暗がりに真っ白い花。

浅い春、こぶしの白い花にドキッとさせられることがある。


幼馴染みが遠くへ逝った。

同い年、小さい頃から付かず離れず生きて来た。


寝ションベンばかりしていたガキの頃、

我が家で一緒の蒲団に寝て、たっぷりオシッコをかけちまったことがあった。

困った顔をして佇む彼を、薄目を開けて見ていた情けない私。


十代の頃は、よく一緒にバイトをした。

近くにあった東宝撮影所の大道具の仕事もした。

時代劇のための石仏を、ハッポースチロールで創る仕事にすっかり飽きてしまい、

胸を膨らませたセクシーな石仏を競って創り、二人してえらく怒られた。


大学生の時は、お互いデモや集会に足を運んだ。

「背広を着てラッシュに揉まれ働いてこそ、一人前の社会人だ」と語り合い、

面接試験を受け、会社勤めをしたけど、二人共、半年ともたなかった。

やがて彼は頑強な身体を生かして鳶(とび)の仕事に就き、自分の会社を起こすまでになる。

私が映画の仕事をヨチヨチ歩きではじめた頃、彼はもうイッパシの鳶の親方だったと思う。

助手を経て、ちょっとした作品を任されるようになり、

「もうこれで一本立ちだ!」と浮かれた途端、仕事が来なくなり、困り果てた挙げ句、

彼に頼みこみ、鳶の現場仕事を手伝わせてもらった。

現場を共にすると、彼の働き振りがよくわかった。

重量鳶と呼ばれるらしい穴掘り仕事で、深さ三メートル程の穴を掘るのに、

私がひとつ掘る間に、彼は五つは同じ大きさの穴を掘った。

私は穴掘りにくたびれると、穴の底にしゃがみこみ、よくサボった。

見上げると自分が掘った四角い穴から空が見え、青い空に白い雲が流れた。

まるで映画のようだ、とボンヤリ眺めていると、

隣りの穴から「何ボサッとしてるんだ、掘れ!」と怒鳴り声が聴こえた。


真剣に掘っている彼と、

ボンヤリ映画を思っている私……。


こんなんじゃ駄目だ。

その時私は、本気で映画の仕事をやろうという気になったように思う。

彼のように、自分の仕事だと言える仕事をしよう。


彼の父親は、カメラマンだった。

彼の父、カメラマン・瀬川順一さんを描いた映画『ルーペ』を、私は自主製作で完成させ、

瀬川さんの一周忌でお披露目することになった。

上映後の挨拶で感極まって、言葉につまり、立ち往生してしまった時、会場から

「真ちゃん、ありがとう!」

という大きなダミ声が聴こえた。

彼だった。


「ありがとう!」を言いたいのはこっちだよ、俊ちゃん。


瀬川 俊。

目を瞑って、つんのめって生きて、そして逝った。

自慢したい友達が、又、一人居なくなった。


知らせを受けたその夜、

真っ白いこぶしの花を見つけて

「ありがとう」を思った。

 

こぶし

伊勢 真一