「2000.8.23(水)」・こんな音楽だから
僕はどういうわけだか、さびれた商店街や、街道跡、かつて隆盛を誇った都市の跡・・・などが好きで、そこに哀愁の美を見いだすのが楽しみなのであるが、実際のところこれらの街等の風景のみだと僕の美学は完成しない。
そこにマッチする音楽はどういうものかというと、これはもうやはり隠れた名曲が適している。
哀愁の街の風景に良くマッチ(シャレじゃないスヨ)する曲としては、いろいろあるが例えば、
基本はとにかく美しいメロディがあることであるから、隠れているといないとに限らず、いろんな美しい曲を哀愁の情景にのせて聴いてみるというのも、それでまた一つの楽しみなのである。 なんかマゾっぽくてオカシイかな? しかし良く考えてみると、音楽が生まれてくるのが、こういう経過を辿ることなのでは無いかという気がする。
結局僕がなぜ哀愁の街が好きなのか、これこれこうだからなんですよと、あれこれ言葉重ねて説明するよりも、このような音楽のようだからなんですよ、というほうが随分と早そうなのである。 |
「2000.8.22(火)」・今日の番組から
本日は以下のテレビ番組が心に残りました。 ・NHK「プロジェクトX」
・NHK「ETV2000」
・TBS「タモリのジャングルTV」
・テレビ朝日「トゥナイト2」
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「2000.8.21(月)」・夢浪漫担当
以前TBSの「回復!スパスパ人間学」で「女の脳・男の脳」と題して、その違いを探求するような内容のことを放送していたということを書いたが、その時の話題で他にも面白いものがあった。 元来誕生時から、男性は右脳、女性は左脳を発達させて誕生してくるそうで、その違いは子供時代の遊びにも現れるらしい。イメージや創造を司る右脳が発達した男性は「モノ」に興味が沸くので、怪獣や動物の人形などの収集癖が出てくるそうである。片や言語や思考を司る左脳が発達した女性は「ヒト」に興味がいくのでママゴトなどの人間関係を反映したような遊びに興味がいくそうである。
男性は全体的イメージを把握するのが得意なのだが、割と細部には目がいかない。女性は細部の把握には長けているそうである。
男性は全体的な構成や方向性を考え総括・把握する作業を行う一方、女性は細かなニュアンスをとらえ細部にまで目が行き届くというのも、こんな左脳と右脳の発達の違いからくるらしい。
会話をする場合、男性はそこに展開・結論といったストーリーを求めるが、女性は言語感覚が敏感な為、会話すること自体を重視し、それ自体に意味を求めるらしい。それがストレス発散にも繋がり、それ故喫茶店や電話等で長話などができるらしい。確かに僕なぞは意味の無い会話は極力避けたいと思っているので、女性にモテタイと思う場合は、そこは譲歩しなければいけないなとも思う。 以前別のテレビの番組で、女性は冷蔵庫に食物以外の物も格納するというのをやっていて、随分妙なことをするものだと思っていたが、これは良く考えたら大変合理的な発想だということに最近気がついた。
もちろんこれらのことは一般論で、なをかつ個人差があるので男女全てがこうとは限らないし、男性でも左脳の発達した人、女性で右脳の発達した人だって沢山いることであろう。 ところで僕の部屋を見渡すと、モノが雑然と置かれ、行き当りばったり感覚満載で、生活の智恵のカケラも無い。 じゃ、僕自身は一体何が欠落していないのか?
これらを眺めていると、夢・浪漫などという単語も浮かんでこなくは無い。 生活の智恵は誰かに担当してもらい、夢・浪漫は僕が担当、そんなちょっとキショく馬鹿げたことなんぞも考えて、ニタニタしているような今日此の頃でもある。
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「2000.8.20(日)」・ヤツとの関係2
数回にわたってお送りしてきたヤツ(ゴキブリ)に関する考察(?)の完結編(?)。 今回はヤツの存在意義とその携えるメッセージについて考えてみた。 ここでいきなり大上段にでるが、ヤツは「神の使者」としての使命を帯びている。
え?あれだけヤツを毛嫌いしていた僕が、なぜヤツ寄りの発言を?と思われた方もあろう。
ヤツに対してとったリアクションは、一見各々に必然性があるかのように見えるが、実はいくつかの選択肢の中から無意識が、今までの生活環境や学んできた社会常識などを基盤として、それに基づき瞬時に各々選択しているものである。 ヤツに対しての反応は、当然人によって異なる。
小さい頃家族が夜テレビを見ている場に、突如ヤツが出現したことがあった。
父は自分の嗜好を貫いた。
結局ヤツに対するリアクションは、我々の自由なのである。どういうリアクションをするか、それはひとえに我々の自由意志の判断にのみかかっている。
これは教会の結婚式で新郎新婦に永遠の誓いを確認する神父と同じ業務をこなしていると言って良い。ヤツは神父さんと同業の士だったのである。
ゴキブリ如きで壊れるものがあれば、それは最初からその程度のものなのである。
以上偉そうに述べてきたが、僕はヤツに対して正直「むやみに意志の強固さを確認しにくんじゃねえ!」との念を抱き続けている一方、ヤツの出現が今後二度と無いことを切に神に祈り続けている次第である。
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