このところしきりに、幼い頃の我が家のことを思い出す。
そのほとんどが「歌」に絡んだ記憶だ。
記録映画の編集者だった父は、
私がモノゴコロついた頃にはもう家を出ていたので、
家には母と二人の姉だけが居た。
正確に言えば、犬と猫も居たけど。
♪愛の讃歌、♪テネシーワルツ、♪夢路より…。
つい先日、大阪で顔を出したコーラスの会の集まりで聴かせてもらった歌の多くは、
当時の我が家の愛唱歌だった。
私は♪別れの一本杉、などガキにしては渋い歌も持ち歌にして、
エコーが効いていい声に聴こえる玄関で、調子っぱずれにがなっていた。
歌声のたえない我が家は、借金まみれだったけど、
世間で言う父親の居ない不幸な家庭という感じではなかったように思う。
もうとっくの昔に逝ってしまった母は、
子どもたちが歌を唄っているのを、美味そうにタバコをふかして、
ニコニコ笑いながら見て聴いていた。
その時の母はシアワセそうだった。
新作『妻の病−レビー小体型認知症−』を完成させたばかりだけど、
ここのところは、認知症のグループホームを二年近くにわたって記録したドキュメンタリーの、
編集に取り組んでいる。
何しろ、ブレーキのぶっ壊れた機関車だから。
次々とよくやりますねぇ…と時々言われるけど、
今、やらなくて、いつ、やるんだ。
俺が、やらなくて、誰が、やるんだ。
と、妙にムキになって踏ん張ってる。
認知症のグループホームでのドキュメンタリーで、
我が母と雰囲気がよく似たばあちゃんと出逢った。
目が合うとニッコリ笑いかけてくれるので、向こうも私を知ってる気配。
もう95歳くらいかな?母も生きていれば、そんな歳だろう。
そのばあちゃんの歌好きは、とても素敵だ。
日常の言葉のやりとりをメロディーにのせて、
まるでミュージカルのような会話に歌い上げるのだ。
カメラは依怙贔屓して、そのばあちゃんから目を離さない。
我が母は黙って子どもたちの歌を聴いていたけど、
その「歌の記憶」を、今頃になって天国で思い出しながら歌っているかもしれない。
歌は忘れないからな。
グループホームで出逢ったミュージカルばあちゃんの歌声を編集しながら、
母のことを思い、そして「歌の記憶」について考える。
覚えようとしても、すぐに忘れてしまう「学校でのお勉強」、
全然覚える気もなかったのに、何故かしっかり記憶している「歌の記憶」。
「学校のお勉強」のような映画ではなく、
「歌の記憶」のような映画を、一本でもいいから創ってくたばりたい。
私の映画を観た見知らぬ誰かが、「歌の記憶」のように、
まるで自分自身の記憶のように思わず口ずさみたくなるような、
映画のワンシーン、ワンカット。
「歌の記憶」と「映画の記憶」は案外、近いところにあるような気もする。
歌はいいなぁ…。映画もいいか…。
♪泣けた泣けた こらえきれずに泣けたっけ…♪
夜道でひとり♪別れの一本杉、を熱唱した。
遠い空から拍手が聴こえたような気がした。