映画『奈緒ちゃん』以来20年近く自主製作・自主上映に取り組み、上映会場でアンケートという

映画への返信を一人ひとりから受け取り、それを又、新聞のようなものを創り一人ひとりの手元に返す、

というやり方を続けて来た。

ただ観せっぱなしで、次々に情報を消費されてしまうマスメディアの傾向と、

いせフィルム方式のコミュニケーションの密度の違い…、

私たちの自主上映の在り方が、自主制作の背中を押し続けてくれているようにも思う。

いつもアンケートを読みながら

「映画は観客と出逢い、はじめて映画になる」

という基本テーゼを再確認する。

『風のかたち』『大丈夫。』『傍(かたわら)』三作品のアンケートを紹介しながら考えたことを綴ってみる。


ー『風のかたち』のアンケートよりー

  ・以前から見たい見たいと思っていました。永年思いを寄せた恋人に出会えたような気持ちです。

   子どもたちの目に力があるのがとても印象的でした。生きることの意味を今一度考えました。(埼玉・57才)

  ・強い『いたみ』を感じた人は、同じくらい強く、人に優しくなるんだなぁと思った。登場した子たちは、

   私よりも10歳以上も年下の子たちなのに、「人の役に立ちたい」と力強く言っていた。

   小さい子なのに、その思いはとても強いものに感じ、23歳にもなる私が身震いしてしまうほどだった。

   今、病気を抱えている子たちに、私は何ができるんだろう…と考えたときに、何もできないんじゃないか、

   と思うと、悔しくて涙が出そうだった。(東京・23才)

  ・「子どもは死んじゃいけない人たちだよね…。」子ども達の「今」は今しかない!!子ども達をギュ~ッと 

   愛情いっぱい抱きしめたいと思いました。(静岡)

  ・東日本大震災で原発問題に揺れている福島での映画会の開催、本当にありがとうございます。

   言われて見て“あっ!そうか”と今更と考えてしまいました。

   小児ガン…これってあと何年かしたら福島で大問題になっている事柄かもしれないんだなって…。(福島・61才)


福島では「毎日新聞」と「がんの子どもを守る会」が力を合わせて、『風のかたち』を各地で連続上映している。

南相馬市、郡山市、福島市…

どの街の上映会も満員で、お客さんは映画を食い入るように観てくれている。

もちろん、原発事故が及ぼす子どもたちのカラダへの影響の強い関心もあるが、

「小児がん」という難しい病気のギリギリの状況を乗り越えようとする、子どもたちの笑顔とメッセージに

共感を寄せてくれているようだ。

「いのち」をいとほしむ心を

『風のかたち』の子どもたちから受け止めてくれているのだ。

震災、津波、原発事故を体験した今、

『風のかたち』は、より一層多くの人に必要とされる映画に成ったのかもしれない。


ー『大丈夫。』のアンケートよりー

  ・  〈銀幕の 息づくけはい 聖五月〉 (山形)

  ・とてもよかったです。河北町出身なので、細谷先生の小さい頃を思い出しました。

   先生、いつまでも御元気でいらして下さい。(山形・86才)


『大丈夫。』キネマ旬報文化映画ベスト・テン第1位受賞記念・山形凱旋上映は、

連日超満員の盛況、郷土の誇り細谷亮太医師をあたたかく、たたえてくれた。

故郷河北町での上映では、今は亡き細谷医師の父上(地域医療に60年以上に渡って取り組んだ)が

画面に登場すると会場全体が大きなドヨメキに包まれた。

いい光景だった…

自主上映は、一回一回反応が違う。

生きもののようだ。


ー『大丈夫。』のアンケートよりー

  ・目がみえなくて耳が聞こえなくて寝たきりでも、夢をみることはできるんですね。

   当り前ですが忘れていた事に気づかせていただきました。(岐阜)

  ・笑顔で、大丈夫!と子どもに言ってあげようと思います…と思っていたらトークを聞いていたら

   「?」でも「!」でもなく「。」だとのお話。

   そうか、自分に言い聞かせる、自分でそう思うことが相手にも伝わるんだ、と改めて思いました。(山形)

  ・神様は我慢できないような苦しみは与えないから…と児に安心をくれる細谷Dr.

   『大丈夫。』は本当にジュモンのようなことばですね。

   細谷Drの句とのコラボがステキでした。命の重さを感じます。

   イセフィルムは、人間を撮るんだと思いました。(岐阜・64才)   

  ・映画の中の子ども達にもう一回会いたい気持ちがしました。(岐阜・52才)


『大丈夫。』も『風のかたち』も「もう一度、逢いたい…」と言って会場に足を運ぶリピーターが

とても多い作品だ。

映画を観に来る、と言うよりも「逢いに来る」と言ってくれるのがとても嬉しい。

映画を、生きもののように思ってくれている感じが好きだ。

『大丈夫。』には、生きることが叶わなかった子どもたちが4人登場する。

映画の中で彼等は、いつも生き生きと夢を語り、「いのち」のメッセージを送り続けているのだと思う。

映画が上映される限り、彼等は、生きているのだ。


ー『傍(かたわら)』のアンケートよりー

  ・痛かった。あれからこの痛みをさけて、生活をしてきました。

   自分の申し分けなさ、情けなさ、からも逃げていた。

   友人の安否確認後連絡をとっていなかったけど、彼らがフルに真っ向から立ち向かっている姿は容易に想像できました。

   だからはずかしかったのもある。

   それでも、私は私の生活を過ごすしかないと言いきかせながら、普通にごく普通に生活をおくっています。

   一人のはかない一生だから、楽しくても、悪いことしてるわけじゃないと言いきかせながら…。

   映像にして見れることに感謝します。

   友人の元気な顔を見れたことに感謝します。(岩手・39才)

  ・テレビで感じるよりも懐に入った暖かみ、悲しみ、失望を身近に思いました。

   風化、ということも言われるけれど、自分の中では震災がどんどん大きなものになっていて収束できず、

   気づけば、いつも震災の情報を追っていました。どうしていいのか分からないところに今回の映画を知り、

   すがるような気持ちで来ました。(東京・52才)

  ・ドキュメンタリー映画を見た事がないので、よくわからないのですが、

   TVと違って規制がゆるいので、もっとドギツイかと思ったんですが、かえって淡々としていて

   被災者だって笑うし雑談するしと生活感が伝わって良かったです。(愛知・36才)

  ・♫君は泣いているだろうか、僕は泣けるようになったよ…♫

   ほんとうにつらい時は、泣けないんです。いつも誰かの、かたわらで生きていたいです。

   それは逆にその方が自分を励ましてくれているのだと、最近つくづく思います。(福井)


『風のかたち』と『大丈夫。』は姉妹作だと言って来た。

そして『傍(かたわら)』が完成し、この三作は、三部作なのだと思うようになった。

「理不尽」としか言いようのない状況を引き受けながら、弱さを強さに変えて行こうとする一人ひとり…

人間は、草や虫や、すべての生きとし生けるもの同様に、

どんな時にも、生きる方向を向くように出来ているのだ。

「いのち」とはそおいうものだ、と私は思う。

ずっとドキュメンタリーの現場に立ちながら、被写体のひとつひとつに教えられ、

そう思うようになったのだ。


「いのち」は生きるほうへ向かう。

という自然の摂理のようなものを『風のかたち』『大丈夫。』『傍(かたわら)』は

小さな声で、繰り返しくりかえしつぶやいている映画のように思う。


ー『傍(かたわら)』のアンケートよりー

  ・映画を見れて良かった、うれしかった(…というとごへいがあるかもですが…)です。

   遠くの地で東日本の大震災を知り、テレビで見、文字通り言葉を失いましたが…

   その後、違う形で、言葉を失い続けていたように思うのです。

   多分、他者と自分事とか、大自然と人間とか、放射能被害と風評被害とか複雑な事柄が交差するからなんだと思います。

   だから、この映画が出来て上映されてることが、とってもうれしい気がします。(広島・60才)

  ・この映画を目をそらさずに観れただけで十分だと思いました。

   またいつか、もう一度観たいなぁと思いました。撮ってくれて、みせてくれてありがとうございました。(愛知・22才)

  ・こんな大切な映像をよく形にしてくれました。見ることができて感動です。

   この映画を広めていくお手伝いができたらと思ってます。(東京・51才)


映画を観て欲しい。

小さな声に耳を澄ませて欲しい。

そして、出来ることなら三部作の自主上映に取り組んでみて欲しい。


【自主上映のお問合せ】

TEL   03-3406-9455   FAX   03-3406-9460

E-mail   ise-film@rio.odn.ne.jp

いせフィルムまで。

 

三部作ー『風のかたち』・『大丈夫。』・『傍(かたわら)』ー

伊勢 真一