Diary5(1998.12.18〜1999.2.14)

「1999.2.14(日)」・モバイルライフの黎明
 私はよく東京を都電や都バスで散策するのが好きなのですが、常々行った途中途中で気づいたことをメモするのに、「ここでワープロがあれば便利なのにな・・・」と思っておりました。
先月は残業残業でロクにプライベートも無いような状況でしたが(あまりクソ真面目に働くもんじゃありませんな)その代わり多少お金が入ってきそうなので、それを見込んでついに買ってしまいました・・・CASIOのカシオペアA60。ハンドヘルドPC、携帯端末等と呼ばれている、まあノートよりも更にちっちゃなパソコンです。OSはWindowsCE というのが入っています。
ハンドヘルドPCは普通のノートパソコン程機能も処理能力もありませんが、その分小さく、軽量、価格も安い、バッテリーも長もちする、というメリットがあります。要するに私のように、家ではメインのパソコンがあり、外でメモ代わりに使ったり、メールを使ったりするだけの者にとっては、うってつけの製品なのです。
この手の製品でメジャーなのはNECのモバイルギア等がありますが、カシオペアに比べると価格と大きさが難点になりました。
結局カシオペアを選んだのですが、購入にあたり私には一つの大きな問題がありました。それはせっかくカシオペア買ったはいいが、そのデータをどのように、私のメインPCのパワーマックG3MT266に持っていくかということでした。携帯端末で入力したメモを自宅のMacで編集し、仕上げるというのが、私の理想の形です。カシオペアはWindowsCE、もとよりマッキントッシュと直接繋ぐことはできません。もちろんDOS/V系のパソコンなら付属のケーブルで直接繋ぐことができて何の問題もありません。フロッピーでデータをやりとりすれば、と思い立ちましたが、カシオペアにFDDは接続できないとのこと。実際秋葉原のとあるショップの店員さんは、Macのノ−ト型PCでなければやりとりできない、と説明していました。私は持っていません、ノートPC・・・。しかし・・・インターネットは素晴らしい!いろいろ検索した結果、WindowsCEを搭載したハンドヘルドPCとMacを繋ぐソフト(ケーブルも付属)がある!という記事があるページを見つけました。これで私の問題はクリアでき、めでたく昨日購入ということにあいなりました。・・・と思ったら、まだ落とし穴があって、このMac接続用のソフトを使用するには、当然カシオペア側に関連ソフト(無償)を導入しなくてはいけなかったのですが、そのためには、1.Windows を搭載したパソコンとカシオペアを繋いで導入、2.インターネットから直接ダウンロードする、3.ソフトの開発元に宅急便で送って導入してもらう(気の長い話やで・・・)、かしなければならないとのことなのです。私に可能性があったのは2 。2を実現するにあたっては、モデムカードを別途購入しなくてはいけません。結局、今日改めてモデムカードを購入しちょっと手こずりましたが、インターネットに接続することができ、ソフトをダウンロードし、やっとMacとカシオペアのリンクが実現しました・・・やれやれ。まだ今の所テキストファイルのやりとりだけですが、他にもできるようなので試してみようと思います。
肝心のカシオペアの使い勝手ですが、これが思ったより快適でした。立ち上がりは早いし、かさばらないし、心配されたキーボードの打ちにくさも、実際問題として入力は左手は機械を押さえるのに使うので右手片手のみで入力することが多く、それであればキーボードの小ささはあまり気になりませんでした。唯一画面がモノクロで見づらいというのが気になるところでした。
 これで携帯電話でも買えば私もいっぱしのモバイラーの仲間入りということになるんだろうか、等と考える今日この頃でした。ちなみに参考のために私の今回のカシオペアに関連した機器を挙げておきます。

1.携帯端末   
    カシオ カシオペアA60 (WindowCE2.0)                 5万円弱
2.モデムカード 
      TDK DF3314ES (アナログ 33600bps)                  1万円弱
3.マッキントッシュとの接続ソフト(Mac・・・PowerMac G3 MT266 (Mac OS 8.1))
     XIN/XOUT 。for CE (ケーブル付き)                   1万円弱(秋葉原Laox Mac館3Fで購入)
         カシオペア側に XREMOTE.EXEの導入要(無償)
 



「1999.1.23(土)」・小用の仕方

 私の自宅の便器は洋式なのですが、しばらく前から小用も坐ってするように切り替えました。立ってすると必ず便器の周りが汚れその度にペーパーでぬぐったりしなくてはならないので、紙ももったいないし、労力もかかります。坐ってすると全く問題がありません。落ち着いてできるし、逆にメリットの方が多いのです。そこへいくと立ってする方は、意味もメリットも全くないのです。しいていえば、ズボンをおろさなくていいぐらいですが、私は一人暮らしなので、ズボンをあげようが下げようが誰か見ている分けでもないしあまり関係ないのです。男としての格好がどうのこうのより、立ってすることはデメリットなのです。
 常々そう思っていたら、今日テレビのトーク番組(さんま&所の芸能界・・・)で吉田拓郎氏が坐ってするということを話していて、「そうだよな!」とテレビに向かって相槌を打った今日この頃です。
(この記事今年一発目だった。いかん、最初から下ネタになってしまった!)



「1998.12.29(火)」・私のテレビライフ受難
 

 私の大好きだった番組の一つ、テレビ東京の「澁谷でチュ」が26日で終わってしまいました、ガックリ・・・しかも最終回はいつもと放送時間が違っていてビデオの録画失敗で結局見れずじまい(いつもビデオに撮って見てました)。やっぱり深夜でしかもローカル、いい番組が続くとは限らないということ。そういえば私の好きなNBAはロックアウトでシーズンも中止寸前、アメリカでも大いに盛り下がっているらしい・・・一年休むと選手はどうなるんだろう、そしてマイケルジョーダンは引退するのか?・・・ここはもう今シーズンはあきらめてジョーダン以降の新しいスターを生む為の入れ代わりの時期と思って来シーズンに期待するしかないのでしょう。
 少し明るい展望は、能代工業が高校選抜バスケで優勝を果たし3年間で9冠(三年間ずっと日本一)という偉業を成し遂げたことです。キャプテンの田臥君は他の選手とは格が違うプレイを見せてくれましたが、まさにミニジョーダンともいうべき逸材なので、是非高校を卒業してもいいプレイを見せていってほしいと思います。



「1998.12.20(日)」・モーツアルトの第二楽章

昨日モーツアルトについて触れたので、今日も少し。私がモーツアルトの好きなところは、世間で言われているような明るい華やかな部分ではなく、わかりやすく言うと、緩叙楽章と言われている、大体真ん中の部分のスローバラード的な部分です。特に好きなのはピアノ協奏曲20番以降の第ニ楽章、とりわけ22、23、27番、クラリネット協奏曲の第二楽章、バイオリンソナタの第二楽章にもいいのがあります。やはり美しく調和がとれているだけでなく時に幻想的だったりして、天上の音楽と言われるのも一理あります。確かに胎教などには良い気はします。後忘れてはいけないのがオペラですが、今のところ「魔笛」が一番いいです。最近また新たな録音でモーツアルトのいろんなオペラが出ているようですが、それらはまだ聞いたことがないのでなんともいえません。魔笛は今の私と大体同じくらいの年代で作曲されたようなので、ちょっと親しみがあることはあります。
 モーツアルトの華やかな部分ももちろん嫌いではありません。交響曲41番の「ジュピター」の第四楽章等は、気分が滅入った時に聞くと元気ずけられる時があります。
  ふー・・・次はバッハについて書くか・・・



「1998.12.19(土)」・名曲ベルベットモーテル

 大分昔の話しなのですが、キムタクが主演した「ロングバケーション」というドラマの主題歌をかいた大瀧詠一氏が、1981年に久々に出した「君は天然色」という曲がヒットした時がありました。この曲が入っているアルバムはその名も「ロングバケーション」で私の好きなアルバムですが、正直なところ「君は天然色」という曲自体は私としてはそれほど好きな曲ではありません。「ロングバケーション」というアルバムが好きになったのは二曲目の「ベルベットモーテル」という曲がとても素晴らしく、それで一気に好きになりました。これまた大分古い話ですが、イーグルスの「ホテルカリフォルニア」という名盤がありまして、一曲目は「ホテルカリフォルニア」ですが二曲めは「ニューキッドインタウン」という曲です。「ホテルカリフォルニア」は名曲だとは思いますが、正直なところ私がこのアルバムを名盤だと感じたのは二曲目の「ニューキッドインタウン」と三曲目の「駆け足の人生」が素晴らしかったからです。「君は天然色」「ホテルカリフォルニア」も一般的には名曲と言われると思います。でも私にとっては至上の名曲というよりは、そのアーチストの更に深い上の世界への橋渡しとなった「窓口」的曲という印象が正直なところです。
 私は今年の年男の年齢ですが、いつの間にか、好きな作曲家の一人であるモーツアルトが生きた年齢を上回ってしまいました。モーツアルトの代表的な曲というと、トルコ行進曲、交響曲第40番や、アイネクライネナハトムジーク等など思いますが、正直これだけがモーツアルトだったら、おそらくあまりのめりこまなかったと思います。私がのめりこむことになったのは、ピアノ協奏曲21番の第二楽章、それからやはりピアノ協奏曲の22番が素晴らしかったからです。ベートーベンも同じで、代表曲というと、第九、運命、月光ということになってしまうと思いますが、もちろんこれらも今は素晴らしい曲だと思いますが、私がベートーベンの魅力に取付かれたのは「弦楽四重奏曲第14番」を聞いたからでした。ここでも「アイネクライネナハトムジーク」「運命」達は「窓口」的な役割なのでありました。
 マスコミ等ではこの「窓口」的な曲を「名曲」として扱っているような気がします。もちろん「窓口」曲が至上の名曲であることもあります。でもおそらく私が推測するに「窓口」から踏み込む手間を面倒がるあまりメジャーな「窓口」曲を祭り上げるようなことになっているのではないでしょうか。まあこれは致し方ないことだとは思います。メジャー窓口曲にはそれなりのパワーもあるし確かにその時代にマッチした曲であるし、なによりそれが大衆に浸透した曲であることは確かだからです。でもやはり真実として、そのメジャー曲よりもあきらかに素晴らしい曲があるのにそのメジャー曲だけがもてはやされているのは何か腑に落ちないものがあります。
 なぜ「いとしのエリー」だけがサザンの曲でこうももてはやされるのか?「クリスマスイブ」がなぜ山下達朗の中で一番の名曲になってしまうのか。「運命」だけがベートーベンなのか?これはきっと聞く側がそれなりの意志を持ってアーチストを開拓していかない限り、マスコミから与えられたものを享受しているだけでは、更に踏み込んだ世界には行くことはできないからでしょう。たぶん何でもそうかもしれないけれど立ち止まっているだけだと周りから与えられた情報だけで自分の価値観築き上げてしまう恐れがありそこで進歩は止まってしまうのでしょう。別に名曲を聞きたくも無いという人は構わないけれど、名曲を聞きたい人は自分で一歩踏み出してその世界に踏み込んでいく、結構それが面白いんじゃないかと思います。私はそんな聞き方をずっとしてきたように感じます。
 また力が入ってしまった。こんなに長く書くつもりは無かった・・・


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