八月、恒例の「ヒューマンドキュメンタリー映画祭《阿倍野》」が終わると、夏が終わる。

この数年は、そんな具合に私の季節は巡って来た。


映画祭は、予想以上にお客さんが集まり、

キャッチフレーズ通り「感動は予想を越える」という雰囲気だった。

その余韻で火照ったカラダとココロに、秋めいた風が触れて心地いい。


前に読んだことのある小説「風の盆恋歌」(高橋 治著)で、

夏の終わりに「酔芙蓉」と呼ばれる白い花がフッと淡い紅に色づく

美しい夕べが描かれていた・・・。

その花を見たいと、ずっと思っていたけど、

「酔芙蓉」という花は本当にある花なのだろうか?

本当にあるのかどうか知らないけど、美しいものは美しい、それでいい、か。


過日、新作『妻の病』を観終えた御婦人に、

「自然を越える美しさはない・・・とよく言われるし、私もそう思ってたけど、

 今日観せて頂いた映画は、自然の美を越えるほどの美しさでした」

と誉められた。

そんな誉め方をされたことが今までなかったので、

恥ずかしいようなドキドキで、言葉に酔い、ポーッとしてしまった。

どおいうわけか少し意気消沈気味だった我が心を、

ヒトトキ慰めてくれるような言葉をかけてくれたお客さんに感謝。

ちょっと誉められただけで治る落ち込み、まぁお調子者ということ、単純なんだ。


上映のゲストで来てくれていた、『妻の病』主人公の石本浩市さん(小児科医)にも、

お客さんの話をそのまま伝えたら、とても嬉しそうに笑ってくれた。

その笑顔が私には嬉しかった。


この映画を創ってよかった・・・と思った。


生身の人間を描くドキュメンタリー映画は、

撮影する側もされる側も、無傷ではいられないようなところがある。

映画が完成し、お客さんがまるで自分のことのように映画を受け止め、優しい言葉をかけてくれると、

映画を撮り撮られることで負った傷が、少なからず癒されるように思うのだ。

そんなヤワな気持ちではイケナイ、と言われてしまうかもしれないけど。

阿倍野の映画祭、上映後のトークで思わず、

「私は、ドキュメンタリー映画の仕事は向いていないのかもしれない・・・」と

本音を言ってしまったけど、

創っても創っても、いや、創れば創るほど、傷は深まるようにも思う。

だからこそ創り続けるのかもしれないが。


「酔芙蓉」という花の名は、植物学の父と呼ばれた牧野富太郎が名付けたのだ、と、

今は亡き花狂いの友人から教わったような気がする・・・ということは、実在する花なのか?


見たことはないはずなのに、見たことがあるように思うことを「デジャヴ」と言うらしい。

見たことがないのに忘れられない光景、聴いたことがないのに覚えている音色、

そんな記憶が頭の中をグルグル回りしている。

「デジャヴ」感のたっぷりある映画をこそ創りたい。


みんなホントで、みんなウソみたい。

季節は巡る。

 

酔芙蓉

伊勢 真一