自動車趣味
タイトル | 自動車趣味 |
出版社 | マガジンボックス |
発行年月 | |
記事内容 | ★★★ |
掲載写真 | ★★★ |
資料度 | ★★★★ |
入手難易度 | ★★★★ |
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ELAN followers GINETTA G15
さてG4で一応の成功を収めたウォークレット兄弟の次なる目標は、より戦闘力の高いマシンの開発にあった。こうして開発されたのがG12〜G16と続く、一連のレーシング・マシーン達である。テューブラー・スペースフレーム+ミドシップレイアウトのG12/G16は、確かにG4の思想を一歩進めたもので、より高い戦闘力という当初の目的を達成することには成功した。しかし、当然のことながら、これらのマシーン達はもはや通常のストリート・ユースに使用できるものではなくなってしまい、したがってその販売台数も当然極限られてくる。レースで勝つには資金がいるが、高度なレーシング・マシーンでは量販が望めない。コブラやMGBと同じ市場を狙ったG10/G11のプロジェクトも、結果的には不成功に終わっていた。こうしてジネッタ・カーズではより量販の望める安価なスポーツ・カーを開発する必要に迫られた。ここまでがG15の生まれるバッグ・グラウンドである。G15と名付けられたこのプロジェクトは、まずそのパワー・ユニット選びからはじめられた。安価で経済的であるためには、量産車のパワー・ユニットを利用することが絶対条件であり、またジネッタの何ふさわしい戦闘力を発揮できるだけのポテンシャルを持っていることも要求された。こうして選ばれたのは、サンビーム・インプ・スポートのエンジンであった。
「ブレッド&バター・カー」という言葉を御存知だろうか。ちょうどパンやバター、つまり、毎日の食事のように日常生活に融け込んでいるファミリー・カーたちをこう呼ぶ。ルーツ・グループ(ヒルマン、サンビーム、シンガー等)の造るインプ・シリーズは、まさにこれにあたるクルマだ。そんなクルマのエンジンでは、あまり大したことはないような気がしそうだが、実はこのインプの場合はまさに”血統書付き”ともいえる高度な設計の持ち主であった。このインプのエンジンは、なんとあのレーシング・エンジンであるコヴェントリー・クライマックスのFWMエンジン(741ccのレーシングエンジン)を量産向きにアレンジした知る人ぞ知るものなのである。鋳鉄ブロックにOHVが当たり前だった当時、アルミニュウムのシリンダ・ブロックに、ウェッジ型燃焼室を持つチェーン駆動のSOHCヘッドを載せていた。排気量は、Φ68.0x60.4mmの875ccで、スタンダードでは1基のソレックス・キャブにより42ps/5000rpmの出力であった。G15が採用したインプ・スポート用のエンジンでは、2基のストロンバーグ125CDSキャブレターによって55ps/6100rpmの出力を得ていた。また、その素性からも推測される通り、このエンジンのポテンシャルそのものは非常に高く、有名なハートウェル等のチューナーでは、無理なく130ps以上までチューン・アップすることが可能だったという。このため、インプエンジンを使用するスペシャル(ジネッタ以外にも、デイヴリアン、クラン・クルセイダー、スコーピオン等色々ある)達は、現在でも英国のクラブマン・レースで、4〜5倍も排気量の大きなモンスター達を相手に結構な活躍をしているという。また1971/昭和46年からは£120のオプションでラリー・インプ用の998ccエンジンも選ぶことができるようになった。ラリー・インプというクルマは完成車として販売されたのではなく、インプを購入したドライヴァが、ルーツ系のコンペティション部門に自らクルマを持ち込んで、改造をうけるというもので、ラリーやレース等コンペティションに参加した実績のあるドライヴァのみに販売されるという特殊なクルマであった。オプションのこの998ccエンジンは、ストロークは同じながら、ボアをΦ72.5にアップしたもので65ps/6500rpmを発揮、SS1/4マイルが18.8秒、最高速が184km/hと発表された。この998ccエンジンを搭載したクルマはG15”S”と呼ばれているが、実際ノーマルのG15と”S”を外観上で見分けることはできない。いずれにしても、540kgを割る車重に対しては充分なパワーといえるだろう。この他にもVWのフラット4を搭んだモデルも北米向きに極く少数が生産された。G15”スーパーS”と呼ばれ、結局英本国では販売されることなく終わった。ただ、この”スーパーS”用のボディ・パーツ(フロント・スポイラー、リア・バンパー、オーヴァ・フェンダ等)は英国内でも販売され好評を博した。
ジネッタG15は、インプのエンジンを使用するというその都合上、必然的にインプと同じR/R、つまりリア・エンジン、リア・ドライブのレイアウトを採用することになった、しかし、巧みなボディ・デザインのため一見してリア・エンジンであることを観破るのは難しいだろう。エンジンは、フレームの後端に約45゜ほど右へ傾けて縦置きに搭載されており、標準でオイル・クーラーを装備している。エンジン・フードは垂直の位置まで大きく開きアクセシビリティは上々だ。ただ、いくらアルミニウム製の軽量エンジン(エンジン本体は僅か77kgだ)とはいっても、やはり後輪荷重が大きくなってしまうのはしかたがないことで、フロントが39.5%、リアが60.5%という極端なテール・へヴィになってしまった。この重量配分が実際に操縦性にどのような影響と与えているのかは、後ほど述べることにしよう。シャシーは、カタログにテゥーブラー・シャシーと謳われているが、G4やG12のスペース・フレームとは異なり、角型断面のスティール・チューブを縦横に組み合わせたもので、構造事態は単なるラダー・フレームと変わりない。ちなみに、G15の後継として発売されたG21は、G15に近い外観を持ってはいるが、構造上はエランに近く、よく似たバックボーン・フレーム(ただしこちらはアウトリガー付)を採用している。足回りは、フロントがトライアンフ・スピットファイア用のダブル・ウィッシュボーン+コイル、リアがインプ用のトレーリング・アーム+コイルという四輪独立で、フロントのみスピットファイア用のガーリング製91/2インチ・ディスクブレーキと自社製アンチロール・バーが付く。ボディ自体は、この種のクルマの定石どうり、FRPによって形造られ、フレームにはボルトによって固定されている。フロントブーツ・リッド内はFRP製のフューエル・タンク(1972/昭和47年3月よりスティール製へ変更)とスペア・タイヤで一杯。荷物は何も積めそうにないが、2つのシートの後ろには結構な広さのラゲッジ・スペースがあり二人の小旅行程度ならばなんとかなりそうだ。ボディのデザインは一見してロータス・エランを強く意識していることが解る。サイズもほぼエランと同じである。サイドのウインドウは初期のミニに見られるようなひきちがい式のアクリル製だが、フロントのみならずリアのウィンドウにもラミネート・ガラスが奢られている。この点からも解る通り、ジネッタG15はその価格を下げるために、可能な限り他のクルマのパーツを流用しているが、もし自製する必要がある場合には、きちんと手をかけてよい物を付けるように注意が払われている。初期のモデルを例にとっても、フロント・バンパーはフォルクス・ワーゲンのビートル用。リア・バンパーはウーズレー・ホーネット/ライレーエルフ用。ドアノブはMGB用など、他の生産車からの流用であるが、フロントに置かれたラジエータとリアのヘッダー・タンク(ブラスで造られた手の込んだ物)、極端な低さにもかかわらず前後にスライドすることが可能なバッケト・シート等は自家製で、良くできている代表例だ。
こうして開発されたジネッタG15が、最初に人前にその姿を現したのは1967/昭和42年10月、アールズ・コートで行われたロンドン・モーター・ショウに於いてであった。実際に市販が開始されたのは約1年後の1968/昭和43年9月からで、この種のスペシャルの定石としてキット・フォームも用意されていた。キット状態で£849という価格の安さから、プアマンズ・エランというありがたくないニックネームを貰うこととなる。その年の内に、内装/ラジエータなどを改良してシリーズ2へ進化し、後にサン・ルーフとコスミック・マークJのアロイ・ホイールがオプションに設定された。1970/昭和45年にはレーシング・タイプのフィラー・キャップ(それ以前はスクリュー・オン・タイプだった)、リア・クウォータ・ウインドウの拡大などにより、シリーズ3となる。1972/昭和47年4月、工場をサフォーク州サドバリーへ移転したのを機にFRPモールドを一部変更、ドア・ノブがBLのマリーナ用に、マーカーがより立体的なものになる等の変更を受ける。1973/昭和48年にVAT(英国の新税法)が導入されるとともに、キット・カーの税制上のメリットが減少し、多くのキット・カー・メーカーが倒産の憂き目を見ることとなった。ジネッタ社でも、キット・フォームでの販売に見切りをつけ、内外をより豪華にし、
コスミック・マークKホイールを標準で装備したG15シリーズ4を発表したが、結局以前ほど販売台数をかせぐことができなくなり、翌年の4月にはG15シリーズの生産を中止することになった。G15は最終的には796台が生産され、次期モデルのG21へバトン・タッチすることとなったが、この生産台数はこの種のスペシャリストとしては大成功といってもいいものであろう。 '70年式のG15シリーズ3であった。”スーパーS”用のフロント・スポイラー、ごついロール・バーなどの出立ちからも解る通り、本国ではクラブマン・イヴェントで活躍していたクルマだという。ひと口でいってしまえば、その比較的端正なスタイリングから性能を想像していると、とんでもなく侮っていたことを思い知らされる。ドアを開けて、まずそのたてつけが意外にいいことに驚かされた。旧いロータスなどでは、ドアが下がってしまったり、ひどい場合にはヒンジの部分が陥没してしまうこともあるのだが、G15の場合はどあの切り欠きの部分に工夫のあとが見られる。ドアも一回で、パタリと閉まる。着座位置は非常に低く、腕も足も伸びきったレーシング・カーまがいのポジションになるが、意外やヘッドルームは大きく、拳2つ分ぐらいの余裕がある。オプションのサンルーフのためもあってか閉所感は少ない。シリーズ3になって拡大されたリア・クウォータ・ウインドウのため視界も良く、小柄なボディと相俟って町中での取り回しも楽だ。
5段階あるハートウェル・チューンの内、まん中にあたるRP3と呼ばれるチューンが施されたこの車は、ボアをΦ74.5に拡大した1040ccから、オリジナル・インプの実に3倍、120ps/8500r.p.m.を絞り出すという。正直言ってかなり扱いにくいだろうと予想していたのだが、水温にさえ注意していれば町乗りにも十分使えるだけのフレキシビリティを備えており、ベース・エンジンのポテンシャルの高さを見せつけられた。ステアリングは軽くダイレクトで、リア・エンジン特有のノーズの軽さを感じさせる。個人的にはこの感覚を好むが、リア・エンジン車を扱い慣れていない人にとっては、安定感を欠くと感じられるかもしれない。限られた試乗では限界時の特性まで知ることはできなかったが、常にリア・エンジンを意識させるハンドリングで、そういう点ではアバルトに似ているといえるかもしれない。確かにジネッタG15はエランのようなまとまりの良さはないし、ノーマル同志で比較するならばエランの方が確実に速い。それではG15は単なるプアマンズ・エランなのだろうか。その質問の答えは、なっきりNOだといえる。なぜならば、G15によって得られる運転する喜びは、エランのそれとは全く別種のものであるからだ。どちらが良いかは、単に個人の好みの問題といえるだろう。