をかけることまでやった。その結果、もんじゅ判決は原告全面敗訴という見事なほど政治的判決になった。しかし、最早この判決で国の核燃料サイクル政策に弾みがつく、という時代ではない。

 エネルギー政策の中心に原子力を据えることは、すでに世界の常識から大きくかけ離れたものになっている。天然ガス、燃料電池、コジェネなどに電力も含め主力企業は急速にシフトし、原子力の非経済性はすでに経済界の常識である。原発問題はエネルギー問題としては決着済みなのである。

 3月9日、通産省はしぶしぶ新規原発計画の縮小やエネルギー政策の見直しを表明せざるをえなくなった。しかし、それは小出しで決断先送りの方針転換だ。旧日本軍の「戦力の小出し投入」という悪弊は、今なお健在である。「原発=核燃料サイクル政策も推進。内外格差是正のため競争原理も推進」──これが政府の方針だ。国策自体が支離滅裂なため、国と電力の対応が背反し、電力自身の対応も核燃料サイクル政策の維持と競争への対処とに分裂し、支離滅裂となっているのである。いま決定的に欠けているのは、「本気の政治的意思決定」である。

 六ヶ所村の濃縮ウラン工場で遠心分離機の開発が進まず、生産開始が大幅遅れと判明したのも、その好例だ。(「海外濃縮の相場に比べ、国内濃縮は従来機では3倍、高度化機でも2倍もコスト高になることが開発先送りの主な要因という。しかし、ウラン燃料の国内確保をうたいながら、六ヶ所村の事業について、あいまいな位置づけのままであれば、担当職員もやる気をそぎ、原子力安全上の懸念も生じる。日本原燃の実質的スポンサーである電力業界は、具体的な見通しを早急に出す必要があるだろう」3/15北国新聞)

「本気の政治的意思決定」を先送りしている結果、原子力関係者のモラルハザード(=倫理の欠如)が構造化し、安全上の問題にまで及んでいるというのである。2.24付の読売新聞も「『原子力は死に体』というほどに原子力関係者は今、厭世感に近い雰囲気に包まれてしまっている」と述べている。

 経営規模の小さい地方6電力はさらに深刻だ。中国電力・古川副社長は98年11月の電気事業審議会で「部分自由化がなくても需要増が見込めない中で、135万KW級の原発を推進させられ」「国の責任を明確にしてほしい」と指摘したが、今や需要増が見込めない上に部分自由化も始まっているのである。(*北電のCMが最近変化したことに気づかれただろうか。原子力のPRが後ろに退き、一般家庭には省エネをよびかけ、自らは風力など自然エネルギーの開発努力を謳っている。しかし、大口需要が部分自由化される中で、小口需要は残された聖域だ。このため、北電は省エネどころか電気温水器をはじめとして夜間電力のボトムアップに必死である。自然エネルギーの強調も代替エネルギーへのシフトに乗り遅れたことの裏返しにすぎない。CMひとつを見ても支離滅裂である)

2.代替エネルギー時代の始まりは、重大事故頻発の時代でもある

 深刻なのは、国策が支離滅裂となり原子力関係者のモラルハザードが構造化している中で、本格的に電力自由化−コスト競争の時代に入ったことである。

 臨界事故の背景について、JCOは事故調査委員会への報告で「電力料金の内外格差の是正を迫られる中、平成7年12月の電気事業法改正を契機に電力業界の経営の効率化が不可避となり、原子燃料も例外ではなく大幅な値下げが求められるに至った」と述べている。90年代に入って、ほぼ一年おきに重大事故がひん発してきた。その大半は、槌田敦氏が能登原発訴訟控訴審で証言したように「コスト削減・手抜き」が原因である。しかも内外格差是正の要求は、待ったなしとなった。JCO臨界事故は終わりではなく、新たな始まりを告げているのである。

 MOX燃料データ捏造・異物混入事件は、MOXだけでなくBNFL=英核燃料公社の燃料製造全体に及ぶ問題であることも明らかになった。外国の燃料会社は日本以上に厳しいコスト圧力にさらされていることが背景にある。JCO臨界事故後も、通産省がMOX燃料のデータ改ざん・異物混入を隠し通そうとしたのは、彼らなりに事態の背景を知っているからだ。(なお、国やマスコミは英核燃料会社と表記しているが、国策会社である英核燃料公社=BNFLに変わりはない)

 「臨界事故を起こしたのはウラン燃料工場。原発ではない」と推進派は盛んに言う。だが、原発を運転するにはウラン燃料を始め核燃料サイクルが必要である。原発だけを切り離して安全性を論じるのは、運転しない原発は安全、と言うに等しい。問題は、原発を含む核燃料サイクルのシステム全体の安全性の保障が既に失われていることなのだ。上から下までモラルハザードが蔓延し、コスト削減の圧力が一層強まるのだから、重大事故の危険性と情報隠しは今後、強まることはあっても弱まることはない。

3.集団自決の国柄を拒否し、住民自衛ー自主防災・自主避難の運動へ

 国の原子力政策が支離滅裂とはいっても、一貫していることがある。既得権益の固守、権限の強化だ。役人は転んでもただでは起きない。現行の防災計画が、実際の事故では完全に手遅れになり、住民に被曝を強制するものであることは、東海村と那珂町で明々白々となった。初動時には現場の自治体の役割が決定的であることも、阪神淡路大震災に続いて貴重な教訓になった。にもかかわらず、災害対策基本法を実質的に否定し、国に権限を集中する「原子力災害特別措置法」が制定されてしまった。

 これまでは、原子力安全委員会の“防災指針”にすぎなかったものが、これからは“法律”である。東海村長や三重県知事と違い、住民を忘れた各立地自治体の首長は、安んじて国に下駄を預け、住民は法律で被曝を強制されることになる。現に、事故調査委員会の最終報告書(12/24) や科技庁報告(1/31)では「50ミリシーベルト 程度の被曝では健康に影響ない」という評価が繰り返し述べられている。放射線量が通常の数万倍になっても避難させないという防災?計画は、逆に強化されたのである。

 警察のとどまることを知らない不祥事をみても、この国の政治と行政には「住民」「民主」は存在していないようだ。昨年成立した組織犯罪対策法と団体規制法は、このような警察に市民生活の末端まで監視できる巨大な権限を与え、国営オウムとも言ってよい公安警察が公然と活動できる環境をつくってしまったが、ここでも事態は、原子力災害特別措置法と同じである。

 この状況の下で、なお50基もの原発が稼働していることを忘れないでほしい。エネルギー問題の決着はついても、事故と放射性廃棄物の処分問題がいよいよ最大の焦点になっているのである。それが私たちの力量であり、現実だ。太平洋戦争末期に、この国は将兵はもちろん、それをはるかに上回る日本国民とアジア諸国民の犠牲を強いたことを想起すべきだ。為政者が政策転換の責任をとらず、結局、住民につけが回され、最後は集団自決を強いられるという国柄は、厳として存在する。(志賀町のお年寄りがよく「死ぬときはみな一緒やわいね」と語るのを、単に諦めとだけみるわけにはいかない)

 「原子力の時代は終わった。代替エネルギーへの転換を促進する運動を」という声も聞かれる。無論そうした運動の意義は大きい。しかし、原発周辺の住民にとっては、代替エネルギーの時代は同時に、重大事故−破局の時代の始まりなのである。行政に頼っていては住民は間違いなく見殺しにされ、被曝を強制される。上滑りの脱原発運動ではなく、住民自身の知恵と力で自分の命を守る『自主防災ー自主避難』の運動が緊急の課題である。そのことが逆に事故の危険性をチェックすることにも通じるだろう。

4.日本の核オプションを許さない反核反原発運動を

 繰り返すが、脱原発の時代とは国民の側の運動が弱ければ、「負の遺産−放射性廃棄物と既存原子力施設」が競争原理と弱者切り捨ての論理によって、住民サイドには破局的事態をもたらす時代でもある。そしてもう一つ、余り想像したくない問題がある。日本の核武装だ。

 実は、核燃料サイクル政策が何とか維持されてきたのは、右肩上がりの経済成長神話だけでなく、外務省など霞が関中枢による「核オプション確保」という路線が背後の支えになっていた。高速実験炉・常陽−高速増殖炉もんじゅ、そして両者のブランケット燃料から98%もの高純度プルトニウムを生産するRETFの建設。これは国際常識では、軍事用即ち核兵器用プルトニウムの抽出をめざすものであり、世界の多数の国々が「日本は核大国をめざしている」と危険視しているのである。
(*98年6月17日の参院予算委員会で大森内閣法制局長官は「憲法解釈上、防衛のための必要最小限にとどまるならば、核兵器の保有はもちろん、その使用も可能である」と答弁している)

 昨年、問題のMOX燃料が英国から高浜原発へ輸送された。このときも南アフリカ共和国、カリブ共同体、南太平洋諸国会議などが政府レベルで懸念を表明。オーストラリアやニュージーランドの国会では非難動議が可決された。韓国では「海のチェルノブイリを許すな」と日本大使館への激しいデモが続き、韓国政府も要請もあって輸送船は津軽海峡経由を余儀なくされた。しかし、日本はこれら50数カ国の抗議や事故時の保障・情報公開の要求を一切無視し、輸送を強行した。南太平洋で核実験を強行したフランスと同じく、傲慢な核大国そのままの振る舞いが毎年繰り返されている。ODA援助など円の力によって、深刻な国際問題になるのを押さえているだけなのだ。

 支離滅裂な国策が続くとき懸念されるのは、石原慎太郎東京都知事のように逆の意味で「明確な政策」を標榜する動きが力をもつことだ。それは決して考えすぎではない。核燃サイクル機構だけでも、もんじゅを含め既に2兆円近い欠損金を生んでいる。世界に冠たる日本!のために、血税は使われたのだ−という主張は、決断先送りにいらだつ人々と既存権益と事業を固守したい原子力業界には極めて魅力的なのだから。

 反核=反核兵器などという日本の原水爆反対運動は、平和惚けの最たるものであり、凡そ世界の反核運動の常識からかけ離れたものだ。反核反原発の運動は、原子力の「負の遺産」を正面から受け止めるとともに、「核オプション確保→日本核武装」の動きを許さぬとりくみをしっかりすすめなければならない。

(たなか てつや 志賀原発2号機差止訴訟原告団)

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編集後記

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