知り合いの俳人が、

「おもふことにたへぬとき」折々に、俳句を詠んで来た・・・と新聞紙上で語っていた。

平安時代「土佐日記」の紀貫之が、そんなことを書いていることも紹介していた。

ガキの頃から一貫して勉強嫌いの私は「土佐日記」も読んでいないし、俳句を詠む器量もないのだが、

“あぁ、そうなんだ”と妙に納得した。


つまり、思いや考えが自分の許容量を越えて、心が溺れそうになる、

そんな時にこそ、言葉が必要になり、表現することで荒海を漕ぎ切り、

「いのち」拾いすることが出来る、ということか・・・


同じ新聞紙上に、谷川俊太郎さんの

「何もかも失って

 言葉まで失ったが

 言葉は壊れなかった

 流されなかった

 ひとりひとりの心の底で・・・」

で始まる、震災と津波に触れた詩も紹介されていた。


言葉に限らず、映画も音楽も、すべての表現が「流されそうになった」のだと思うし、

それぞれに「流されまい」としたのだ。

表現、と言うよりも、多くの人の心が「流されまい」とし、今も現在進行形で心の舟を漕ぎ続けているのだと思う。


身の置きどころのない思いで仲間たちと被災地に向かい、

『傍(かたわら)~3月11日からの旅~』というドキュメンタリー映画を創り、上映している。

上映会場で「よく記録を撮ってくれました」とか「立派な仕事をされましたね」と持ち上げられると、

一層、身の置きどころのない思いになるこの頃だ。


映画『傍(かたわら)』のパンフレットの冒頭に、『ワカラナイ』という題の小文を書いた。

(以下、パンフレットより抜粋転載)

  東日本大震災と呼ばれることになった災害後、おさまりようのない胸騒ぎのまま

  宮城・亘理町、福島・飯舘村にスタッフと共に通いつめた記録だ。

  テレビ番組のように、情報が盛られているわけでも感動を描いているわけでもない。

  記録と言うよりも、私的でいびつな記憶のようなもの。

  

  誰に頼まれたわけでもないのに、被災地へ入れば迷惑をかけるにちがいないのに、金もないのに

  何故・・・?

  

  「自分のことは、自分が一番よく、ワカラナイ」


映画『傍(かたわら)』に限らず、いつも、ワカラナイで映画を創っている自分のことを、

恥じて書いたつもりだ。けれども「ワカラナイ」からこそ映画を創るんだ、と思い返す。


「おもふことにたへぬとき」にこそ、私も映画を創って来たのだと思う。

あの紀貫之だって、そうだったらしい・・・

「ワカラナイ」からこそだと思う。


三月・・・

春が来て、夏が来て、秋が来て、冬が来て、

そして又、春が来る。

 

おもふことにたへぬとき

伊勢 真一