会話が途切れ、間ができることがある。
私はそんな“間”を気にしない方だ。
ちょっとドキドキする感じが悪くないと思って、そのまま黙ってしまうことも多い。
友人のミュージシャン・友部正人に、時々、映画上映後のトークの相手をお願いすることがある。
横浜の映画館でトークショーがあったとき、いつものように話をしていたら、フッと会話に隙間が空いた。
別に気にせず、きっと友部が喋り始めるだろうと思い黙っていたら、
友部もそう思っていたらしく、二人とも黙ったまましばらくじっとしていた。
お客さんはカタズを呑み込む・・・。
どのくらい黙っていただろう。
せいぜい二〜三分だったと思う。
どちらからともなく話が再開して、いつものようにとりとめのない話を終えた。
トーク後に友部の連れ合いのユミちゃんが、私たちのところに駆け寄り、
「今日のトークは最高だった・・・」と言う。
「何が?」と返すと、
「だって二人とも黙ったじゃない。フランスでは、ああいう間のことを“天使が舞い降りる”と言うのよ。
会話が途切れることを悪くないと考えてるのよ」と言った。
「天使が舞い降りる、か・・・」と思いを馳せていると、
「あんたたちの冴えない話を聞いてるより、黙ってる二人を観てる方が全然マシってことよ」と言われてしまった。
返す言葉がなく、また、舞い降りた天使のことをしきりに思った。
あとで、天使が舞い降りる間のことを、フランス語で「アナンジュパス」と言うことを知った。
私は、人前で話をするのは、あまり得意ではない。
「かんとく」として上映後に挨拶やトークをすることもあるけど、何回やっても上手くできない。
一人きりで舞台上で「アナンジュパス」状態になることも、しばしばある。
あわてて言葉を紡いで、思ってもいないキレイゴトを言ってみたり、
急に理屈っぽくなったり、妙にへりくだってみたり・・・。
喋らなければよかった、とほとんどいつも後悔する。
「私は人前で話すのが苦手なのですが、どうしたら上手く喋れるか教えてもらえますか?」と聞かれたことがある。
聞く人を間違っていると思いながら、
「下手くそでもいいから、ゆっくりと本当に語りたいことだけを自分の言葉で喋るといいと思う。飾り過ぎずに・・・」と、
いつも自分が思っていることを言う。
自分の言葉で本当に語りたいことだけを喋る。
喋ることがなかったら黙る。
それでいいじゃないか。
映画も同じだ。
自分なりの表現で、本当に伝えたいことだけを描く。
あとは黙っていればいい。
「アナンジュパス」
そうすれば、天使が舞い降りてくるんだ。
映画を観る人が、天使の存在に思いを巡らせることこそ、映画的な体験だと思う。
会話の途中で黙ってしまうように、ふと自分自身が空白になり、どうしていいかわからなくなるときがある。
不安に押しつぶされそうになる。
若いときには、歳をとれば、悠々自適、どっしり落ち着いた人生を生きることができると思い込んでいたけど、
全然そんなことないな。そんなことないのは私だけかな?
そんな不安でしょうもないときには、「今、天使が舞い降りて来てる・・・」と思うことにしよう。
もしかしたら天使は、そんなときにしか、すぐそばに来てくれないのかもしれないから。
むしろ、そのときを大切にしよう。
秋だ。もの想い、映画を創ろう。
映画を観て、もの想ってほしい。
祈再会。