昨秋から仲間達と始めた「ヒューマンドキュメンタリー映画館 日比谷」で、

私の自主製作・自主上映活動の原点的な作品『奈緒ちゃん』と『ルーペ』を上映した。

お客さんは多くはなかったけど、両作品ともとても好評で、

観た人はちょっと興奮気味に「いい映画だなぁ・・・」と語っていた。


『奈緒ちゃん』を撮り終え、間もなく遠くへ逝ってしまった大先輩、瀬川順一カメラマンの、

生き生きとした語りを中心に構成した『ルーペ』を久し振りに観たせいか、

ここのところ、瀬川さんのことをしきりに思う。

節分の日に、

そお言えば、瀬川さんに「オマエは“金棒”を忘れた鬼のようだ・・・」

と言われたことがあったなぁ、と思い出す。

ドキュメンタリーの創り手として、あまりにも頼りない私のことを揶揄(やゆ)するつもりで

罵倒するように言われた。

「クソ!バカにしやがって」と頭に来たけど、

認めざるをえないと、その時自分で自分を思った。


それから20年程経った今、私は金棒を持つようになったかと言えば、

やはり今も持っていない、かな。


つい先日、日本映画ペンクラブが今年の日本映画ペンクラブ功労賞を私に下さるということで

銀座の授賞式会場までノコノコ出かけた。

受賞の挨拶で、

「功労賞と言えば、80才過ぎた人かもう引退した人がもらうもので、何かのマチガイではないか・・・」

と語り出しながら、金棒を持たない鬼のことをスピーチした。


金棒とは、例えば、教養、財力、権威・・・その他

世俗を生き抜くために必要とされるあれやこれやのことか?


ドキュメンタリスト、という存在で言えば、正義感、知性、説得力・・・

ようするに、信用に足る人間ということかな?


どれをとっても、私があまり持ち合わせていない素養である。


金棒を持たずに、素手でドキュメンタリーを創り、観てもらう活動に立ち向かって来た・・・と言えば

聴こえはいいが、実体は、オロオロ逃げまどう鬼のような情けない日々だったと思う。

「功労賞」をいただくようなタマではないけど、

こんな奴でも、映画を創り、観てもらう「なりわい」は可能なのだ。という、

後進への勇気づけ、という意味で、功労はちょびっとあったかもしれない。

もらえるものは、素直にもらっておこうと納得したのだ。


スピーチでは、

「金棒の代わりに、私には仲間がいた。

 映画を創り、観てもらうことを応援してくれる仲間がいろいろな所にいた・・・」

と結んだ。

キレイごとに聞こえるかもしれないが本当だ。


ブレーキのぶっ壊れた止まらない汽車状態の私は、

こりずに、ドキュメンタリーを創り続け、自主上映をやり続け、各地での小さな映画祭に取り組み、

ヤミクモに走り続けている。

自分のことは自分が一番よくワカッテイナイので、

これからのことはほとんど何もワカラナイ。


それでも、春がやって来る。

きっと春になれば・・・とも思う。

春よ来い、早く来い。

金棒

伊勢 真一