【目次】
超キケン!/核のゴミ捨て場に狙われる 東濃からの報告[読む]
西 光之輔
「軍事的介入」は有効ではなかった?/「コソボの教訓」/英国下院国防委員会の調査報告書から[読む]
千村和司 抄訳
海外派兵・治安出動に踏み込む自衛隊をどう「活用」するのか?[読む]
黒川 正之
編集後記 [読む]

超キケン! 核のゴミ捨て場に狙われる 東濃からの報告

原発−核武装の選択肢ゆるがず

西 光之輔


1.高レベル放射性廃棄物とは何か

 日本ではいま51基の原発(軽水炉)が動いている。使用済みのウラン燃料を化学処理(再処理という)してプルトニウムを取り出し、それを高速増殖炉で使用するというのが日本政府の方針である。これを「核燃料サイクル」と称しているが、アメリカ、ヨーロッパ諸国は失敗して撒退した。日本でも5年前、敦賀の「もんじゅ」でナトリウム漏れ事故を起こして停止しいきづまっている。

図1:ガラス固化体
図1

 日本は再処理をイギリスとフランスヘ委託している。再処理でプルトニウムを取り出した後に残ったものを、ガラスと混ぜて固めたものを「ガラス固化体」といい、これが高レベル放射性廃棄物である(図1参照)。放射線の強さは、近くに人が2秒間いただけで致死量に達する。広島型原爆の30発分に相当する。110万KW級の原発を一年間動かすと30本、日本全体では約1000本のガラス固化体が発生する。2015年には4万本に達することになる。


2.最終処分場への動き

 日本で原発が運転を始めてから34年にもなるのに処分問題は解決していない。「トイレなきマンション」と言われるゆえんである。いま、原子炉の横にあるプールは使用済み核燃料で満杯に近づいて、原発が運転できなくなるのではないかという危機を感じている。政府はとりあえず原発から他へ移すために中間貯蔵所をどこかに作ろうと全国各地を物色している。

 現在、海外から戻ってきたガラス固化体は青森県の六ヶ所村に貯蔵しているが、青森県知事はこのまま六ヶ所村が処分場になるのではないかと危倶して、政府に早く処分場を作れと申し入れている。このような中で、政府は今年5月31日の衆議院解散直前に「特定放射性廃棄物の最終処分に関する法律」を成立させてしまった。この法律の問題点は次のとうりである。

3. 地層処分は可能か?

 地層処分とは、廃棄物の放射能が無害になるまで数万〜1O万年間、地下数百m〜千mに埋め捨てる処分方法である。その危険性は地下水がガラス固化体と接触して放射性物質を岩石の亀裂を通って、人間の生活環境へ運び出し汚染することである。そもそも、地層処分は大陸の安定した古い地層のある、地下水の少ないところで考え出された方法である。日本のように新しい地層で割れ目が多く地下水も豊富で、しかも世界有数の地震多発国には適していない。

 そこで日本では、ガラス固化体を鋼製の容器に入れ、その周囲を粘土で包んで埋める方法を考えている。これを人工バリアと称している。しかし、この人工バリアは千年はもたないで壊れる。 10万年埋めるとすると、残りの9万9千年を岩盤(天然バリア)で安全が保たれるだろうか、できない(図2参照)。

 核燃料サイクル開発機構(旧動燃)は昨年レポートを発表し「地層処分は可能である」と結論づけた。しかし、このレポートは「地層処分が可能かどうか」を検討したものではなく「地層処分は可能である」という結論が先にあって、それに合うように書かれたものである。このレポートの問題点は多くあるが紙面の都合で一部のみを述べる。

(1)活断層と地震の認識がまちがっている
 処分場の選定にあたっては「活断層を避けることによって、地層処分システムに対する重大な影響を回避することが可能」として、日本にも処分場の適地は広く存在すると述べている。しかし、今年10月6日の鳥取県西部地震は活断層のない地域でマグニチユード7級の地震が起こった。「活断層ないところでも地震は起こる」ということは以前から神戸大学の石橋教授が指摘されてきたことだ。
(2)恣意的なデータの扱いが多い
 地層処分の信頼性は、10万年という長期間であるので実験によって証明することが不可能である。推測と仮定を積み重ねていくのでデータの扱いかたで結論はどのようにも変わる。鋼材の腐食、粘土の透水性、岩盤の亀裂中の地下水の流量、岩盤の強度など基本的なデータが恣意的に扱われている。
図2:処分場の概要と大きさ(例)
図2

4.東濃の現状

 名古屋市の北東30キロ、中央線の沿線に土岐市、瑞浪市がある。この地域は美濃焼の産地として知られている。この地域では1962年にウラン鉱が発見されたが、低品位のため採鉱はとりやめになり、鉱山跡を利用して地層処分の研究をはじめたのが1986年である。1995年8月に、動燃は瑞浪市の月吉地区に「超深地層研究所」を作ると発表した。瑞浪では「処分場になる」との危機感で反対運動が盛り上がったが、それを無視して県知事、土岐市長、瑞浪市長、動燃の4者は12月28日仕事納めの日に、研究所を認める協定書を強引に調印した。

 それ以降「研究」と称して本格的な地下の岩盤や地下水の調査が進められてきた。10キロ四方の精密調査の区域を定め、その中に実際の処分場と同じ面積の4平方キロメートル(2.5×1.6キロ)の区画を引いている(図3参照:Web版では省略)。これまでの調査は次のとうり。

 1998年には地元の不安を打ち消すために、科学技術庁長官名で県知事に対し「地元が処分場を受け入れる意思がないことを表明されている状況においては、岐阜県内が高レベル放射性廃棄物の処分地になることはない」という確約書をだしてきた。

 土岐、瑞浪両市では市会議員、市民団体の反対運動が活発である。99年の土岐市長選挙では処分場反対をかかげた金津候補が17,632票、現職の塚本候補が18,292票と惜敗したが660票という僅差であった。ひきつづいて行われた瑞浪市長選挙では全く無名の主婦藤中さんが告示直前に立候補して、投票総数の24%をとって現職の高島市長をあわてさせた。

 知事や市長は確約書をたてにして「研究所だけだから処分場にはならない」と一貫して主張している。しかし、今年5月の国会で「確約書のある岐阜県は処分場の候補地から除外せよ」という議員の質疑にたいし、政府は「日本中どこも同じで岐阜県だけを特別扱いできない」という趣旨の答弁をしている。確約書の効力がないのはも早や明らかである。

 6月には瑞浪市の助役が県の担当課長とともに原子力文化振興財団の招待で資源エネルギー庁、電気事業連合会の廃棄物担当者らとスエーデンの地下研究所、フインランドの高レベル放射性廃棄物処分場予定地を視察している。8月には瑞浪市長が同じようにスエーデン、アメリカの処分場候補地ヤッカマウンテンを視察している。

 9月には核燃が過去3年にわたって地元月吉地区の推進派とみられる10人弱の住民に対し、月1回飲食を提供しタクシーの送迎までしていたことが明るみになった。

 これら最近の動きをみただけで、東濃地区が単なる研究所で終わるはずはなく、処分場の最有力候補地として政府によって位置づけられていることは疑う余地がない。

西 光之輔(にし こうのすけ)
【参考文献】
○わが国における高レベル放射性廃棄物地層処分の技術的信頼性(全4冊)
/核燃料サイクル開発機構
○「高レベル放射性廃棄物地層処分の技術的信頼性」批判
/原子力資料情報室
ホームページ:http://cnic.jca.apc.org/index.html
○ 高レベル放射性廃棄物の地層処分はできるか
/「科学」12月号より連載 岩波書店
○ 原子力、エネルギー政策の転換を求めて
/日本弁護士連合会43回人権大会シンポジウム第2分科会
○そこが知りたい 放射性廃棄物
/土井和巳著/日刊工業新聞社
○高レベル廃棄物は悪の塊か?
/神山弘章著/ERC出版
○超キケン!核のゴミ埋め捨て−狙われる岐阜・東濃地域/核のゴミキャンペーン
兼松秀代ほか著

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「軍事的介入」は有効ではなかった?/「コソボの教訓」 英国下院国防委員会の調査報告書から 

千村和司 抄訳

『市民の意見 30の会・東京ニュース』63号(2000年12月1日)より許諾を得て転載させていただきました。ありがとうございました。

本文は、同会のホームページをご参照下さい。
市民の意見30の会・東京 http://www.jca.apc.org/iken30 です。

※調査報告書の原文は(http://www.parliament.the-stationery-office.co.uk/pa/cm199900/cmselect/cmdfence/347/34702.htm)にあります。

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海外派兵・治安出動に踏み込む自衛隊をどう「活用」するのか? 

黒川 正之

 「非技」って聞いたことがあるだろうか? 先日、日本相撲協会から数十年ぶりに決まり手の見直しや追加があって、その中に新しい「非技」が加えられたとあった。「非技」という単語は日頃聞きなれない言葉ということもあって「秘技」!?なんてちょっと淫靡な言葉を連想したりして楽しんでみたが、要するにトチリというやつだ。自らの力や創意、身のこなしで勝負に勝つ決まり手ではなく、敵失で勝ちを拾うことだ。相手の「勇足」から勝利が転がり込む自らの技には非ずという訳だ。

 原子力発電システムに対し、日本共産党が探る基本的な立場はあくまで核の管理の問題だ。核そのものをいわゆる科学技術の立場から利用の否定はしていないのだ。あくまで現在の政治システムの中における科学技術管理、核管理、原子力発電システム管理を否定しているのであって、来る熟成?された政治システム社会?の中では完成された管理技術を提言し、核、原子力をも是認していかなければ、エネルギー資源としてはもったいない!! 現在の国家予算サイクルの中で生きる日本の電力会社の幹部が聞けば、大喜びする現実離れした政策だ。

 実際には、そんな政治システムも核管理システムもこの20世紀にことごとく破綻、挫折し終わっている。

 その挫折という社会現象に悪乗りし、一時的に党勢の拡大に成功したかに見えた党だったが、実際の住民・市民運動の中核を担ってきた人々とは結びつきようがなかった為に、最大の武器である機関誌の部数拡大さえも長期低落傾向が続いている。つまり、「非技」なのだ。「技」はいくら東大出身のエリートが頭をつき合わせて設計してみせたところで、現実の「決まり手」は常に当事者が立たされている困難の中からリアルタイムで跳ね返ってくるものでなければ使い物にならない。

 原発を押しつける代わりに短期、一時的に膨大な額の税金を地域に落とす自民党的公共事業の犠牲になった地域住民の怒りの声はエリート集団の設計した段取り住民運動では膨らまないのだ。

 敵失を待つ「非技」(時には「見方失」まで待っているぞ!)の中からは実力は培われない。相撲評論家がしばしば語る引き技批判は「引き技」がこの非技に限りなく近い決まり手だからなのだ。先日、日本共産党が大会を開いて方針を修正した。ではその中の自衛隊活用論はどうなのだろうか。

 他人事ながら、あの社会党の村山大崩落を想起したのは筆者だけではなかったことだろう。太平洋戦争を引き起こした日本の軍部の歴史的、人類史的な猛省の中から必然的に産み落とされた類稀な、世界に冠たる日本国憲法を土台として持つその党が、その憲法自体を政略的に踏みにじったところに社会党の崩壊が始まったことは記憶に新しく、いわゆる政界(変な言葉だ)の右翼的再編(マスコミ用語か?)を一気に促してしまった。

閑話休題

 消費者運動・市民運動として地域における共同購入会作りに私財を投じて(一度言って見たかった。投げ打つというところまではいってないけど)運営している筆者にとって村山党首(当時は首相)の「国家と国旗は国民に定着している」といった声明を会員の食べ物を運ぶ配送車の中で聞き、思わず耳を疑ったが、とめどもなく涙が止まらずあふれてきたことを今でも生々しく思いだす。その党を受け継いだ?現在の社民党は言い訳もせず、黙々とよくやっている方だとは思うが、政党として、一体どこでけじめをつけたのか疑問だ。女性党としての側面を体現したのは評価するけれど!?

 話しを元に戻そう。日本国憲法の最も人類史的な役割は戦争放棄にあり、一切の軍備を持たないとあえて外界に向かって宣言したところに日本が歴史的に持つ貴重な立場が反映されているのだ。

 過日、治安出動を制度化するところまで踏み込むと宣言したばかりのその憲法違反そのものの軍備、つまりは「自衛隊」。国民の歴史的統合的な合意の下にはない軍備は常に内向する(治安出動)。この反省から出たはずの日本国憲法の持つ最も平和主義的な側面を簡単に政略的に否定する党とは一体どのような立場を代表していくのだろうか。「右や左の旦那様」と票を欲しがるのは凋落傾向にある政党としては分からないではないが、右の旦那様まで集めては社会党のたどったいつか来た道だ。

 そもそも農業政策、農村政策の封建主義的な破綻が農家の次男、三男以下の失業を恒常化し、その失対事業としての中国を始めとしたアジア諸国の日本の「農地化、工場化」を目指したのが太平洋戦争の端緒だったのだ。

 今日それがたとえ、ITに代わり自衛隊に代わったとしてもそもそも人殺しを業とする集団が持つ機能を日常の中に権能として固定化することが政党としての創造力であろうとは、到底容認し難い。

 それとも日本共産党は原発であれ、軍備であれ、「我々式」に組織整備さえすれば、核の無毒化や軍隊の平和化が実現できると本気で錯覚しているのだろうか。

 どこかの国のように「自らの組織原理以外の立場とは一切交渉の余地がない」。その対極としてせっぱつまって組織拡大の方策の為に軍備の合法化を是認するのであれば、マスコミ用語を拡大引用すれば左翼からの右翼的政界再編ということになろうが、アメリカのように市民運動、消費者運動以外は全て政治勢力的にはファシズム的国民政党偏在に陥りかねない。太平洋戦争とその戦後社会での政治的サバイバル状況の中で構築されたエリート集団による上意下達システム(共産党のいういわゆる民主集中制)はもはや豊かな創造的活力を身につけた市民社会とは絶対的に乖離しているという現実に気づくべきだろう。「我々式」という近くの国家が主張し続ける価値判断に限りなく近いシステムにこだわり続けるならば、一方で又「我々式」にこだわり続けなければならないとある宗教団体との不本意で不用な地域での対立や騒動にも、相変わらず無駄で馬鹿げた労力を割かなければならなくなるだろう。又、本来、世界的な政治的価値から見て、共闘すべき市民勢力や政治勢力との乖離した溝も埋めることは難しいことだろう。

 机上の政治的設計図を引く政党エリートアバンギャルド体制は世界的にはとっくに終わっている。その地点から早く脱却する道をみつけなければ民主集中制下におけるエリートアバンギャルドの世迷い事の妄言がいつまでも延々と繰り返されることになる。

黒川 正之(くろかわ・まさゆき)
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編集後記

◆低迷している政治状況ではあるが、支配層の政治目標ははっきりしている。数年後の憲法改正による第九条の廃棄−国軍創出−自前の核武装というコースである。

 この故に「核燃料サイクル」は国家にとって欠くことのできない基本政策である。原発からの撤退という世界的趨勢にもかかわらず、「もんじゅ」裁判の福井地裁判決が示すように、法の助けを借りてでも日本独自の推進路線を貫徹しようとするだろう。何しろ世界の批判を浴びながらいまだに戦争責任をとろうとしない国なのだから。

 高名な学者・評論家の一部に、電力各社は経済的理由から5年後には原発から撤退するだろうという楽観説がある。だがこの種の論者は、日本の歴史的過程と国家意志を甘くみていないだろうか。

 核のゴミ捨て場を求めて必死になっている国の姿勢にりつ然とする。(い)

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