先日、古いスタンダードソングを唄った夢を見た。
と思ったら、今朝は歌謡曲を唄って目覚めた。
このところ、逝ってしまったドキュメンタリーの先輩の本を読んでいて、
そおいえばあの人も、我が持ち歌の名曲♪石狩演歌♪を唄ってたなぁ、
と思い出し、口ずさんだせいだろうか・・・。
夢で私が絶唱していたのは、小林旭の♪さすらい♪だったけど。
夢の紅白歌合戦、呑気なもんだと笑ってください。
紅白歌合戦といえば、世の中的には年末年始恒例と枕が付く。
昨秋から恒例となった「ヒューマンドキュメンタリー映画館 日比谷」の
今年最後の上映があった。
出しものは、新作「シバ –縄文犬のゆめ-」「大丈夫。-小児科医・細谷亮太のコトバ-」と、
細谷亮太医師と私のトーク。スペシャル上映として「12月28日 –細谷先生さいごのおつとめ-」。
全国各地の上映にお付き合い頂き、映画の後のトークを共に荷ってくれた細谷先生との語らいで、
年の瀬の上映会を締めさせてもらった。
映画を観せっぱなしにしない、という考えのもとに、
上映後にトークがあるのが、私の映画の恒例となったように、
「恒例」は、恒例にするという意志と持続する志があってはじめて、
「恒例」になるのだ。
私の年末年始の恒例には、映画「風のかたち」で出逢った小児がん体験者の少女、
A子ちゃんとクリスマスプレゼントを交換し合うこともある。
A子ちゃんは、必ず自作のクッキーを、時には手袋やマフラーを添えて贈ってくれる。
もう15年近くになる。
プレゼントをもらうのは、もちろん嬉しいけど、
プレゼントをあげるのも「しあわせ」な気分になるので、
私は私で、毎年「何を贈ろうか・・・」と迷いに迷いながら、
結局、つまらないものを贈る。
映画を創るのは、一人ひとりにプレゼントをあげるようなものだから、
迷いに迷いながら、映画を創っているのは「しあわせ」なのにちがいない。
12月31日、大晦日は年の最後の恒例、親父の墓参りに行く。
もう四十年になる。
東京・江戸川橋にある墓の墓碑名は「倶会一處(くえいっしょ)」。
親鸞の言葉らしいが、何だかんだ言っても、ここでみんな一緒になる、
というほどの意味だと勝手に解釈している。
いつの頃からか、一年中ほとんど休まず仕事をするようになり、
ワーカーホリックそのものの人生だが、年の最後の一日だけは、スウィッチをオフにするのだ。
ワーカーホリック仲間だった細谷先生が、
十日程前、電話をくれて「今、独り旅してるんだ・・・」と私を羨ましがらせ
「伊勢さんも、たまには休んだら」と言われた。
細谷先生の仕事は、本当に大変な仕事だし、ストレスも並大抵じゃないだろう。
でも私のは、仕事だか遊びだか、よくわからないところもあって、
まぁ、マジに遊んでいるという感じはあるけど、比較にならないと思う。
記録映画の編集者だった親父は、六十年、真剣に遊んで逝った。
その命日に、墓前で手を合わせ新しい年を思うのは、私にとっては大切な恒例だ。
新しい年の抱負だなんて、シャラくさい考えは無いけど、
ますますマジに遊ぼう・・・と。
「遊びをせんとや生まれけん・・・」
と大昔、誰かが言ったらしい。
よい年を。
そして、明けましておめでとう。