雪の高山から、静岡へ。

先週は、今年最後の地方巡業に行ってきた。

高山では『傍(かたわら)』、静岡では『風のかたち』『大丈夫。』の上映とトーク、どちらもとてもいい雰囲気でした。

今年もよく上映の旅をした。

よく働いた、と自分で自分を誉めてあげよう。

旅の友になってくれた細谷亮太医師(小児科医)、苫米地サトロ(ミュージシャン)にも深く感謝。

一人じゃ淋しくてやりきれないもの…


「自主製作・自主上映なんて、なんでそんなに効率の悪いことをやるんだ。手間ばっかりかかって金にならないだろう?オマエのやってることはヒトリヨガリにしか見えない。何故なんだ…?」とマスメディアで仕事をしている友人達に時々言われ、その度に口ごもってしまう。

世の中に背を向けているつもりは、まったくないんだけどね。


度々、私の映画を観に来てくれる人から

「又、映画に逢いに行きたいと思います」という手紙をもらうことがある。

映画を観るのではなく、逢いに行くのだ、と。

たしかにヒューマンドキュメンタリー映画には、そんな感じがあるのかもしれない。

逢いたくなる、と言うような感じが。

お客さんがそんな風に思ってくれるのと同様に私も又、映画に逢いに来るひとり一人に逢うために、上映の旅をしているのかもしれない。

紙芝居屋さんのおじさんに似てなくもない。

子供たちが待っている町から町へ自転車を引いて歩きまわり…やがて居なくなってしまったけど。

「逢いたい」という気持ちがあるから、映画を創り、逢いに行く。

何故、自主製作・自主上映で映画を創るのか?という友人諸氏の疑問の答えに全然なっていないけど。


「ひとりでも多くの人に観てもらいたい」

「自分には関係ないと思っている人にこそ観てもらいたい」と言い続けてきたけど、なかなか思うようにはいかないのだ。

メゲずにやり続けるしかない。


京都での『傍(かたわら)』上映で、とても励まされるアンケートを書いてくれた人がいた。

「言葉はいらない。いいフィルムでした。生活者の目線で撮っているフィルムで、数々の震災報道やメディアを観て来たけど、いちばんよかったです。

こういうフィルムが大きな映画館で、しかも行列で人々に観られるようになったとき、日本はしあわせな国になっているのでしょうね…これからもいいフィルムを創り続けて下さい。」


わけもわからず映画を創り、

わけもわからず映画を観てもらって来た。

つまり、

わけもわからず生きてきた、ということだ。

わけもわからず季節はめぐり、

わけもわからず今年も終わろうとしている。


わけがわかってたまるか!


東京の郊外、小田急線の新百合ケ丘にあるミニシアター「川崎市アートセンター」で『傍(かたわら)−3月11日からの旅−』を12月15日(土)午前10時から一週間上映してくれる。

今年最後の自主上映は、

12月19日(水)東京・日比谷図書文化館での

『大きな家〜タイマグラの森の子どもたち〜』(14時半から)

『風のかたち−小児がんと仲間たちの10年−』(18時半から)

私と澄川嘉彦監督とのトークもあります。


逢いに来て下さい。

 

わけもわからず

伊勢 真一