西が丘から一旦中仙道方面に戻り、そこから北上して再び旧鎌倉街道の合流地点を目指すことにした。
しばらく行くと山之内製薬などの大きな建物のある通りに出る。
この道がどうやら板橋街道と呼ばれていた道らしく、言わば旧鎌倉街道のなれの果て(?)のようなものらしい。
この辺は工場や団地などの大きな建物が多いようで、こうして古の道はこれらの建物によって無惨にもその姿を抹殺されてしまっているのである。
全く権力者というのは、きっと僕のような街道オタク、街道好きの気持ちなど全く理解せず、ひたすら土地買収などの金銭的なことだけに気がいって、そこにあった古い街道を残していこう、などという学術的な考慮は露ほども無かったのだろう。
まあせめてもの慰みは、山之内製薬というのが実は僕の郷里にも工場があり、地元では割と有名で馴染みの深い企業で、それで図らずもここで少し郷愁を呼び起こしてくれることになったことだった。
かように歩いていくにつれ、古の街道風情とは大分懸け離れた雰囲気になってきたので、大丈夫かな?と心配になるも、しばらく行くと上り坂の途中に寺が見えて来た。それでどうやら今の道も古い道らしいことがわかり一安心。
まず見えたのが大恩寺という寺で、すぐ隣には善徳寺という寺も並んでいる。
善徳寺の先の角は交差点になっており、僕の進行方向、すなわち東方向に団地がある。赤羽台団地と言って、幾分古めいた都営アパートが幾棟か立ち並んでいる。
ここから先の旧鎌倉街道は、この団地の造成などで消えてしまったようだ。旧鎌倉街道は、かつては、この団地の向かって右手の方面の中程を突き抜けていくように存在していたらしい。
団地に入る前に、一般道をそのまま東に向かって行くと、長福寺、法善寺といった寺があったので、少し寄ってみた。
境内のちょっとした緑が郊外に来ている感覚を強くしてくれる。
良く考えてみれば、ここは東京だ。
こうしてテクテクと東京のはずれの街を歩いていると、今まで思っていたよりも更に東京を大きく広く感ずるもんだ。
電車や車で行くだけだと、なんだかやけに簡単で「ああ十条の次は赤羽か・・・、あと3分だな・・・」みたいに単純に片づけてしまうきらいがある。
しかしそこを実際に歩いてみると、ずっと労力も時間もかかり、本日の行程なぞ下手すれば半日がかりである。
これだけ時間をかけて歩いてみると、今まで感じていた感覚よりも、もっとずっと大きく街を感ずるのである。
昔の旅には、きっとこんな広漠感が絶えずあったことだろう。
寄り道を終え、とりあえず先程の団地の中へと突き進んで行くことにした。
こうした団地の中には、1階に店舗が入っている場合が多く、ここもやはりそうした店が並んでいた。
このようなプチ商店街は、普段そんなに賑わっているという感じは受けないのであるが、今日のここのプチ商店街は、微妙に賑わっていた。何かイベントなのか、懸賞セールのようなものをやっているようだ。
この微妙な賑わい方が、いかにも古い団地らしい大衆的な雰囲気を醸し出している。
この赤羽台団地の中から埼京線の線路に向かって降りて行く道の途中に、ひっそりと庚申塔があった。これはこの道が古い道だった証拠だ。
しかもこの道が緩やかな坂なっていて、そこが「うつり坂」という坂だということが近くに有った道標でわかった。どうやらこの道が旧板橋街道、すなわち旧鎌倉街道の名残であるらしい。つまりやはり昔は団地の中を旧道が通っていたことは事実だったようだ。
それにしても団地のような近代的な場所の近辺で、思いがけずこういう昔の名残を感じさせる遺物に巡り合えると、急に嬉しくなるものだ。
* * *
やがて鉄道の高架が見えてきた。高架をくぐり、本日の終点、赤羽の宝幢院(ほうどういん)前へ向かう。埼京線、東北本線、京浜東北線など幾つかの路線が集まるこの地は今も昔も交通の要地であったようだ。
宝幢院に行く手前、この道の左手、埼京線と東北線に挟まれるように赤羽八幡という神社がある。
ここはその昔、坂上田村麻呂が布陣した時に創建されたと言い伝えられている。
すなわち坂上田村麻呂が「東征」に向かう時に通った道が、この道なのである。従って、この道は少なくとも遥か平安時代から存在していたのだろう。
旧鎌倉街道は、鎌倉武士が、鎌倉にはせ参じる為の道だった。しかし実は遡れば、この古い道の原形は遥か昔、日本武尊や坂上田村麻呂が「東征」の為に通った道でもある。それが僕をして古代のミステリーへと向かわさしめてくれる。
程なく宝幢院へ到着。
宝幢院は、旧鎌倉街道中道の二つのルートが交わるターミナルポイントだ。
宝幢院の門前には江戸時代の道標が建っていて、「南 江戸道」と書かれているのが鎌倉街道中道の東京都内を通る東回りのルート、「西 西国富士道 板橋道」と書かれているのが鎌倉街道中道の東京都内を通る西回りのルートを示している。
今日来たのは、この「西回り」のルートである。
半日程度の散策ではあったが、実際歩いてみて、東京を「旅」している、という感覚を強く味合うことができた。
元々静岡出身の僕にとっては、東京は異郷であったが、今や僕にとっての東京は生活の場、居住地としての街となっていた。
今日の散策は、かつて忘れていた、異郷の街東京に初めて来た時の新鮮な感慨を、僕に思い出させてくれた。
この先人生の道程において何かに息詰まったような時などには、何度でもこの道を歩いてみようかとも思う。(2003.3.22)
お終い。 |