雨上がりの夕方、お通夜に行った。


私の映画の応援団を自認し、足しげく通ってくれたFさんが逝ってしまったのだ。

映画が完成すると必ず上映に顔を出してくれて、

新年会などの集まりには手作りの差し入れを両手で抱えられないほど持って来てくれたり、

旅先で「商売繁盛」などの縁起物のお札があると

「大吉」のオミクジと一緒に送ってくれたりもした。

本当によくしてくれた。


Fさんは、私と出逢って間もない頃完成した映画『風のかたち—小児がんと仲間たちの10年—』に、

とても共感し、何度も何度も足を運んでくれた。

 「五回観ました……」

 「十回観ました……」

節目ごとに観た回数を知らせてくれて、

そのうち「観る」というより「逢う」という言葉を使うようになった。

『風のかたち』に逢いに行く、と言うようになった。

 「三十回逢って来ました……」

 「四十回……」

おそらく五十回は『風のかたち』を観てくれた、いや、逢ってくれたと思う。


その他の私の作品も、よく応援してくれた。

映画『ルーペ』がミニシアターで再映された時にも、

主人公のカメラマン・瀬川順一さんに惚れ込んで、連日通ってくれた。

お客さんの入りが少ないことを私が嘆くと、

 「誰も来なくたっていい、だって『ルーペ』は、誰にも観せたくない。

  私だけのものにしたい映画だから……」

と言い放った。


応援のお返しのようなことが何も出来なかったように思う。

限りある「いのち」を生きる……と、コトバでは言うけれど、その理不尽に戸惑う。

いつも、先に旅立たれた人のことを、申し訳ないような気持ちで見送り、悔やむ人生だ。


それにしても、Fさんは何故『風のかたち』に五十回も足を運んでくれたのだろう?

私が持論にしている“映画は観る人にとって窓であり、同時に鏡である”ということで言えば、

Fさんは映画『風のかたち』の窓から何を観ていて、

その鏡にどんな自分を観ていたのだろう。観ようとしていたのだろう……。


この夏に完成したばかりの、映画『風のかたち』DVDをご遺族に託した。

五十回から先、Fさんが何度も観ることが出来るように。

私に出来る恩返しは、こりずにめげずに、映画を創り続けることしかない、か。

Fさんや、先に逝ってしまった一人ひとりが、映画を待っていてくれるにちがいないと思い込んで。


もうすぐ彼岸花が咲く。

あやしい魅力のある紅い花、曼珠沙華とも言う。

お彼岸の頃咲く花、というよりも、

彼岸、向こうの世界に咲いている花、というように私には見える。

きっと彼岸からも、こちらの花が見えるだろう。

 

彼岸花

伊勢 真一