少し遅れ気味に桜が咲いた。
異常気象だと言う人もいるけど、どうなのかな?
このところは、桜よりも「こぶし」のまっ白い花が咲き始めると
「お~春か…」と思うようになった。
桜は少し騒々しく咲き過ぎるからな。

13ヶ月目の被災地の「月命日」に、私は岐阜に居た。
ロケハンで岐阜から富山、渥美半島へと巡る旅に出ていたのだ。
昨年は毎月の「月命日」を宮城・亘理町で過ごしていたけど…
そおして撮影したドキュメンタリーは『傍(かたわら)~3月11日からの旅~』
という作品にまとまったばかりだ。
「東日本大震災」という現在進行形の出来事をどんなふうに取り上げても、
上手に作品にまとめることなど不可能だ、とわかりながら、
そこに行かないわけには行かない、
撮影しないわけにはいかないと思い込み、
通い続けた記録だ。いびつな記憶だけど…

マスメディアが総力を挙げて取り組んでいる出来事に
私達のような弱小零細ドキュメンタリースタッフがかかわるのは、
無理だ、手に負えないに決まってると思いながら、
何クソと取り組んだ。

完成した作品『傍(かたわら)』は、3月11日を期して、
各地で少しずつ上映が始まった。
とても共感してくれる人あり、共感しない人もあり、
いつものことだが、いつも以上にその振り幅は大きいようだ。

あれやこれやの批判を受けた。
批判以前に、「東日本大震災」を取り上げた映画は観る気がしないという意見もあった。
まだ早すぎるという声もある。
NHKにまかせておけばいいのに、貧相でみっともないという手紙ももらった。
みんな、遠くから言いたいこと言ってくれるよ…
ごもっとも、と頷かざるを得ないこともあるけど、
「そこに行かないわけにはいかない、
撮影しないわけにはいかない」
と思った私の、私達スタッフの気持ちだけは本当だ。
正しいというわけではなく、ゆずれない。
その「衝動」のようなものこそが、
我等の映画創りの砦なのだ。
そおして、時にはズッコケながら傷を負いながら、
生きてきたのだから。
「創る」というのは、そおいうことだ。
もちろん、『傍(かたわら)~3月11日からの旅~』
は傑作である。
創った本人が言うのだからマチガイない。
テレビでは観ることが難しい
映画ならではの世界がある。

副題に「3月11日からの旅」とつけた。
その旅は映画の中で完結するべくもない。
よく使われる言葉だが、終わりのない旅にちがいない。

『傍(かたわら)』という1時間55分の旅のはじまりを
ひとりでも多くの人に体験してもらいたいと思う。
全国各地の劇場、自主上映の場でこの映画を観てもらいたい。
各地での上映に力を貸してほしい。
よろしくお願いします。

そうそう、騒々しい桜はともかく、
旅先の車窓に時折、ぽつんぽつんと見かける山桜はいい、
よくやってると思う。

 

山桜はいい

伊勢 真一