久し振りに、学生時代の友人遠藤滋に逢いに行った。

遠藤は、私のドキュメンタリー映画の名作(?)「えんとこ」の主人公で、脳性マヒの障がいを持ち、もう30年近く、24時間介護の寝たきり生活を強いられている。


7月10日(水)に、日比谷図書館地下ホールで企画している「逃げ遅れる人々―東日本大震災と障がい者―」と「えんとこ」上映のためのコメントをもらいに、カメラマンと共に世田谷・梅ヶ丘に暮らす遠藤を訪ねたのだ。

「えんとこ」に撮影に入ったのは、もう15年程前。三年間ほど通いつめた私にも慣れ親しんだ場所に、今も遠藤は居る。


人並みに歳をとり、メタボ気味の身体をベッドに横たえ、大きな眼と大きな口で豪快に笑って迎えてくれた遠藤… その笑顔はまったく変わらない。

けれども、食事が口から取れなくなり、発声が難しくなっており、会話のやりとりは介護者に通訳してもらうような状態だった。


私は「あいつはガンの手術をした。

あいつもあいつもガンらしい…

もう遺り時間が少ない奴もいるんだ」

と学生時代の友人たちの、何人かの近況を遠藤に知らせ、

「予想通り、遠藤が一番長生きすることになりそうだな」と言ったら

「そうだな…」と笑い、

「みんな、よく生きたよ」と答えた。

「自分で自分を誉めてやりたいくらいだよな…」と私が言ったら、遠藤はしばらく黙って

「いや、誉めてやりたい、と言うより、

まだ… まだ…やり残していることがある、と俺は思う」

「そのやり残していることを、いくつかに絞ってやり切らなきゃ…」

と、大きな強い眼でじっと天井を睨み付けた。


遠藤は、学生時代から哲学者のようだった。

身をもって生き様を晒す哲学者。

遠藤は健在だった。

15年程前、映画「えんとこ」の中で「まだまだ、あきらめない。自分がやって来たことを、次の世代に、次の時代に繋ぐまでは」と呟いたことと、変わらぬ言葉をしっかり口にした。

遠藤は少しもブレていない。


寝たきりのその部屋の壁に、和歌をたしなむようになった遠藤の近作が書かれていた。

「老いらくの恋の身悶え

気の利ける軽き一言

言えず過ぎけり」


遠藤滋 66才、ありのままの命にカンパイ‼


※この日の遠藤とのやりとりの様子をまとめた短いドキュメンタリーを7月10日(水)

「ヒューマンドキュメンタリー映画館 日比谷」で上映します。


15:00~ 「逃げ遅れる人々―東日本大震災と障がい者―」

〈上映後トーク〉

飯田基晴監督×伊勢真一

(このトークで最新映像を上映します)

18:30~ 「えんとこ」

※問合せ・予約 いせフィルム(03‐3406‐9455)


 

「えんとこ」再訪


伊勢 真一