6月から7月にかけて、しゃにむに働いた。

インドネシア・岐阜県可児市・秋田県田沢湖へそれぞれ撮影の旅、

大分・岐阜・静岡・大阪などに上映の旅…

そしてヒートアップ、高熱が出てフラフラになった。

それでも、休まず働いた。

まわりの仲間たちが、口々に「もう若くないんだから…」と言って

休ませようとしたけど。


私が、若く生意気盛りな時期の気持ちのままでいることも確かかもしれない。

他人に何やかや言われると「余計なお世話だ」と思い、

ニコニコ笑って話を聞きながら、胸の内は大いにムカついて「クソ、このバカタレが」と思っている。

ガキのままなのだ。

この傾向は死ぬまで治らないだろう。


普段の生活のことなどはほとんどこだわりがないので、言われたらすぐに「ゴメンナサイ」と

頭を下げてしまうのだが、作品づくりのこととなると話は別だ。

仕事を重ねればだんだん丸くなると言うけど、頑固になるとも言う…

私は頑固系なのかもしれない…


インドネシアへは、父・伊勢長之助が戦時中にかかわっていた国策映画のことを探る

ドキュメントの旅で向かった。

もう30年来調べているそのことに関心を持った愚息・朋矢(テレビでドキュメンタリーの仕事をしている)が

私たちスタッフの後をカメラで追う、という不思議なロケだった。

父・伊勢長之助は、戦前・戦中・戦後を、記録映画の編集一筋に生きて死んだ

職人を絵で描いたような映画人であった。

この父は、マチガイなく頑固系だったと思う。

我が息子も若いに似ず人当たりよく丸く見えるけど、かなりの頑固系だ。

少なくとも私の言うことは聞かない。

となると、三代続いた伊勢家記録映画家系は、すべて頑固系ということになる。


「物を創る人間には魔性のようなものがある。それを一番大切にするといい…」と

昔、映画界の大先輩から言われたことがある。

自分の中にひそむ魔性に気づくこと、そのことに深いこだわりを持つことが

ある意味一番大切だと、

自覚的に思えるようになったのは、ずいぶん経ってからだ。


もちろん、意固地になる必要はないけど、頑固であることは必要だと思う。

そおすることで、責任も負うことになるのだ。

作品の責任はすべて自分にある、という深い思い。

だからちょっとやそっと批判されたくらいでヘコたれない。

もしも万が一自分に落ち度があると気づいても、

そのことは誰にも言わない。

墓場まで持って行くのだ…

きっと、うちの親父も、そうやって墓場にいくつかの後悔を持って行ったにちがいない。

インドネシアでふとそんなことを考えた。


物を創ることに正解はない。

つまり、マチガってもかまわないということ、

ただただ正解を追い求めてきゅうきゅうとする、学校のおべんきょうのような

物創りはクソクラエだ。

おおいなる思い入れをして

おおいに裏切られて、

おおいに切ない思いをすればいいんだ。

感じて、思って、考えて…

生きてるっつうことの全体を映像を創ることで体験するんだ。


「もう若くないんだから…」と言われ続けながら作品づくりに取り組み、

わけもわからず腹を立て、自分自身に苛立って、

くたばるまで、そのままで行くんだ。

行けるところまで行くんだ。

とほくまで…

 

頑固礼讃

伊勢 真一