蝉時雨、というほど、

東京では蝉が鳴かなくなったような気がする。

半ズボンに麦わら帽子で駆けずり回っていたガキの頃の夏の記憶は、ただただ蝉の鳴き声だった。

蝉は七年間地中にいて、七日間程の短い命を鳴き続けるという説がある。精一杯鳴くがいい・・・。


ミンミン蝉や油蝉、ツクツク法師が鳴き止み、カナカナが寂しげな美声を響かせる頃、

夏の終わりに恒例の「ヒューマンドキュメンタリー映画祭《阿倍野》」が、大阪で開催される。

もう13年目になる。よく続いたものだ。言い出しっぺの一人として自分で自分を誉めてあげたい。


今年は8月28日(金)から30日(日)までの三日間、

10本のドキュメンタリー映画の秀作と、映画祭のコンテストに入選した6本の作品を上映する。

今年のプログラムの特徴は、社会派といわれる傾向のドキュメンタリー作品が多いことだろうか。

今までの「ヒューマンドキュメンタリー映画祭《阿倍野》」の傾向は、

どちらかといえば社会派というよりもヒューマンな作品を中心にプログラムが組まれてきた。

国内外を問わず、多くのドキュメンタリー映画祭は社会派が中心だから、

ヒューマンな作品の存在に触れてもらうことで、ドキュメンタリーの幅と奥行きを知ってもらえたら、

という思いがあったからだ。


何故今年は例年になく社会派の作品を中心にプログラムを構成したのか・・・。

現自民党政権のあからさまなファッショ的政治支配に対する異議申し立てとして、

ドキュメンタリー映画を通じて日本の歴史と現在の一端を見つめ直す機会にしたいと考えたからだ。

このままでは「ヤバイ」と思いませんか?


「過去は私たちと無縁ではなく、単なる思い出の対象でもない。私たちの現在の意味を教えてくれる場所なのだ」

(最近読んだ新聞記事をメモした一節。誰の文章だか失念してしまった。スミマセン)


ドキュメンタリーという「記憶」が語りかけるものに耳を澄ませてほしいのだ・・・。


マスメディアがお題目のように口にする「戦後70年」としてではなく、

映画祭そのものをひとつの表現として考え、今回のプログラムを自己主張したいと思う。

私たちのような小さな映画祭の、たった三日間の祭りごとで、そんなことを思うのは自己満足だ、

と笑われるかもしれない。

けっこう。一寸の虫にも五分の魂というではないか。


一人でも多くの人に「ヒューマンドキュメンタリー映画祭《阿倍野》」に足を運んでもらいたい。

「記録」というよりも「記憶」。

ドキュメンタリー映画は、一人ひとりの切実な「記憶」の束。

今、「記憶」を一人ひとりに手渡しすることで、押し返さねば・・・と思う。


力尽き、空を仰いで動けなくなった蝉を道端に見つけて、

「ヨシッ!」と気合いを入れ直す。

夏の記憶。

蝉たちほど潔くはないけれど、

精一杯鳴き生きるつもりで映画を創り、映画を観てもらい・・・くたばろう。


大阪・阿倍野でお逢いしましょう。



※ヒューマンドキュメンタリー映画祭《阿倍野》

2015年8月28日(金)〜30日(日)

会場:阿倍野区民センター大ホール 

映画祭公式サイト(http://hdff.jp/)

メール(info@hdff.jp

大阪事務局TEL(080-6180-1542)

東京事務局TEL(03-3406-9455)


 

夏の「記憶」

伊勢 真一