年の終わり、12月31日だけは必ず仕事を休み、

元旦が命日の父親の墓参りをする。

一年365日、その日以外はほとんど休みなく動き回っているワーカーホリック暮らしだけど、

今年はその一日も仕事、撮影だ。

そおいえば、昨年も撮影だった。

あと先振り返らず、なりふりかまわず、つんのめるような人生だ。

ワケがわからないまま突っ走っている。


ここのところ『傍(かたわら)〜3月11日からの旅〜』の反応が、スコブルいい。

この春先に完成した頃よりも、だんぜん強い観客のリアクションがある。

何故だろう…?

大災害から1年9ヶ月経ち、あの出来事をもう一度思い返し、自分自身で考えたい

と思っている方々が、映画を観に来るからかもしれない。

他人ゴトではなく、自分のコトとして、あのコトを受け止めたい、と。

「忘れない」というのは、そおいうことだろう。


テレビのニュースキャスターが、

「私達は東日本大震災のコトを風化させてはいけない、忘れてはいけない…」

と押し付けがましく言いつのるのをうっとうしく感じるのは、私だけだろうか?

つい先日、「月命日」の被災地の墓地を訪れた。

『傍(かたわら)』撮影時に一年近く通い続けた、言わばあの映画の定点のような場所だ。

その頃と変わることなく、人々は花やお菓子を墓前に供え、手を合わせていた。

「忘れようとしても、忘れられるわけがない」ことだから。


『風のかたち』『大丈夫。』の上映巡業のトークで細谷亮太医師が、

40年来の小児がん治療の最前線で看取った多くの子ども達の死を、

自分にとっては「1.5人称のような死だ」と語っていた。

三人称の死は、毎日のようにテレビのニュースで流される、見ず知らずの人の死。

二人称の死は、近しい人の死。

一人称の死は、自分自身の死。

細谷医師にとって、治すことが出来なかった子ども達の死は

「1.5人称の死」と思うようになった、と言うのだ。

それは、幸いにして治すことが出来た子ども達とのつき合いも「1.5人称」

ということかもしれない。

八割治るようになったと言われる小児がんの子どもたちが元気でいること、

成長する姿を見ることは、どれほどの悦びだろう。


ひるがえって、我がヒューマンドキュメンタリーも、「1.5人称」の立ち位置でありたい。

『傍(かたわら)』というタイトルは、まさしく「1.5人称」の在りようをメッセージしているようにも思う。

私はあなたではない。

私は私だ。

しかし、あなたのことを私のこととしてどう受け止めたらいいのかを、

いつも思い続けたい。

どこまで思っても、私はあなたではない。

何も出来ない、何も言えないけど、

私は傍に居る。

そして、あなたは私の傍に居てくれる。


若き日の細谷亮太医師が、

治すことが出来ず逝ってしまった子どものベッドサイドに佇み、ただただ泣き続けるばかりだった、

というエピソードが好きだ。

♫ 君は泣いてるだろうか 

ボクは泣けるようになったよ… ♫

映画『傍(かたわら)』で、主人公のヒトリである苫米地サトロは歌う。


寒いから、風邪ひかぬように。


 

1.5人称の命

伊勢 真一